久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚

山岸マロニィ

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第伍話──箪笥

【拾捌】其々ノ夕餉

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「……これで最後、っと」
 泣き叫ぶ赤ん坊の頭を、熟れた柿のように握り潰し、赤髪の女は手の汚れを振り払った。
 和装の女が拭く濡れ縁にその飛沫が飛ぶ。彼女は手を止め、中庭の赤髪に顔を向けた。
「もう少し、綺麗にできないのですか? 天秤の人」
「仕方ないだろ、いちいち手を洗ってたら日が暮れちゃうよ」

 ――蛎殻町、水天宮近くの屋敷。
 突然降ってきた大量の赤ん坊をした頃には、屋敷は夕焼けに染まっていた。

 辺りは、腐った泥のような飛沫で悲惨なことになっていたが、和装の女が手際よく掃除をしたため、何とか眠れそうではある。

 和装の女は桶を手に立ち上がる。そして、拭い切れない泥に染まった枯山水を眺めて溜息を吐いた。
「私が苦心して集めた赤子の魂が、こんなことになるなんて」
「獅童さまの思召なんだ――何か文句あるのかな、小羊おようちゃん?」
 背丈ほどの庭石にピョンと座った赤毛の女は、細い目で和装の女を見下ろした。
「文句があるのは、獅童さまにでなくあなたにです。せっかく静かに暮らしていたのに、あなたが来てから滅茶苦茶です」
「これも獅童さまの思召だよ……お腹空いたな。夕飯はまだ?」
 和装の女は諦めたように溜息を吐き、
御御御付けおみおつけとお新香ですよ」
 と、奥へ入って行った。

 その後ろ姿を見送りながら、赤毛の女はチッと舌打ちした。
 ――白羊宮の河魁かかい
 特に能力はないが、真面目そうな顔をしてるから、心の弱った人間を操るのがうまい。水天宮近くのこの屋敷で、流産や死産をした人を言いくるめて、魂の中で最も上等な水子の魂を集めているのだが、地道に成果を出しており、獅童の評価は高い。
 けれど、それに驕ったりせず、自分はホムンクルスではなく人間だとばかりに、黙々と人形を作っている。
 根暗な奴だ……赤毛の女は、和装の人形師が気に入らなかった。

 彼女――天秤宮の天罡てんごうは、派手な赤毛にソバカス顔の、見るからに西洋人の見た目をしている。真紅のドレスをまとう彼女は女王様気質で、自分が一番強いと思っていた。
 けれど、 性格が粗野なため、女王様の枠には収まりきらない。慎ましさを体現したような河魁とは対照的だ。
 だから、獅童の評価が高い河魁をライバル視している。

 ......いや、「対」であるホムンクルスは運命共同体であり、ライバルでもある。そういう宿命なのだ。

 今回、獅童から直々に任務を受けた時、天罡は舞い上がった。そして、河魁の成果を奪いながら、自らの成功が約束された作戦を立てたのだが……。

 まさか、赤ん坊をまるごと送り返すという反撃を受けるとは、考えてもみなかった。これでは、獅童に顔向けができない。

 ――彼女が命じられたのは、犬神零の。河魁と力を合わせ、あの厄介な探偵を封じろ……そう言われた。
 というのも、偶然、河魁が関わる件に犬神零が首を突っ込んできたからだ。ターゲットの行動が読める状況で攻撃を仕掛けるのは戦術のセオリー。圧倒的にこちらが有利だったのだ。
 しかし……と、天罡は歯噛みした。
 土御門サナヱ――磨羯宮まかつきゅう大吉だいきちの件から、その存在は知っていた。だが、無名の陰陽師であるから、警戒をしていなかった。
 それにしてやられるとは……!

「悔しい……悔しい……」
 天罡はガリガリと爪を噛んだ。
「何でよ……何でなのよ……まるでこの私が失敗したみたいじゃない」
 彼女は自分の非を認められなかった。計画は完璧だったはずだ。現に、犬神零を封じ込めるまでは成功したのだ。安倍晴明は泣く泣くあの井戸を封印するしかない……そうなるはずだったのだ。
「あのチビ女――絶対に殺してやる」
 燃えるように赤い瞳で、彼女は夕焼けに染まる庭を睨んだ。

 すると、河魁が戻ってきた。
 天罡は笑顔を浮かべて余裕を繕う。
「夕飯できたの?」
「この時間でできる訳がないでしょう……電報が届きました」
「誰から?」
「獅童さまから」

 天罡は庭石から飛び降りた。敗北がもう知られたのかと、内心青ざめながら、河魁の手にある紙片をひったくる。
「ケンショウ ハ デキタ イシ ト イシ ヲ ブツケロ……」
 不可解な文言に、天罡は眉を寄せた。
「どういう意味?」
「知らされていなかったのですか? 天秤の人」
 河魁の言い草に、天罡は眉を吊り上げる。
「は?」
 だが、河魁は動じない。憎々しいほど冷静な声で、彼女は説明した。
「柴又の一件は、犬神零の不死の能力、それに、賢者の石を内包した安倍晴明の能力がいかほどのものかを測るための検証です。まさか獅童さまが、あの程度であの者を封じられるとは思っていませんよ」
「…………」
「獅童さまの目的は、あの二人を引き剥がすこと。それには、二人の間に決定的な亀裂が必要です。そこまで言えば、分かるでしょう?」

