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イザームさんとルーカスくん・おまけ
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※ルーカスくん視点です※
世の中、理解し難い事は多々あれど。
夜更けも夜更け。
巡回の騎士以外は寝静まったような真夜中に、人使いの荒すぎる従兄弟に命じられた書類仕事を終えた後。
仮宿にしている文官用の宿舎へ向かい、少々ショートカットをと騎士寮の近くを通ったのが間違いだったのか、それとも正解だったのか。
明らかに自分に気のある───当人達を差し置いて尾ひれ背びれをつけて大層立派に育っている噂の片割れであるはずの男が、他の男の髪を梳きながら優しげに目を細める、などというこの状況は中々に理解が追いつかなかった。
一年半もじっくり観察してきた。断言出来る。その男がそんな顔を向けるのは幼馴染み四人とルーカスだけだったはず。
それを何処の馬の骨ともわからぬ騎士に向けるとは。
「───はぁ?」
そんな声が出たのは、随分と親密そうな二人の姿が見えなくなって暫くしてからだった。
正直な話、最初は苦手だった。
伸びない背丈に悩まされ、キリッとしない女顔に唸り、食べても太らない体質に納得出来ず吐くまで食べては吐かずに急性の胃炎で倒れ込み。
切れた運動神経を認めたくないあまりに一人でこっそりと馬に跨ったら、急に嘶き走り出した馬に振り回され必死にしがみついた。タイミング悪く近くに来ていたらしい従兄弟のセオドアに颯爽と助けられ、その後の説教が容赦無さすぎてルーカスは少し泣いた。怒っていた筈の馬番が冷や汗を流しながら止めに入るくらいであった。
成長とともに全ての努力を裏切り理想とかけ離れていく容姿に、父親が王弟であるのも相まって、ついた呼び名は「姫」。
ルーカスはれっきとした男だ。
馬鹿にするのも大概にしろと憤った。
もちろん堂々とそう呼ぶ人間はいなかったが、影でコソコソ呼んでは女に置き換えた恋慕を向けられる。女が好きならわざわざ気を衒ったりせず大人しくブレず女だけ見ていればいい。可愛いだの美人だのとデレデレされる度にキレそうだった。
そんな状況であったから、英雄であるアースィムを始めとしたクルシュ人の五人組が苦手だった。
鍛えられて無駄のない筋肉も見上げる程の背丈も、五人が五人とも男らしく整った容貌も、他者を寄せ付けない圧倒的な強さも。
ルーカスが欲しかった何もかもを持った存在。
出来るだけ関わりたくなかったというのに。
彼らをいたく気に入った父親の策略によりアースィムの側付きにと話が上がり、ルーカスの意志など全く確認されないまま嫉妬深い従兄弟の手が回って王太子の執務室付き文官となった。
それが良くなかった。
心配性なアースィムの為だと王太子の護衛を買って出たクルシュ人のイザームは、毎日執務室にやって来る。
やって来ても二、三王太子と言葉を交わしただけで隣の部屋に行きごろ寝をしたり筋トレをしたりするから、一日中顔を合わせている訳ではない。だがしかし、関わりたくないクルシュ一行の中でも最もルーカスのコンプレックスを突き刺し煽ってくる男だった。
理想形態ど真ん中。
雄みの強い顔面。上腕や胸筋、背筋のつき方も腰の引き締まり方もその逞しさも夢描いた憧れそのもの。
理想の中では褐色ではなかったが、見せ付けられる褐色肌にこれが正解だったのかと神妙にならざるを得なかった。
「王太子、今日は───」
更に声がまた良かった。
幼馴染み達といる時は楽しげなのに、そうでない時は少し機嫌が悪そうで低く、かと言って聞き取り難くはない。
(は?完璧すぎないか?ふざけてるのか?)
ルーカスは非常に苛々した。
大将と仰ぐアースィム以外には誰に対しても媚びへつらったりせず、常に堂々として己を崩さない。
ではクールなのかと思えば幼馴染み相手にはよく笑い、暇さえあれば集う女には優しく騎士に対しても面倒見が良かった。
(ギャップを狙ってるのか?それとも私の心臓を破壊したいのか?)
