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Case15.本来の姿
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『江本、俺だ。』
「こんな夜中に電話なんて、珍しいですね。捜査、終わったんですか?」
『ああ。“予想外”の結果だ。メールで転送したから見てくれ。』
海里は転送されたメールを開いた。彼は、思わず目を見開き、言葉を失う。そこには、本当に“予想外”の結果が記されていたのだ。
「なるほど・・・・そういうことだったんですね。」
『驚きだろ? 俺も目を疑った。』
いつもの口調で龍は言った。海里はなぜだろうと思いつつ、小さな溜息をつく。
「ええ。そして何より・・・・悲しい。彼女が隠した、真実が。」
※
「急なお呼び立て、申し訳ありません。古海さん。」
海里は、古海理恵子を都内のレストランに呼び出した。古海は先日と変わらぬ不審な目を向けながら、紅茶を啜った。
「別に構わないけど、急いでくれる方がありがたいですね。仕事が・・・・」
「武器商人でしたっけ?」
古海の顔色が変わった。海里は笑って続ける。
「まあ、普段は漫画を描いていらっしゃるんですよね? 武器商人はおまけ、と言ったところですか。」
「・・・・どうして。」
古海は、震えながら尋ねた。漫画家はともかく、武器商人のことは、知られないと思っていたらしい。
「警察の捜査の結果、としか言いようがありませんね。とにかく、古海理恵子さん。今回の事件の犯人は、あなたです。それは間違いありません。」
「何を根拠にそんなこと。それに、私が武器商人を始めたのは2年前の話よ? 事件の犯人だなんて、あり得ない。」
あっさりと武器商人のことを認めたが、海里は気に留めなかった。早く認めてくれた方が、彼としても助かるのだ。
海里は深く頷く。
「ええ。あなたは、“2年前の事件の犯人ではありません”。あなたは、今回の“爆破事件”の犯人です。そうでしょう?」
落ち着き払った海里の声に、古海は何も言わなかった。
「あなたの経歴を調べさせて頂きました。幼い頃から機器類に興味があり、大学では機械工学を学んだ。その時、爆弾の製作に準ずる知識も得たはずです。
ただ、爆弾を手に入れるのは難しい。身近なもので作れると聞きますが、下手に怪しまれたくはなかった。
結果、あなたは、武器商人という結論に辿り着いた。そうすれば、己の知識を売り、表の人々には怪しまれず、寧ろ裏の人々に知識を喜ばれながら、報酬として爆弾を手に入れることができますからね。」
古海は動揺していたが、なおも抵抗を続けた。
「なぜ私が爆破事件を起こす必要があったの? 動機は? 証拠は?」
「動機は一先ず置いておき、先に証拠の説明をしましょう。
あなたが犯人である証拠の1つは、警視庁に送られた“爆弾スイッチ”です。」
「あれの何が?」
ご存知なんですね、とは言わず、海里は続けた。
「箱です。」
「箱?」
海里は頷いた。
「ええ。爆弾が仕掛けられていた箱は、あなたと、2年前に亡くなった捜査一課の刑事・杉並亮さん、そして、彼の上司であった東堂さんしか知らない真実が隠されています。ここからは、東堂さんに聞いた話になるのですが・・・・」
海里は間を置き、ゆっくりと口を開いた。その顔には、仏のような笑みが浮かんでいる。
「亡くなった杉並亮さんには、大切な方がいたそうですね。あの箱は、大切な方が杉並さんに送られた手作りのプレゼント箱だとか。」
古海は言葉を失った。海里は続ける。
「手作りですから、同じ物はないでしょう。当時の写真を、東堂さんに見せて頂きましたよ。杉並亮さんが、メールで送られた写真を、残されていたそうです。
どうぞ、ご覧になってください。」
海里は自分のスマートフォンのアルバムを開き、机に置いた。そこには、警視庁に送られてきた、あの小さな箱がある。
