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第1章
13.気持ち悪くて敵いませんわ
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一頻り暴れて落ち着いたレティシア。気がついたら、授業が始まっている時刻をとうに過ぎていた。
これはもう今から戻っても無駄に注目を浴びてしまうだけだと考え、授業を受けずに森林浴をすることにした。
それでもまだ放課後まで時間がある。教室に戻るのも面倒だし、屋敷に帰るなんてもっての外なので、体調が悪いことにして保健室で横になろうと考えた。
保健室にいた教諭は、レティシアが具合が悪いので寝かせて欲しいと言うと、二つ返事でベッドを用意してくれた。
消毒の匂いのするベッドに潜り込みながら、レティシアは考える。
(この件でコレット様も流石にわたくしに良い感情を持つことは無いでしょう。殿下達もいらしたので、マイナスなイメージを植え付けられたと思いますわ。多分、オデット様が有る事無い事吹き込んで、自分は悪くないと吹聴しているはずですし)
それならば、まずは上手く立ち回れたと考えても良いだろう。
それに、やはりレティシアにとって、コレットを虐めるのは相当のストレスだ。いや、一番ストレスを感じるのはコレットなのだが。寧ろいじめっ子が何を言っているんだという感じだが。
とにかく、なるべく虐めたくない。今回のレティシアの脅しで、皆コレットへの虐めを辞めてくれるだろうか。
辞めてもらわないなら、先ほど以上に脅さなければならない。
それは心が折れる。
(そもそもわたくし、基本的にハッピーエンド主義者ですのよ。イーリスの祝福は基本的にハッピーエンドではないですが、わたくしが皆様をハッピーエンドに出来るなら原作改変と言われようが手を出したくなってしまいます……。というかむしろ前世ではifストーリの二次創作にハマっていたんでした……。原作あってのifストーリーの良さがあるのです。ええ、でもここは現実。ならば不幸はなるべく遠ざけたいじゃないですか。だって、不幸になりたい人間なんていませんもの)
そう悶々としていると、次第に瞼が重くなってくるのを感じた。
(いやだ……眠気を感じるなんてどのくらいぶりかしら……。感情が昂った後だからかしら。普段、感情を抑えていると……いざ感情を出す時ってすごく……疲れ……ます……わ……)
眠気に抗えず、レティシアは意識を飛ばすのだった。
◇◇◇
目を覚ますと、既に外は夕焼け色だった。
寝た時間はそう長くないが、久しぶりの良質な睡眠で体が軽く感じる。
教諭はいないが、メモ書きが置いてある。どうやら帰る時にはノートに退出時間を書くらしい。何かあった時の為か。
レティシアは時間を書いて、そのまま帰る支度を整えた。ベッドサイドにカバンが置いてあり、恐らく気を利かせた教諭が持って来てくれたのだろうとレティシアは思う。
お礼を言いたい所だが、メモを見る限り時間がかかりそうなので諦めた。
念の為、ジュスタンのクラスを見に行ったが、既にジュスタンは帰ったようだ。
そのことに安心する。ただでさえ、心がボロボロなのに、一緒に帰ればもっと酷い事になる。
とはいえ、学園でもきっと今日の事は広まっているだろう。あまり長居も良くないと思い、帰ることにした
馬車に乗り込むと、ゆっくりと動き出す。ちなみにジュスタンと一緒に帰らなくなっても、馬車は公爵家らしく、豪華なものだった。
体面を気にするバンジャマンの事だ。その辺りはみみっちいというか何というか。
何となく外に目を向けると、綺麗な夕焼けと共に虹が出ていた。
「虹……。この世界の創造神とされるイーリス様の別名ですわ……。そうでした、イーリスの祝福というタイトルも、このことから来ているのですよね」
