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Case14.隠された真実
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「名前」
出し抜けに発せられた一言を、すぐには咀嚼できなかった。驚愕の声と、首を傾げるのが同時になるほどに。
未だ全てが飲み込めない私に対して、東さんは気にすることなく続ける。
続けられた言葉で、私は更に驚愕し、同時に全てを理解した。
この事件の、真相を。
ーカイリ『炎の復讐』第5章ー
※
「警察です。お話よろしいですか?」
爆破事件の翌日、2人は杉浦佑樹の友人のマンションを訪れた。
杉浦は腕や頬に火傷を負っていたが、煙は吸わず、入院するほどの事態にはならなかったらしい。彼は病み上がりに押しかけてくる2人に明確な嫌悪を向けたが、友人は気にすることなく、事情を察して家を出て行った。
「警察は、こんな所まで押しかける権利があるんですか」
「押しかけるという言葉は否定はしませんが、事件解決のためです」
「俺は犯人じゃない」
「誰もが口を揃えてそう言いますよ」
海里と杉浦の問答は、今にも殴り合いが始まりそうな剣幕だった。龍は2人の間に入り、言葉を継ぐ。
「迷惑であることは承知しています。
しかし、あんな事件が起こった以上、捜査を強化するしか方法がありません。その手立てとして、犯人か否かは考えず、生存者に話を聞くことにしているんです。
ですから、断じて杉浦さんが犯人だと決めてかかっているわけではない。そこを理解した上で、もう1度話をお聞かせ願えませんか」
「・・・・分かりました」
龍は海里の態度を諫めた後、杉浦の事情聴取を始めた。
「昨日の爆発が起こった時間帯ーー15時30分頃、自宅にいらっしゃいましたよね? ご職業は看護師とお聞きしていますが、昨日はなぜお仕事に行かれていなかったのですか?」
「妹が体調を崩して、看病に行っていたんですよ。職場に風邪を持ち込むのは憚られますから、先輩に一報入れて、妹が落ち着いた後に帰宅したんです。証拠が見たければ、どうぞ」
そう言いながら、杉浦はスマートフォンのメッセージアプリを開いて見せた。昨日の日付に、妹とのやり取りが残されている。
“急にごめん、お兄ちゃん。風邪ひいちゃったみたいなんだ。熱があるから、起き上がるのもしんどくてさ。風邪薬とか果物とか、買って来てくれないかな? 仕事忙しいだろうに、本当ごめんね。”
時刻は丁度14時。前日に夜勤だったため、昼まで眠って仕事の準備に取り掛かったところで連絡が来たと杉浦は続けた。
爆発したタワーマンションの近くには薬局とスーパーがあり、大概の物はそこで揃えることができた。杉浦の返信は買いに行く物を伝えていて、妹の家と自宅を往復する時間を考えても、帰宅した直後に爆発に巻き込まれたことは納得できた。念のため、スーパーと薬局の防犯カメラを確認しても良いだろうと龍は思う。
「これでどうです?」
「ありがとうございます。行くか」
「はい。あ・・・・もう1つ、お聞きしても?」
立ち去ろうとする龍を尻目に、海里は尋ねた。杉浦は呆れながらも、彼に先を促した。
「爆弾は甘味さんの部屋に仕掛けられていました。お互いの部屋を訪れる程度に仲が深かったと聞いています」
「変な言い方をしないでください」
「失礼。事件の数日前に彼女の部屋を訪れていますよね? その時、何か変わった様子はありませんでしたか?」
杉浦はその質問に首を傾げた。腕を組み、考える姿勢を取る。
「変わった様子・・・・? いや、別にありませんでしたよ。誰かから恨まれるような人でもなかったから、犯人から適当に狙われてしまったんでしょう」
「・・・・そうかもしれませんね。ありがとうございました」
※
「江本、お前感情的に質問し過ぎだ。あんなの、誰だって気を悪くするぞ。もう少し落ち着いて話を聞け」
「すみません。つい」
杉浦のアリバイを確認した2人は、もう1人の容疑者・|古海理恵子がいるという住所へ向かった。
「友人関係・・・・」
通り過ぎる景色を車窓から見つめながら、海里は呟いた。龍は不思議そうに視線を動かす。
「亡くなった甘味さんと、杉浦さんは友人関係でした。しかし、先ほどの言葉は心ないと言いますか、残酷では?」
「そうか? 別に幼馴染みでもなく、年齢が近いから打ち解けただけなんだろ? 近所付き合いなんて、今はそんなに重くないさ」
