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第1章
20.コレット様は神の使いでしょうか?
しおりを挟む日を追うごとに、針の筵となりつつある教室。
けれどレティシアは明らかに空気が悪い教室内でも、思っていたよりダメージを負うことはなかった。
理由は単純。
リュシリュー公爵邸にいる方が、遥かにストレスが大きかったからだ。
あの空気に比べれば、生徒達の冷たい視線など赤子も同然。可愛いものである。
(きっとイーリスの祝福でレティシアが暴走したのは、こういうことにも耐性があったからかもしれませんわ。普通だったら止まれるくらいに周りの目は冷たくなっただろうに、レティシア自身はそれに気が付かなったのでしょう。……なんという副産物。やっぱり公爵家が、元凶ですわね。まあ、ここ数日、顔も合わせずに済んでいるのでむしろハッピーですが。嫌いな奴らと顔を合わせずに済むというのは、ここまでストレスフリーになれるのですね)
途中から今の状態が幸せな分類であると気がつき、少し気分が上向く。
針の筵が幸せとは、これ如何に。しかし心の声なので、突っ込む者は誰一人としていなかった。
あいも変わらず、オデットが金魚のフンの如く付いてくるが、周りも気にしていない。順応が早いのか、巻き込まれるのが嫌なのか。
いや、今だと第3の答えだ。
そう、定期テストの存在である。
アヴリル魔法学園では、1年の間に4回テストがある。もちろん、今までの学業が身についているか確認するためのテストだ。
今回のテストは4回目。すなわち、今年最後のテストだ。
だから周りの生徒達は、レティシア達の行動を気にしている場合ではないのだろう。
レティシアも勉強するが、学園で習う事は、王子妃教育でも重なることが多く、復習するくらいで充分だ。
それでも1度も首席は取れていないのだが、相手がジルベールなので勝てる気がしない。手を抜いたことは無く、本気で取り組んでも、ジルベールには敵わないのだ。
(本当、誰よりもご多忙の筈なのに。いつ勉強されてるのかしら。あ、そうだ。それよりも、コレット様への邪魔が無いか監視しなければ)
特待生はその名の通り、優秀な者が受けられる制度だ。
それ即ち、学園が定めるラインに到達できなければ、特待生から外される事も珍しい事では無い。
コレットの経済状況を考えれば、特待生でなくなれば退学するしか道はない。
きっと必死に勉強しているだろう。そしてその邪魔をする輩が現れると、簡単に想像出来てしまう。
実際に、イーリスの祝福ではレティシアが邪魔をしていた。
(イーリスの祝福はゲームなのもあって、勉強などの要素は薄かったですわ。その分、魔法を使う時にコマンド入力が必要でしたが。そういえば存外、そのコマンド入力が難しいと嘆いてる方もいましたっけ)
ガチのゲーマーがやってみた動画を出すくらいには、とても難しかった。入力の速さだけで無く、量も相当の物だったのだ。
(はっ! 今はそんなことどうでも良いですわ。それよりもコレット様の様子を――ああっ! オデット様が居ると邪魔ですわ)
心の中でストレートにオデットを邪魔者扱いする。
そう、こうして物思いに耽っている間も、オデットはレティシアに話しかけてきているのだ。
内容はどうでも良い噂話。どこから仕入れているか知らないが、これしか無いのかとげんなりしてしまう。
それにオデットが勉強している様子を、レティシアは見ていない。今までの成績は中の下あたりだった筈だが、大丈夫なのだろうか、とレティシアは思ってしまう。
「オデット様。わたくし本日は、図書室で勉強しようと思いますの。ご一緒にいかがですか?」
「あらぁ。レティシア様ったらぁ。そんなに勉強する必要あるのですかぁ?」
「勿論ですわ。貴族令嬢として、恥ずかしい成績は出せませんもの」
「そうですかぁ。大変ですねぇ。私は教えてくれる人がいるので、わざわざ勉強しなくて良いんですぅ。じゃあ先に帰りますねぇ」
教えてもらう人がいてあの成績かい、と思わず突っ込みそうになるのを堪えて、レティシアは優雅に挨拶した。
「分かりましたわ。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
オデットは勉強が好きでは無い。それは貴族令嬢全員に叩き込まれているマナーすら、拙さがあることから簡単に分かる。
彼女の話し方は、貴族令嬢としては相応しくない。それを直さないのは、一重にそれで主に男性陣からチヤホヤされてきたからだろう。
流石に2年生の後半になって、周りは卒業後の事を考える様になり、オデットが構われることは減ったようだが気づいているのか。
(教えてもらうのも殿方からでしょうか。令嬢もいるにはいますわね。良識のある人たちは彼女から距離をとってますが、同類は同類で一緒にいるので、まさに井の中の蛙状態なのでしょう。婚約者もいないようですし)
オデットのことは今はどうでも良い。今はコレットが心配だ。
勉強嫌いなオデットは、レティシアが勉強しにいくといえば離れることは分かっていた。
計画通りとレティシアはほくそ笑み、図書室へ向かった。
図書室はその性質上、とても静かである。
テスト前ということでそれなりに人はいるが、ペンを走らせる音やページを捲る音以外、静かなものである。
レティシアはまず、ここにコレットがいるかを確認する。ここにコレットがいれば、安心して勉強に打ち込むことができる。
(あ、いましたわ。良かった。集中できている様ですね。顔色も悪くありませんし、影でわたくし以外にいじめられている事もないでしょう)
レティシアは安心した、その時。コレットがパッと顔を上げたことにより、バッチリ目があってしまった。