この世界では、虹は大層縁起が良いものとされている。創造神イーリスの祝福を受けたという言い伝えがあるからだ。
ゲーム中でも、物語の終盤に虹がかかる描写が多かった。
それにしては、希望が見れないエンドの勢揃いだったが。
どう考えても、タイトル詐欺である。
「はたから見たらハッピーエンドでは無いのですが、コレット様達にとってはこれからの人生の神託のようなものでしたわ。後悔しても、強く生きていく姿がとても眩しかった……」
今虹を見れたのは、今後のレティシアの明るい未来を期待しても良いと言う事なのだろうか。
いや、そもそもどういう理由であれ、人を虐めている時点で明るい未来を期待するなんて烏滸がましいかとレティシアは思う。
イーリスの祝福のレティシアも結果だけみれば可哀想とも言えるが、そもそも過程を考えれば、明らかに人のそれからは逸脱している。
自業自得と言えばそれまでだ。
「はあ……何でしょう……。疲れましたわ……」
悶々としたまま、屋敷に帰宅する。
帰宅する頃には、虹は消えていた。
さっさと自室に戻ろうとするが、何故か使用人に呼び止められた。
「旦那様がお呼びですので、執務室へ行った方がいいですよ」
「まあ、珍しいですわね」
「さっさと行ってください」
この態度。もう腹立つのを通り越して呆れるしかない。
ニヤニヤ気持ち悪い笑みを浮かべているので、どう考えても悪い予感しかない。
使用人を無視して、執務室に向かった。
執務室の扉をノックしようとすると、中から声が漏れている。
「旦那様、落ち着いた方がよろしいかと。冷静にならないといけません」
「うるさい、ジョゼフ。今日は許せん! リュシリュー公爵家に泥を塗りおって! それに、ジュスタンから話を聞いたのだ! 間違いであるはずがない!」
「しかし、片方の話だけを鵜呑みにすることは、後々立場が悪くなった時に――」
「はっ! 随分なことを言うな。俺は学園で話を聞いたんだ。そもそもアイツと仲の良い令嬢が泣いていたぞ。アイツの言いなりにならざるを得なかったとな」
中にはジュスタンもいるようだ。話の内容的に、今日のことを報告したらしい。
ジョゼフが宥めようとしているが、止まらないようだ。
(これではジョゼフの立場が危うくなりますわ)
レティシアは意を決して、扉をノックした。
「レティシアです。お呼びとお聞きしましたが」
「はいれ」
ガチャリと扉を開けると、目の前に何かが飛んできた。
胸の辺りに当たったのはインク瓶。
制服が真っ黒に汚れた。
「この、恥晒しが‼︎」
「旦那様! お嬢様はジルベール殿下の婚約者ですよ! 傷が出来れば――」
「うるさい! おい! なにか言ったらどうだ!」
「では何故いきなり物を投げつけたのでしょうか」
「心当たりがないのか!」
「来て突然、このような状態なので」
「きさまぁ‼︎」
バンジャマンは顔を真っ赤にして怒っている。
そのまま頭の血管が千切れてくれないかな、と不穏なことを考えるレティシア。
ジュスタンは、いつもと違うレティシアの反応に内心首を傾げる。今まで怒られれば、淑女の仮面が外れ真っ青になり、言い訳していたと言うのに。その姿を見ることがとても愉快だったのに、今日のレティシアは冷静だ。
いや、きっと内心はそうではないだろうと思えば、ジュスタンは口角が上がるのを抑えられなかった。
「ジュスタンから聞いたぞ! 学園で騒ぎを起こした様だな! お前はリュシリュー公爵家に泥を塗ったのだ!」
「わたくしは巻き込まれただけですわ」
「白々しい! お前が言っていることが嘘なことくらい分かるわ」
レティシアの話を聞く気のない、ただレティシアを貶めたいが為に怒鳴り散らすバンジャマンはとても醜悪だ。
執事であるジョゼフは、何とかバンジャマンを落ち着かせようとしている様だが、これ以上物申せばジョゼフの立場が危ない。
