私は貴方を許さない

白湯子

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第10章「奈落の告白」

199話

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エリザベータside


階段の広い踊り場にて。
ビアンカの華麗な飛び蹴りが、白いローブの男の顔面に見事に命中する。
そのまま3人分の全体重が男の顔面に重くのしかかり、男は抵抗する暇もなくビアンカの足の下に深く沈んだ。

恐ろしい速さを肌で感じ、心臓がドドドッと激しく高鳴る。
死ぬかと思った…と安堵したのも束の間。
今度は視界がぐるりと天地逆転した。なんと男の顔を踏みつけていたはずのビアンカが、空中でくるりと一回転しているのだ。
訳も分からず声にならない悲鳴を上げていると、ビアンカはドシンッ!!と両足をついて、尻餅をついた騎士見習いの青年の真横に降り立った。


「しっかりしなさい、ヤン!!薬をこっちに!!」
「は、はい!教官!!」


”ヤン”と呼ばた私と同年代ぐらいの、鼻の辺りにそばかすを散らした黒髪の青年は、慌てて懐から小さな麻袋を取り出し、それをビアンカに差し出した。
ビアンカは脇に抱えていた私と殿下を勢いよく床に降ろし、その麻袋を受け取る。
降ろされた…いや、落とされた私たちが「うぎゃっ」と蛙が潰れたような声を上げる中、ビアンカは目にも留まらぬ速さで、気絶している白いローブの男の元へ飛んで行った。

そして、麻袋の中から取り出した、何やら黒い丸薬のようなものを気絶している男の口…というより喉奥に「ふんっ!」無理やり押し込んだのだ。
男の口にビアンカの太くて逞しい腕が目一杯入り込んだ光景に、思わず目を背けたくなる。


「すげぇ光景だな…。」
「で、殿下…ビアンカなにを…」


私と同じように座り込んでビアンカを苦々しく見守る殿下に、私は恐る恐る尋ねた。


「虫下しの薬を飲ませてんだよ。」
「虫、下し…?」
「そ。あの黒い玉な。あれを飲むと寄生虫を吐き出せんだよ。あ、ほら、あんな感じにな。」
「…え?」


殿下が指を指す先を見てみると、ちょうど気絶をしていたはずの男が四つん這いで激しく嘔吐する瞬間であった。
思わず顔を背けようとしたが、隣にいる殿下がそれを許さなかった。


「こら、ちゃんと見てろ。」
「ぐえ。」


ガシッと殿下に頭頂部を鷲掴みにされ、無理やりビアンカ達の方へ向かされる。
視線の先には全てを吐き終えたのか、肩で激しく呼吸をする男の背中をビアンカが優しく撫でていた。


「色男さん。ご気分は如何かしら?」


ビアンカが柔らかく尋ねると、男は口元を袖で拭いながら苦し気に答えた。


「さ、最悪だ…」
「でしょうね。そんな最悪な状態からさっさと抜け出して、理想郷とやらに旅立ちたいとか思ってる?」


その問いにカッと目を見開いた男は勢いよく伏せていた顔を上げた。


「とんでもない!家族を残して死ぬなんて、今の私には出来ない!先程まで私はどうかしていたんだ!早く家に帰って妻や子供たちと一緒に新年を迎えたい…!」


狂信者の凶変ぶりに目を瞠る。
つい先ほどまで、聖女の為ならば自身の命すら喜んで差し出そうとしていたはずなのに。
眼前で涙を流しながら家族を想う男の目には、正気の光が宿っていた。


「寄生虫、除去完了ね。」


……完了?本当に?

ビアンカが満足げに笑みを浮かべている一方で、私は酷く困惑していた。
あまりにもあっけなくて、目の前で男が聖女から解放された姿を見ても真実味が欠けている。
300年前、熱に犯されたように聖女を盲信する彼らにどんな言葉を投げかけても響かなかったのだ。
それが、たった一粒で…


「…、」


もし。もしも。
あの虫下しの薬が300年前にもあったとしたら、私の運命は少しでも良い方向に変わっていただろうか。あの最悪な最期を避けることはできたのだろうか。

幸せに、なれただろうか。

そんな意味をなさない何通りもの”たられば”が思考を埋め尽くす。
あの時、私がーーー


「……。」


そこまで考えてかぶりを振る。
今更どうこう考えたって過去が変わるわけではない。今を考えろ。
この厄介な悪癖は意識して治していかなければならない。


「で、殿下!腕が…!」


傍らに尻餅をついていた見習い騎士ヤンが、殿下の失われた右腕を見てぎょっとした声を上げた。それに対し、殿下は面倒くさそうな表情を浮かべる。


「騒ぐな。」
「ですがっ!せめて治療を…!自分、包帯を持ってーー」
「必要ねぇよ。もう血は止まってる。それよりもヤン。お前、虫下しの薬の予備は持ってるか?」


殿下にそう言われた、ヤンは「あ、あります!」と慌てて懐からビアンカに渡した麻袋よりも小さい袋を取り出し、殿下に差し出した。


「1粒貰うぞ。」
「はい!大丈夫であります!」


麻袋の中から虫下しの薬を一粒摘まみ出した殿下は、手にした丸薬を何故か私に差し出してきた。


「飲んでおけ。」
「わ、私がですか…!?」
「当たり前だろ。お前以外に誰がいんだよ。」


そう言われて、はいそうですか、と飲めるものではない。
だって私にとってこの薬は、突然現れた得体の知れない薬なのだなら。
それに―――


「私は寄生されていないので、飲む必要はないかと…」
「先に飲んでおけば寄生の予防にもなるんだよ。その証拠に先に飲んでたビアンカは寄生されなかった。」
「そ、そうなのですか…」


