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第十六話
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「アホ、素手で触るやつがあるか。取り込まれたいんか?」
黒色のモヤを掴む手を鬼姫からパシッと叩かれて、美琴は慌てて指の力を緩める。拘束を解かれた瞬間、モヤはくるりと進行方向を変えて猫の縫いぐるみの中へと逃げ戻った。
光井を守ろうとして反射的に手を伸ばしてしまったが、自分が今とんでもなく危険なことをしでかしたことに改めて気付く。腕に嵌めていた琥珀色の数珠ブレスレットが真っ黒に濁り、さらさらという音を立てながら灰化して崩れていくのを見て、美琴はゾッと背筋を冷たくした。一歩間違えば、美琴自身が次の依り代にされてしまっていたかもしれない。数珠が身代わりになってくれたおかげで助かったのだ。
ベッドの上に鎮座する黒猫の縫いぐるみは、再び何かに憑依されてカタカタと小さく揺れている。ゴンタはベッドへ飛び乗ると、慎重に距離を置きながらその匂いを確かめていた。
「あまり強くないものが、何かに先導されて集まったってところだな。ただの雑霊の塊だ」
「集まったって、複数なのっ⁉ え、何かって何?」
四尾をピンと張って、ゴンタが縫いぐるみの実体を探り始める。フサフサした尻尾は情報収集のためのアンテナにでもなっているんだろうか。妖狐の力は未知数だ。
「まあ、この部屋に戻って来たってことは、その女に執着してるやつやろうなー」
「……あ、盗聴器疑惑をかけられた人? でも、その人って普通のヒトだよね? まさか、呪術師ってこと?!」
「そんな大したもんやない。その男の強い思念に反応した小物が寄り集まっただけや。こんなもん、狐が喰ってしまえば済む」
「だから、こんな低俗なもの喰うわけないだろ!」
「依り代に入ってるうちに、さっさと封印してしまえ!」と吠えたててくるゴンタ。放っておくと鬼姫から無理矢理に食べさせられかねないと、美琴を急かす。
アヤメの説明通りなら、中に入っているものには縫いぐるみを動かすくらいの力しかないらしい。不気味なものには違いないが、ひたすら髪が伸び続ける日本人形と同じくらい、大きな害はない。美琴は背負っていたリュックから封印用の護符を取り出すと、それを黒猫の額に貼り付けた。すると、微動を続けていた縫いぐるみは、動きを止める。
「あの……何が起こってるんでしょうか?」
電池式の玩具のように一人でに揺れていた縫いぐるみが、ぴたりと動かなくなったのを見て、光井が不安気に後ろから声を掛けてくる。美琴が振り返ると部屋の隅で荒川と二人、身体を寄せ合うようにしてこちらの様子を伺っていた。おそらく、さっきの黒いモヤも視えていなかったのだろう。式達と美琴が話している時も急に独り言を言い出したと怪訝な表情を浮かべていた。いちいち説明するのも面倒になる。
「光井さん、あれを貰った時って何かありました?」
「え、貰った時、ですか……?」
聞き返しながら、光井がすぐに顔を真っ赤に染めて俯き始める。そして、自分の両手で顔を覆い隠しながら、小声で答えた。
「……付き合ってって、告白されました。ずっと好きだったって」
「え、そうなの? これプレゼントしたのって、同じ大学のやつって言ってたよね? え、誰、誰? もう返事したの?」
美琴よりも早く、荒川が反応する。ずっと静かに傍観していた男は、少し焦り気味に後輩へと詰め寄っていた。目の前で起こった怪奇現象よりもそちらの方がよっぽど気になるらしい。
――あ、これは三角関係ってやつかな? でも、光井さんのこの感じだと……
「サークルも一緒の、林田さんなんですけど……」
返事はまだと言いながらも、光井の戸惑い顔を見る限り、結果は芳しくなさそうだ。「そうかぁ……」と呟きながら荒川は肩を落としていたが、諦めるにはまだ早い気もする。そもそも彼女はその林田という人のことを、一時は盗聴器を仕掛けていると疑っていたくらいなのだから。好きな相手だったらストーカー扱いなんてしないだろう。
アヤメは「ヒトの色恋沙汰なんてどーでもいいわ」と薄ら笑いを浮かべていた。ゴンタも興味無さげに「ふわぁっ」と生欠伸を洩らしている。本人にあやかし達の声が聞こえていないのは救いだ。
「いつもはゲーセンで取ったものを頂いてたんですけど、これはお店で見つけて私が好きそうだなって思って買ったって渡されたんです」
だから他の縫いぐるみではなくこれだったのかと、美琴は納得する。たまたま取れた戦利品のお裾分けじゃなく、光井のことを思って選んだプレゼントだから特別だ。きっとその彼は強い想いを込めて、黒猫を贈ってきたのだろう。ただちょっとばかりその気持ちが大きすぎて、周辺に漂っていた雑霊を引き寄せてしまうキッカケになってしまったが。
「この建物自体が引き寄せやすくなってるはずなので、念のためにお札を置いていきますね。窓と玄関の近くに一枚ずつあれば大丈夫だと思います。あと、これは持ち帰ってうちで供養させていただいていいですか?」
「よろしくお願いします」
お札二枚を光井へ手渡すと、美琴は雑霊が封印されたままの黒猫の縫いぐるみを抱きかかえる。完全に動きを無くして静かになった依り代だが、奥深いところでまだ何かが暴れている気配を感じる。これは家でのんびり待っているだけの真知子へ丸投げすればいいだろう。