レティシアはジョゼフに、そっと目配せをする。レティシアの視線の意味に気がついたジョゼフは、悔しそうに唇を噛み締めた。
そんな様子を見たレティシアは、それだけでもほんのり心が温かくなる。
「お父様」
「お前に父など言われたくない‼︎ くそっ! ジルベール殿下の婚約者でなければ、さっさと除籍してやったものを!」
ここまで言うか。レティシアだって、こんな男を父親と呼びたくない。
ここでニヤニヤしていたジュスタンが、馬鹿にする声音でレティシアに言った。
「本当、お前は駄目な奴だな。今まで学園の成績が良かったのも、何か良からぬ事でもしたのんじゃないか? はっ俺はそんな貧相な体、お断りだがな」
「キモっ」
「はあ?」
「何でもありません」
ジュスタンの気持ち悪い発言に、思わず本音が漏れたレティシア。
ジュスタンが聞き取れなかった、と言うより言葉の意味が理解できなかったのは幸いだった。
こんな言葉遣い、この世界にはない。
さっさと終わらして欲しいと思うレティシアは、淡々とバンジャマンに話しかける。
「では公爵、わたくしをどうするのでしょうか?」
「その偉そうな態度はなんだ!」
駄目だ。とレティシアはため息を吐きそうになる。どうせ何を言っても、ただ逆上するだけだ。
そもそも叱責されようとも、貴族たるもの、自分に非がないのであれば凛とした姿勢を崩すことは許されない。
弱い姿を見せたら、その瞬間に喰われてしまう。
これまでは怯えてしまっていたが、それももう昔のことだ。
(確かに構図は平民を虐めた貴族令嬢ですが。似たようなことをしているコイツらに言われる所以はありません)
だと言うのに、ここぞとばかりに怒鳴り散らかすバンジャマンは、この国の宰相をしている者とは思えないくらいにみっともない。
そして隣で、まだニヤついた顔をしたジュスタンも同様だ。
(うん、この公爵家はわたくし含め腐っていますわね)
やっぱりサッサと破滅させようかな、とレティシアは思う。
不正の証拠は今はさっぱりないが、そもそも今までの仕打ちだけで訴えられる材料は十分だ。
(わたくしにした仕打ちの証拠はないにしても、新聞社にでも持ち込めば良いネタになるでしょう。事実がどうであれ、その噂だけで公爵家が傾く可能性もありますわ)
姿勢と表情筋はそのまま、レティシアの意識は別のところへ飛んでいる。
「聞いているのか!」
「聞いております。公爵が話すなと命令されたのでしょう」
「このっ‼︎」
遂に手を上げるバンジャマン。
それを認めても、レティシアは動こうとしない。
むしろ、新聞社に持ち込む良いネタが増えたな、としか思わない。
殴られそうになった、まさにその時。
ノックの音と共に、使用人が1人入ってきた。
「申し訳ありません。旦那様、王城からの呼び出しです」
「何だと。こんな時に……。はあ、レティシア。お前は私達に暫く顔を見せるな。食事も一緒に摂ることを禁ずる」
「承知いたしました」
むしろ願ったり叶ったりだ。コイツらと食べる食事ほど不味いものはない。
それに顔を合わせなくて済むのだ。
執務室を追い出された後、レティシアは自室へと戻ろうとした。しかし、追ってきたのであろうジュスタンが絡んでくる。
「はっ。父上にあそこまで言われるなんて、かわいそうだなぁ。まあ、仕方ないよな? お前なんかが問題を起こすから」
(もう、本当に面倒臭い。うざい。こっちくんな)
まだいちゃもんをつけてくるジュスタンに、遂にレティシアはぷつんと切れた音がした。
「リュシリュー公子。わたくしたちは、公爵の命令で接触禁止ですよね。まさか貴方ともあろう方が、偉大な公爵の命令に背くのですか?」
「何だとっ」
「まさか貴方がわたくしと同じ、愚か者であるとは知りませんでしたわ」
「そんなわけないだろう! ふんっ! せっかく施しをしてやろうと思ったのに、恩知らずなやつだ。俺もおまえの顔など見たくない。学園でも声をかけてくるなよ」