型紙に色とりどりの布が縫い付けられ、側には先に外された真っ白なリボンが置かれている。箱の蓋には、可愛らしい丸文字で、“亮へ、誕生日おめでとう。”、と書かれてあった。プレゼントは腕時で、杉並亮は亡くなった日も付けていた、という龍の電話を思い出す。
唖然とする古海を他所に、海里は続けた。
「では、もう1つの証拠の話をしましょう。もう1つの証拠は、爆破事件の日の、あなたの体の状態です。」
「まさか・・・・!」
「あの日、あのビルではあなたを除いた全員が怪我を負った。小さな爆発によって、階下の方々も怪我をし、終いには瓦礫の下です。火傷も負わず、煙も吸わず、心身に何の問題も起こさなかったあなたが、犯人だと思うのはおかしいことではないはずです。」
淡々と述べる海里に、古海は歯を食いしばるだけだった。
「あなたが窓ガラスの破片でも何でも使って、怪我をしていれば少しは疑いが薄れましたよ。爆発が上手くいって上機嫌だったのでしょうが、痛恨のミスでしたね。」
「・・・・違う! 爆発が上手く行ったから上機嫌だったわけじゃない‼︎ 私は、あいつらを殺せて上機嫌だったの!」
怒鳴った直後、古海は自分の口を押さえた。海里の顔には、満足げな笑みが浮かんでいる。
「その言葉を待っていました。あなたは今、“あいつらを殺せて上機嫌だった”、と言った。その言葉こそ、あなたが今回の爆破事件の犯人であるという証拠なんですよ。」
「・・・・あ・・ああ・・・・」
古海は両手で顔を覆い、俯いた。指の間から、涙が溢れている。海里は笑みを消し、どこか悲哀を含んだトーンで、言葉を続けた。
「こんな事は、やるべきではなかったはずです。あの2人だけを殺せと言うわけではありませんが、あなたが犯したことは、歴とした殺人です。
・・・・皇孝治さんと甘味穂花さん。例えあの2人が殺人犯であったとしても、こんな復讐の仕方は間違っていた。」
海里の言葉に、古海は微かに頷いた。
「・・・・馬鹿なことだと・・自分でも、よく分かっていました。それでも、私の恨みは消えてくれなかった。」
「・・・・そうでしょうね。そうでなければ、あなたはあの事件を起こさなかったでしょう?
古海理恵子さん・・・・いいえ、“杉並理恵子”さん。」
古海ーーーーいや、杉並理恵子は、ゆっくりと顔を上げた。その顔には、さっきまでの怒りも、憎しみもなく、ただ悲しみだけが浮かんでいた。
海里はその表情を見て、眉を顰める。
「2年前のあの日、あなたは弟である杉並亮さんの死を知って絶望した。ご両親を幼い頃に亡くされていたのですから、唯一の家族・・・・あなたは、天涯孤独になった。」
理恵子は頷いた。涙を拭きながら、彼女は言葉を継ぐ。
「あの子は、警察官になるのが子供の頃からの夢でした。両親が通り魔に殺され、葬儀で号泣する私を見たあの子は、私が2度と泣かないために強くなる・・・と。あの子だって辛かったはずなのに、そう言ってくれた。
そして、大きくなっても思いは消えず、叔父夫婦の元で育ちながら、夢を叶えるための努力をしていました。叔父夫婦も応援してくれて、警察学校に行きたいと言ったら、背中を押してくれた。」
優しいご家族ですね、と海里は言い、続けた。
「そして、彼は夢を叶えた。」
「ええ。あの子は、家に帰って来たら、必ず仕事の話をしたんです。どんな事件があって、誰が傷ついて、誰を守れなかったのか・・・・守秘義務はどうしたと言っても、私になら話しても構わないって言って・・・・。
ダメだと思うんですけどね。夢を叶えたことが、よっぽど嬉しかったのか・・いつも、いつも、仕事の話をしていました。」
理恵子は少し笑ってそう言った。弟の優しさや、真っ直ぐな性格を思い出しているのだろう。だが、その笑みはすぐに涙に変わった。
「でも私は怖かった。いつか、両親と同じように居なくなってしまう気がしたから。警察官は確かに人を守るけれど、同時に危険も伴う・・・・。