聖女に狙われたビアンカが寄生虫から逃れられた理由は、この丸薬のおかげだったのか。
だが唐突にそんなこと言われても、にわかに信じ難い。


「そもそも、この薬は何処からきたんです?ノルデンには無い薬ですよね?」
「クソベルトがデューデンに留学していた時があっただろ?あん時に、現地のヤツと一緒に作ったらしい。」


あの人が…。

ふと、ユリウスがカモミールティーの中に自身の血液を混入させていたことを思い出し、私の中で虫下しの薬に対する警戒心がより一層強くなった。
そんな私の様子に気が付いた殿下は苦笑いを浮かべる。


「胡散臭いと思う気持ちはよーく分かる。俺もそう思ったし。だが効果は確かだ。そこは保障する。」


ユリウスに対して溢れんばかり殺意を抱いていたはずの殿下が、そこまで言うなんて。
ユリウスと殿下。この2人の間に一体何があったのだろうか。


「…分かりました。」


心を動かされた私は殿下から一粒の丸薬を受け取った。


「あ。味の保証はしないからな。」


飲む直前でそんなことを言うなんて…!
彼の言葉を裏付けるように、丸薬は黒々としており、見るからに苦そうだ。
だが今は躊躇している場合ではない。こうしている間に、すぐ上の階段では、狂信者と見習い騎士たちが激しく鬩ぎ合っている。
私は意を決して、手の平に鎮座するソレを口の中に運び入れた。


「ーーー!」


鼻を抜ける爽やかな風に目を瞠る。
これはハーブだ。
最初に感じのが、スーッとした清涼感のあるペパーミント。続いてちょっとスパイシーなローズマリー。知っているものから知らないものまで、約10種類ほどのハーブがブレンドされているようだった。

最後に、遠くの方で林檎の芳醇な香りーーーカモミールの花を微かに感じて、私は丸薬をこくりと呑み込んだ。


「…不味くなかったのか?」


殿下が少し驚いた様子で尋ねてきた。私は首を傾げる。


「はい。やや癖はあるとは思いますが…」
「マジか。俺やビアンカなんて、あまりの不味さに中々呑み込めなかったんだぞ。」
「え、」
「お嬢様!自分も苦労しました!」


当時を思い出しているのか、ぴしっと挙手をしているヤンは苦々しい表情を浮かべている。
そんな2人の反応を見て、私は少し驚く。確かにノルデン人はあまりハーブ系を好まない。その中で、カモミールティーを好んで飲んでいた自分は珍しい方だとは思っていたが……まさかこんなにも味覚の違いがあったなんて。


「ヤン!」


男を両手で横抱きにしたビアンカが、少し離れた所から小走りで駆け寄ってきた。
ビアンカに呼ばれたヤンは素早く立ち上がり「はい!教官!」と元気よく敬礼をする。


「この色男さんと、そこの2人を宜しく頼むわね。アタシは上に居る子たちを助けに行ってくるわ。」


ビアンカは早口でそう言いながら、床に男を降ろした。男を託されたヤンは「了解であります!」と返事し、ぐったりしている男の背中を支えた。
緊迫したビアンカの様子に、口を挟むことができず、ただ黙って彼女を見つめることしかできない。


「おい待てよビアンカ。」


すぐさま踊り場から上に伸びている階段へ向かおうとするビアンカを、殿下が鋭い口調で呼び止めた。


「俺も行く。」
「いけません。」


ビアンカはぴしゃりと言った。


「魔力がほとんど残ってない上に、その腕で戦うのは危険です。」
「やってみねーとわかんねぇだろ。」
「やってみて駄目だったどうするのですか。」


激しい感情を押し殺した琥珀色の瞳が殿下を貫く。
こんなにも余裕がないビアンカ、見たことがない。
それほどまでに、私たちは危機的状況に陥っているのだ。


「お願いだから、ここに居てください。」
「…ビアンカ。俺はーーー」


握った拳を微かに震わすビアンカに、殿下が何かを言いかけようとした、その時。

突然、背後から「ドガーンッ!!!」と凄まじい落下音が響き渡った。
何事かと背後を振り返った私は、視界に飛び込んできた光景に目を見開く。
奈落に伸びていた階段が、ガラガラと音を立てながら崩れていたのだ。

下にはまだ聖女とユリウスが…!