苛立つあまり毎日毎日観察してしまった。
挙句にうっかり惚れた。
完璧な理想が目の前を歩いていたら誰だって惚れる。
ルーカスもイザームも男だが、そんなことは些細な問題だ。
妻帯者である兄がいるし、この国で一番後継が必要な王太子が堂々と同性を娶って欲望のままにイチャついている。誰にも文句など言わせない。
ルーカスは己が容姿を最大限に活かす時が来たと確信した。
その辺の男ならホイホイ釣れる顔面を今活用せずにどうすると、何かと話しかけてはじっと見上げ、男ウケが良いと聞いたささやかな接触を心掛け、それはもう必死でアピールした。
色恋を無視して生きて来たルーカスだ。数多いる敵と比べて恋愛初心者過ぎた。向けられる好意は男からばかりであったから致し方ない。良いなと思う以前に女は皆ルーカスを避けて通った。
その為に少ないアピールタイムでも生来の気の強さが裏目に出てしまう。ルーカスの理想形態である男の気が弱いわけもなく、せっかく話せても色気も何もない言い合いばかり。
(全然うまくいかない……)
たまに落ち込んだりもした。
呆れていたとか面倒そうだったとか一人反省会を開いては、次に活かそうと決意したそばからまた失敗する。
頭の回転と達者な口だけが自慢であったのに、イザームを前にすると憎まれ口ばかり叩いてしまう。
けれどイザームは変わらなかった。
呆れ、言い返し、時には笑ったりもした。
今までに言い寄って来た男は、揃いも揃ってルーカスの気の強さに勝手に幻滅して勝手に離れていったのに。もちろん、さっさと失せろと思っていたからそれはそれで良かったのだけれど。
(やっぱり、理想の権化は違う)
遊ぶには手頃な代替え品として見てくるような下々の男どもとは一線を画している。
ルーカスは益々目で追うようになった。
そんな風に過ごす内、次第に向こうからも声を掛けて来るようになり、更には全く意味なく何かと触れたり手を繋いできたりするようになった。
自分の歩みの遅さに感謝する日が訪れるとは思ってもみなかった。
「ルーカス」
他の四人はいつまで経っても王弟の息子と呼ぶのに、イザームだけはルーカスの名を呼ぶ。
口では腹の立つことばかり言うが、優しく目を細めて笑いそうっと触れてくる。女たちに対する丁寧さとは違う。壊れ物に触れているかの繊細さ。
ルーカスは小躍りした。
肉焼きという週末の宴会に参加するようになって半年ほど過ぎた頃だ。
(間違いない。両想いだ)
その頃にはルーカスとイザームが交際しているという噂が広まりきっていて、イザームがそれを否定する様子がないばかりか、幼馴染みの三人はニヤニヤとしながら気を利かせて二人にしてくれたりもする。
仲間意識がやたらと強いクルシュ公認。
勝ったも同然である。
小躍りしながら、ここまで来たら後はもう押しに押して好きだと言わせるのみだと拳を握っていた。ら。
冒頭のアレである。
「は?」
それ以外何も出てこなかった。
まさか自分はフられたのか。告白もしていないのに。ショック過ぎて涙すら出ない。
顔を合わせたくないとどんなに思っても思いやりという言葉を知らない王太子からの呼び出しにより、渋々執務室へ向かっていたらバッタリと出会した男。
さあ何を言うつもりだと構えるルーカスに対して、あまりにもいつも通り。あまりにも甘ったるいまま。
それが何日も続き、続く間にも騎士とは会っているようなのにどこをどう見てもイザームはルーカスに気があるようにしか見えず、さすがに混乱してしきりに首を捻っていたら、見ていた王太子が一言。
「奴はアースィムの従兄弟だ」
ルーカスは愕然とした。
自覚していることを数えた方が早い男の、血縁。
「幼馴染みに何かあるとアースィムの気がそぞろになる。さっさとケリを付けろ」
激励でも何でもない、どこまでも自己中心的な言葉に苛立ちつつ、同時にルーカスは悟った。
噂を否定しないのではない。ヤツは知らないだけだ。
ブラコン魂を拗らせ過ぎて幼馴染みにしか興味を示さないから意識に引っかかってこないに違いない。
いやルーカスには興味津々なのだからそこは気付くだろうと思いはしても、どうやら日々の甘ったるい接触すら特に深く考えていないらしいと悟り。
(こんな鈍い唐変木、全然理想じゃない)
募る苛々と共に認識を改めた。
「で、それからがまた酷くてですね」
「長ぇよ」
「ぶ」
そんな唐変木と晴れて恋人となってから三ヶ月程過ぎた週末の夜。
いつもの酒盛りから戻りイザームの部屋で寛ぐ傍らで、いかにこの男がルーカスを悩ませたのかを聞かせていたら、ばふ、と枕を顔に当てられて遮られた。ここからが一番盛り上がる部分だと言うのにと枕を胸に抱いて睨み付ける。
「そうやって誤魔化して。あなた、聞きたくないだけでしょう?」