「ええ。偉大なる公爵の命令ですもの。その命令に従うまでですわ」
そう言うとジュスタンは、うるさい足音を立てながら去っていった。
この廊下、フカフカの絨毯なのに、良くあんな大きな音を出せるなと逆に感心してしまう。
そのまま自室に入る。
被っていた仮面を取り去れば、 今まで溜まった鬱憤を吐き出すようにベッドにある枕を殴りつけた。
「あんのくそジジイにくそ野郎どもがぁ‼︎ 自分達の行動を顧みてから言えっての! 残念ながら罵倒のボキャブラリーはあんた達の教育の賜物だわ‼︎ こっちの話を聞かないクセに、一丁前に説教してくんじゃねぇわ!」
息を切らしながら、まだまだ殴り続ける。
「あんのくそ野郎! 仮にも血の繋がった妹になんて妄想してんだ‼︎ ああっ気持ち悪い! ああああああっ気持ち悪い‼︎」
あのジュスタンの、レティシアの体を使って成績を上げているなんて想像する時点で、生理的に受け付けなくなった。
全身にびっしり鳥肌が立ってしまい、手で摩る。
「本当無理。気持ち悪い。でもこれでくそ野郎と一緒に学園に行かなくて済むわ。それだけは良かった。本当に顔も見たくない」
ゴシゴシ体を擦っていると、ノックの音が聞こえた。
この部屋に来客なんて珍しいが、来る人は分かっている。
入ってきたのは、思った通りジョゼフとルネだった。
「「お嬢様、大丈夫ですか⁉︎」」
「大丈夫ではありません。寒気が止まりませんわ」
「申し訳ありません、お嬢様。旦那様を止めることが出来ず、不甲斐ないです」
「気にしないでください、ジョゼフ。むしろあれ以上は貴方が危ないですわ」
それでも謝ってくるジョゼフと、体調を気にするルネ。
「もう、今回は流石に見過ごせません!」
「ええ、流石に私も見限りました。このジョゼフ、この身と引き換えにしても旦那様に陳情しますぞ」
「その必要はありません」
「しかし、お嬢様!」
「わたくし、この家を捨てます」
その言葉に、揃って固まった2人。レティシアは秘密裏に進めていた計画を2人に話すことにした。
これはもう今から戻っても無駄に注目を浴びてしまうだけだと考え、授業を受けずに森林浴をすることにした。
それでもまだ放課後まで時間がある。教室に戻るのも面倒だし、屋敷に帰るなんてもっての外なので、体調が悪いことにして保健室で横になろうと考えた。
保健室にいた教諭は、レティシアが具合が悪いので寝かせて欲しいと言うと、二つ返事でベッドを用意してくれた。
消毒の匂いのするベッドに潜り込みながら、レティシアは考える。
(この件でコレット様も流石にわたくしに良い感情を持つことは無いでしょう。殿下達もいらしたので、マイナスなイメージを植え付けられたと思いますわ。多分、オデット様が有る事無い事吹き込んで、自分は悪くないと吹聴しているはずですし)
それならば、まずは上手く立ち回れたと考えても良いだろう。
それに、やはりレティシアにとって、コレットを虐めるのは相当のストレスだ。いや、一番ストレスを感じるのはコレットなのだが。寧ろいじめっ子が何を言っているんだという感じだが。
とにかく、なるべく虐めたくない。今回のレティシアの脅しで、皆コレットへの虐めを辞めてくれるだろうか。
辞めてもらわないなら、先ほど以上に脅さなければならない。
それは心が折れる。
(そもそもわたくし、基本的にハッピーエンド主義者ですのよ。イーリスの祝福は基本的にハッピーエンドではないですが、わたくしが皆様をハッピーエンドに出来るなら原作改変と言われようが手を出したくなってしまいます……。というかむしろ前世ではifストーリの二次創作にハマっていたんでした……。原作あってのifストーリーの良さがあるのです。ええ、でもここは現実。ならば不幸はなるべく遠ざけたいじゃないですか。だって、不幸になりたい人間なんていませんもの)
そう悶々としていると、次第に瞼が重くなってくるのを感じた。