それでも、あの子がそうしたいと願ったから、何も言わなかった。あの子の夢を、私も応援していたから。それなのに・・・・!」
“死んだ”。その言葉を、理恵子は飲み込んだ。海里は苦しげな顔を浮かべながら、彼女に尋ねる。
「あなたは、東堂さんを恨んでいますか? 上司でありながら、部下を守れなかったあの人を。」
「・・・・恨んでいる時もあったわ。でも、できなくなった。あの子の月命日に欠かさずお墓に行く姿を見て、何も言えなくなったの。」
沈黙が続いた。理恵子は嘲るような笑みを浮かべる。それは、自分に対してのものだった。彼女は続ける。
「東堂警部。いらっしゃるのでしょう? 出て来てくださいな。隠れる必要など、ございませんよ。」
理恵子の言葉と同時に、店の奥から龍が姿を現した。彼の瞳は、暗く、虚ろだった。
龍は口を開きかけ、閉じた。言葉を探しているようだった。しかし、理恵子は静かに首を横に振った。
「いいんです。どうか、もう・・・何も言わないで。どんな言葉をかけてくださっても、私が人を殺した事実は変わらない。早く・・・・楽にしてください。」
理恵子はそれ以上何も言わなかった。両手を差し出し、手錠をかけるよう促す。
「東堂さん。」
躊躇っている龍の名を、海里は呼んだ。自分がどれほど残酷な呼びかけをしているのか、理解していた。
龍は、間を開けて答えた。
「・・・・ああ、分かってる。」
手錠を出し、ゆっくりと理恵子の両手にかけた。理恵子は、どこか満足げな笑みを浮かべていた。龍は静かに自分の腕時計に視線を落とす。彼女の方を見ることが、彼にはできなかった。
「20XX年7月5日。午後12時35分。杉並理恵子。殺人罪で逮捕する。」
あの日、あの時、杉並亮が死ななければ。未来は、きっと変わっていただろう。だが、時は戻らない。過去は、ただ過ぎ去るだけだった。後悔しても遅いことを、彼らは後悔した。
優しい彼の笑顔と言葉が、誰かの中で消えた気がした。
「こんな夜中に電話なんて、珍しいですね。捜査、終わったんですか?」
『ああ。“予想外”の結果だ。メールで転送したから見てくれ。』
海里は転送されたメールを開いた。彼は、思わず目を見開き、言葉を失う。そこには、本当に“予想外”の結果が記されていたのだ。
「なるほど・・・・そういうことだったんですね。」
『驚きだろ? 俺も目を疑った。』
いつもの口調で龍は言った。海里はなぜだろうと思いつつ、小さな溜息をつく。
「ええ。そして何より・・・・悲しい。彼女が隠した、真実が。」
※
「急なお呼び立て、申し訳ありません。古海さん。」
海里は、古海理恵子を都内のレストランに呼び出した。古海は先日と変わらぬ不審な目を向けながら、紅茶を啜った。
「別に構わないけど、急いでくれる方がありがたいですね。仕事が・・・・」
「武器商人でしたっけ?」
古海の顔色が変わった。海里は笑って続ける。
「まあ、普段は漫画を描いていらっしゃるんですよね? 武器商人はおまけ、と言ったところですか。」
「・・・・どうして。」
古海は、震えながら尋ねた。漫画家はともかく、武器商人のことは、知られないと思っていたらしい。
「警察の捜査の結果、としか言いようがありませんね。とにかく、古海理恵子さん。今回の事件の犯人は、あなたです。それは間違いありません。」
「何を根拠にそんなこと。それに、私が武器商人を始めたのは2年前の話よ? 事件の犯人だなんて、あり得ない。」
あっさりと武器商人のことを認めたが、海里は気に留めなかった。早く認めてくれた方が、彼としても助かるのだ。
海里は深く頷く。
「ええ。あなたは、“2年前の事件の犯人ではありません”。あなたは、今回の“爆破事件”の犯人です。そうでしょう?」
落ち着き払った海里の声に、古海は何も言わなかった。