不可解な思いを抱えながら、2人は住所通りの場所に到着した。しかし、そこは古海の自宅ではなく、昨日の爆破事件で行く宛のない人々を一時的に保護した避難所だった。親切な誰かが声を上げたらしい、と龍は説明する。
車から降りた2人は、避難所を見て目を丸くした。中世ヨーロッパの城のように豪華な邸宅は、避難所というよりは貴族の屋敷だった。煉瓦造りの3階建てで、敷地も広い。真っ白な塀が長く伸び、黒い門は2mほどである。
しかしそんな驚きも束の間、龍はすぐにインターフォンを押した。数秒後、玄関扉と門が開き、1人の青年が現れた。
「警察の方ですか?」
「はい。古海理恵子さんがこちらにいらっしゃるとお聞きしたのですが」
「古海様・・・・? 先日の爆発事件の避難者の1人でしょうか。取り敢えず、お上がりください」
真っ黒な燕尾服と白い手袋をした青年は執事のようだった。彼の口ぶりからして、この家には2人の想像よりも多くの避難者がいると予想できた。
「こちらのどこかにいらっしゃいます」
青年は2人を引き連れて玄関を通り抜け、短い通路を歩いた後、宴会場のような大広間に2人を通した。そこには大勢の避難者がおり、人数に従って作られた仕切りの中で、それぞれの生活をしていた。よく見ると生活用品は全て同じであり、家主が用意したようだった。随分と親切な人がいるものだと海里は感じる。
大広間の奥に、古海理恵子の姿があった。丁度仕切りが少しだけ開いており、姿が見えたのだ。
海里は執事に礼を言い、古海理恵子に声をかけた。
「古海理恵子さんですね?」
「そうですけど何か?」
名前を呼ばれても、古海は振り向かなかった。龍は、いきなり見知らぬ人物から声をかけられたら、誰でもこうなるだろうと思いつつ、海里の後を追い、声をかけて警察手帳を見せた。彼女は渋々と言った表情でパソコンを閉じ、2人の方を向いた。
「先日の事件でお聞きしたいことがあって、お伺いしました」
穏やかな海里の口調に反して、古海は軽い溜息の後、答える。
「何? 家にいた理由? 前にも言ったじゃないですか。私は在宅ワーク。仕事をしてたんです。それ以上答えることはありません」
口調には怒りが滲んでいた。しかし、海里は動じることなく口を開く。
「部屋にいたのに、怪我をされなかったんですね」
「は?」
古海が眉を顰めた。海里は続ける。
「甘味さんが住んでいた40階と、あなたが住んでいた38階。そう遠くないでしょう? 階が離れていた方ですら亡くなったのに、無傷とは幸運だと思いまして」
「何なの、喧嘩売ってる?」
海里の言い方は、そう取られても仕方がなかった。しかし龍は止めることなく、黙って成り行きを見守っている。幸い周囲は生活音が響いているため、2人のやり取りは人々の耳に入っていなかった。
古海の言葉に海里は首を横に振って答えた。
「私はただ、不思議だと思ったことを述べているだけですよ」
次の瞬間、古海が海里に掴みかかろうと立ち上がった。しかし同時に、誰かがその腕を静かに止める。女性の手だった。
海里は驚いて自身の左側へ視線を移すが、垂らされた長い黒髪のせいで、女性の顔はよく見えなかった。唯一見えたのは、雪のように白い肌と筋の通った鼻だけだった。
「揉め事はよしてください。騒ぐと他の方の迷惑になりますし、最悪、出て行って頂きますよ」
落ち着いた声音だった。若い女性とは思うが、やはり分からない。
「・・・・ふんっ!」
古海が乱暴に手を離すと、女性は2人に軽く会釈をして、去って行った。「出て行ってもらう」と言った以上、恐らく家主だろうと思った。
一体、彼女は何者なのかーーそんな疑問が頭を駆け巡ったが、海里は思考を事件に戻し、次の言葉を探す。
「そのパソコン、見せて頂いても?」
先に龍が口を開いて尋ねた。古海は目を丸くしたが、ここで断れば立場が悪くなると思ったのか、黙ってパソコンを差し出す。
「ありがとうございます」
礼を述べて受け取った龍は、古海のために用意された机にパソコンを置き、自分のスマートフォンを弄りながら2つを見比べ始めた。何かを開いたり、凝視したりして、スマートフォンを弄り続ける。
1分も経たないうちに、龍は静かにパソコンを閉じ、スマートフォンを仕舞った。
「どうも。行くぞ」
「えっ・・・・もういいんですか?」
「ああ」
2人は古海と案内をしてくれた執事に礼を言い、屋敷を後にした。
「一体、何が分かったんです? 急に退散するなんて。」