(いやだ……眠気を感じるなんてどのくらいぶりかしら……。感情が昂った後だからかしら。普段、感情を抑えていると……いざ感情を出す時ってすごく……疲れ……ます……わ……)
眠気に抗えず、レティシアは意識を飛ばすのだった。
◇◇◇
目を覚ますと、既に外は夕焼け色だった。
寝た時間はそう長くないが、久しぶりの良質な睡眠で体が軽く感じる。
教諭はいないが、メモ書きが置いてある。どうやら帰る時にはノートに退出時間を書くらしい。何かあった時の為か。
レティシアは時間を書いて、そのまま帰る支度を整えた。ベッドサイドにカバンが置いてあり、恐らく気を利かせた教諭が持って来てくれたのだろうとレティシアは思う。
お礼を言いたい所だが、メモを見る限り時間がかかりそうなので諦めた。
念の為、ジュスタンのクラスを見に行ったが、既にジュスタンは帰ったようだ。
そのことに安心する。ただでさえ、心がボロボロなのに、一緒に帰ればもっと酷い事になる。
とはいえ、学園でもきっと今日の事は広まっているだろう。あまり長居も良くないと思い、帰ることにした
馬車に乗り込むと、ゆっくりと動き出す。ちなみにジュスタンと一緒に帰らなくなっても、馬車は公爵家らしく、豪華なものだった。
体面を気にするバンジャマンの事だ。その辺りはみみっちいというか何というか。
何となく外に目を向けると、綺麗な夕焼けと共に虹が出ていた。
「虹……。この世界の創造神とされるイーリス様の別名ですわ……。そうでした、イーリスの祝福というタイトルも、このことから来ているのですよね」
この世界では、虹は大層縁起が良いものとされている。創造神イーリスの祝福を受けたという言い伝えがあるからだ。
ゲーム中でも、物語の終盤に虹がかかる描写が多かった。
それにしては、希望が見れないエンドの勢揃いだったが。
どう考えても、タイトル詐欺である。
「はたから見たらハッピーエンドでは無いのですが、コレット様達にとってはこれからの人生の神託のようなものでしたわ。後悔しても、強く生きていく姿がとても眩しかった……」
今虹を見れたのは、今後のレティシアの明るい未来を期待しても良いと言う事なのだろうか。
いや、そもそもどういう理由であれ、人を虐めている時点で明るい未来を期待するなんて烏滸がましいかとレティシアは思う。
イーリスの祝福のレティシアも結果だけみれば可哀想とも言えるが、そもそも過程を考えれば、明らかに人のそれからは逸脱している。
自業自得と言えばそれまでだ。
「はあ……何でしょう……。疲れましたわ……」
悶々としたまま、屋敷に帰宅する。
帰宅する頃には、虹は消えていた。
さっさと自室に戻ろうとするが、何故か使用人に呼び止められた。
「旦那様がお呼びですので、執務室へ行った方がいいですよ」
「まあ、珍しいですわね」
「さっさと行ってください」
この態度。もう腹立つのを通り越して呆れるしかない。
ニヤニヤ気持ち悪い笑みを浮かべているので、どう考えても悪い予感しかない。
使用人を無視して、執務室に向かった。
執務室の扉をノックしようとすると、中から声が漏れている。
「旦那様、落ち着いた方がよろしいかと。冷静にならないといけません」
「うるさい、ジョゼフ。今日は許せん! リュシリュー公爵家に泥を塗りおって! それに、ジュスタンから話を聞いたのだ! 間違いであるはずがない!」
「しかし、片方の話だけを鵜呑みにすることは、後々立場が悪くなった時に――」
「はっ! 随分なことを言うな。俺は学園で話を聞いたんだ。そもそもアイツと仲の良い令嬢が泣いていたぞ。アイツの言いなりにならざるを得なかったとな」
中にはジュスタンもいるようだ。話の内容的に、今日のことを報告したらしい。
ジョゼフが宥めようとしているが、止まらないようだ。
(これではジョゼフの立場が危うくなりますわ)