「あなたの経歴を調べさせて頂きました。幼い頃から機器類に興味があり、大学では機械工学を学んだ。その時、爆弾の製作に準ずる知識も得たはずです。
ただ、爆弾を手に入れるのは難しい。身近なもので作れると聞きますが、下手に怪しまれたくはなかった。
結果、あなたは、武器商人という結論に辿り着いた。そうすれば、己の知識を売り、表の人々には怪しまれず、寧ろ裏の人々に知識を喜ばれながら、報酬として爆弾を手に入れることができますからね。」
古海は動揺していたが、なおも抵抗を続けた。
「なぜ私が爆破事件を起こす必要があったの? 動機は? 証拠は?」
「動機は一先ず置いておき、先に証拠の説明をしましょう。
あなたが犯人である証拠の1つは、警視庁に送られた“爆弾スイッチ”です。」
「あれの何が?」
ご存知なんですね、とは言わず、海里は続けた。
「箱です。」
「箱?」
海里は頷いた。
「ええ。爆弾が仕掛けられていた箱は、あなたと、2年前に亡くなった捜査一課の刑事・杉並亮さん、そして、彼の上司であった東堂さんしか知らない真実が隠されています。ここからは、東堂さんに聞いた話になるのですが・・・・」
海里は間を置き、ゆっくりと口を開いた。その顔には、仏のような笑みが浮かんでいる。
「亡くなった杉並亮さんには、大切な方がいたそうですね。あの箱は、大切な方が杉並さんに送られた手作りのプレゼント箱だとか。」
古海は言葉を失った。海里は続ける。
「手作りですから、同じ物はないでしょう。当時の写真を、東堂さんに見せて頂きましたよ。杉並亮さんが、メールで送られた写真を、残されていたそうです。
どうぞ、ご覧になってください。」
海里は自分のスマートフォンのアルバムを開き、机に置いた。そこには、警視庁に送られてきた、あの小さな箱がある。
型紙に色とりどりの布が縫い付けられ、側には先に外された真っ白なリボンが置かれている。箱の蓋には、可愛らしい丸文字で、“亮へ、誕生日おめでとう。”、と書かれてあった。プレゼントは腕時で、杉並亮は亡くなった日も付けていた、という龍の電話を思い出す。
唖然とする古海を他所に、海里は続けた。
「では、もう1つの証拠の話をしましょう。もう1つの証拠は、爆破事件の日の、あなたの体の状態です。」
「まさか・・・・!」
「あの日、あのビルではあなたを除いた全員が怪我を負った。小さな爆発によって、階下の方々も怪我をし、終いには瓦礫の下です。火傷も負わず、煙も吸わず、心身に何の問題も起こさなかったあなたが、犯人だと思うのはおかしいことではないはずです。」
淡々と述べる海里に、古海は歯を食いしばるだけだった。
「あなたが窓ガラスの破片でも何でも使って、怪我をしていれば少しは疑いが薄れましたよ。爆発が上手くいって上機嫌だったのでしょうが、痛恨のミスでしたね。」
「・・・・違う! 爆発が上手く行ったから上機嫌だったわけじゃない‼︎ 私は、あいつらを殺せて上機嫌だったの!」
怒鳴った直後、古海は自分の口を押さえた。海里の顔には、満足げな笑みが浮かんでいる。
「その言葉を待っていました。あなたは今、“あいつらを殺せて上機嫌だった”、と言った。その言葉こそ、あなたが今回の爆破事件の犯人であるという証拠なんですよ。」
「・・・・あ・・ああ・・・・」
古海は両手で顔を覆い、俯いた。指の間から、涙が溢れている。海里は笑みを消し、どこか悲哀を含んだトーンで、言葉を続けた。
「こんな事は、やるべきではなかったはずです。あの2人だけを殺せと言うわけではありませんが、あなたが犯したことは、歴とした殺人です。
・・・・皇孝治さんと甘味穂花さん。例えあの2人が殺人犯であったとしても、こんな復讐の仕方は間違っていた。」
海里の言葉に、古海は微かに頷いた。
「・・・・馬鹿なことだと・・自分でも、よく分かっていました。それでも、私の恨みは消えてくれなかった。」
「・・・・そうでしょうね。そうでなければ、あなたはあの事件を起こさなかったでしょう?