「何を」
「私に惚れておきながら伯爵と」
目の前に座っていたイザームが顔を傾け、ちゅ、と唇を啄んできた。顔に似合わない可愛らしいリップ音が忌々しい。
思わず言葉を呑み込んだルーカスの手から枕を奪って放り、繰り返し口付けながら背を支えられて押し倒される。
「遊ばれた話を今更蒸し返すんじゃねぇって」
「………」
(遊ばれたなんて思ってないくせに)
思ってもいないくせにわざとそんな言い方をすると、不貞腐れた気持ちになった。
隣に横たわったイザームは雑に髪を掻き上げ、ルーカスへ向けて片腕を投げ出す。シャワーも浴びて寝巻きに着替え終わった身だ。髪はイザームが丁寧に乾かしてくれたから濡れていない。いそいそと頭を乗せると静かに引き寄せられた。
今日の日中、伯爵位の襲爵の手続きで登城したあの男と行き合った。
何の采配か、周りには人気もなく廊下の端と端で互いに足を止めた。
恨み言を言いたかったわけではない。
付き合ってるだの熱々だのと密やかに囁かれていても所詮は噂に過ぎず、二人が関係していた時、ルーカスはイザームにとって何者でもなかった。敢えて誰が悪いと言うなら自覚していなかったイザームの他になく、男に対して抱く感情など何もない。
何となく止めてしまった足を動かす。
元騎士らしく凛として佇む横を過ぎる直前、男は深く頭を下げた。
伯爵を名乗るに相応しい、美しい所作だった。
再び止まりかけた足を半ば無理やり動かした。
立ち止まったところで返す言葉はない。それがどんな意味を持ったものなのかは知らないし知りたいとも思わない。
イザームは向けられる感情の機微には身の毛がよだつ程に疎いが、人を見る目はあるのだなとそう思っただけ。
仕草の美しい男に遠慮して友情だとかで濁すような関係を取り持ってやるつもりは毛頭なく、あの男もそれを望んでいた訳ではないだろう。
ただ、本気だった。
そしてルーカスが勝ちあの男は破れた。
ただそれだけの、よくある話だ。
「良かったですね。相手が慎ましい男で。でなければ城中が泥沼三角関係の話で持ちきりになってましたね」
「うるせぇっつの」
昼間の出来事を思い出しながら口にしたのはいつもの嫌味だ。眉を寄せる男の胸元に片手を置いて、じっと見つめる。
「元気そうでしたよ」
「そりゃ良かったな」
返って来たのは素っ気ない返事で、表情だって特に変わらない。
「イザームさん」
「あ?」
「イザームさん」
「だからなんだよ」
意味もなく繰り返し呼んだ。
イザームは目が合うなり微かに息を吐き、上半身を浮かせ半ば覆い被さってきながら何度目かの口付けを落とす。
「ん、」
目蓋を伏せて口を薄く開き招けば、望み通りに深まるキス。
手慣れた恋人に苛立ちながら、剥き出しの背に両手を滑らせて甘い接触に酔う。
ぎしりとベッドが軋み、息を乱したルーカスの頬を撫でる男を見上げた。細まる目は優しくも何ともない。肉食獣の前に放り出された子兎の気分だ。怖くはないのに身体が竦む。その間も、唇が目尻や頬、顎先を辿って降りていた。ルーカスの頭を乗せていない方の手がするりとシャツを捲り上げ、脇腹を、
「い、イザームさん……!」
「……なんだよ」
思わず声を上げた。
火が噴き出そうな顔を両手で覆い隠す。
不満を隠そうともしない声で、だがその割りにはぴたりと動きを止めたイザームはルーカスを見下ろしているようだ。突き刺さる視線が痛い。
「おまえ、あんだけ堂々と触りてぇのは自分だろとか言っといて……」
「私はあなたと違って無節操じゃないんですっ」
「っは、」
心底呆れた口振りにイラッとして指の隙間から睨み上げたらイザームは噴き出した。クツクツと喉を鳴らしながら身を起こし、ついでにルーカスの身体も抱き起こして脚間に横向きに据える。頭を撫でる手がやたらと優しくて益々苛々した。
「なんのつもりですか」
「オコサマに合わせてやってんだろ」
「自分が慣れているからって馬鹿にしてるんですか?」
「してねぇよ」
肩に回った方の手で顎を掬い上げられて、数えるのも億劫になるキスが落ちる。
「おまえのペースでいい」
宥めるように密やかに笑う声が存外に穏やかで、ルーカスはキュッと唇を結んだ。
クルシュ人は大層性欲旺盛だから大変だろうと、幼馴染みの三人組に冷やかされ揶揄われ、その度にイザームがうるさげに追い払って。
(もう三ヶ月も経つのに)
あの男と違い、ルーカスは未だにイザームを受け入れられていなかった。
もっと深く触れ合いたいと思っている。でも踏み出せない。
「……嫌な訳じゃ、ないですからね?」
「ビビッてんだろ?まぁ童貞だもんな、仕方ねぇ」
「は?別に怖くも何ともありませんけど?」
「そりゃ大したモンだ」
