小説探偵

夕凪ヨウ

文字の大きさ
上 下
20 / 234

Case16.家族の話

しおりを挟む
「杉並理恵子が犯人だったようだな。龍。」

 爆破事件が解決した数日後、龍を呼び出した浩史は、開口一番にそう言った。

「・・・・はい、九重警視長。」

 龍は、俯きながら答えた。浩史は苦笑し、彼の肩に手を置く。

「あまり落ち込むな。お前のせいじゃない。」
「しかしそれと同時に、彼女を罵ることもできない。弟を失った心が、彼女を暴走させた。」
「そうだな。しかしだからと言って、無差別に人を殺していい理由にはならないさ。」

 浩史の言葉に、龍は苦笑した。一気に肩の力が抜け、腰掛けていた椅子の背もたれに、ゆっくりと体を預ける。

「敵いませんね、九重警視長には。」

            ※
                   
「よお、江本。お前も墓参りか?」
「東堂さん・・・・!」

 杉並理恵子の逮捕から、2週間余り。2人は、都内の墓地で再会した。龍は片手に花束を持ち、海里は大きな封筒を持っていた。龍はそれに目を止め、笑う。

「新しい物語は順調か?」
「・・・・ええ。おかげさまで。」

 海里も笑った。龍は海里を手招きし、自分に付いて来るよう促した。海里は少し戸惑いながら、彼の後を追った。

「私はお墓参りではないんです。風景描写の参考のために、高台にあるここの墓地に来た。ここ、眺めがいいですから。
 ・・・・呆れますか?」
「いや、お前らしい。肝が据わっていると言うか、感覚がズレていると言うか・・・・。どんな時でも、掴みどころのない曖昧な雰囲気と言葉。かと思えば激昂したり、他人に同情したり・・・・変な奴だよ。
 芸術家ってのは、誰もがそうなのか?」
「まさか。私は変わっていると言われますよ。少々不服ですけど。」
「不服? そいつらは真実を述べているんだし、真実を追い求めているお前にとっちゃ、嬉しい話じゃねえのか?」
「そういう捉え方をしますか・・・・。」

 その時、海里は、ふと気がついた。龍とこんな軽口を叩いたことなど、1度もなかったということに。龍から海里への印象が悪いと言うのもあるが、海里もどこか、一線を引いた龍の態度を察して、距離を置いていたからだ。

 そして、こんな、滅多に訪れないであろう時だからこそ、彼に聞きたいことがあった。

「東堂さん・・・・お聞きしたいことがあります。」
「何だ?」
「あなたの家族の話です。」

 龍は、突如無言になり、立ち止まった。目的の場所に到着したはいいものの、海里の言葉に答えたくないという、拒絶の意だった。彼は黙ってその場に屈み、目の前の墓石に花を添えた。 

 その時、海里は改めて龍の持って来た花束を見た。花は、全部で3種類。菊と、キンセンカ、そして、白のカーネーション。海里は以前読んだ、花言葉の本の記述を思い出し、自然と花束から視線を逸らしていた。
 そんな海里の様子が見えなかったのか、何となく分かったのか、龍は口を開いた。

「俺が刑事でなければ、家族は死ななかったかもしれない。俺は、ずっとその事を悔いている。何も変わらない、変えられないと分かっていながら、刑事を辞めることはできなかった。
 俺にはこの道しか残されていない。この道で生きると、自分で決めた。それなのに、ここに来ては、その決意を呪いとさえ感じる、自分に吐き気がする。今も。」