奈落の底に居る2人の安否を確認しようと下を覗き込むが、もくもく立ち上る土埃が視界を遮り何も見えない。
脳裏には、落ちてきた階段の下敷きになった2人の姿が過る。
まさかそんな…!


「なんてことを…!」


唸るようなビアンカの声に、ハッと顔を上げると、ビアンカは土埃を鋭く睨み付けていた。
その土埃の中で黒い影がゆらりと動いているのに気付き、私は息を吞む。
誰かが、居る。


「下がって!」


ビアンカが叫んだと同時に、土埃の中から人影が飛び出してきた。


「ーー!!」


皆一様に息を吞む。
現れたのは、筋骨隆々なビアンカと比較しても、決してひけを取らない逞しい体格の男だった。
男は身につけた白いローブを風に靡かせながら、体格に似つかわしくない風のような速さでこちらに向かってくる。あまりの速さに、目深に被っていたフードが後ろに流れ、男の面貌が露わになった。
月明かりに照らされて鈍く光る銀髪と湖の底のような暗い瞳、右頬に刻まれた古い傷跡。
年はおそらく父と同じか少し下ぐらいだろう。
身に着けた白いローブの下から覗く目が覚めるような青色の騎士服と、その歴戦の覇者のような貫禄のある顔立ちには見覚えがあった。
あれはーーー


「ジークフリート!!!」


誰よりも早く動いたビアンカが男の名を叫びながら、私たちを背に隠すように前に躍り出た。
ビアンカは鞘から剣を引き抜き、男ーーー皇室騎士団団長、ジークフリート=ボックに切りかかった。

キーン!!と剣と剣が交わった金属音が、地下聖堂内に響き渡る。


「アンタ!!陛下を守りもせずに何やっているのよ!」


ビアンカの一撃をジークフリートは、ゾッとするような無表情で受け止めた。


「これはこれはベック団長ではありませんか。ご無沙汰しております。あぁ、元、団長でしたな。失敬、失敬。俺としたことが間違えてしまいました。」


ビアンカとは対照的に、低くてあまり抑揚のない淡々とした口調。
彼はどんな仕事でも顔色一つ変えずに淡々と仕事をこなすことで有名な皇族お抱えの騎士だ。それ故に、皇族からの信頼が厚いと聞いていたが…


「挨拶なんてどうでもいいわ。質問に答えなさい。」
「つれませんね。尊敬する貴方に会えて、俺の心はこんなにも喜びに打ち震えているというのに。」
「ジークフリート!!」
「ははは…はぁ。気付いたからですよ。職務を全うするよりも大事なもんに。」


ジークフリートは受け止めていた剣を上に弾き、ビアンカの顔面に剣先を突き刺した。


「ビアンカ!!!」


私と殿下が同時に叫ぶ。


「理想郷。そこに行けば、俺が憧れていた昔の貴方に会える。」


ビアンカからパキンという金属を砕いたような音が聞こえた。
がらがらとビアンカの足元に散らばる金属の欠片を見て、ようやく理解する。
ビアンカはジークフリートの剣を歯で受け止め、そしてその刃を噛み砕いたのだ。
そんな人間離れした妙技をみせたビアンカの様子に、ジークフリートは満足そうに眼を細めた。


「イイ。実にイイ。やはり団長は、元の男らしい団長に戻るべきだ。」


ジークフリートは砕けた剣を奈落に放り投げ、新たな剣を鞘から抜き出した。


「俺と一緒に理想郷へ旅立ちましょう、団長。」
「勝手なことばっかり言ってんじゃないわよ!!!」
「落ち着け、ビアンカ。寄生された奴の言葉なんざ真に受けんな。」


立ち上がった殿下は、青筋を立てているビアンカの肩に手を置いた。


「…そうね。アタシとしたことが、ちょっと熱くなりすぎてみたい。」


落ち着かせるようにふーと息を吐いたビアンカは、すっと剣を構えた。


「ジークフリート。すっごく腹ただしいけど、今すぐアンタを助けてやるわ。皆、下がって頂戴。」


ビアンカの言葉に従い、ヤンが「殿下、お嬢様。早く俺の後ろに」と誘導する。
私は慌ててヤンの背後にまわった。だが殿下はその場から動かない。


「俺も戦うぜ。」
「殿下。」


ビアンカが咎めるような口調で殿下を下がらせようとする。
そんなビアンカに殿下は首を横に振った。


「ビアンカ、俺はーーー」


殿下が先ほど言いかけたことを再び口にしようとした、その時。


「おい!!居たぞ!ゴキブリ皇子だ!!」
「下の踊り場に居るぞ!!!」
「殿下の血を神様に捧げろーー!!」


物騒な言葉を吐き出しながら、白いローブを来た大勢の人々が上の階段から踊り場に降りてきた。
そのあとを見習い騎士たちが追いかける。

そして踊り場は瞬く間に乱闘騒ぎの戦場と化したのだ。





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