婚約破棄されてヤケになって戦に乱入したら、英雄にされた上に美人で可愛い嫁ができました。

零壱

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イザームさんとルーカスくん・後

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部屋まで送り届けたあの夜からイザームは徹底してルーカスを避けた。
斥候はサジェドの専売特許だがイザームだってやる気になれば出来る。よく顔を合わせていた時間や道を避け、気配を読んでは隠れてやり過ごす。相手は戦士でもない素人だ。山で猪を狩るより簡単な仕事だった。

離れているとやたらとソワソワ落ち着かないアースィムの為、イザームは騎士への訓練の他に王太子の護衛のようなものを請け負っている。あくまで護衛の「ようなもの」だ。いる必要は全くない。
忙しそうに働く王太子や役人達の隣の部屋でダラダラするだけのその仕事も、カーミルにそれとなく言って代わってもらった。執務室にはルーカスがいるからだ。

たった二年の付き合いだ。
顔を合わせなければすぐに忘れる。

自覚してしまったあの夜、イザームに身を寄せて来たあの男がどんなつもりだったのかは敢えて考えないようにしている。
無言のまま手を取って部屋まで送り届け、なかなか入ろうとしないルーカスを振り切って背を向けた。イザームさんと呼ぶ声に耳を塞ぎ、ディルガムがいる住まいへ戻る気になれずに山へ走った。
それからずっと避け続けている。

(他にどうしようもねぇだろ)

暗くなった部屋の中、明かりも点けずに窓枠に腰を据える。持ち上げた片足を伸ばして枠を蹴り、バランスを取った。後頭部を柱に預けながら息を吐く。

赤ん坊の頃から覚えている。
ディルガムが産まれた時、イザームは五つだった。
その頃には既にツルんでいたカーミルと共に、やたらとデカい声で泣くデカい赤ん坊をせっせと世話したものだ。
歩き出すのが早かったサジェドは目を離すとアースィムを引っ張ってどこかへ行こうとするし、アースィムは自分の身体よりデカいクマのぬいぐるみを抱えてベソをかく。
周りに大人がいなかった訳じゃない。
ただ何となくずっと側にいて、気が付いたら五人揃って大人になっていた。

アースィムがいるからというのもあるだろうが、クルシュでイザーム達を知らない人間はいない。
誰かが欠けていたり一人でいたりすると、今日は一緒じゃないのかとあちこちから声が掛かる。男五人だというのにケンカらしいケンカもした事がない、良すぎる程に仲の良い幼馴染み。
アースィムやカーミルに相手が出来てもイザームが誰かと寝ていても、その大前提が崩れる事はなかった。

けれど間に別の人間が入ったら、どうなるだろう。

惚れた腫れたで気まずくなんてなりたくない。イザームはディルガムが大事だ。だからそんな事になる前に引く。

(その程度ってことだろ、要するに)

幼馴染みに傾き切っている天秤。
答えなどとうに出ていてこうしてゴチャゴチャと考えるのすら無駄なのに、少しでも気を抜くとルーカスの顔や騒ぐ声が甦る。

顔が見たい。
減らない憎まれ口を叩かれて、腹を立てながらも特別な意味などないやり取りに笑いたい。

(うぜぇ)

女々しいといったらない。
こんな感情、さっさと消えてなくなってしまえばいいのに。
そうすれば元通りだ。
友人でも知人でもない距離でいられる。

「あー……何か食うか……」

部屋に籠っていても滅入るだけだった。
住まいの一階にある共有の台所に降りてみれば、そこにはディルガムとサジェドの姿があった。カーミルはまた出掛けているんだろう。ウキウキとシャレ込んでいたのを思い出す。

「イザーム、うまく出来たから食ってみ」
「…………」

適当に摘めるものを探すより早く、ディルガムに投げ渡されたのはよくわからない代物だ。
パイ生地よりも随分と固い手触りの、黒く焦げたもの。
受け取った拍子に中身が少し溢れ出て、それがまた、肉なのか何なのか判断がつかないどろりとした赤黒い固形なのに少しゾッとした。