 ぽつり、ぽつりと、龍は話し始めた。決して話したくないであろう、絶望に満ちた、喪失の記憶を。

「俺の家族は、ごく普通の家族だった。俺と、妻と、2人の子供。どこにである、普通の家庭だった。そんな普通が壊れたのは、家族が死んだのは、3年前だ。」

 3年。海里が、龍と出会う、約半年ほど前のこと。そんな時に自分と出会って、彼は何を思ったのだろうと、海里は疑問を覚えた。しかし、今はただ、彼の話を聞きたかった。

「・・・・なぜ、亡くなったのですか?」
「強盗殺人。」

 短い言葉が、胸に突き刺さった。龍は苦笑し、ゆっくりと立ち上がる。

「俺は事件が起きる前から、別件の捜査で帰りが遅かった。妻の方が仕事は早く終わっていたから、その日も、冬休みに入った2人の子供と、家で一緒に過ごしていた。
 インターフォンが鳴った時、3人は俺だと思ったらしい。わざわざ鳴らすことに不信感を覚えたかもしれないが、今となっては分からない。」

 龍は、そこで1度言葉を止めた。語りたくないという思いが垣間見えたが、彼はすぐに続ける。

「玄関を開けたのは妻だ。入って来たのは強盗。妻は強盗に拘束されて、2人の子供の元に連れて行かれた。泣いていたであろう子供たちを、強盗は先に傷つけて、次に妻を傷つけた。これは、事件後の捜査で分かったことだ。その捜査で、妻の体には、強姦された痕があったことも、分かったよ。」
「・・・・ちょっと、待ってください。強盗殺人は、確か・・・・」
「ああ。死刑。何か理由があったのかは知らないが、もう執行は終わってる。」
 
 何の感情も感じない乾いた笑みを見て、海里は顔を歪めた。

「・・・・東堂さん‼︎ ・・・・もう・・もう・・・・!」
「お前が聞きたいと言ったんだろ? もう1つ言うと、俺は、“途中”で帰って来たんだよ。」

 絶望が、嫌になるほど深くなった。思わず息を呑むと、海里は、自分の鼓動が早くなっているのが分かった。体が震えている理由は、分からなかった。

「3人は俺に逃げろと言った。なぜそんな事を言うのか・・・・俺には分からなかった。逃げて欲しいのは、こっちの方だったのに。そして俺は、家族が息絶えていく様をただ見ていた。そして気付いた時にはーーーー・・・・」


 辺り一面、血の海だった。


「俺が強盗に暴力を振るったのか、正直分からない。襲いかかって来たかもしれないが、よく覚えていない。何も覚えていないんだ。」

 龍は軽く目を瞑った。しばらく何も言わず、静かに息を吐く。

「これが、俺の家族の話だ。こんな話しかできなくて悪いが、これ以上話すことはない。」

 海里は変わらず震えていた。今度は理由が分かった。怒りだった。

「・・・・家族の話なんかでは、ないじゃありませんか。これは、あなたの“罪”の話だ! なぜ・・自分を貶める事ばかり言うのですか⁉︎ 何もかもあなたが悪いなんてあり得ません‼︎ あなたに罪なんてない! 
 それなのに、どうしてっ・・どうしていつも、いつも・・・・!」

 海里はそれ以上何も言えず、その場に膝をついた。涙を流す資格など無いのに、涙が一向に止まらなかった。
 龍は、嫌になるほど落ち着き払って、言った。

「今話したばかりだろ? 俺は、俺の罪以上に話すことなんてない。だから、お前が泣く必要なんてないんだよ。
 お前は、俺の過去と何の関係もないんだから。今の話だって、よくある悲劇だと思えばいい。当事者が俺なだけであって、同じようなものを見て来ただろ?」
「・・そんなの・・・・!」

 そういうことじゃない、と叫びたかった。しかし、海里は何も言えなかった。 
 龍は大袈裟に両腕を広げ、海里を見下ろしながら言った。

「さあ、今度はお前の話を聞かせてくれよ。話を振って来たついでだ。お前の家族の話が聞きたい。出会って以来、お互い何も話してこなかったからな。」

(私は、初めてこの人が分からなかった。散々己を罵った後に、それを物ともせず他人のことを知りたがる。
 痛みを隠すためか、誤魔化すためか・・・・理由はいくらでも思いつくのに、聞いてはならない気がした。聞いても、きっと、答えてはくれないから。)

