元平民だった侯爵令嬢の、たった一つの願い

雲乃琳雨

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1、二人の結婚

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 ニナリアは今日結婚する。相手は魔物討伐の功績で辺境領と、子爵位を賜り、そして侯爵家の令嬢を娶ることになった、平民出身の騎士だ。名前は聞いていない。
 ニナリアは元平民で、今も扱いは平民の形だけのバートン侯爵家の令嬢だ。病気で亡くなった父が侯爵家の跡取りだったことから父を探しに来た祖父は、ニナリアを潜伏先の家から無理やり、この家に連れてきたのだ。

 突然連れてこられて、しばらくは気に入らないと背中を鞭で打たれた。そして最後は従姉の代わりに褒賞として結婚させられる。強引な政略結婚を防ぐため、この国の結婚年齢は18歳からとなっている。ニナリアは18歳になったばかりだ。

「平民出身の粗暴な騎士ですって。平民のあなたにピッタリね。あなたの背中の傷を見たらなんて言うかしら!」

 従姉のシェイラはニナリアをいつも嘲笑った。本来ニナリアが直系なので、それを牽制するためだ。

「伯父様が今も跡取りなら、あなたは存在していないのよ」

 結婚が決まってから、ニナリアの生活は一変した。メイドの仕事をしていたがそれもなくなった。背中の傷に薬を塗られて手当てをしたが、古い傷跡は消えなかった。背中は傷でボロボロだ。

(もう鞭でぶたれることもない。あの痛みにずっと耐えてきた)
(ずっと考えていた。この家の連中を一番困らせる方法。貴族の世界はもう沢山よ)

 美しい花嫁衣装を着たニナリアは、質素な部屋の窓辺に腰かけて、父と母の三人で暮らしていたころの楽しい姿を思い浮かべた。

 ノックがしてもニナリアは無視していた。ドアが開いて騎士が入ってくる。少し長い金髪に碧眼の、騎士らしいしっかりした体格の美しい男性だった。相手がこの人ならいいなと思った。ニナリアは立つとすぐに短剣を取り出して、自分の喉元に向けた。

(結婚式の前に命を絶ったら、さぞ困るでしょうね)

 もちろん死ぬつもりはない。ニナリアにはやるべきことがあるからだ。
 その騎士は驚いたが、静かな声で言った。

「今日一日大人しくしていたら、願いを一つ叶えよう」

 この人なら話が分かりそうだ。ニナリアは剣を降ろすと、大人しく従うことにした。子爵家の馬車に乗り、侯爵家から出て教会に向かった。同乗したのは、この騎士だった。上下白の婚礼用の衣装を着ていた。

(この人が結婚相手なんだ)

 ニナリアは少しほっとした。


 結婚式は無事に終わった。侯爵家の者は誰も出席しなかった。出席者は、子爵家の従者と、子爵の主人である第一王子だけだった。披露宴もなく、終わったらまたすぐに馬車に乗って辺境領へ向かった。ニナリアの荷物は、トランク一つだけだった。中身もスカスカで、ノートと替えの下着が二組とハンカチと清潔な布、ちり紙、生理用品、ピンクの液体と白い粉が入った小さなひも付きの瓶が二つだけだった。

 馬車の中で子爵は、ニナリアをじっと見つめた。二人きりだし、ニナリアは恥ずかしくなる。

(なんでこの人は、じっと見つめるのかしら? すごく恥ずかしい)

 心の中では、両頬を抑えていた。実際は、両手を膝の上で握って目をつむって耐えているだけだった。
 子爵はふと言葉を漏らす。

「美しい」
(え??? なに? 私のこと?)