「味は悪くねぇよ、味は」
「食ったのかおまえ。コレ中身なんだよ」
「何だろうな……」

ボソッと呟いたのはソファに座っていたサジェドだ。
散々食わされたのか、げふっと息を洩らして出てもいない腹を撫でている。

「見た目はアレだけどうめぇんだって」
「だから中身なんだよ。つかディルガム、おまえ肉焼き以外すんなっつってんだろ」
「サジェドが腹減ったっつーからさァ」
「悪ィ。もう二度と言わねーわ」
「んだよ。腹膨れただろ?」

うんざりした顔のサジェドの肩を組み、一緒になって腹を撫でて笑うディルガム。手を払いのけられるとムキになって構いにいく。
不器用ではないはずなのに、料理をさせると食欲が失せる見た目の物を出して来るのは昔からだ。若干顔を引き攣らせながら、一瞬躊躇った後に齧り付いた。
食べてみれば何のことはない、ごく普通の豚肉だった。ホッとした。

「うめぇな」
「だろ?後でカーミルにも食わせてやろっと」

嬉々として笑うディルガムには悪いがカーミルも最初は逃げると思う。同じことを考えたらしいサジェドと目を合わせ肩を竦めた。

(これでいい)

もっと食うかと絡んでは嫌そうな顔をしたサジェドに押しやられているディルガムに、これでいいともう一度思う。
この空気を壊すような真似は絶対にしない。イザームにとって大切なものは何も変わっていない。
放っておけば次第に薄れていくはずだ。
とにかく暫くは避けて、ルーカスとディルガムがくっついた時には笑って祝ってやれるようにしてやればいい。それだけだ。

(……クソが、)

それだけだというのに、並んで歩く様を思い描いてしまってどうしようもなく苛立った。手早くパイみたいな物を平らげる。立ったままでいた踵を返すとじゃれ合っていた二人が揃って顔を向けて来た。

「どっか行くのか?」
「酒ならあんぞ」
「軽く外走って来るわ」
「こんな時間にかよ」
「付き合うか?」

窓の外は真っ暗だ。
呆れたサジェドの声と、ノリの良いディルガムの声。
その両方に片手を振って外に出た。







「おーおー、荒れてんなぁ」
「……カーミル」

朝方まで走り込んだり山の獲物を何頭か仕留めてみたが、全く気が晴れなかった。
獲り過ぎた獲物を持て余し、王宮の料理人に差し入れして捌いてやった後。
騎士達を相手に身体を動かしていたイザームは、声を掛けて来たカーミルに不機嫌な声を返した。

王太子の護衛はどうした。
そう聞こうとして、まだ早朝だと気付く。
大将が側にいる時間帯だ。護衛も何もない。

そんなわかりきったことにすら気が回らなくなっている自身に舌を打つ。
一部隊纏めて相手をしていたのに全く手応えがない。峰打ちどころか当ててもいないのにゼイハアと息を切らしている。
様子を伺っていた次の部隊に顎をしゃくった。

「代われ」
「私たちの武器はまた、真剣ですか?」
「当然だろ」

(木刀なんざへし折ったら終いだろうが)

腰の引けた問い掛けにも苛々した。
イザームは武器を持たない。拳も振るわない。アースィムのように避けていなして足技で吹っ飛ばしているだけだ。代わりに騎士達には剣も弓も使わせ、一発でも当てたら上等な酒を奢ってやるとハッパまでかけていると言うのにこの有り様だった。準備運動にもなりはしない。

「ですが……」
「いいからる気で来いっつってんだよ」
「まぁまぁ、ちょっと落ち着けって。んな脅してどうすんだ、らしくねぇ」

困惑する小隊長を相手に低く唸るイザームの視線を、間に入ったカーミルが切る。次いで呆れた笑いを浮かべたと思ったら、暢気にやって来た年少組の二人へ顎をしゃくった。

「サジェド、ディルガム。騎士見てやってくんね?」
「任せとけ」
「はいよ」
「おい、何を勝手に」
「まぁまぁまぁ。イザームはコッチな」

やたらとまぁまぁを連呼するカーミルに背中を押され騎士達から引き離される。押されるままに足を進めた先、訓練場の端にあるベンチへ渋々腰を下ろした。すれ違い様、サジェドと共に肩を叩いて来たディルガムの様子に変わった部分は見られない。
避けているからどうなっているのかなんて当然知らないが、相変わらず仲良くやっているだけなのだろうか。それともこの数日でくっついたか。

(……うぜぇ……)