肩に凭れながら言えば、打てば響くように返ってくる揶揄。つい反射で虚勢を張ってしまったルーカスを鼻で笑い、空き手で手を取ってあやす仕草で甲を撫でられる。
文官の宿舎は寝に帰っているだけで、危ないことなど何もない。王弟の息子を襲おうだなんて命知らずはまずいないし、イザームの存在もある。最近では盗み見てデレデレする輩すらいなくなった。
だというのに、心配だからとルーカスを毎日迎えに来ては送って行く。宿舎ではない。城を出て少しばかり行った城下の貴族街にあるタウンハウスだ。
付き合って最初の頃に偶々出会した父には直球で「嫁にくれ」と宣いその場にいた全員の度肝を抜き、さすがに慌てふためいたルーカスの頬をいつもと同じように撫でては真っ赤だなとニヤニヤして。
今までの一年は確かに自覚がなかったのだなと納得した。
山盛りの砂糖に蜂蜜をドバドバかけた甘さは、アースィムに勝るとも劣らず。
成程、従兄弟、とそこでも納得した。
そんな風にひたすらに甘やかされているのに、ルーカスはイザームの欲求の解消に付き合えていない。身体だけでも構わないと年中告白されるような恋人なのに。
「……あの、手で、しましょうか……?」
「はァ?」
思わずそんなことを口走った。
「だって、四ヶ月近くもご無沙汰、でしょう?」
「そりゃまぁ、そうだけどよ」
「それなら」
「バカだろおまえ」
緊張に震える指先を伸ばそうとしたら、ひょいと手首を掴まれた。そのまま流れるように爪先に唇を寄せられ、横目に呆れた目を向けてくる。
「無理すんなっつってんだろ」
「……恋人なのに」
「だったらなんだよ。世の中にゃセックスレスでも仲良い夫婦なんざ五万といんの知らねぇのか」
「でも、クルシュ人は性欲が旺盛なんでしょう?」
「ルーカス」
呆れた溜め息に小さく肩が跳ねる。
ルーカスは怖いのだ。
愛や恋ではなかったかもしれないけれど、イザームは確かにあの男を気に入っていた。だから話題に出したがらないのだと思っている。
彼はルーカスと違い長身で逞しく凛々しい男だ。それに可愛げのない憎まれ口なんてきっと叩かない。イザームの望みにだってちゃんと応えていた。
だから、あまりにも彼と違う貧相な身体を見られて幻滅されるのが、どうしようもなく怖い。
「ルーカス、こっち見ろ」
いつの間にか俯いていた顔。
両頬を包まれて優しく上向かされる。イザームの手首を両手で掴み縋るように見上げたら、喉を鳴らして笑った。
「そうやってっと可愛く見えるな、おまえ」
「……私はいつでも可愛らしいでしょう」
「普段の言動都合良く忘れてんのか?」
「顔面の話です」
「顔?まぁ、小綺麗ではあるよな」
キレの無い返しをするルーカスの顔をじっと見下ろしたかと思えばそんな風にあっさりと言う。
コンプレックスの塊でしかないけれど、これならイザームも気に入ってくれるはずだと信じてアピールし続けていたのに。それすら大した興味を引けていないと言うのなら、ルーカスはあの男に何一つ胸を張れないではないか。
「……なんで泣いてんだ」
「泣いてません」
「泣いてんだろ」
浮かぶそばから指の腹で拭われる。
そのままゆっくりと腕に閉じ込められて、小さくしゃくりあげながら広い背中へ腕を回した。
「あー……別に、悪くはねぇと思うぞ」
「バカですかあなた」
「なんだよ、慰めてんだろ」
「……顔が気に入ったんじゃ、ないんですか?」
「あ?」
「だ、だって、私、あなたの好む体型でもないでしょう?」
明後日の方向の慰めを口にした男の胸元へ顔を伏せたまま、みっともなく震える声で尋ねる。
そうだなと言われたらどうしたら良いだろう。
別れたくないから、イザームが満足出来る相手の存在を受け入れるべきだろうか。
(彼の、ような)
浮かんだ美しい礼に、くしゃりと顔が歪む。
「私は彼とは全然違、っ」
イザームらしくない、少し乱暴な仕草で後ろ髪を掴まれて強引に上げさせられた顔。
重なった視線はどこか苛立っているようだった。
「俺がおまえの見た目に惚れたっつったかよ」
「…、……」
「アイツじゃねぇ、おまえの中身に惚れてんだ。怖ぇっつーなら一生ヤんなくたってイイからつまんねぇことで泣くんじゃねぇ」
「っ、ふ……」
ぽろぽろと涙が溢れ出す。
ルーカスと嗜めるように呼ばれても、こればかりは仕方ない。
「惚れ、惚れてるって……っ……やっと言ったぁっ……」
「…………今度はソコかよ」
「うぅぅ…っ…」
「嫁にするっつったろ」
また、いつもの呆れた顔。
仕方がないというように目を細めて笑い、掴んでいた髪を手櫛で梳いてから背中を撫でる大きな手のひら。
「なぁ」
しゃくりあげるルーカスを再び抱きしめて、耳元で落ちる静かな声。
「好きだ」
その全てで理想像なんて吹き飛ばして、誰よりもルーカス自身が一番意識していた女顔へのコンプレックスすら追いやってしまう。
いちいち言わないとおかしな勘違いを始める唐変木のくせに、狡い。
「好きだ、ルーカス。だからもう泣くな」
ゆっくりと顔を上げる。
涙でぐしゃぐしゃに加えて鼻まで啜っている。けして褒められたものではないそれを、イザームは可愛くてたまらないとばかりに見返してくるから。
ルーカスはやっと少しだけ安心して、首へ腕を絡ませられた。
「……初心者なので、優しくしてください……」
「あなたが私にがっかりしないっていうのは、身に沁みました……」
「はは、ひでぇ声。カーミルに薬膳茶貰って来っか」
「ぜったいにやめてください」
翌日はそんな風に一日中ベッドの上で呻くはめになったけれど。
「イザームさん」
「あん?」
「好きです」
ルーカスは花が綻ぶように、微笑った。
世の中、理解し難い事は多々あれど。
夜更けも夜更け。
巡回の騎士以外は寝静まったような真夜中に、人使いの荒すぎる従兄弟に命じられた書類仕事を終えた後。
仮宿にしている文官用の宿舎へ向かい、少々ショートカットをと騎士寮の近くを通ったのが間違いだったのか、それとも正解だったのか。
明らかに自分に気のある───当人達を差し置いて尾ひれ背びれをつけて大層立派に育っている噂の片割れであるはずの男が、他の男の髪を梳きながら優しげに目を細める、などというこの状況は中々に理解が追いつかなかった。
一年半もじっくり観察してきた。断言出来る。その男がそんな顔を向けるのは幼馴染み四人とルーカスだけだったはず。
それを何処の馬の骨ともわからぬ騎士に向けるとは。
「───はぁ?」
そんな声が出たのは、随分と親密そうな二人の姿が見えなくなって暫くしてからだった。
正直な話、最初は苦手だった。
伸びない背丈に悩まされ、キリッとしない女顔に唸り、食べても太らない体質に納得出来ず吐くまで食べては吐かずに急性の胃炎で倒れ込み。
切れた運動神経を認めたくないあまりに一人でこっそりと馬に跨ったら、急に嘶き走り出した馬に振り回され必死にしがみついた。タイミング悪く近くに来ていたらしい従兄弟のセオドアに颯爽と助けられ、その後の説教が容赦無さすぎてルーカスは少し泣いた。怒っていた筈の馬番が冷や汗を流しながら止めに入るくらいであった。
成長とともに全ての努力を裏切り理想とかけ離れていく容姿に、父親が王弟であるのも相まって、ついた呼び名は「姫」。
ルーカスはれっきとした男だ。
馬鹿にするのも大概にしろと憤った。
もちろん堂々とそう呼ぶ人間はいなかったが、影でコソコソ呼んでは女に置き換えた恋慕を向けられる。女が好きならわざわざ気を衒ったりせず大人しくブレず女だけ見ていればいい。可愛いだの美人だのとデレデレされる度にキレそうだった。
そんな状況であったから、英雄であるアースィムを始めとしたクルシュ人の五人組が苦手だった。
鍛えられて無駄のない筋肉も見上げる程の背丈も、五人が五人とも男らしく整った容貌も、他者を寄せ付けない圧倒的な強さも。
ルーカスが欲しかった何もかもを持った存在。
出来るだけ関わりたくなかったというのに。
彼らをいたく気に入った父親の策略によりアースィムの側付きにと話が上がり、ルーカスの意志など全く確認されないまま嫉妬深い従兄弟の手が回って王太子の執務室付き文官となった。
それが良くなかった。
心配性なアースィムの為だと王太子の護衛を買って出たクルシュ人のイザームは、毎日執務室にやって来る。
やって来ても二、三王太子と言葉を交わしただけで隣の部屋に行きごろ寝をしたり筋トレをしたりするから、一日中顔を合わせている訳ではない。だがしかし、関わりたくないクルシュ一行の中でも最もルーカスのコンプレックスを突き刺し煽ってくる男だった。
理想形態ど真ん中。
雄みの強い顔面。上腕や胸筋、背筋のつき方も腰の引き締まり方もその逞しさも夢描いた憧れそのもの。
理想の中では褐色ではなかったが、見せ付けられる褐色肌にこれが正解だったのかと神妙にならざるを得なかった。
「王太子、今日は───」
更に声がまた良かった。
幼馴染み達といる時は楽しげなのに、そうでない時は少し機嫌が悪そうで低く、かと言って聞き取り難くはない。
(は?完璧すぎないか?ふざけてるのか?)
ルーカスは非常に苛々した。
大将と仰ぐアースィム以外には誰に対しても媚びへつらったりせず、常に堂々として己を崩さない。
ではクールなのかと思えば幼馴染み相手にはよく笑い、暇さえあれば集う女には優しく騎士に対しても面倒見が良かった。
(ギャップを狙ってるのか?それとも私の心臓を破壊したいのか?)