古海理恵子さん・・・・いいえ、“杉並理恵子”さん。」
古海ーーーーいや、杉並理恵子は、ゆっくりと顔を上げた。その顔には、さっきまでの怒りも、憎しみもなく、ただ悲しみだけが浮かんでいた。
海里はその表情を見て、眉を顰める。
「2年前のあの日、あなたは弟である杉並亮さんの死を知って絶望した。ご両親を幼い頃に亡くされていたのですから、唯一の家族・・・・あなたは、天涯孤独になった。」
理恵子は頷いた。涙を拭きながら、彼女は言葉を継ぐ。
「あの子は、警察官になるのが子供の頃からの夢でした。両親が通り魔に殺され、葬儀で号泣する私を見たあの子は、私が2度と泣かないために強くなる・・・と。あの子だって辛かったはずなのに、そう言ってくれた。
そして、大きくなっても思いは消えず、叔父夫婦の元で育ちながら、夢を叶えるための努力をしていました。叔父夫婦も応援してくれて、警察学校に行きたいと言ったら、背中を押してくれた。」
優しいご家族ですね、と海里は言い、続けた。
「そして、彼は夢を叶えた。」
「ええ。あの子は、家に帰って来たら、必ず仕事の話をしたんです。どんな事件があって、誰が傷ついて、誰を守れなかったのか・・・・守秘義務はどうしたと言っても、私になら話しても構わないって言って・・・・。
ダメだと思うんですけどね。夢を叶えたことが、よっぽど嬉しかったのか・・いつも、いつも、仕事の話をしていました。」
理恵子は少し笑ってそう言った。弟の優しさや、真っ直ぐな性格を思い出しているのだろう。だが、その笑みはすぐに涙に変わった。
「でも私は怖かった。いつか、両親と同じように居なくなってしまう気がしたから。警察官は確かに人を守るけれど、同時に危険も伴う・・・・。
それでも、あの子がそうしたいと願ったから、何も言わなかった。あの子の夢を、私も応援していたから。それなのに・・・・!」
“死んだ”。その言葉を、理恵子は飲み込んだ。海里は苦しげな顔を浮かべながら、彼女に尋ねる。
「あなたは、東堂さんを恨んでいますか? 上司でありながら、部下を守れなかったあの人を。」
「・・・・恨んでいる時もあったわ。でも、できなくなった。あの子の月命日に欠かさずお墓に行く姿を見て、何も言えなくなったの。」
沈黙が続いた。理恵子は嘲るような笑みを浮かべる。それは、自分に対してのものだった。彼女は続ける。
「東堂警部。いらっしゃるのでしょう? 出て来てくださいな。隠れる必要など、ございませんよ。」
理恵子の言葉と同時に、店の奥から龍が姿を現した。彼の瞳は、暗く、虚ろだった。
龍は口を開きかけ、閉じた。言葉を探しているようだった。しかし、理恵子は静かに首を横に振った。
「いいんです。どうか、もう・・・何も言わないで。どんな言葉をかけてくださっても、私が人を殺した事実は変わらない。早く・・・・楽にしてください。」
理恵子はそれ以上何も言わなかった。両手を差し出し、手錠をかけるよう促す。
「東堂さん。」
躊躇っている龍の名を、海里は呼んだ。自分がどれほど残酷な呼びかけをしているのか、理解していた。
龍は、間を開けて答えた。
「・・・・ああ、分かってる。」
手錠を出し、ゆっくりと理恵子の両手にかけた。理恵子は、どこか満足げな笑みを浮かべていた。龍は静かに自分の腕時計に視線を落とす。彼女の方を見ることが、彼にはできなかった。
「20XX年7月5日。午後12時35分。杉並理恵子。殺人罪で逮捕する。」
あの日、あの時、杉並亮が死ななければ。未来は、きっと変わっていただろう。だが、時は戻らない。過去は、ただ過ぎ去るだけだった。後悔しても遅いことを、彼らは後悔した。
優しい彼の笑顔と言葉が、誰かの中で消えた気がした。
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