【短編】石榴の瞳と紫水晶の瞳が出会うとき

あさぎかな@コミカライズ決定

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 1.

「ルージュ、お前の瞳は神様に愛された色なのよ」
「ルージュ、貴様の瞳の色は不吉で、厄災を呼ぶ色だ」

 どちらも私の瞳のことを表している。一つは両親からの祝福、もう一つは婚約者だった王太子ザナック様からの罵倒。
 公爵家の長女として生まれ、石榴ガーネットのような瞳は、初代と同じ隔世遺伝だったらしく、両親はとても喜んでくれて、たくさんの愛情を注いでくれた。けれど私が12歳の頃、国家転覆をもくろみ王家に刃向かった罪で一族全員が処刑。私が生き残ったのは当時の枢機卿が「石榴ガーネットの瞳は神の愛し子」と発言したことと「石榴ガーネットの瞳は魔物を遠ざける」と文献が見つかったことで処刑は取りやめ、王都の守護を厚くするため王城での仕事を与えられた。
 王太子からは石榴ガーネットの瞳を隠すように命じられ、灰褐色の前髪を伸ばし、いかなる時も黒のベールを被るように言われた。そして執務準備室という名の物置小屋で、仕事を義務づけられて五年。

 ごぽっ……と時々幻聴が聞こえる。

 自分の感情を影の中に沈める時、ごぽっ、こぽぽぽっ、と音がする。自分の感情が浮上しようとするのを何度も、何度も影の中に沈めた。その感情は不要だから。今浮き上がっても無意味だから。沈める。心を殺せば穏やかになるから、辛くも、悲しくもなく、淡々と日々を送れる。だから何度も沈めた。
 私の仕事は古い文献や伝承の翻訳と、王太子の雑務処理を粛々と行うこと。
 執務準備室、そう書かれているものの室内は安物の机と木の固い椅子と壁一面に本棚があり、資料が詰め込まれている。
 紙とインクの匂いのする王城の一番端の暖炉もない部屋。窓硝子もカタカタと揺れて、隙間風が入ってくる。寒くて毛布に包まりながらも、今日の分の仕事に目を通す。
 今日の翻訳は古い文献で、今から二千年前と思われる魔導書だ。国一番の魔術師が魔導書に触れた途端、魔力を全て奪われて死んだという呪われた一冊。私の元に曰く付きの本が届くことがある。
 私の瞳の力なのか、魔導書はただ分厚い辞書というだけで何も起こらなかった。そんなだからか周囲からは【深紅の魔女】などとも言われ、恐れられる存在となる。一つだけ良かったと思ったのは、侍女たちからの嫌がらせが無いことだ。呪い返し、恨みを買って呪い殺されるかもしれないと思っているのだろう。

 いつもの時間になってから【国境塔の神】のページを開く。
 この世界は国境塔に住む神様の存在によって、魔物や瘴気の脅威から守られている。アトランティ王国、聖法王国シシロア、武装国家バミューズのみで、それ以外の国は百年以上前に滅んでしまった。
【国境塔の神】は、百年に一度花嫁を求め三ヵ国は順繰りに花嫁を捧げ、盛大に祝いを行った。その神は常に花嫁の特徴的な色を食らうことで、力を補填し結界を維持するという。私たち人間が払う対価は、花嫁と色だ。【国境塔の神】の神がその色を食らうと、次の花嫁が必要になるまで、三ヵ国でその色は失われる。例えば前回の花嫁は美しい珊瑚色コーラルピンクの髪をしていたとか。それ故に、三ヵ国では珊瑚色コーラルピンクだった色が消え、白か黒になってしまう。写真も絵の具も全て色を奪われるのだ。
【国境塔の神】は人の持つ色を好み、その色に込められた思いを食らうという。故に花嫁として送る者は三ヵ国で相談し合って決まるとか。ただ教会に信託が下った場合は、その限りではないとも書かれている。
 絵本や童話で語り継がれる【国境塔の神】。私は幼い頃から、この神様が大好きだった。人を愛した最後の神様であり、地上に残った慈悲深い方。
 そんな【国境塔の神】なら、私の願いを叶えてくれるだろうか。