「何も分かってはいないさ。調べるべきことを明確にしただけだ」
そう言いながら、龍は自分のスマートフォンを見せた。どうやら部下にメールを送っていたらしく、古海理恵子の過去と、職業について調べるよう書いてある。海里は首を傾げた。
「お前の言葉がヒントだ。
部屋が近いのに怪我を負わなかったーーあの言葉は確かに正しい。初めの爆発で、30階、もしくはそれより階下の住人でさえ怪我をしたんだ。38階の住人が怪我をしないのは、ビルにいなかった場合だけ。だが、お前も知っての通り、古海理恵子はビルにいた」
「つまり・・・・犯人は古海さんだと?」
結論を急ぐな、と嗜める声が飛ぶ。
「それをこれから確かめるのさ。古海理恵子は、頑なに職業を言わなかった。加えて、住人との近所付き合いがなく、経歴も全て不明。
初めから、他の容疑者より怪しいんだよ。他にも容疑者がいたから、同時進行で調べたけどな。爆発があって容疑者2人が命を落として杉浦佑樹が白だと分かった以上、疑うのは自然の流れだ」
「それだけで疑うんですか? もっと、こう・・・・決定打になる何かがないと納得できませんよ」
海里の言葉に、龍は少しの間答えず、これは既に調べていたことなんだが、と前置きして告げる。
「名前」
「えっ?」
出し抜けに告げられた言葉に海里は眉を顰めた。龍は何食わぬ顔で続ける。
「古海理恵子という名前の人物は、この世に存在しない。お前みたいにペンネームを持ってる線も考えたが外れ。
つまり、偽名ってことだ」
「偽名⁉︎ まさかそんなことーー」
あり得ない、と続けようとして、海里は屋敷に入った時のことを思い出す。龍は頷いた。
「そうだ。さっきの執事の反応が鍵だ。
大広間の隅には、身元が分かるよう名前を書く紙があった。当然、大勢の名前が連なっていたが、家族は代表して書いてあった。お前も、家族が多いのは見ただろ?」
「はい。そう考えると、急激に人は減る。執事の方が1人でも、家主と協力すれば把握できますね」
「その通り。もし、あの屋敷で名乗ったのが本名なら、“古海”という名前が分からなくても不思議はない」
バラバラになっていたパズルが、一気に完成したような感触を覚えた。
古海理恵子は存在しない。彼女は偽名を名乗っている。
その理由はもう、明白だった。
出し抜けに発せられた一言を、すぐには咀嚼できなかった。驚愕の声と、首を傾げるのが同時になるほどに。
未だ全てが飲み込めない私に対して、東さんは気にすることなく続ける。
続けられた言葉で、私は更に驚愕し、同時に全てを理解した。
この事件の、真相を。
ーカイリ『炎の復讐』第5章ー
※
「警察です。お話よろしいですか?」
爆破事件の翌日、2人は杉浦佑樹の友人のマンションを訪れた。
杉浦は腕や頬に火傷を負っていたが、煙は吸わず、入院するほどの事態にはならなかったらしい。彼は病み上がりに押しかけてくる2人に明確な嫌悪を向けたが、友人は気にすることなく、事情を察して家を出て行った。
「警察は、こんな所まで押しかける権利があるんですか」
「押しかけるという言葉は否定はしませんが、事件解決のためです」
「俺は犯人じゃない」
「誰もが口を揃えてそう言いますよ」
海里と杉浦の問答は、今にも殴り合いが始まりそうな剣幕だった。龍は2人の間に入り、言葉を継ぐ。
「迷惑であることは承知しています。
しかし、あんな事件が起こった以上、捜査を強化するしか方法がありません。その手立てとして、犯人か否かは考えず、生存者に話を聞くことにしているんです。
ですから、断じて杉浦さんが犯人だと決めてかかっているわけではない。そこを理解した上で、もう1度話をお聞かせ願えませんか」
「・・・・分かりました」
龍は海里の態度を諫めた後、杉浦の事情聴取を始めた。
「昨日の爆発が起こった時間帯ーー15時30分頃、自宅にいらっしゃいましたよね? ご職業は看護師とお聞きしていますが、昨日はなぜお仕事に行かれていなかったのですか?」
「妹が体調を崩して、看病に行っていたんですよ。職場に風邪を持ち込むのは憚られますから、先輩に一報入れて、妹が落ち着いた後に帰宅したんです。証拠が見たければ、どうぞ」
そう言いながら、杉浦はスマートフォンのメッセージアプリを開いて見せた。昨日の日付に、妹とのやり取りが残されている。
“急にごめん、お兄ちゃん。風邪ひいちゃったみたいなんだ。熱があるから、起き上がるのもしんどくてさ。風邪薬とか果物とか、買って来てくれないかな? 仕事忙しいだろうに、本当ごめんね。”
