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第1章
第9話
しおりを挟む学校から帰ると、玄関に見覚えのないスーツケースが置いてあった。
「あ、遙真。おかえり」
リビングから父の声が聞こえた。父さんが帰ってくるなんて珍しい。
父さんは俺が高校に入るタイミングで転勤することになり、異動先の近くのマンションに母さんと一緒に引っ越した。ここから、高速道路で2、3時間の距離にあり、両親はたまに俺の様子を見に来る。
「ただいま。何かあった……?」
そう言いながら、リビングに入ると、そこには懐かしい顔がいた。
「…ルカ?」
「よ、遙真。久しぶりだな」
金髪で青い瞳の青年が、ソファから立ち上がった。ルカ・ブランシェ。父の妹、優花さんの息子で、俺より3歳年上の19歳だ。
優花さんはフランス人のルイ叔父さんと結婚して、俺が小学一年の時にフランスに移住した。あれからもう十年近くか。
「どうしたの?」
「ルカがインターンでフランスから来日したんだ。遙真の家に泊まることになった」
父が説明してくれる。
「インターン?」
「ああ。シェフの修行だ。日本の料理の技術を学びたくてさ」
ルカが笑う。その顔は大人びていたけど、仕草は昔のままだった。
「二ヶ月、世話になる」
ルカが日本語で丁寧に言う。
てっきり、フランスに長いこと住んでいるからもう日本語は話せないと思っていた。
「ルカがいる間は、遙真がもてなしてやってくれ」
「え、あ……わかった」
頭が少しついていかない。今日は学校で不破先輩と猫に会って、橘先輩にマドレーヌをあげて、ごく普通の日だと思ってたのに。帰宅したら、いきなり従兄弟がいるなんて。
「お前、大きくなったな」
ルカが近づいてきて、俺の頭を撫でた。その後、両肩をしっかり掴んで、フランス式に両ほおへキスをした。ルカの方が成長してるし……。
《遙真は相変わらず可愛いな》
「あ……」
予期しないスキンシップに、俺は少し戸惑う。だが、ルカはそんなことお構いなしに、俺をしっかり見つめた。
ルカはまだ俺のことを子供かなにかだと思ってるのか。俺だって背が伸びて大人っぽくなったと思うんだけど! と言いそうになったが、ルカに心の声が聞こえることがバレたらまずいので、ぐっと言葉を飲み込んだ。
ちょっとだけ頬を膨らませ、ルカを睨みつける。
「ルカこそ、大人になった」
少しふてくされて、素っ気なく返事をする。
「ははっ、あっという間に時間は経つんだな」
父は『そろそろ暗くなりそうだから帰るよ。遙真、なにかあったらすぐに連絡しなさい』と言って、家をあとにした。はぁ、毎度毎度言われなくてもわかってるのに。
そして、ルカと俺きりになった。
「なあ、昔よく遊んでいた千隼と奏多は今でも仲がいいのか?」
「え!ルカも覚えてるんだ!」
「もちろん。楽しかったから覚えているさ」
小さい頃、俺とルカが遊んでいたら、千隼と奏多も混ざって4人で遊ぶことがあった。今思えば、あの時のルカを子供の遊び相手に付き合わせて申し訳ないが、当時の俺は兄ができたみたいでとても嬉しかった。
「今も二人とは同じ学校で、いつもお昼を一緒に食べてる」
千隼と奏多も、ルカが俺達のことを覚えていたって言ったら、喜ぶだろうな。
「遙真は?学校、楽しい?」
「……まあ、最近は少しずつ」
正直に答える。昔のルカは、俺の感情に敏感だった気がする。
「そっか。友達とかいるのか?」
「うん。最近、先輩たちと仲良くなって」
「先輩たちか。良かったな」
ルカが優しく微笑む。その表情を見ていると、自分の心情が少しずつほぐれていくのが感じられた。
「ルカはどんな感じ?フランスで」
「俺?普通だよ。料理の勉強をして、朝から晩までシェフの元で働いて……」
ルカが肩をすくめる。その動作も、フランス風で大きく優雅だ。
「でも、日本に来たくて。母さんの故郷だし、幼い頃の思い出もあるし」
「そっか」
「特に遙真に会いたかった」
ルカが俺に近づいて、肩を抱きしめた。フランス的なスキンシップだが、その温かさはどこか懐かしく、同時に落ち着く。
《俺がいない間に───》
「遙真、変わったな」
「え?」
「顔つきがさ。昔は、もっと暗かったような気がするんだけど」
「あ……」
俺は自分でも気づいていなかったけど、確かに最近は笑う機会が増えていた。
「何かあったのか?」
「……いろいろ」
「話したければ、いつでも聞くからな」
ルカが優しく言う。そう言いながら、ルカは俺の髪を優しく撫でた。
その瞬間、スマホが鳴った。橘先輩からのメッセージだ。
◇◇◇◇
【橘司】: マドレーヌ、美味しかったよ!ありがとう!
【綾瀬遙真】: それは良かったです。また焼いてもらいます
◇◇◇◇
「誰?」
ルカが画面を見ようとする。
「…さっき言った先輩からの連絡」
頭が熱くなる。不破先輩と橘先輩のことを、ルカに話す準備はまだできていない。
「先輩か。仲良いんだな」
ルカが少し笑った。その顔には、何かを知ってるような雰囲気があった。
「ルカ、飯、何か用意するか?」
話題を変えて、俺は聞く。
「そっか。じゃあ、一緒に作ろうか」
「え?」
「俺、シェフ修行してるんだ。一緒に何か作ってみないか?」
ルカが立ち上がる。その表情は、真剣で優しく、どこか遙真を見つめていた。
「わかった。何を作る?」
「そうだな。冷蔵庫に何がある?」
二人で冷蔵庫を開ける。中には野菜や肉、卵などが入っている。
自炊は一通りこなせるが、作れる料理がパターン化していて、あまり新鮮さがなかった。最近は気分で作ったり、作らなかったりしている。
ご飯を作らないときは、コンビニ弁当で済ませてたら、香織さんが持たせてくれるまかない や おかずを食べたり、たまに千隼の家にお邪魔して一緒にご飯を食べさせてもらうこともある。
「パスタとか作る?」
「いいな。遙真は料理、得意か?」
「まあ、基本的なことくらい」
「じゃあ、俺が教えてやるよ」
ルカが優しく笑った。その笑顔は、本当に大人っぽくて、でも昔のルカのままだった。
キッチンに立つルカは、完全に別人だった。手際よく材料を準備して、フランス語で何かを呟きながら調理を進める。時々、俺に指示を出す。
「遙真、これを切ってくれ。こんな感じでいいんだ」
ルカが手を取って、ナイフの持ち方を教えてくれる。彼の手は温かく、その動作は優雅で、見ているだけで何か学べるような気がした。
《指、細長くて綺麗だな。切ってしまったら大変だ》
「こんな感じか?」
「完璧だ。才能あるかもな」
「そっか」
ルカとの二ヶ月の共同生活。それがこんなふうに始まるなんて、思いもしなかった。
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