 絵本では、黒い髪に紫水晶アメジスト色の瞳で、彫刻のように美しい青年とあった。何より国境塔とは、天に伸びるように聳え立つ構造物だという。どのような技術の粋を集めれば、あのような構造物ができあがるのか解明できずにいる。
 そもそも国境塔は、王都から遠く離れた北の果ての雪に覆われた場所にあり、国境の向こう側は魔物と瘴気で汚染された危険地帯。観光気分で気軽に行ける場所ではないし、生きて戻れる可能性だってかなり低い。それでも私には叶えたい願いがある。
 そう思っていたある日、運命は動いた。

「王都に魔物が出るようになった。お前がいたとしても王都は安全とは言い難い。故に【国境塔の神】の元に赴き、結界の強化を頼んでこい。いいな、これは王命だ」

 元婚約者ザナック王太子殿下の言葉を覆せる人などおらず、当時の枢機卿が亡くなっていたのも大きい。
 ごぽっ、ごぽぽっ……。感情を殺して、沈めるたびに音が聞こえる。
 私がいてもいなくても魔物の脅威を感じるのだから、これは体のいい厄介払いなのだろう。花嫁ではなく、供物として犠牲になれと暗に言われているのは分かっていた。地獄のような毎日だったけれど最後に国境塔を見て、カミ様に会えるのなら意味は、あったのかもしれない。
 花嫁でも聖女でもなく、元公爵令嬢は供物として捧げられる。
 盛大な祭りも、花嫁衣装もなく、馬車数台で国境塔に向かう。旅は政務準備室にいた頃よりも穏やかに過ごせた。鎖に繋がれて罪人のような扱いだったとしても、窓の外が変わっていくこと、三食暖かな食事が出ること、一日に一度、水浴びや身を清めること、眠る時、毛布や暖炉石を与えられたことは幸福だった。


 2.


 じゃらじゃらと鎖繋がれて向かう先は、この国の国境地であり、人類の防衛壁とされている高く聳え立つ塔だ。どのような技術で、あのような摩天楼な構造物が出来上がったのか考えたら胸が踊った。
 国境塔。
 古の昔に作り上げた先人の叡智は、素晴らしいものだったのだろう。ほう、と吐息を漏らしつつ、見上げるそれは白銀に煌めいて、昔読んだ龍と呼ばれる神獣のようにも見える。
 この塔と、そこに住まうカミ様によって人類は魔物と瘴気から守られて生きているのに、塔には見張りがいない。
 雪を払いながら塔の中に入ると、螺旋階段が上へ上へと伸びている。何階まであるのかしら。首が痛くなりそうになったところで、開いていた重厚な扉が一人でに閉まった。
 見届け人の神官三名と、騎士五名が周囲を警戒し身構えた途端、滑らかだった大理石の床が大きく歪み、足場を崩す。あっという間に深淵を彷彿する闇の中へと落ちていった。
 私は運よく足場が固定されていて、あの黒い濁流に呑まれずに済んだものの、あまりの出来事に体が硬直して動かない。
 あんなに簡単に命が奪われる。急いで立たないと、でも足が……っ。

「【人モドキ】が土足で神域に来るとは、死にたいようだ」
「──っ」

 絵本に描かれた通りの宵闇を彷彿とさせる長い髪、陶器のような白い肌、紫水晶アメジストの瞳、黒の司祭服に似た格好の美丈夫が空から降り立った。
 カミ様らしい登場に思わず魅入ってしまう。何もかも幻想的で、神々しい。

「……それで君は、どうして鎖に繋がれているんだい? この時代の婚儀は、そういうな風習ができたのかな?」

 先ほどの地を這うような低い声とは一変して、温かみのある言葉に涙が出そうになった。腰が抜けてしまい挨拶もまともにできなさそうなので、床に頭を擦り付けるように頭を下げた。
 ごぽっ、と耳元で音がする。

「【国境塔の神】、通常の花嫁を迎える時期ではないのは重々承知しております。王都で魔物が出現したため、図々しくもカミ様のお力を借りたく、ご相談に上がった次第でございます」
「王都……内側から魔物が現れた……と言いたいのかな?」
「そ……っ」

