私は貴方を許さない

白湯子

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第11章

212話

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暗闇の中、僕は香りだけを頼りに雪道を這い進んでいた。

ほとんど気力だけで、ひたすら腕を前に動かしていると―――ふいに、腕に伝わる感触が変わった。
冷たく水っぽかった雪道から、じんわりとした湿った柔らかさへと。

僕は確かめるように、かじかんだ手のひらを地面に這わせた。
雪のざらつきとも、氷の鋭さとも違う。
沈みこむようなぬくもりと、大地の匂いーーー土だ。
視界は闇に閉ざされ、耳には何の音も届かないが、手に触れた感覚だけは確かだ。

さらに手を伸ばすと、指先が何かをとらえた。
地面から生えた、細くしなやかな茎。そして、その先に咲く瑞々しい花の気配。
指を滑らせれば、茎はしなり、小さな花弁が指の間をすり抜けていった。

少し触れただけで崩れてしまいそうなほど繊細な花弁。
けれど、しなった茎には確かな芯があり、折れもせず、逞しく再び天を仰ぐ。
まだ蕾が固く閉ざされた早春だというのに、まるで今が全盛期であると言わんばかりに、どんなに小さくとも、一輪、一輪が、あの香りを強く放っていた。

青く、甘く、少しほろ苦い。
泣きたくなるほど懐かしいのに、胸の奥が軋むほどに忌々しい。
けれど、求めずにはいられない。

僕は気が付いた。
ようやく辿り着いたのだ。
あの香りの源へ。

僕は無我夢中で咲き乱れる花々の中を這い進み始めた。
動くたび、花と土が身体に擦れ、土の湿った匂いと、青くて甘い花の香りが入り混じる。
奥へ行けば行くほど、その香りはさらに濃くなり、花の密度も増していった。
びっしりと生えた茎が、まるで意思を持った触手のように全身をなぞる。その感触に不快な既視感のようなものが腹の底から込み上がった。
僕はそれを振り払うように、腕で花々を薙ぎ払いながら、前に進んだ。

ーーーここだ。
ここが、一番香りが濃い。
おそらく、この奇怪な花畑の中心地。

考えるよりも先に、身体が動く。
地面を鷲掴んだ僕は、指に絡まる茎を、力の限りに引き抜いた。
細い茎が音を立てながら千切れて、空気がより濃密な香りに満たされる。
その噎せ返るほどの香りに、頭が端から痺れていった。
きっとこれは僕にとっては猛毒だ。
だが、それでも構わない。
ーーーこれは、僕のモノだ。

欠けたものを奪い返すかのように、僕はそれを口の中に放り込んだ。


「ーっあぁっ!?」


異物が血流に乗って、僕の脳に入り込む。それは、既に道を知っていたかのように迷いなく奥へ奥へと進んでいく。そして、目的地に辿り着いた異物は、毒液を放出して自爆するジバクアリの如く弾け飛んだ。


「あぁあ…!!」


その瞬間、とある男の生涯の記憶が濁流のように脳裏に一気に押し寄せた。
膨大な記録に脳の処理が追い付かない。一方的に流れ込む記憶の暴力。

まるで駆け足で過ぎ去る砂嵐のような映像の中で、一瞬だけ鮮やかな記憶が映し出された。


『えっとね、白!白が好き!』


白くて小さい―――彼女が好きだと言っていた忌々しい花。

僕は知っている。
彼女を知っている。
この記憶はーーー


「エリザ…」


負荷を与えすぎた脳の神経が何処かでバチンッと焼き切れ、僕の身体は花畑にぐしゃりと崩れ落ちた。
鼻や耳から生暖かい液体がどくどくと流れる。


「......。」


ーーー全て、思い出した。

この花は、愚かな男が死ぬ間際に世界に植え付けた記憶―――僕の、記憶だ。

その記憶と共に、僕はようやく己の役目も思い出した。





























❖❖❖❖❖


ぼた…ぽた…と、水面に雫が落ちる音がした。

とても近い。
重い瞼を開けると、僕は泉の中に居た。
泉はどこまでも続いており、果てが見えない。

ここはどこだろうか。

ぬるま湯のような泉に浸かりながら、ぼんやりと見上げると、そこには幾千もの星々が散りばめられた夜空が無限に広がっていた。
星々の光は泉の水面にも淡く降り注ぎ、きらりと揺れる光の粒となって、静かに揺らめいている。


「おはよう、虫の子。」


突然、頭上から降ってきた声に、僕はハッとした。


「誰だ…!」


バシャリッと水しぶきを上げながら立ち上がった僕は、背後を振り返りーー目を見開いた。
そこには、大地そのものが形を変えたような、大樹が悠然と聳え立っていた。
その姿には、どこか畏怖すら感じる、威厳に満ち、静かにそこに在るというだけで、この場を支配しているようだった。
……先程まで僕が寄りかかっていたのは、これだったのか。
不思議なことに、その大樹は泉の中心に根を下ろし、まるで泉を守るように枝を横に横に大きく広げていた。

そして、その枝のひとつに、寛ぐように腰を下ろす若い男の姿があった。
年は僕と同じか、少し上か。
一枚の白い布を身体に巻き付け、僕と同じ金色の髪を無造作に垂らした男は、木々のあちこちに実る赤い果実を頬張りながら、こちらを見下ろしていた。


「朕は傍観者。それ以上でもそれ以下でもない。」


そう言って男は青い瞳を、猫のように細めた。
思わず息を吞む。

何故ならば、その顔は僕にとてもよく似ていたからだ。











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