気にしてしまう自身にげんなりし、全く関係ない騎士達を必要以上に煽っていたのにも嫌気がさした。お門違いの八つ当たりだ。カーミルが止めてくれて助かった。

アースィムに手合わせを頼んでみようか。それなら何かを考える余裕などなくなる。いや、幼馴染み三人組を相手にするのも良いかもしれない。アースィム程の視野も強さもないイザームは、三人がかりで来られたら相当苦戦するから。

(何も考えたくねぇ)

別れてから見なくなった騎士の事も、ルーカスの事も。
脳みそを空っぽにしてバカやって笑いたい。
一日中訓練を請け負っては街や山の様子を見に足を伸ばし、夜中に帰って来て泥のように眠る。そうしている内に到底受け入れ難い感情がさっさと消えてくれるのをひたすら願う日々。

はあと息を吐き出す。
最近溜め息をついてばかりだ。

「アレじゃその辺のゴロツキだぞ。アイツらおまえのこと大好きなんだからよ、あんまイジメんなよ」
「……騎士がゴロツキに勝てねぇのは問題だな」
「違いねぇ」

隣に腰を下ろしたカーミルが笑う。低いテンションで返したイザームを気にする様子もなく、何気ない口振りで続けた。

「まだケンカしてんの?」
「……あ?」

藪から棒に何の話だと訝しむイザームに顔を向け、軽く肩を竦めた幼馴染み。

「原因知らねぇのに口出すのもなーと思ってたんだけどよ、おまえは荒れてるしアイツも絶不調だしでアッチコッチからどうなってんだってうるせぇのよ」
「何の話してんだ」
「オッサンの息子だって。付き合ってんだろ」
「───は?」

青天の霹靂へきれきとは正にこの事だろう。
目を丸くするイザームの反応をどう捉えたのか、肩を竦めたカーミルが後頭部で高く括った己の毛先に指を絡める。

「一年近くもさぁ、俺らにまで隠すとか。さすがに水臭くね?」
「イチネン?」

思わず片言になった。
どこからその数字が出て来て、誰に何を隠しているって言うんだ。幼馴染みの言葉がこれ程理解出来ないのは初めてだ。

(一年、俺が、誰と付き合ってるって?)

言われた内容を緩慢に反復する。
イザームは誰とも付き合った覚えなどない。いや、半年関係を持っていた騎士となら付き合っていたと言えなくもないがそれでも一年はない。何より、先日初めて二人で出掛けただけのルーカスの名前が出て来る意味がわからない。

「こういう話苦手なん知ってるしヤッたのは聞いたけど、そうじゃねーっつーか。サジェドは何か、やたら大丈夫かっつってたけど………イザーム?」

固まったイザームにようやく気が付いたカーミルが不審に顔をしかめた。毛先から離した指でペチペチとイザームの頬を叩く。

「イザーム、おい?」

(気に入ってんだよな?惚れてんじゃねぇのか?)

叩かれても覗き込んで来られても反応出来ないまま一人グルグルと考え込む。
ディルガムのこともそうだが、アッチコッチとはどういうことだ。その言い方では幼馴染みだけでなく他の人間までそう思っている風に聞こえる。自覚したのがつい先日であるというのにそんな馬鹿な話があってたまるかと思う反面、本当にそんな話が出回っていて耳に届いていたとしたらあの騎士は一体どんなつもりだったんだと首を捻って、

(ちょっと待て、だから隠してたんじゃ……)

そう思い至ったところでそれに関して考えることを放棄した。もう終わった話を蒸し返す必要はないはずだ。では肝心のルーカスは知っているのかと移行し益々忙しなく回転する思考。

膝に肘を着き両手で額を押さえて必死に頭を働かせる。だが、連日の睡眠不足と積み重なった身体的、精神的疲労がここにきて祟った。

「……は?……いや、……は……?」

ついに全く回らなくなった。
処理範囲を超えた頭の中は真っ白だ。

戦場で一人逸れ、何人もに囲まれた時ですらもっと冷静だった。山で見上げる程デカいクマと遭遇した時だって案外落ち着いていた。キレたアースィムと一対一サシで向かい合うのに比べれば余裕で生き残れると思った。