 口が呼吸が上手くできなかった。沈黙を不快と感じたのか、カミ様は私に歩み寄る。ああ、何か答えなければならないのに……。
 ごぽごぽぽぽっ……大音量で、耳朶に響く。

「──っ」
「黙っていて良いよ。君の見てきたものを見せて」

 黒いベールを外して、私の前髪を上げた。目を見て話がしたい。そう望んでいたことなのに、こんなにも美しい方に瞳を見せて、ザナック王太子と同じように侮蔑されたら……。
 しかし抵抗するも敵うはずもなく、何年振りか人と──いやカミ様と目が合う。
 大きく見開く瞳は、宝石のように美しい。
 音が大きく弾けて消えた。

 カミ様は私の石榴ガーネットの瞳を興味深そうに眺め、顔を近づけてコツンと額を合わす。数秒だったけれど、何か見えたのか私を見る目は、とても穏やかだ。私の目を見た後でも、態度が変わらない人は両親以来だった。
 それだけで涙がこぼれ落ちそうになる。私の瞳を見ても、変わらないでいてくれることがこんなにも嬉しいなんて……、気づきたくなかった。

「君は間違いなく【人】だ。であれば、僕の話し相手になってくれないだろうか」
「話し相手?」
「ああ。僕は君ともっと話をしたいし、君の話を聞きたい。……難しいだろうか」

 落ち込む姿がなんだか人間味に溢れていて、可愛らしく見えてしまった。私に触れようと伸ばした手を下げようとしたのが見えて、両手で掴んだ。

「そんなことないです。私ずっとカミ様のことが大好きで、ずっとお会いしたいって思っていたのです。カミ様とお話がしたいです」
「私を? 不吉な漆黒の髪と、不浄の紫を?」
「そんな宵闇の色に艶のあるサラサラな髪はとっても神秘的ですし、紫水晶アメジストの瞳はそんな宝石よりも綺麗で、ミステリーな感じで大人っぽいですし、何より私の好きな花の色と同じなので、すごく素敵ですわ」

 勢いに任せて言った後で、カミ様相手に馴れ馴れしかっただろうか。でもこれで不敬だと言い出すのなら、それでも良いと思っていたのだけれど、気づけばカミ様の腕の中に包まれていた。

「嬉しいよ。初めてだ。私の目を見て話せるのも、私を怖がらないのも」
「カミ様を? こんなに素敵なのに?」

 疑問を口にするとカミ様は微笑んだ。私の瞳は魔眼らしく、また魔力耐性が高いからカミ様の前でも平気なのだという。この目は良くも悪くも特別だったのだと改めて実感する。そうこうしている間にカミ様は私の両手に視線を落とした。「邪魔だな」と、じゃらじゃらと揺れる鎖だけ消し去る。カミ様を拘束することも可能と言われた魔導具の一つだったのだけれど、簡単に砕けて消えてしまうのだから、カミ様を私ごときが、どうこうすることなど最初から無理なのだ。けれど無礼を働いた私に寛容で、優しいのは計算違いだった。


 3.


 一面の花畑と、青空。綿飴のような雲が悠々と流れていく。そんな場所にソファと丸いテーブルという不思議な空間が、どこまでも広がっている。ここは本当に、あの塔の中なのだろうか。

「君のいた国を含めて魔物が出てきたのは、単純に【人】が魔物になっただけだから、結界の問題じゃないんだ」
「【人】が魔物に?」

 カミ様の言葉に、言動に困惑するばかりだ。というのもカミ様との距離が近い。本来なら玉座と床に座るぐらいの立場の差があると思うのだけれど、ふかふかのソファに隣同士で座っている。おかしいと思う。絶対におかしい。こんな風に普通にお話ができて、私と目が合うたびに嬉しそうになる【人】なんていなかった。
 ああ、カミ様だから違うのかも。それが私の奥底にある感情をざわつかせる。

「ここの階層世界は、魂が真っ黒に染まったら魔物になる。【人】とは異なることをしたから、しょうがない。誰もが聖人君子であれとは言っていないし、嫉妬、妬み、嫉み、憎悪、殺意、敵意、それらを持つのも【人】だ。欲まみれで嘘つきで、騙し騙されることもあっても良い。でも他者を虐げ続ける者、良心が欠落した者、自分を顧みない者、傲慢で他者を踏み躙る者は、【人】ではいられなくなる」