レティシアは意を決して、扉をノックした。
「レティシアです。お呼びとお聞きしましたが」
「はいれ」
ガチャリと扉を開けると、目の前に何かが飛んできた。
胸の辺りに当たったのはインク瓶。
制服が真っ黒に汚れた。
「この、恥晒しが‼︎」
「旦那様! お嬢様はジルベール殿下の婚約者ですよ! 傷が出来れば――」
「うるさい! おい! なにか言ったらどうだ!」
「では何故いきなり物を投げつけたのでしょうか」
「心当たりがないのか!」
「来て突然、このような状態なので」
「きさまぁ‼︎」
バンジャマンは顔を真っ赤にして怒っている。
そのまま頭の血管が千切れてくれないかな、と不穏なことを考えるレティシア。
ジュスタンは、いつもと違うレティシアの反応に内心首を傾げる。今まで怒られれば、淑女の仮面が外れ真っ青になり、言い訳していたと言うのに。その姿を見ることがとても愉快だったのに、今日のレティシアは冷静だ。
いや、きっと内心はそうではないだろうと思えば、ジュスタンは口角が上がるのを抑えられなかった。
「ジュスタンから聞いたぞ! 学園で騒ぎを起こした様だな! お前はリュシリュー公爵家に泥を塗ったのだ!」
「わたくしは巻き込まれただけですわ」
「白々しい! お前が言っていることが嘘なことくらい分かるわ」
レティシアの話を聞く気のない、ただレティシアを貶めたいが為に怒鳴り散らすバンジャマンはとても醜悪だ。
執事であるジョゼフは、何とかバンジャマンを落ち着かせようとしている様だが、これ以上物申せばジョゼフの立場が危ない。
レティシアはジョゼフに、そっと目配せをする。レティシアの視線の意味に気がついたジョゼフは、悔しそうに唇を噛み締めた。
そんな様子を見たレティシアは、それだけでもほんのり心が温かくなる。
「お父様」
「お前に父など言われたくない‼︎ くそっ! ジルベール殿下の婚約者でなければ、さっさと除籍してやったものを!」
ここまで言うか。レティシアだって、こんな男を父親と呼びたくない。
ここでニヤニヤしていたジュスタンが、馬鹿にする声音でレティシアに言った。
「本当、お前は駄目な奴だな。今まで学園の成績が良かったのも、何か良からぬ事でもしたのんじゃないか? はっ俺はそんな貧相な体、お断りだがな」
「キモっ」
「はあ?」
「何でもありません」
ジュスタンの気持ち悪い発言に、思わず本音が漏れたレティシア。
ジュスタンが聞き取れなかった、と言うより言葉の意味が理解できなかったのは幸いだった。
こんな言葉遣い、この世界にはない。
さっさと終わらして欲しいと思うレティシアは、淡々とバンジャマンに話しかける。
「では公爵、わたくしをどうするのでしょうか?」
「その偉そうな態度はなんだ!」
駄目だ。とレティシアはため息を吐きそうになる。どうせ何を言っても、ただ逆上するだけだ。
そもそも叱責されようとも、貴族たるもの、自分に非がないのであれば凛とした姿勢を崩すことは許されない。
弱い姿を見せたら、その瞬間に喰われてしまう。
これまでは怯えてしまっていたが、それももう昔のことだ。
(確かに構図は平民を虐めた貴族令嬢ですが。似たようなことをしているコイツらに言われる所以はありません)
だと言うのに、ここぞとばかりに怒鳴り散らかすバンジャマンは、この国の宰相をしている者とは思えないくらいにみっともない。
そして隣で、まだニヤついた顔をしたジュスタンも同様だ。
(うん、この公爵家はわたくし含め腐っていますわね)
やっぱりサッサと破滅させようかな、とレティシアは思う。
不正の証拠は今はさっぱりないが、そもそも今までの仕打ちだけで訴えられる材料は十分だ。
(わたくしにした仕打ちの証拠はないにしても、新聞社にでも持ち込めば良いネタになるでしょう。事実がどうであれ、その噂だけで公爵家が傾く可能性もありますわ)