「…………まさかとは思うけどよ」

茫然とするあまりどうでも良い事ばかり浮かんでは消えていく。口許を引き攣らせた幼馴染みは、恐る恐るといった様子で言葉を続けた。

「あんだけベタベタに猫っ可愛がりしといて、今更付き合ってねぇとか言わねぇよな……?」
「…………ねぇよ」

辛うじてそれだけ答えられたのは、奇跡に近い。
カーミルが勢いよく立ち上がった。

「ウソだろおまえ!じゃあいつも寝てる男誰だよ!?俺らはてっきむぐっ」

デカい声でとんでも無いことを口走るカーミルの口を慌てて塞いだ。反応が遅れたのは呆けていたせいだ。
後頭部を片手で押さえもう片手で口許を覆い、間近に見下ろしながら全力で威圧する。

「───頼むから、黙ってろ」

イザームの威圧など当然慣れきっているカーミルは、信じられないものでも見るような顔で見上げてきた。

「ホント誰とヤってたのおまえ?」
「うるせぇ」

ルーカスの名前こそ出さずに済んだが、鍛錬場に響き渡った驚愕の叫びにディルガムとサジェドが難しい顔をしながら寄って来る。離れている騎士たちも全員が全員目を丸くしながらイザームを見ていて、いつだかのように顔が引き攣った。

「イザームがまさかの浮気かよ。通りでアイツが凹むワケだ」
「あー……や、ディルガム、コレたぶん違ぇわ」
「何が違うってんだ」
「本人が一番驚いてね?」
「まさか……ウソだろ?」
「付き合ってるにしてはなんっかおかしいと思ってたんだよ」

唖然とするディルガムの目とどこか納得したようなサジェドからそっと顔を背け、イザームは雲一つない空を見上げた。

(マジでもう何も考えたくねぇ)

この数日で何回思ったか知れない。
頭も身体も限界だ。慣れない感情に振り回され、無になって眠る為に無駄に体力を削る努力までした。疲れ切っていた。
ウジウジグダグダと女々しく考えていたのも必死で避けていたのも空回りしていただけだなんて、間抜け過ぎて笑い飛ばす事も出来やしない。今敵襲などを喰らったらまともに戦える自信もなく、何が戦士、何が万全だと鼻で笑った。そんなものクソ喰らえだ。

サジェドが深く息を吐き出し頭を掻く。

「イザームが大将と血ィ繋がってんの、俺らも完全に忘れてたよなァ」
「あ」
「あー……」

そりゃどういう意味だとは、もう聞く気にもならなかった。







目が合った騎士には気まずそうに顔を逸らされたりナニを想像したのか赤らめられたりし、幼馴染み達の可哀想なものを見るような目に見送られたイザームは、部屋に籠ってそのままベッドに身を沈めた。汗を流すのも億劫だった。
何も考えずに眠れたのは久しぶりで、目が覚めたのは陽が沈みきった真夜中だ。

熟睡から醒めた頭で暫くぼうっとする。
何もかもがどうでも良い気がする。
深い人付き合いはやはり苦手だ。もう一生幼馴染み達とだけ過ごしていればいいんじゃないか。
そんなことをぼんやりと考え、もぞもぞと動いた先。

「おはようございます」

ルーカスが目の前に居た。

枕を抱いてうつ伏せになった姿勢で固まる。
何故この男は初めて入った他人の部屋の、それもベッドの上に座っているのか。イザームの部屋は物が極端に少ない。座る場所は他にいくらでもあるだろう。
パタンと閉じた本を横に置く顔がいつも通り平然としているのも解せなかった。自分を避けていた男が寝ている横で本など読むだろうか。いや、読まない。肝は据わっていれば良いってものじゃないはずだ。

「……………どうやって入った?」
「あなたの幼馴染み方に押し込まれました。鍵は締めた方がいいと思います」

混乱した挙句にありきたりな疑問を口にしたイザームの姿をしげしげと眺め、そろりと片手を伸ばして来る。普段は上げている前髪が降りているのが珍しいのか、未だうつ伏せでいるイザームの髪へ指先を潜らせた。

「そうしていると少し幼く見えますね」
「……そうかよ」
「えぇ。なんだか可愛いです」
「…………」

(余計な事を……)

もう返す言葉もなく指を避けて枕に顔を伏せる。そして、無駄に気を回したらしい幼馴染み達に内心で額を押さえた。
どの面を下げて会えというんだ。暫くはそっとしておいて欲しかった。