苛立つあまり毎日毎日観察してしまった。
挙句にうっかり惚れた。
完璧な理想が目の前を歩いていたら誰だって惚れる。
ルーカスもイザームも男だが、そんなことは些細な問題だ。
妻帯者である兄がいるし、この国で一番後継が必要な王太子が堂々と同性を娶って欲望のままにイチャついている。誰にも文句など言わせない。
ルーカスは己が容姿を最大限に活かす時が来たと確信した。
その辺の男ならホイホイ釣れる顔面を今活用せずにどうすると、何かと話しかけてはじっと見上げ、男ウケが良いと聞いたささやかな接触を心掛け、それはもう必死でアピールした。
色恋を無視して生きて来たルーカスだ。数多いる敵と比べて恋愛初心者過ぎた。向けられる好意は男からばかりであったから致し方ない。良いなと思う以前に女は皆ルーカスを避けて通った。
その為に少ないアピールタイムでも生来の気の強さが裏目に出てしまう。ルーカスの理想形態である男の気が弱いわけもなく、せっかく話せても色気も何もない言い合いばかり。
(全然うまくいかない……)
たまに落ち込んだりもした。
呆れていたとか面倒そうだったとか一人反省会を開いては、次に活かそうと決意したそばからまた失敗する。
頭の回転と達者な口だけが自慢であったのに、イザームを前にすると憎まれ口ばかり叩いてしまう。
けれどイザームは変わらなかった。
呆れ、言い返し、時には笑ったりもした。
今までに言い寄って来た男は、揃いも揃ってルーカスの気の強さに勝手に幻滅して勝手に離れていったのに。もちろん、さっさと失せろと思っていたからそれはそれで良かったのだけれど。
(やっぱり、理想の権化は違う)
遊ぶには手頃な代替え品として見てくるような下々の男どもとは一線を画している。
ルーカスは益々目で追うようになった。
そんな風に過ごす内、次第に向こうからも声を掛けて来るようになり、更には全く意味なく何かと触れたり手を繋いできたりするようになった。
自分の歩みの遅さに感謝する日が訪れるとは思ってもみなかった。
「ルーカス」
他の四人はいつまで経っても王弟の息子と呼ぶのに、イザームだけはルーカスの名を呼ぶ。
口では腹の立つことばかり言うが、優しく目を細めて笑いそうっと触れてくる。女たちに対する丁寧さとは違う。壊れ物に触れているかの繊細さ。
ルーカスは小躍りした。
肉焼きという週末の宴会に参加するようになって半年ほど過ぎた頃だ。
(間違いない。両想いだ)
その頃にはルーカスとイザームが交際しているという噂が広まりきっていて、イザームがそれを否定する様子がないばかりか、幼馴染みの三人はニヤニヤとしながら気を利かせて二人にしてくれたりもする。
仲間意識がやたらと強いクルシュ公認。
勝ったも同然である。
小躍りしながら、ここまで来たら後はもう押しに押して好きだと言わせるのみだと拳を握っていた。ら。
冒頭のアレである。
「は?」
それ以外何も出てこなかった。
まさか自分はフられたのか。告白もしていないのに。ショック過ぎて涙すら出ない。
顔を合わせたくないとどんなに思っても思いやりという言葉を知らない王太子からの呼び出しにより、渋々執務室へ向かっていたらバッタリと出会した男。
さあ何を言うつもりだと構えるルーカスに対して、あまりにもいつも通り。あまりにも甘ったるいまま。
それが何日も続き、続く間にも騎士とは会っているようなのにどこをどう見てもイザームはルーカスに気があるようにしか見えず、さすがに混乱してしきりに首を捻っていたら、見ていた王太子が一言。
「奴はアースィムの従兄弟だ」
ルーカスは愕然とした。
自覚していることを数えた方が早い男の、血縁。
「幼馴染みに何かあるとアースィムの気がそぞろになる。さっさとケリを付けろ」
激励でも何でもない、どこまでも自己中心的な言葉に苛立ちつつ、同時にルーカスは悟った。
噂を否定しないのではない。ヤツは知らないだけだ。
ブラコン魂を拗らせ過ぎて幼馴染みにしか興味を示さないから意識に引っかかってこないに違いない。
いやルーカスには興味津々なのだからそこは気付くだろうと思いはしても、どうやら日々の甘ったるい接触すら特に深く考えていないらしいと悟り。
(こんな鈍い唐変木、全然理想じゃない)
募る苛々と共に認識を改めた。
「で、それからがまた酷くてですね」
「長ぇよ」
「ぶ」
そんな唐変木と晴れて恋人となってから三ヶ月程過ぎた週末の夜。
いつもの酒盛りから戻りイザームの部屋で寛ぐ傍らで、いかにこの男がルーカスを悩ませたのかを聞かせていたら、ばふ、と枕を顔に当てられて遮られた。ここからが一番盛り上がる部分だと言うのにと枕を胸に抱いて睨み付ける。
「そうやって誤魔化して。あなた、聞きたくないだけでしょう?」
「何を」
「私に惚れておきながら伯爵と」
目の前に座っていたイザームが顔を傾け、ちゅ、と唇を啄んできた。顔に似合わない可愛らしいリップ音が忌々しい。
思わず言葉を呑み込んだルーカスの手から枕を奪って放り、繰り返し口付けながら背を支えられて押し倒される。
「遊ばれた話を今更蒸し返すんじゃねぇって」
「………」
(遊ばれたなんて思ってないくせに)
思ってもいないくせにわざとそんな言い方をすると、不貞腐れた気持ちになった。
隣に横たわったイザームは雑に髪を掻き上げ、ルーカスへ向けて片腕を投げ出す。シャワーも浴びて寝巻きに着替え終わった身だ。髪はイザームが丁寧に乾かしてくれたから濡れていない。いそいそと頭を乗せると静かに引き寄せられた。
今日の日中、伯爵位の襲爵の手続きで登城したあの男と行き合った。
何の采配か、周りには人気もなく廊下の端と端で互いに足を止めた。
恨み言を言いたかったわけではない。
付き合ってるだの熱々だのと密やかに囁かれていても所詮は噂に過ぎず、二人が関係していた時、ルーカスはイザームにとって何者でもなかった。敢えて誰が悪いと言うなら自覚していなかったイザームの他になく、男に対して抱く感情など何もない。
何となく止めてしまった足を動かす。
元騎士らしく凛として佇む横を過ぎる直前、男は深く頭を下げた。
伯爵を名乗るに相応しい、美しい所作だった。
再び止まりかけた足を半ば無理やり動かした。
立ち止まったところで返す言葉はない。それがどんな意味を持ったものなのかは知らないし知りたいとも思わない。
イザームは向けられる感情の機微には身の毛がよだつ程に疎いが、人を見る目はあるのだなとそう思っただけ。
仕草の美しい男に遠慮して友情だとかで濁すような関係を取り持ってやるつもりは毛頭なく、あの男もそれを望んでいた訳ではないだろう。
ただ、本気だった。
そしてルーカスが勝ちあの男は破れた。
ただそれだけの、よくある話だ。
「良かったですね。相手が慎ましい男で。でなければ城中が泥沼三角関係の話で持ちきりになってましたね」
「うるせぇっつの」
昼間の出来事を思い出しながら口にしたのはいつもの嫌味だ。眉を寄せる男の胸元に片手を置いて、じっと見つめる。
「元気そうでしたよ」
「そりゃ良かったな」
返って来たのは素っ気ない返事で、表情だって特に変わらない。
「イザームさん」
「あ?」
「イザームさん」
「だからなんだよ」
意味もなく繰り返し呼んだ。
イザームは目が合うなり微かに息を吐き、上半身を浮かせ半ば覆い被さってきながら何度目かの口付けを落とす。
「ん、」
目蓋を伏せて口を薄く開き招けば、望み通りに深まるキス。
手慣れた恋人に苛立ちながら、剥き出しの背に両手を滑らせて甘い接触に酔う。
ぎしりとベッドが軋み、息を乱したルーカスの頬を撫でる男を見上げた。細まる目は優しくも何ともない。肉食獣の前に放り出された子兎の気分だ。怖くはないのに身体が竦む。その間も、唇が目尻や頬、顎先を辿って降りていた。ルーカスの頭を乗せていない方の手がするりとシャツを捲り上げ、脇腹を、
「い、イザームさん……!」
「……なんだよ」
思わず声を上げた。
火が噴き出そうな顔を両手で覆い隠す。
不満を隠そうともしない声で、だがその割りにはぴたりと動きを止めたイザームはルーカスを見下ろしているようだ。突き刺さる視線が痛い。
「おまえ、あんだけ堂々と触りてぇのは自分だろとか言っといて……」
「私はあなたと違って無節操じゃないんですっ」
「っは、」
心底呆れた口振りにイラッとして指の隙間から睨み上げたらイザームは噴き出した。クツクツと喉を鳴らしながら身を起こし、ついでにルーカスの身体も抱き起こして脚間に横向きに据える。頭を撫でる手がやたらと優しくて益々苛々した。
「なんのつもりですか」
「オコサマに合わせてやってんだろ」
「自分が慣れているからって馬鹿にしてるんですか?」
「してねぇよ」
肩に回った方の手で顎を掬い上げられて、数えるのも億劫になるキスが落ちる。
「おまえのペースでいい」
宥めるように密やかに笑う声が存外に穏やかで、ルーカスはキュッと唇を結んだ。
クルシュ人は大層性欲旺盛だから大変だろうと、幼馴染みの三人組に冷やかされ揶揄われ、その度にイザームがうるさげに追い払って。
(もう三ヶ月も経つのに)
あの男と違い、ルーカスは未だにイザームを受け入れられていなかった。
もっと深く触れ合いたいと思っている。でも踏み出せない。
「……嫌な訳じゃ、ないですからね?」
「ビビッてんだろ?まぁ童貞だもんな、仕方ねぇ」
「は?別に怖くも何ともありませんけど?」
「そりゃ大したモンだ」
肩に凭れながら言えば、打てば響くように返ってくる揶揄。つい反射で虚勢を張ってしまったルーカスを鼻で笑い、空き手で手を取ってあやす仕草で甲を撫でられる。
文官の宿舎は寝に帰っているだけで、危ないことなど何もない。王弟の息子を襲おうだなんて命知らずはまずいないし、イザームの存在もある。最近では盗み見てデレデレする輩すらいなくなった。
だというのに、心配だからとルーカスを毎日迎えに来ては送って行く。宿舎ではない。城を出て少しばかり行った城下の貴族街にあるタウンハウスだ。
付き合って最初の頃に偶々出会した父には直球で「嫁にくれ」と宣いその場にいた全員の度肝を抜き、さすがに慌てふためいたルーカスの頬をいつもと同じように撫でては真っ赤だなとニヤニヤして。