先輩の手を借りて天井近くの壁にお札を張りつけている光井達を残し、美琴と二体の式はアパートを後にした。
黒色のモヤを掴む手を鬼姫からパシッと叩かれて、美琴は慌てて指の力を緩める。拘束を解かれた瞬間、モヤはくるりと進行方向を変えて猫の縫いぐるみの中へと逃げ戻った。
光井を守ろうとして反射的に手を伸ばしてしまったが、自分が今とんでもなく危険なことをしでかしたことに改めて気付く。腕に嵌めていた琥珀色の数珠ブレスレットが真っ黒に濁り、さらさらという音を立てながら灰化して崩れていくのを見て、美琴はゾッと背筋を冷たくした。一歩間違えば、美琴自身が次の依り代にされてしまっていたかもしれない。数珠が身代わりになってくれたおかげで助かったのだ。
ベッドの上に鎮座する黒猫の縫いぐるみは、再び何かに憑依されてカタカタと小さく揺れている。ゴンタはベッドへ飛び乗ると、慎重に距離を置きながらその匂いを確かめていた。
「あまり強くないものが、何かに先導されて集まったってところだな。ただの雑霊の塊だ」
「集まったって、複数なのっ⁉ え、何かって何?」
四尾をピンと張って、ゴンタが縫いぐるみの実体を探り始める。フサフサした尻尾は情報収集のためのアンテナにでもなっているんだろうか。妖狐の力は未知数だ。
「まあ、この部屋に戻って来たってことは、その女に執着してるやつやろうなー」
「……あ、盗聴器疑惑をかけられた人? でも、その人って普通のヒトだよね? まさか、呪術師ってこと?!」
「そんな大したもんやない。その男の強い思念に反応した小物が寄り集まっただけや。こんなもん、狐が喰ってしまえば済む」
「だから、こんな低俗なもの喰うわけないだろ!」
「依り代に入ってるうちに、さっさと封印してしまえ!」と吠えたててくるゴンタ。放っておくと鬼姫から無理矢理に食べさせられかねないと、美琴を急かす。
アヤメの説明通りなら、中に入っているものには縫いぐるみを動かすくらいの力しかないらしい。不気味なものには違いないが、ひたすら髪が伸び続ける日本人形と同じくらい、大きな害はない。美琴は背負っていたリュックから封印用の護符を取り出すと、それを黒猫の額に貼り付けた。すると、微動を続けていた縫いぐるみは、動きを止める。
「あの……何が起こってるんでしょうか?」
電池式の玩具のように一人でに揺れていた縫いぐるみが、ぴたりと動かなくなったのを見て、光井が不安気に後ろから声を掛けてくる。美琴が振り返ると部屋の隅で荒川と二人、身体を寄せ合うようにしてこちらの様子を伺っていた。おそらく、さっきの黒いモヤも視えていなかったのだろう。式達と美琴が話している時も急に独り言を言い出したと怪訝な表情を浮かべていた。いちいち説明するのも面倒になる。
「光井さん、あれを貰った時って何かありました?」
「え、貰った時、ですか……?」
聞き返しながら、光井がすぐに顔を真っ赤に染めて俯き始める。そして、自分の両手で顔を覆い隠しながら、小声で答えた。
「……付き合ってって、告白されました。ずっと好きだったって」
「え、そうなの? これプレゼントしたのって、同じ大学のやつって言ってたよね? え、誰、誰? もう返事したの?」
美琴よりも早く、荒川が反応する。ずっと静かに傍観していた男は、少し焦り気味に後輩へと詰め寄っていた。目の前で起こった怪奇現象よりもそちらの方がよっぽど気になるらしい。
――あ、これは三角関係ってやつかな? でも、光井さんのこの感じだと……
「サークルも一緒の、林田さんなんですけど……」
返事はまだと言いながらも、光井の戸惑い顔を見る限り、結果は芳しくなさそうだ。「そうかぁ……」と呟きながら荒川は肩を落としていたが、諦めるにはまだ早い気もする。そもそも彼女はその林田という人のことを、一時は盗聴器を仕掛けていると疑っていたくらいなのだから。好きな相手だったらストーカー扱いなんてしないだろう。
アヤメは「ヒトの色恋沙汰なんてどーでもいいわ」と薄ら笑いを浮かべていた。ゴンタも興味無さげに「ふわぁっ」と生欠伸を洩らしている。本人にあやかし達の声が聞こえていないのは救いだ。
「いつもはゲーセンで取ったものを頂いてたんですけど、これはお店で見つけて私が好きそうだなって思って買ったって渡されたんです」
だから他の縫いぐるみではなくこれだったのかと、美琴は納得する。たまたま取れた戦利品のお裾分けじゃなく、光井のことを思って選んだプレゼントだから特別だ。きっとその彼は強い想いを込めて、黒猫を贈ってきたのだろう。ただちょっとばかりその気持ちが大きすぎて、周辺に漂っていた雑霊を引き寄せてしまうキッカケになってしまったが。
「この建物自体が引き寄せやすくなってるはずなので、念のためにお札を置いていきますね。窓と玄関の近くに一枚ずつあれば大丈夫だと思います。あと、これは持ち帰ってうちで供養させていただいていいですか?」
「よろしくお願いします」
お札二枚を光井へ手渡すと、美琴は雑霊が封印されたままの黒猫の縫いぐるみを抱きかかえる。完全に動きを無くして静かになった依り代だが、奥深いところでまだ何かが暴れている気配を感じる。これは家でのんびり待っているだけの真知子へ丸投げすればいいだろう。
先輩の手を借りて天井近くの壁にお札を張りつけている光井達を残し、美琴と二体の式はアパートを後にした。
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