 そういえばカミ様は、神官や騎士様を【人モドキ】と言っていた。カミ様には、彼らが【人】として見えていない?
 それならいずれ私も……ううん、──。

「因果が巡る、この世界はそういう構造になっているんだ。【人】は常に試され唐突な選択を迫られる。たくさんの選択を重ねて【人】は様々な色を魂に纏う。環境によって黒く染まろうとも、失敗や過ちによって黒くなっても、白くあろうとする心根があり続ける限り、【人】であり続ける。君の魂は傷ついても、どす黒い闇に飲まれかけていても、眩い光を放っていて、すごく驚いたよ」

 カミ様の言葉に喉がひりつく。全てを見透かされた眼差しに心が震えた。
 そんなはずないのに。
 カミ様の言葉はどれも私を労うものばかりで、こんな風に私のことを思ってくれたのは両親だけだった。それから私はカミ様の話し相手になって、たくさんの話をした。この世界のこと、カミ様のこと……。
 花嫁たちからの色を抜き取った後は、希望する異世界に転移させて来たという。ここに辿り着けるのは【人】だけなのだとか。【人モドキ】は魔物予備軍で何らかのキッカケ一つで、魔物に変貌するという。

「私の魂の色が濁ったら、魔物になってしまうのですよね?」
「ああ。そうなってほしくないけれど、【人】はそういう不確定さを持つ存在だから……。【人】の心は流動的だけれど、心に一本の芯がある【人】は、ちょっとのことでは揺らがない何かを持っている」

 カミ様は【人】が好きなのだ。揺らぎ変わりゆくことを惜しみながらも、見守り続けてきた。絵本通りの私の知るカミ様。
 世界は思った以上に、絶望的な状況なのかもしれない。カミ様の言葉通りの構造なのだとしたら、魔物を減らすためには、王国の考え方や、あり方を考える必要がある。
 ただそれは清く正しく、他者を踏み躙ることなく平和で──無理だわ。王城内は様々な計略や策略、謀略が渦巻いている。
 今も魔物が王都内に出現する状況を、簡単に解決する方法などないし、結局のところ原因は自分自身と向き合い、自分を律していくしか解決方法はない。
 そんなことを報告しても、それは彼らが望む答えではないし、到底受け入れないだろう。でも、それなら、
 唐突にカミ様は私の頭を撫でた。というよりもくしゃくしゃにした後で、頬に手を当てた。ぷにぷにする感触が気に入ったのか、しばらく私の頬に触れるのを堪能しているご様子。

「カミ様?」
「どうして君はこんなに可愛いのだろう。触れたくなるのも、初めてだし逃げないし」
「(初めて猫と触れ合う感覚なのかしら?)……か、可愛いかはよく分かりませんが、光栄です」
「ねえ、。君はここに来て僕に食べられるか、?」

 ヒュッ、と息を飲んだ。自分から名乗った記憶はなかった。背中から汗が噴き出して止まらない。私を見る紫水晶アメジストの瞳は輝いたままだ。

「冤罪だった両親を処刑した王侯貴族に復讐したいと考え、機会をずっと狙っていた。……王都に魔物が生み出されたのも、魔導書のページを巻物スクロールに移して不安と恐怖、憎悪を煽り、騒動を起こしたことも、国境塔ここに来たのも本当は僕を怒らせることで、この塔の結界を解き、世界を崩壊させようと計画を立てていたのだろう。計画的で、その執念も憎悪も充分だった。でも、君は最後の最後で引き金を、一線を越えなかった。隠し持っている短剣で僕を刺さなかったのが良い例だ。持っているだけでも毒の影響が出ているだろう。旅が始まってから片時も離さずによくここまで持ったね」

 ふう、と大きく息を吐いた。
 胸の奥にずっと押し込んで、殺し続けてきた自分の感情が溢れ出す。ごぽごぽごぽっっ……と、感情が、心が叫んでいる。浮上する感情が影から吹き出して私を──呑み込む。
 誰にも気取られないように、ずっと殺し続けてきた。どす黒くて、不快で、苦しくて、湧き上がる怒り。許せないという感情。
 毒が自分の体に巡っていく感覚よりも、噴き出す憎悪のほうが遙かに強い。
 顔を上げて、髪で目を隠さないままカミ様を見返し──微笑んだ。