姿勢と表情筋はそのまま、レティシアの意識は別のところへ飛んでいる。
「聞いているのか!」
「聞いております。公爵が話すなと命令されたのでしょう」
「このっ‼︎」
遂に手を上げるバンジャマン。
それを認めても、レティシアは動こうとしない。
むしろ、新聞社に持ち込む良いネタが増えたな、としか思わない。
殴られそうになった、まさにその時。
ノックの音と共に、使用人が1人入ってきた。
「申し訳ありません。旦那様、王城からの呼び出しです」
「何だと。こんな時に……。はあ、レティシア。お前は私達に暫く顔を見せるな。食事も一緒に摂ることを禁ずる」
「承知いたしました」
むしろ願ったり叶ったりだ。コイツらと食べる食事ほど不味いものはない。
それに顔を合わせなくて済むのだ。
執務室を追い出された後、レティシアは自室へと戻ろうとした。しかし、追ってきたのであろうジュスタンが絡んでくる。
「はっ。父上にあそこまで言われるなんて、かわいそうだなぁ。まあ、仕方ないよな? お前なんかが問題を起こすから」
(もう、本当に面倒臭い。うざい。こっちくんな)
まだいちゃもんをつけてくるジュスタンに、遂にレティシアはぷつんと切れた音がした。
「リュシリュー公子。わたくしたちは、公爵の命令で接触禁止ですよね。まさか貴方ともあろう方が、偉大な公爵の命令に背くのですか?」
「何だとっ」
「まさか貴方がわたくしと同じ、愚か者であるとは知りませんでしたわ」
「そんなわけないだろう! ふんっ! せっかく施しをしてやろうと思ったのに、恩知らずなやつだ。俺もおまえの顔など見たくない。学園でも声をかけてくるなよ」
「ええ。偉大なる公爵の命令ですもの。その命令に従うまでですわ」
そう言うとジュスタンは、うるさい足音を立てながら去っていった。
この廊下、フカフカの絨毯なのに、良くあんな大きな音を出せるなと逆に感心してしまう。
そのまま自室に入る。
被っていた仮面を取り去れば、 今まで溜まった鬱憤を吐き出すようにベッドにある枕を殴りつけた。
「あんのくそジジイにくそ野郎どもがぁ‼︎ 自分達の行動を顧みてから言えっての! 残念ながら罵倒のボキャブラリーはあんた達の教育の賜物だわ‼︎ こっちの話を聞かないクセに、一丁前に説教してくんじゃねぇわ!」
息を切らしながら、まだまだ殴り続ける。
「あんのくそ野郎! 仮にも血の繋がった妹になんて妄想してんだ‼︎ ああっ気持ち悪い! ああああああっ気持ち悪い‼︎」
あのジュスタンの、レティシアの体を使って成績を上げているなんて想像する時点で、生理的に受け付けなくなった。
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「本当無理。気持ち悪い。でもこれでくそ野郎と一緒に学園に行かなくて済むわ。それだけは良かった。本当に顔も見たくない」
ゴシゴシ体を擦っていると、ノックの音が聞こえた。
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「「お嬢様、大丈夫ですか⁉︎」」
「大丈夫ではありません。寒気が止まりませんわ」
「申し訳ありません、お嬢様。旦那様を止めることが出来ず、不甲斐ないです」
「気にしないでください、ジョゼフ。むしろあれ以上は貴方が危ないですわ」
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醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
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小説家になろうにも掲載しています。
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