 河魁の赤い目が天罡を見据える。天罡は目を細め――ニヤリと口角を上げた。
「それはあたいの専門分野だね」

 ――石と石をぶつける――
 それは、賢者の石を賢者の石で壊すように、不死と不死とを戦わせる、という事だ。

 天罡は、洋髪に挿したかんざしを抜き取った。
 その両端を軽く捻ると、赤い宝玉が両側にぶら下がる。その中央に突き出た突起を指に乗せれば、両端の宝玉が均衡を取りゆらゆらと自立する。

 ――天秤である。

 彼女はククク……とほくそ笑みながら、軽く宝玉を弾いた。
「均衡なんてモノは、この指先でどうにでもなる――さあ来い、バケモノたち」


 ◇


 夕刻。
 山茶花御殿の裏庭では、香ばしい煙が漂っていた。
「こんな上等な鯵の開き、なかなか手に入らないわ」
 メイド姉妹の妹・キヨが、七輪の干物をひっくり返す。ジューという音が、否が応にも食欲を刺激してくる。

 桜子はうちわで炭を扇ぎつつ、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「七輪で焼いた干物なんて何時いつぶりかしら」
「私も久しぶりに七輪を出したわ。だって、これでお魚を焼くと……」

 キヨは細い目を外塀に向ける。
 そこでは飼い猫のクロを中心に、クロの知り合いであろう野良猫軍団が集まり、今か今かと待ち構えている。

「いいじゃないの、たくさんいただいたんだし。うちのクロがお世話になってますと、ご挨拶にお裾分けしましょ」
 勝手口の脇に置かれた籐椅子で、楢崎多ゑはおおらかに微笑んだ。

「テーブルはこちらでいいですか?」
 そう声を掛けたのは犬神零だ。メイド姉妹の姉のカヨと、休憩室のテーブルを運んできたのだ。
「もうすぐご飯が炊けるよ」
 勝手口からサナヱが顔を覗かせた。田舎では、飯炊きは子供の仕事なのよと桜子が手ほどきしたら、すぐさま火吹竹の使い方を覚えた。

「鯵もいい感じじゃないかしら」
 キヨの合図で、テーブルに皿が並べられる。サナヱとカヨがご飯と御御御付けを運び、焼きたての鯵が皿に納まれば、特別な晩餐の始まりである。

「いただきます」

 ……大家のシゲ乃は泊まりの用な上、下宿の住人に自炊しそうな人もいない。
 そのため、鯵の干物を楢崎家に渡そうとしたところ、サナヱと共に夕食に招待された、という訳だ。

 使用人のため、普段は主人と同じテーブルには着かないカヨとキヨも、今日は肩を並べて食卓に向かう。そして鯵に箸を付け、
「美味しい!」
 と目を丸くした。
「これから帝釈天のお土産は干物がいいわね」

 それから、鯵の干物を得るに至った、桜子の活躍が話題となった。
 ……その相手が久世慶司だったのは、勿論皆知っているが、この和やかな場に直視し難い現実を持ち出すのを憚ったのだろう。敢えてその名は出さなかった。

 桜子はことさら明るく語った。
「活躍ってほどじゃないわ。他に対応できる人がいなかっただけで……薙刀の師匠から、免許皆伝を受けた時に言われたんです。強い者には弱い者を助ける義務があるって」
「お姉ちゃん、すごく格好良かったよ」
 サナヱもご満悦だ。
「しかし、桜子さん」
 そこに零が口を挟んだ。
「無茶だけはしないでください。桜子さんに何かあれば、私は立つ瀬がありません」

 ……それはお互い様でしょ。

 桜子はそう言いかけ、言葉を切った。
「はいはい、分かってるわよ――もしかして、私のことをか弱い乙女と思ってるの?」
「そうは言いません」
 期待などしていなくても、あっさりと否定されるとカチンとくる。桜子は横目で零を睨んだ。
「お世辞でも、そこは肯定するところでしょ? そんなんだから、いい歳して独り者なのよ」
 苦笑しながら、多ゑが仲介に入る。
「まあまあ……ところで、あの坊やは?」

 ハルアキのことだ。
 桜子はそこでようやく、あの生意気なガキンチョの姿がないのに気付いた。

 すると零は肩を竦めた。
「声は掛けたんですが、生臭いのは苦手だと言って、納戸から出てこないんです」
「仕方ないわ、子供なんてそんなものよ。後でおむすびを握っておくから、持っていってあげてくださいな」
 キヨに言われ、零は「すいません」と頭を下げた。

 桜子は気付いていた――久世慶司の屋敷の前で零と偶然会った時から、何かおかしいと。

 桜子がサナヱを柴又に誘ったのは、事件の経過から、そろそろ零とハルアキが行動を起こすのではないかと思ったから。
 案の定、零は柴又にいて、事件は解決した。
 ――それなのに、ハルアキがいないというのは不自然だ。

 女の直感としか言いようのない違和感だが、桜子は二人の間に不協和音のようなものがあるのではないかと疑っていた。

 しかし、人と人との関わりは、部外者が一言で解決できるようなものではないとも、彼女は知っている。
 ……また、甘いものでも買っておいて、ご機嫌を取ろうかしら。
 桜子は何食わぬ顔の零に横目を向けてから箸を置いた。
「本当に美味しかったわ。ご馳走さまでした」
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