「ご推察の通りです。両親を処刑した王侯貴族、いいえ世界に復讐するために、ここまで来ました。私が何もしなくともあの国は滅びる。……それが聞けてよかった」

 気が抜けたら毒の痛みが体を駆け巡る。呼吸をするのも、体を動かすのも苦しい。鎖骨あたりは黒紫色に染まっていて、自分の死が間近なのを感じた。
 カミ様を傷つける魔剣は使用者の生命を蝕む、一度きりの剣。それを短剣に加工して胸のポケットに隠していた。
 元公爵家の秘蔵の武器であり、公爵家以外の物が持つと呪われるとされていた私のとっておき。旅に出る時に封印を解いた公爵家最後の証。
 不思議とホッとしていて、同時に怒りとは別の感情が溢れて、胸が苦しくて……こんなことならカミ様の話し相手をしなければ良かったと、少し後悔する。
 この感情も、溢れる気持ちも、気づかなければ良かった。知らないままなら、どれだけ良かったのだろう。

「……カミ様、私はまだ【人】に見えますか?」

 答えなんて決まりきっている。ずっと心を殺してきた私が、復讐のため動いていた自分が【人】なはずなんてない。
 復讐に身を焦がして死ぬつもりだったのに。こんなところで誰かを好きになるなんて、もっと生きていたいなんて本当に愚かだ。ここに来るまで、復讐しかなかったのに最後の最後で、無縁だった感情が芽生えるなんて、思いもよらなかった。
 体が熱いのか寒いのかもうよく分からない。体の感覚も意識も遠のいていく。

「君は【人】だよ。根が優しくて、復讐鬼になりきれない、ただの可愛い女の子だ。僕が最初にあの鎖をどこかにやったとき、君はホッとしていただろう。僕を刺すチャンスはいくらでもあった。でも君は僕を見た時に魂の色が眩いほど輝いた。あれはどんな感情が君の復讐心を上回ったんだい?」

 私を見る目は未だ変わらない。労る声音に涙が零れた。こんな風に優しい言葉を掛けるなんてずるい。
 涙で視界が歪む。ああ、まだ泣くことができたのね。

「カミ様と目が合って、拒絶でも、忌むでもなくて、真っ直ぐに見返してくださったから、たったそれだけで私の心は満たされたのですよ」

 舌が痺れて、意識も遠のいていく。体が傾いたのが分かった。カミ様の膝の上に倒れて、カミ様を見上げる。ああ、なんて美しい瞳なのかしら。

「……一目惚れというのをしました」
「それは嬉しいな」

 頬を染めて笑うカミ様を見るたびに、愛おしさが溢れ出す。自分自身を騙して、殺すのは得意なのに、カミ様の前だと難しくなる。自分の感情を抑えられなくて、苦しい。それでも私はカミ様の愛した【人】のままで終わりたい。
 だから──。

「カミ様、私を、私の色を食べてくださいませんか? 私が居たことを覚えてもらいたいのです」

 カミ様は艶然と笑った。
 最後にカミ様と出会えて、私を看取ってくれるのがカミ様で本当に良かった。


 ***


「ルージュ。君は【人】でありたかったのに、【人】じゃなくなっちゃったね。【人】だった君を食べてしまった。そして僕の伴侶になってしまったのだから。言い逃げは許さない」