時刻は丁度14時。前日に夜勤だったため、昼まで眠って仕事の準備に取り掛かったところで連絡が来たと杉浦は続けた。
爆発したタワーマンションの近くには薬局とスーパーがあり、大概の物はそこで揃えることができた。杉浦の返信は買いに行く物を伝えていて、妹の家と自宅を往復する時間を考えても、帰宅した直後に爆発に巻き込まれたことは納得できた。念のため、スーパーと薬局の防犯カメラを確認しても良いだろうと龍は思う。
「これでどうです?」
「ありがとうございます。行くか」
「はい。あ・・・・もう1つ、お聞きしても?」
立ち去ろうとする龍を尻目に、海里は尋ねた。杉浦は呆れながらも、彼に先を促した。
「爆弾は甘味さんの部屋に仕掛けられていました。お互いの部屋を訪れる程度に仲が深かったと聞いています」
「変な言い方をしないでください」
「失礼。事件の数日前に彼女の部屋を訪れていますよね? その時、何か変わった様子はありませんでしたか?」
杉浦はその質問に首を傾げた。腕を組み、考える姿勢を取る。
「変わった様子・・・・? いや、別にありませんでしたよ。誰かから恨まれるような人でもなかったから、犯人から適当に狙われてしまったんでしょう」
「・・・・そうかもしれませんね。ありがとうございました」
※
「江本、お前感情的に質問し過ぎだ。あんなの、誰だって気を悪くするぞ。もう少し落ち着いて話を聞け」
「すみません。つい」
杉浦のアリバイを確認した2人は、もう1人の容疑者・|古海理恵子がいるという住所へ向かった。
「友人関係・・・・」
通り過ぎる景色を車窓から見つめながら、海里は呟いた。龍は不思議そうに視線を動かす。
「亡くなった甘味さんと、杉浦さんは友人関係でした。しかし、先ほどの言葉は心ないと言いますか、残酷では?」
「そうか? 別に幼馴染みでもなく、年齢が近いから打ち解けただけなんだろ? 近所付き合いなんて、今はそんなに重くないさ」
不可解な思いを抱えながら、2人は住所通りの場所に到着した。しかし、そこは古海の自宅ではなく、昨日の爆破事件で行く宛のない人々を一時的に保護した避難所だった。親切な誰かが声を上げたらしい、と龍は説明する。
車から降りた2人は、避難所を見て目を丸くした。中世ヨーロッパの城のように豪華な邸宅は、避難所というよりは貴族の屋敷だった。煉瓦造りの3階建てで、敷地も広い。真っ白な塀が長く伸び、黒い門は2mほどである。
しかしそんな驚きも束の間、龍はすぐにインターフォンを押した。数秒後、玄関扉と門が開き、1人の青年が現れた。
「警察の方ですか?」
「はい。古海理恵子さんがこちらにいらっしゃるとお聞きしたのですが」
「古海様・・・・? 先日の爆発事件の避難者の1人でしょうか。取り敢えず、お上がりください」
真っ黒な燕尾服と白い手袋をした青年は執事のようだった。彼の口ぶりからして、この家には2人の想像よりも多くの避難者がいると予想できた。
「こちらのどこかにいらっしゃいます」
青年は2人を引き連れて玄関を通り抜け、短い通路を歩いた後、宴会場のような大広間に2人を通した。そこには大勢の避難者がおり、人数に従って作られた仕切りの中で、それぞれの生活をしていた。よく見ると生活用品は全て同じであり、家主が用意したようだった。随分と親切な人がいるものだと海里は感じる。
大広間の奥に、古海理恵子の姿があった。丁度仕切りが少しだけ開いており、姿が見えたのだ。
海里は執事に礼を言い、古海理恵子に声をかけた。
「古海理恵子さんですね?」
「そうですけど何か?」
名前を呼ばれても、古海は振り向かなかった。龍は、いきなり見知らぬ人物から声をかけられたら、誰でもこうなるだろうと思いつつ、海里の後を追い、声をかけて警察手帳を見せた。彼女は渋々と言った表情でパソコンを閉じ、2人の方を向いた。
「先日の事件でお聞きしたいことがあって、お伺いしました」
穏やかな海里の口調に反して、古海は軽い溜息の後、答える。
「何? 家にいた理由? 前にも言ったじゃないですか。私は在宅ワーク。仕事をしてたんです。それ以上答えることはありません」
口調には怒りが滲んでいた。しかし、海里は動じることなく口を開く。
「部屋にいたのに、怪我をされなかったんですね」
「は?」
古海が眉を顰めた。海里は続ける。