「・・・・分かりました。私の・・家族の話をします。」

 海里は涙を拭き、気持ちを落ち着かせた。ゆっくりと立ち上がり、口を開く。

「私の両親は、幼い頃に病で死にました。残されたのは、私と、幼い妹だけ。」
「妹? お前、妹がいるのか?」

 意外、とばかりに龍は尋ねた。海里は頷く。

「はい。・・・・あそこに。」

 そう言って、海里は遠くにある病院を指さした。病院の名前は見えないが、かなり大きい。総合病院だろう。龍は目を丸くする。風景描写の参考は、彼なりの建前だと理解した。
 海里は続ける。

「3年前の話です。交通事故に遭って・・・・意識不明の重体。まだ21歳でした。
 私は、唯一の血縁である妹を失うと思うと、怖かった。しかしそれと同時に、意識不明という現状は、彼女の“生きたい”という想いであると解釈しました。だから、恐怖に縛られているだけではダメだと、思ったんです。勝手な解釈かもしれませんけどね。」

 苦い笑みを浮かべた海里だったが、龍は彼の言葉を否定したりはしなかった。ただ、龍自身、この話を聞いて気になることがあった。

「探偵業を始めたのは、2年半前くらいだろ? それまでは、普通にフィクションの推理小説を書いていたんだよな?」
「はい。2年半前までは、私の小説が好きだと言ってくれる妹のために、これでもかと言うほど書いていたんです。彼女が目覚めても、変わらず私の小説を読んでくれるように。」

 海里は優しげな笑みを浮かべていた。見たこともない暖かさに、龍は驚く。

「しかし、無理が祟ったのでしょうね。2年半前のある日、東堂さんと出会う半月ほど前だったでしょうか。私は、執筆中に倒れたんです。偶々家を訪れた編集者の方が救急車を呼んでくださって。私は妹と同じ病院へ運ばれました。倒れた原因は・・・過労。」
「本を1冊書き上げる労力がどれほどのものか分からないが、倒れるほど無茶してりゃ、過労にもなるだろうな。加減を知らなかったのか。」
「そうでしょうね。でも、当時の私は全く健康のことを考えなくて。何日も徹夜して、食事もろくに取らず、机に向かい続けていました。」

 今度は子供っぽい笑みを浮かべた。いたずらを隠そうとする、しどろもどろな様子の子供。
 龍はその様子に安堵を覚え、ずっと気になっていたことを尋ねた。

「探偵をやろうと思った理由は?」

 龍の質問に、海里は悪戯な笑みを浮かべた。

「2年半前、東堂さんに言ったことと同じですよ。物語のためです。」

 同じ言葉を聞いた日のことを、龍は思い出した。しかし、当時とは違う印象を受けた。
 海里は笑みを崩さず続ける。

「あなたと出会ったのは偶然でしたが、事件に介入したのは私の意志だった。
 本物の殺人事件、謎、警察の捜査、事件の背景。その全てが、当時の私には新鮮で未知のものだった。だから東堂さんの上司の勧めで、実際の事件を物語にした。
 本が出た後・・・・あなたには随分怒られましたね。」
「今も似たようなものだぞ? 小説探偵、なんて持て囃されていても、納得してねえよ。」
「分かっていますよ。自己満足でやり続けていることも、妹のためなんて綺麗事を口に出来ないことも、東堂さんが認められないことも。」

 2人は、互いに自分の話しかしていないことに笑った。結局、まだ互いに心の距離があり、本当に家族のことを話す気など起きないのだ、と改めて分かる。

「俺は刑事で、お前は小説家兼探偵。互いにそれ以外の何かにはなれない上、考えが違うから馴れ合えないってことだ。」
「ええ、そうですね。少なくとも今はまだ、私たちは私たちのことしか考えることができないのでしょう。」

 暗澹たる話をした後だというのに、2人の表情は明るかった。友人というには程遠く、馴れ合うほどの協力関係でもない。しかし、出会った頃よりは、確実に信頼関係を築いている。今は、それで良かった。

 この先も、不思議な協力関係が続いていくと、お互い感じていたから。
しおりを挟む

処理中です...