 カミ様は歌うように語った。私は死ななかったし、私の瞳の色も食べてもらえなかった。カミ様はいつになく上機嫌で「君はこれから先もずっと、僕の話し相手をしてもらわないと困る」と、死を奪われ、私の復讐もカミ様が取り上げてしまった。
 今私は、カミ様に抱きかかえられながら、アトランティ王国の上空を浮遊している。赤々と燃え広がる炎と黒煙は、王都周辺だと言うのが分かった。
 常闇から生まれたような獣たちが王都を駆け回り、武器を手に持った【人】たちが徒党を組んで戦う姿が見える。
 おそらく【人】が魔物になると考えず、彼らは魔物が【人】のフリをしていたのだと解釈するのだろう。それが事実と異なると知ったとしても、盲目に都合の良いことを信じるのだ。
 カミ様曰く元からアトランティ王国のような【人モドキ】が沸くと、最終的に国中が魔物だらけになるという。国境塔の結界を解除すると他国にまで魔物が押し寄せてしまうので遅かれ早かれ、この手の国は数百年単位で内側から瓦解するようにしているとか。思えば他国に比べて我が国の歴史が浅い理由がなんとなく察した。
 武装国家場ミューズは法を徹底し、聖法王国シシロアは信仰を上手く利用しているので、危うい時はあるものの二千年以上続いていると聞く。

「ここは国の構成も甘かったのだろう。次の王家のために眷属という見張りを用意しておこうかな。人の影と共に生きる獣──影獣ベスティアとかね」
「カミ様……」
「愛しい伴侶の故郷だけれど、滅ぼすつもりだったのだから構わないだろう」

 信じられないことに、カミ様は私に一目惚れをしたと言う。【人】でなくなった私を。けれどカミ様が「ラヴァンド、そう呼んでくれないかい?」と神名を明かしてからは、この方の伴侶になったのだと実感する。
 ラヴァンド様はどこまでも優しくて、私をドロドロに甘やかす。復讐者にもなれなかった私は生け贄でも、供物でもなく国境塔の神ラヴァンド様花嫁伴侶になった。
 睡眠も、空腹も、食欲も、感情の起伏も少し薄れた気がする。気がするだけかもしれないが。この先、【人】がどのような国を再構築するのか。少しだけ興味が湧いた。
 その日アトランティ王国は滅び、獣となった王家の代わりに新たな国が誕生する。柘榴色の瞳を持つが【国境塔の神】に懇願して、腐敗した国を滅ぼすように願った。聖女の犠牲の上に築かれた国──と、私の名前は都合良く使われ歴史に刻まれるのだから、本当に【人】は狡猾で、強かで、逞しい。


 *ラヴァンド視点*


【人】の魂が真っ黒になったら魔物になる。だが魔人にはならない。魔人は魔物を管理するために創造主の残り香で作り出されたようなもの。
 魔物を従えることができるのも魔人の特徴である。それが【人】に願われ、乞われ、崇め祀られる存在となったのが僕。神──創造主たちは気体となり、概念としてしか存在していない。故にこの世界の管理をしているのが魔人となる。
 僕が神役を担い、同胞は影ながら【人】の世を渡り歩き、伝承や絵本を残して秩序を保とうと動くことで、この世界はできている。
【国境塔】を築いたのは【人】が分かりやすい象徴シンボルを求めているからだ。あやふやなものよりも確かなものが好きらしい。
 もっとも目に見えて分かるようにすると、【人】の受け入れも早かった。僕たちの食事は、【人】の心の声だ。僕への憧れ、恐れ、敬う、崇め奉る気持ちが届く。その質は様々だ。
 けれどその中でとびきり甘くて、濃厚な声が聞こえてきた。僕の日常を変えたのは君なんだよ、ルージュ。
 ただ純粋の僕を好いて、憧れ、僕を優しい神様だと嬉しそうに絵本に語りかける。君の声はいつだって僕の心を揺さぶった。憎悪や殺意を隠そうと自分を押し殺している感情も、僕を好いている想いも、僕を利用しようとする思いも、どれも愛おしい。
 両親の処刑を止めることもできたのに、僕は何もしなかった。君が僕の元にたどり着く可能性を上げるため、枢機卿や同行した騎士たちに眷族を紛れ込ませておいたのも、魔導書や書物を送ったのも僕だ。もし君が気づいたら──今度こそ僕を殺すのだろうか。それはそれで彼女の心を僕でいっぱいにできるのなら、悪くない。
 僕は【国境塔の神】だけれど、【人】ではない【人でなし】だ。
 君の色は食べないけれど、君自身毒ごと食べて、僕は今かつてないほど幸せだよ。君はどうなのだろう。ねえ、ルージュ。
 君は僕のこと、まだ好きでいてくれるかな?
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