 ニナリアは男の人にそんなことを言われたことがなかった。侯爵家で、ニナリアに言い寄れば立場が悪くなるから、寄ってくる者はいなかった。若いメイドたちとは仲良くなれたけど。

(もういいや、早く言わなきゃ)

 妙な雰囲気になる前に、ニナリアは早速願い事を言った。

「私を自由にしてちょうだい」
「子爵領では自由にできる」
(そういうことじゃない)「離婚するってこと」
「この結婚は、国王の命令だ。お前と別れる気はない。それ以外で聞き届けよう」

(は、それじゃあ何も変わらないじゃない)

「じゃあ白い結婚にして。あなたから見れば私はまだ子供でしょ」
「それは義務だ。それ以外で」
「あなた叶える気ないでしょ」(この人、私と本当に夫婦になるつもりなの?)

「俺は19で、お前とそう変わらない」
(19⁉ 意外と若い。外見からもっと上だと思った)
「聖剣のせいだ。俺はソードマスターだから、聖剣に合わせて成長が早くなったようだ」
(ソードマスターは聞いたことがある。聖剣に選ばれた騎士のことだ。それで、国王からの褒賞も格別だったのね)

 ソードマスターはこの世に一人いるかいないかの貴重な存在だ。その戦力は一国をも破壊すると言われている。王家が手元に置いておくためだろう。それなら、なおのこと自分では分不相応だ。

「あなたは知らないでしょうけど、私の父は侯爵家の跡取りだったけど、私はただの平民で何の教育も受けていないし、何の価値もないのよ」
「俺も平民だ。貴族の令嬢には興味がない。この結婚は血統の問題だ。お前には侯爵家の血が流れているから問題ない」
(くうう~。こうなったら)

 子爵は取り付く島もなかった。ニナリアは背中を向ける。

「仕方ないから、一つのお願いは、背中のボタンをはずしてくれる? きつくて死にそうなの」
「ボタンぐらい、いつでも外す。わざと言わなかったな」
「そうよ。倒れるかと思ったけど、倒れなかった」

 ニナリアはハハと笑った。子爵はすぐにボタンを外すと、背中の傷が見える。

「この傷は?」
「初めは祖父が鞭で叩いたのよ。メイドになってからは、メイド長が叩いた。二人とも傷の手当てはしなかった。メイド長は私のことが嫌いだからドレスもわざと小さいものを作って、今日は朝から何も食べさせてもらってないの」

 子爵は白の婚礼用の上着を脱ぐと、ニナリアに着せた。持っていた袋から非常用の干した果物を出すとニナリアに渡す。ニナリアは、果物を急いで食べた。子爵は夢中で食べる姿が、リスみたいだと思って笑った。子爵は持っていた水筒も渡した。

「俺は、アレン・ラディーだ」
(結婚式で司祭が言ってたわね)「侯爵家では名前も教えてもらえなかった」

 祖父に急に呼ばれて、行った部屋には祖父と叔父夫婦、娘のシェイラがいた。その場で、シェイラの代わりに結婚させられる話を聞かされた。侯爵家はシェイラを王子妃にするつもりだったからだ。
 祖父の顔は深いしわが刻み込まれて普段は険しい表情しか見せないが、その時は珍しく喜んで、いやらしく笑った。

『引き取ってちょうど良かった』

(無理やり連れてきたくせに)

 ニナリアは思い出して腹が立った。でももう、あの家の人達と顔を合わせなくていい。そう考えるとスッキリした。次の問題は目の前の、一筋縄ではいかないこの人だ。


 宿場の簡易の宿屋に泊まることになった。宿のご飯は久しぶりのおいしい食事だった。侍女はいないので自分でお風呂に入って、ゆっくりできた。
 部屋はアレンと同室だった。大き目のベッドが一つしかない。ニナリアはベッドの片側に座っていた。アレンは部屋に入ってくると迷わずニナリアの前に来て、軽く口づけをした。アレンはつぶやく。

「この時をどれだけ待ったことか。──体の力を抜け」

 それはできなかった。

(だって、流されてしまうから)

 でも無駄な抵抗だった。深く口づけをされた後は、そうする他なかった。
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