今までの一年は確かに自覚がなかったのだなと納得した。
山盛りの砂糖に蜂蜜をドバドバかけた甘さは、アースィムに勝るとも劣らず。
成程、従兄弟、とそこでも納得した。
そんな風にひたすらに甘やかされているのに、ルーカスはイザームの欲求の解消に付き合えていない。身体だけでも構わないと年中告白されるような恋人なのに。
「……あの、手で、しましょうか……?」
「はァ?」
思わずそんなことを口走った。
「だって、四ヶ月近くもご無沙汰、でしょう?」
「そりゃまぁ、そうだけどよ」
「それなら」
「バカだろおまえ」
緊張に震える指先を伸ばそうとしたら、ひょいと手首を掴まれた。そのまま流れるように爪先に唇を寄せられ、横目に呆れた目を向けてくる。
「無理すんなっつってんだろ」
「……恋人なのに」
「だったらなんだよ。世の中にゃセックスレスでも仲良い夫婦なんざ五万といんの知らねぇのか」
「でも、クルシュ人は性欲が旺盛なんでしょう?」
「ルーカス」
呆れた溜め息に小さく肩が跳ねる。
ルーカスは怖いのだ。
愛や恋ではなかったかもしれないけれど、イザームは確かにあの男を気に入っていた。だから話題に出したがらないのだと思っている。
彼はルーカスと違い長身で逞しく凛々しい男だ。それに可愛げのない憎まれ口なんてきっと叩かない。イザームの望みにだってちゃんと応えていた。
だから、あまりにも彼と違う貧相な身体を見られて幻滅されるのが、どうしようもなく怖い。
「ルーカス、こっち見ろ」
いつの間にか俯いていた顔。
両頬を包まれて優しく上向かされる。イザームの手首を両手で掴み縋るように見上げたら、喉を鳴らして笑った。
「そうやってっと可愛く見えるな、おまえ」
「……私はいつでも可愛らしいでしょう」
「普段の言動都合良く忘れてんのか?」
「顔面の話です」
「顔?まぁ、小綺麗ではあるよな」
キレの無い返しをするルーカスの顔をじっと見下ろしたかと思えばそんな風にあっさりと言う。
コンプレックスの塊でしかないけれど、これならイザームも気に入ってくれるはずだと信じてアピールし続けていたのに。それすら大した興味を引けていないと言うのなら、ルーカスはあの男に何一つ胸を張れないではないか。
「……なんで泣いてんだ」
「泣いてません」
「泣いてんだろ」
浮かぶそばから指の腹で拭われる。
そのままゆっくりと腕に閉じ込められて、小さくしゃくりあげながら広い背中へ腕を回した。
「あー……別に、悪くはねぇと思うぞ」
「バカですかあなた」
「なんだよ、慰めてんだろ」
「……顔が気に入ったんじゃ、ないんですか?」
「あ?」
「だ、だって、私、あなたの好む体型でもないでしょう?」
明後日の方向の慰めを口にした男の胸元へ顔を伏せたまま、みっともなく震える声で尋ねる。
そうだなと言われたらどうしたら良いだろう。
別れたくないから、イザームが満足出来る相手の存在を受け入れるべきだろうか。
(彼の、ような)
浮かんだ美しい礼に、くしゃりと顔が歪む。
「私は彼とは全然違、っ」
イザームらしくない、少し乱暴な仕草で後ろ髪を掴まれて強引に上げさせられた顔。
重なった視線はどこか苛立っているようだった。
「俺がおまえの見た目に惚れたっつったかよ」
「…、……」
「アイツじゃねぇ、おまえの中身に惚れてんだ。怖ぇっつーなら一生ヤんなくたってイイからつまんねぇことで泣くんじゃねぇ」
「っ、ふ……」
ぽろぽろと涙が溢れ出す。
ルーカスと嗜めるように呼ばれても、こればかりは仕方ない。
「惚れ、惚れてるって……っ……やっと言ったぁっ……」
「…………今度はソコかよ」
「うぅぅ…っ…」
「嫁にするっつったろ」
また、いつもの呆れた顔。
仕方がないというように目を細めて笑い、掴んでいた髪を手櫛で梳いてから背中を撫でる大きな手のひら。
「なぁ」
しゃくりあげるルーカスを再び抱きしめて、耳元で落ちる静かな声。
「好きだ」
その全てで理想像なんて吹き飛ばして、誰よりもルーカス自身が一番意識していた女顔へのコンプレックスすら追いやってしまう。
いちいち言わないとおかしな勘違いを始める唐変木のくせに、狡い。
「好きだ、ルーカス。だからもう泣くな」
ゆっくりと顔を上げる。
涙でぐしゃぐしゃに加えて鼻まで啜っている。けして褒められたものではないそれを、イザームは可愛くてたまらないとばかりに見返してくるから。
ルーカスはやっと少しだけ安心して、首へ腕を絡ませられた。
「……初心者なので、優しくしてください……」
「あなたが私にがっかりしないっていうのは、身に沁みました……」
「はは、ひでぇ声。カーミルに薬膳茶貰って来っか」
「ぜったいにやめてください」
翌日はそんな風に一日中ベッドの上で呻くはめになったけれど。
「イザームさん」
「あん?」
「好きです」
ルーカスは花が綻ぶように、微笑った。
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