「甘味さんが住んでいた40階と、あなたが住んでいた38階。そう遠くないでしょう? 階が離れていた方ですら亡くなったのに、無傷とは幸運だと思いまして」
「何なの、喧嘩売ってる?」
海里の言い方は、そう取られても仕方がなかった。しかし龍は止めることなく、黙って成り行きを見守っている。幸い周囲は生活音が響いているため、2人のやり取りは人々の耳に入っていなかった。
古海の言葉に海里は首を横に振って答えた。
「私はただ、不思議だと思ったことを述べているだけですよ」
次の瞬間、古海が海里に掴みかかろうと立ち上がった。しかし同時に、誰かがその腕を静かに止める。女性の手だった。
海里は驚いて自身の左側へ視線を移すが、垂らされた長い黒髪のせいで、女性の顔はよく見えなかった。唯一見えたのは、雪のように白い肌と筋の通った鼻だけだった。
「揉め事はよしてください。騒ぐと他の方の迷惑になりますし、最悪、出て行って頂きますよ」
落ち着いた声音だった。若い女性とは思うが、やはり分からない。
「・・・・ふんっ!」
古海が乱暴に手を離すと、女性は2人に軽く会釈をして、去って行った。「出て行ってもらう」と言った以上、恐らく家主だろうと思った。
一体、彼女は何者なのかーーそんな疑問が頭を駆け巡ったが、海里は思考を事件に戻し、次の言葉を探す。
「そのパソコン、見せて頂いても?」
先に龍が口を開いて尋ねた。古海は目を丸くしたが、ここで断れば立場が悪くなると思ったのか、黙ってパソコンを差し出す。
「ありがとうございます」
礼を述べて受け取った龍は、古海のために用意された机にパソコンを置き、自分のスマートフォンを弄りながら2つを見比べ始めた。何かを開いたり、凝視したりして、スマートフォンを弄り続ける。
1分も経たないうちに、龍は静かにパソコンを閉じ、スマートフォンを仕舞った。
「どうも。行くぞ」
「えっ・・・・もういいんですか?」
「ああ」
2人は古海と案内をしてくれた執事に礼を言い、屋敷を後にした。
「一体、何が分かったんです? 急に退散するなんて。」
「何も分かってはいないさ。調べるべきことを明確にしただけだ」
そう言いながら、龍は自分のスマートフォンを見せた。どうやら部下にメールを送っていたらしく、古海理恵子の過去と、職業について調べるよう書いてある。海里は首を傾げた。
「お前の言葉がヒントだ。
部屋が近いのに怪我を負わなかったーーあの言葉は確かに正しい。初めの爆発で、30階、もしくはそれより階下の住人でさえ怪我をしたんだ。38階の住人が怪我をしないのは、ビルにいなかった場合だけ。だが、お前も知っての通り、古海理恵子はビルにいた」
「つまり・・・・犯人は古海さんだと?」
結論を急ぐな、と嗜める声が飛ぶ。
「それをこれから確かめるのさ。古海理恵子は、頑なに職業を言わなかった。加えて、住人との近所付き合いがなく、経歴も全て不明。
初めから、他の容疑者より怪しいんだよ。他にも容疑者がいたから、同時進行で調べたけどな。爆発があって容疑者2人が命を落として杉浦佑樹が白だと分かった以上、疑うのは自然の流れだ」
「それだけで疑うんですか? もっと、こう・・・・決定打になる何かがないと納得できませんよ」
海里の言葉に、龍は少しの間答えず、これは既に調べていたことなんだが、と前置きして告げる。
「名前」
「えっ?」
出し抜けに告げられた言葉に海里は眉を顰めた。龍は何食わぬ顔で続ける。
「古海理恵子という名前の人物は、この世に存在しない。お前みたいにペンネームを持ってる線も考えたが外れ。
つまり、偽名ってことだ」
「偽名⁉︎ まさかそんなことーー」
あり得ない、と続けようとして、海里は屋敷に入った時のことを思い出す。龍は頷いた。
「そうだ。さっきの執事の反応が鍵だ。
大広間の隅には、身元が分かるよう名前を書く紙があった。当然、大勢の名前が連なっていたが、家族は代表して書いてあった。お前も、家族が多いのは見ただろ?」
「はい。そう考えると、急激に人は減る。執事の方が1人でも、家主と協力すれば把握できますね」
「その通り。もし、あの屋敷で名乗ったのが本名なら、“古海”という名前が分からなくても不思議はない」
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その理由はもう、明白だった。
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