「………おまえ、知ってたか……?」

怖いもの見たさに似た何かで、うっかり口が滑る。滑ってから失敗したと思っても遅く、主語が抜けた問いにも関わらずルーカスは鼻で笑った。

「一年も付き合ってるのに先日ようやく初デートした恋人への浮気の釈明なら聞いてあげてもいいですけど?」
「否定しとけよ、そこは」
「冗談です」
「おまえな……」

真顔で言っておいて冗談もへったくれもあるかと呻く。
たっぷり寝たはずなのにやたらと重たい上半身を起こし、後頭部を壁に預けた。寝起き早々精神力がゴリゴリと削られていく。
目を閉じながら深く息を吐いたイザームの唇に、柔らかなものが一瞬、触れた。

「…………」
「私のことが好きだっていい加減認めたらどうなんです?」

片膝を立てたイザームの脚間に両手を着き、間近に睨みあげてくる瞳は随分と剣呑で、口調だっていつもの喧嘩腰。

「いつまでも認めないで他の男と関係を持つから馬鹿を見るんです。二番煎じ狙いの告白ラッシュみたいですけど、まさか同じ過ちを繰り返す気じゃないでしょうね?あなたが触りたいのは私だけでしょう?」
「……その自信はどっから来んだよ……」

捲し立てられる内容には引っかかる部分しかなかったが、とりあえず一番気になった言葉だけを取り上げた。脱力しているイザームの頬をルーカスの両手が包む。

「だって、好きでしょう」
「………」

小刻みに震えているそれに、ゆっくりと両手を持ち上げた。

「ずっと前から、好きでしょう……?なのに、なんで急に、避けたり、」
「ルーカス」

俯くのを遮るように唇を触れさせる。
持ち上げた両手で薄い腰を掴み、鼻先を擦らせ視線を合わせて、三度みたび、どちらからともなく重ねた。

「んっ……んぅ、っ…」

開けば小憎たらしい事ばかり言う口内を探り、歯列を丁寧になぞる。惑う舌先を啄めば腕に抱いた身体が小さく跳ねて、勝手な思いこみで振り払い忘れようとしていた感情が膨れ上がった。

男の涙一粒。
何のネタにもなりはしないそんなもので簡単に自制を失う。
もし勘違いが勘違いでなかったら、何でもない関係になど本当に戻れたのだろうか。

(わかんねぇ)

今となってはその答えを知る術も、ない。

は、と短い呼吸を挟む。
腰から背筋を撫で上げた先、後頭部に指を埋めた。

「イザームさ、っん、…ふ……!」

落ちかけた右手を左手で取る。指を絡めていきながら繰り返し口付けて、やがて息を乱しくたりと力の抜けた身体を胸元に抱き込んだ。
赤く色付いた目尻をなぞるとデカい目を頼りなく揺らして見上げてくる。

「……おまえ、イヤじゃなかったのか」
「何がですか」
「ウワサ」
「あなたの鈍さと自覚のなさには腹が立ちました」
「んなこと聞いてねぇよ」

これは当分言われるなと天井を仰いだ。
両親でも血の繋がった兄弟でもなく、幼馴染み達しか大切にしてこなかったツケが回ってきたのだろうか。だからこうも周りの空気に無頓着なのか。これではアースィムのことを無自覚だなんだと笑えやしない。

もう何度目かも見失った溜め息を逃がしてから、片手で顎を持ち上げ、口端や頬、目尻へ口付けていく。触れる度に薄らと染まっていく顔に、ここにきて初めて可愛いなと思う。

「イザームさん、あの、」
「あ?」
「好きだって、認めるんですよね?私たち、恋人なんですよね?」

そろそろと肩に置かれた両手にイザームは微かに笑った。笑ってからそうっとルーカスを抱き締め、その温もりに目蓋を伏せる。

「まぁ、他のヤツとはもうこんなことしねぇよ」

ディルガムがこの男に想いを寄せていなくて本当に良かった。
何だか随分と無駄に疲れたけれど、幼馴染みが相手でないならイザームは何にも遠慮したりせずに済む。噂の猫っ可愛がりとやらも存分に出来るだろう。そんなことを考えてまた笑い、こめかみへ唇を寄せた。

「あなた、なんで素直に好きだって言えないんですか?」
「おまえに素直さソレ突っ込まれたくねぇんだけど?」





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