あまりにもバッチリあってしまったので、視線を外すことが出来なかった。
「こ、こんにちは。リュシリュー公爵令嬢」
「……ごきげんよう」
挨拶されたら、無視は出来ない。レティシア自身、無視されることの辛さは誰よりも分かっている。
コレットは少し迷った様だが、隣の席を指して言った。
「……良かったら、お隣空いてますよ?」
「…………っ」
その言葉は、レティシアに特大ダメージを負わせた。
表情、いや体が崩れ落ちそうになるのを、かろうじて堪える。
荒ぶる心の内を必死に沈め、硬い声で答えた。
「……いいえ、必要ありませんわ。少し寄っただけなので」
「そ、そうですか」
もう勉強どころではない。レティシアは踵を返すと、図書室から出ていった。
その後ろ姿をジッと観察していたコレットは、徐に荷物を片付けると立ち上がって、同じように図書室から出て行くのだった。
◇◇◇
レティシアはいつぞやと同じように、人気のない中庭に突き進む。
木々が生い茂る中を進むと、そのまま木の根元に蹲った。
ブツブツ独り言を言っているが、だんだん声が大きくなってくる。
「ああっ……これはおかしくない? なんでわたくしに、コレット様は普通に話しかけてくるの⁉︎ “お隣どうぞ”なんて……っ! この前、公衆の面前で拒絶したよね⁉︎ あれは夢だった⁉︎ まさかの夢オチ? ってそんなわけあるか‼︎」
ドンッと強めに木の幹を叩く。
思ったより地面に水気があったらしく、制服のスカートに泥が付いているが、そんなのは今はどうでも良い。
「コレット様……もしかして、天使? いえ、イーリス様の使い? あんな純真無垢な方が、ただの人間な訳がないわ。そんなのっ……そんなの勝ち目ないわぁっ! あんな優しい方を虐めるなんて、無理よぉ! そんなことをしたら、地獄に行くわ……」
人目がないからと安心しきり、ボロボロ涙を零す。
「ああ、ジョゼフ……ルネ……わたくし、罪深い人間だわ……。ごめんなさい……きっとジョゼフ達はわたくしが1人、エリュシオンに行けないと分かればついてくるのでしょうね……。あんなに良い人を巻き込みたくないぃっ」
段々情緒不安定になるレティシア。
「ううっ……でもこんなんじゃ目的を達成することなんてできないわ……いえ! それはダメよ! レティシア、本来の目的を忘れたの⁉︎ 例え大罪人になり、死後エリュシオンに行けなくなるとしても! わたくしはやらねばならぬ!」
エリュシオンとは、所謂天国のことである。創造神イーリスのいる場所でもあり、善性を施した者は死後、エリュシオンに行けるとされている。
御伽話程度なのでレティシアは全くと言って良いほど信じていなかったが、情緒不安定になっている今は縋るような状態になっている。
木を殴るだけでは飽き足らず、髪を振り乱してご乱心状態だ。暗闇にいれば幽霊に遭遇したと、悲鳴をあげるくらいには恐ろしい状態になっている。
「ぐうぅっ……やるのよ、レティシア。そう、あいつらと同じ血が流れているのだから、出来ないなんてことないわ。ええ、何を今更善人ぶっているのかしら。あいつらと同じ血が流れている時点で大罪人よ。怖気付いたって仕方ないわ。でないと、コレット様が虐められるんだから」
ようやく落ち着いてきたレティシア。ため息を吐いて、その場に座り込む。
「はあぁ。なんだか急に疲れたわ……あらやだ。手から血が出てる」
興奮していたせいで気が付かなかったが、殴っている時に傷つけてしまったのだろう。
前回と違い、殴る時に魔法を使っていなかったのが原因だ。
遅れて痛覚が仕事を始め、じんじんと痛み出してくる。
流石に折れてはいない様だが、どんどん出血して地面に血が滴り落ちる。
「……ちょっと、やり過ぎたわ。流石に保健室へ行きましょう。なんて言い訳しようかしら」
ハンカチで傷口を抑えながら、立ち上がる。
その時にスカートの裾が汚れているのを思い出し、厄介だなとレティシアは思う。
「貴族令嬢が泥だらけで怪我をしたなんて、どんな噂が出るかわかったものではないわ。泥だけでも落としてから行かないと」
血が付かない様に最善の注意を払いながら、スカートの汚れを落とす。
ザッと確認して、汚れが落ちたのを確認したレティシアは、保健室へと脚を進めたのだった。
◇◇◇
保健室へ行くと、教諭は血相を変えて近づいてきた。
「……誰ですか?」
「まあ、そんな怖い顔をなさらないでください。ただうっかりしていただけですわ」
「最近、色々な話を聞きます。本当に何もないのですか?」
「はい。余計な心配をかけて申し訳ありません」
出来た人だな、とレティシアは思う。
色々話を聞いているのであれば、レティシアの悪い噂も聞いているだろうに。
それでも心配してくれているのだ。誰かに傷つけられたのではないかと。
これに関してはレティシアが暴走した結果なので、心苦しいにも程がある。
全く、誰も関係ない。
教諭はテキパキと治療をしながら言った。
「……わかりました。今回は、信じましょう。けれど、公爵令嬢の貴女が傷つけられたら、重大な犯罪ですよ。殿下の婚約者でもあるのですから」
「はい。肝に銘じておきますわ」
余計な冤罪者が出ないように。と心の中で付け加える。
確かに、ジルベールの婚約者である今は、準王族という立場だ。王族に連なるものが攻撃されたという事は、最悪国家転覆を狙っているという判断をされかねない。
それこそ、ゲームでジルベールと婚約したコレットを暗殺しようとしたレティシアが、処刑されたように。
一部の人間を巻き込もうとしているが、処刑にしたいわけではない。
もう少し慎重になろうと思ったのだった。
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