20 / 29
ピーテルに消えた雨 Ⅰ
赦しⅢ
しおりを挟む「ミハイル見て! あぁ凄い!」
「うん、凄いね」
「あれは何のお祭りなんですか?」
「くつを飛ばすんだ。そうやって来年の運気を占ってる」
「とても鮮やかな花ね。冬にもこんな綺麗な花が売ってるなんて」
「マーガレットと、この木は梅だね」
「うめ?」
「そう、中国からやってきた花木」
「中国……遠いんですか?」
「ここからは遠いかな。でも隣の国だよ。行こうと思えば行ける距離」
「わぁ美味しい! ねミハイルもそう思わない?」
「うん、思うよ」
無邪気な彼女のひとつひとつの問いかけに、ミハイルは微笑みながら答えた。
空には天使の梯子がかかり、陽の柱が神秘的なまでに美しく、それは、白いモヤが掛かった幸せな夢の中にいると勘違いをしてしまいそうなほど、煌めいた空間だった。
幼かったいつか、こんな夢を見ただろうかーー。
この景色に対して酷く郷愁をそそるのに、溢れ出てくる感情は生まれて初めてのものだった。
マースレニツァは庶民と同じ格好で楽しもうと二人で決め、ミハイルもレイラも至ってシンプルで質素な格好をしているせいか、二人はとても街に馴染んでいた。
兄妹、もしくは恋人同士だろうと、誰もがそう思うほどに、二人は自然に言葉を交わしている。
ピーテルの中心街にかかる川の橋を歩いている途中、レイラは不思議そうにミハイルを見上げた。
「ねぇ、ミハイル」
「ん? なに?」
「あれ……なにをしているんですか?」
「あぁ、あれは……」
レイラが指を差したのは、凍った川でスケートを楽しむ一般庶民の子供達だった。
「スケート靴の刃で模様を付けているんだよ」
「え? 移動をする訳じゃないの? 氷に模様を描くのって、それってとても偉い人たちの嗜みじゃ」
口に手をあてて驚くレイラ。
スケート靴は高級品ということもあって、ルーガでそんな遊びをすれば最後「どんな貴族の真似事だ、さっさと働け」と笑われるのがおちなのだ。
ミハイルは「……見てみる?」と優しく微笑みかける。
「え、えぇ」
その後二人は橋の下まで降り、「俺の方が上手い!」と競い合う子供たちを眺めては談笑した。
しかしふとレイラの子供たちを見つめる表情はどこか真剣で、切なげで、その気持ちを理解できるミハイルは一歩レイラの傍に寄った。
「ここピーテルじゃ誰でも出来るよ。笑われる事でも、特別な事でもない」
慰めのつもりで言ったわけじゃない。
慰めたいわけでもなかった。
ただミハイルはレイラに、自分もその気持ちを理解できる側の人間なのだと、ふと、そうひたすらに伝えたくなった。
そんな心を知りもしないレイラは、僅かな劣等感と共に俯き笑う。
「ふふ……今、私の事少し可哀想だと思いました?」
「いや! そんなことないよ!」
「感動しているんですよ? 知らないことは知らないままでいた方が私みたいな……人は幸せだと思ってたけど、でも、そんなことないのね。羨ましいって思うだけじゃ、きっとだめで。……何だかミハイルと居る自分が恥ずかしくなっちゃう」
その泣きそうに微笑む瞳は自分とは似ても似つかないほど透き通っていて、しばらく掛ける言葉を探していた。
神に置いてけぼりにされたような気持ちになるのと同時に安堵も抱いている自分に気付き、ミハイルは軽く息を吸う。
「レイラは……」
ーー綺麗だよ。ここに居る誰よりも綺麗だから、そんなに自分を卑下しないでとそう言いたかったミハイル。
その言葉を飲み込んだのは、下心がない、純粋なまでの本心からの言葉と分かってもらえるか不安だったから。
苦笑いと共に吐き出す。
「大人過ぎる」
「えっ私が?」
「俺よりずっと若いのに、レイラの方が大人みたいだ」
「それ本気で言ってるんですか? どっからどう見てもミハイルの方が博識で、上品で、余裕があって、身分だってーー」
「はい! それ以上褒めても何も出てこないから、あっち行ってみよう」
違いを次々と並べ立てられ、一線を引かれる事に堪えられなくなったミハイルはレイラの手を取り駆け出す。
レイラのまとうシンプルな水色のワンピースの裾と、白いマフラーが冷たい風に揺れ、ミハイルはぎこちなく笑い、レイラはポカンとその手を見つめている。
二人の心が微かに揺れ始めた時だった。
このあとミハイルとレイラはスケート靴に履き替え、凍った川に並ぶ出店を楽しんだ。
帰りは、子供たちが氷に模様を付けていたのをならって、ミハイルはレイラの手を取り、花の模様を共に描き、子供に帰ったかのようにはしゃいだ。
「レイラ上手くないか!?」
「私、才能あるかもしれない」
ふざけたように目を細めてレイラは笑った。
「とても初めてとは思えないよ」
「ミハイルに褒めていただけるなんて光栄ですわ」
「俺はいつだって褒めてるけどな」
店に出勤する途中のリーナは、ふと立ち止まる。
なぜなら、見知った顔が見違えるほど美しい姿で紳士と二人で小さなパンケーキを口にしながら、楽しそうに言葉を交わしていたから。
ーー生きる世界が違う人同士が純粋に会話をするって、とっても難しい事なのよーー
レイラに忠告したあの日。
自らの経験もあるが、本当はそうなって欲しかったから、言っただけだった。
目を引くほど麗しい容姿の二人に、リーナは戸惑いげに眉を顰める。
若いのに群れず、誰にも弱音ひとつ吐くことなくひたすら働き家族に仕送りを続けたレイラ。
どんな富豪の口説き文句にも、どんな芸術家の自慢にも、愛想笑いひとつ返さなかった。
そんな芯の強い子が富豪の息子ーーミハイルにあんな笑顔を向けるなんて。
あれが私が得られなかった運命なのだろうか。
それとも、あの二人も次第に強くなっていく欲に崩れ落ちてしまうのだろうか、私とあの人のようにーー。
リーナはレイラに見つからないよう、顔を伏せてそそくさとその場を去った。
レイラのアパートの前。陽も落ちかける頃、幸せだった一日は終わろうとしている。
「ミハイル……今日は、本当にありがとうございました」
「いいんだ。こちらこそ、付き合ってくれてありがとう」
「多分きっと、忘れられない思い出になりました」
レイラは満足感から満面の笑みで言い切ったものの、それは、来年はミハイルの元にいないーーというような言い草で、ミハイルは不安を覚える。
「来年もまた、行こう」
ざわめく街の音の中、レイラは微笑み「えぇ。ありがとうございます。それじゃあ……」と、あっさりとミハイルに別れを告げようとする。
その背中を見せられる感覚に、底知れぬ不安を覚えたミハイルは焦って「あ、レイラ」と思わず声をかけてしまった。
「はい」
ふと振り向いてくれた姿に言葉を詰まらせると、レイラは肩をすくめながら小さく笑う。
その、心を隠されたような笑みを瞳に映したミハイルは、ゆっくりと1歩あとずさる。
「おやすみ」
「おやすみなさい。いい夢を」
ニコッと笑った彼女は一人でアパートの中へと入っていった。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。
ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。
彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。
「誰も、お前なんか必要としていない」
最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。
だけどそれも、意味のないことだったのだ。
彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。
なぜ時が戻ったのかは分からない。
それでも、ひとつだけ確かなことがある。
あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。
私は、私の生きたいように生きます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる