六畳一間。幽霊つきっ ~部屋を借りたら幽霊少女もついてきました~

香澄 翔

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1.幽霊じゃありません。

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 見知らぬ少女が部屋の中で浮かんでいた。

 まことは声にならない叫びを上げて、いちど扉を閉めて表札を見やる。しかし206号室と書かれたその部屋は、確かに自分の借りた新しい部屋だった。

 見間違いかもしれないと、恐る恐るもういちど扉を開けてみる。

 六畳一間のちっぽけなぼろアパートの一室。その部屋の中には、まだ荷物も運び込まれておらず、がらんとした空間が広がっている。

 その部屋の真ん中に少女はたたずんでいた。

 腰までのびた長い黒髪が、真っ白なワンピースを引き立てている。くりんとした大きな瞳に、整った鼻先。艶やかな紅い唇は、微かな笑みを覗かせている。

 すらりと伸びた細い足。右手には銀色の、左手には金色のブレスレットを身につけており、よりいっそう彼女の可憐さを引き立てている。

 どこか全体的に儚げな色彩を帯びて、触れれば消えてなくなりそうにも思えた。物憂げな瞳は、少女の柔らかな顔立ちをよりいっそうに引き立てている。まるでこの世の物ではないかのように。

 透き通るような白い肌は、どこか儚げで触れれば消えてしまうかのようだ。
 いやむしろほんの少しではあるが、本当にうっすらと奥の窓ガラスが見えている気がして誠は目を擦る。まるで彼女の身体が透き通っているかのようだ。

 そしてそれが正しいと示すかのように、彼女の足先は畳から十センチほど浮かんでいた。

「う、浮いてる!?」

 誠は思わず声を漏らして、背を向けて逃げ出そうとしていた。
 しかし慌てたせいか自分で自分の足を絡めてしまう。

 転びそうになって部屋の壁に頭をぶつけ、逆に部屋の中に入り込んでいた。

 バタン。同時に音を立てて扉が締まり、部屋の中に二人だけが取り残される。
 この音にさすがに少女も誠に気がついたようだ。誠へとはっきりと振り向いて、それから目を大きく開いて慌てた様子で声を漏らした。

「ち、痴漢ですかっ」

 唐突な少女の台詞に、思わず誠は咳き込んでいた。

「ぶはっ。げほっげほっ」

「あ。だ、大丈夫ですか。でもほら、痴漢とかしようとするから、そういう目にあうんですよっ。悪い事したらいけませんっ」

 少女はやや眉をつりあげて告げると、指先を一本たてて左右に振る。

「だ、誰が痴漢だよっ。誰が」

 誠は何とか息を整えながら、目の前の少女に向かって声を荒げる。しかし少女は誠の言う事がわからないとばかりに眉を寄せると、上げていた手を降ろして、その腕を組みなおす。

「え、違うんですか。突然部屋の中に入ってくるからてっきり。えーっと、じゃあ」

 少女はしばらく首を傾けながら考え出すと、それからすぐにまた指を立てて誠へと向ける。

「あ、わかりました。訪問販売ですねっ。私に布団とか高値で売りつけちゃおうとか、そういう訳ですね。おっと、そうはいきませんよっ。なんたって、私はお金もってないですからね。あ、いっときますけど、ローンも組みませんよ。布団一つが十万円とか、絶対ありえませんからっ。買いませんよー。ええ」

 またもや勝手に勘違いして話を膨らませていた。

 もちろん誠は訪問販売員ではないし、そもそもここは誠の部屋のはずだった。

 誠の親は急な事情によりこの街から引っ越す事になった。しかし誠はまだ高校に入学してからほとんど時間がたっていない事もあるし、また親の引っ越し先も長く暮らす予定でもなかった。その為に誠はしばらくの間だけ一人暮らしを始める事となり、今日はその引っ越しの当日であった。

 だが新しい住居となるはずの部屋の中には、見知らぬ少女が一人で浮かんでいる。そしてまるで自らがこの部屋の主のように振る舞っていた。もっとも仮に彼女が部屋の主だとしても少々反応がちぐはぐでおかしくはあったが。

 しかしそのおかげというべきか、少女が浮かんでいるという不思議への驚きは薄れ、誠の心に落ち着きを取り戻させていた。むしろ忘れさせていたと言ってもいい。

「訪問販売でも宗教の勧誘でもないっつうの。だいたい、お前誰だよ。ここは俺の家だぞ、俺の家」

「ええええっ。そんな事ないですよ。ここは私の家ですよ。変な事言わないでください。はっ、さてはそんな事いって、何か私を騙そうっていうんですね。そうはいきませんよっ。ええっ、もうっ。私、しっかりしてますからね。騙されませんよーっ」

 少女は言いながら、再び右手の人差し指を一本だけ立てて左右に振るう。たぶん意識してやっている訳ではなく、癖のようなものなのだろう。

「いや絶対ここは俺の部屋だっつうの。メゾンシャトル206号室。ほらっ、みろ。これが契約書だ」

 鞄の中から契約書を取り出して、少女へと突きつける。
 少女が何者なのかはわからなかったが、とにかくこの部屋から出ていってもらわなくてはいけないと思う。 

 あまりにすっとんきょうな物言いに、もはや始めに少女に抱いた恐怖は、完全に誠の頭の中から消え去っていた。
 少女は誠の言う事がわからないとばかりに、きょとんとした表情を浮かべると、誠の持つ契約書を覗き込もうとして近づいてくる。

 ごく自然な動作ではあったが、その時全く音がしなかった事実に気がついて、誠はやっと少女が宙に浮かんでいた事を思い出す。

「そ、そうだ。こいつはなんで浮かんで」

 急にまた恐ろしくなって、慌てて後に下がろうとする。
 しかし誠の足は下がるどころか、絡まって前へと倒れかかっていた。

「わぁぁっ!?」

 思わず情けない声を漏らして、少女の上へと覆い被さるような形になる。
 しかし誠の身体は、全く抵抗感を感じない。そのまま大きく音を立てて、床へと倒れ込んでいた。
 その誠の身体の上に、少女はそのまままっすぐに立っている。まるで誠の身体が触れる事なんてなかったかのように。

「わわわっ。や、やっぱり、ほんとは痴漢でしたかっ。だ、駄目ですよ。そんな事をすると天罰が下りますよ。いつも神様はみていますからっ。ああ、イエス様、マリア様っ。この私をお守りくださいっ」

 少女は胸の前で十字を切ると、両手を組んで、力の限り目を閉じていた。
 目の前にはっきりと見えている。しかし誠は全く彼女に触れる事すら出来なかった。そ
れどころか彼女は宙に浮かんでいる。
 そうなれば、誠に考えうる事象はただ一つしかなかった。

「ゆ、幽霊!?」

 思い切り叫びながら、倒れたままなんとか後ずさろうとして手を動かした。
 しかし驚きのあまりか、誠の身体はぜんぜんその場から動こうとしない。

「ええええっ。私、そんなのじゃありませんよ。失礼ですねっ。どこをどうみたらそうみえるんですかっ」

 少女は眉をつりあげて抗議を声を上げて、両手を揺らす。その度に髪もたなびいて、どこか不思議な空気を醸し出していた。

「ど、どこをどうみてもそうみえるっ。ゆ、幽霊じゃなかったら、い、いったいなんなんだよ」

 やや言葉をどもらせながらも、誠はまだ何とか正気を保ったまま少女へと告げる。とはいえその手には震えを隠せなかったし、足などはがくがくと揺れて、まともに歩けそうもなかったが。

「そんなの決まってるでしょう。私は」

 少女は呟きながら人差し指を立てて、そのまま指先を振るう。それから唐突に動きを止めたかと思うと、伸ばした指を口元に当てた。

 そのまましばらくの間、誠を見つめていた。まっすぐに向けられた瞳に、思わず顔を背けたくなる。
 しかし誠はなぜだか彼女から目をそらす事が出来なかった。恐怖で体が動かなかったのか、それとも彼女の物憂げな瞳に魅入られてしまっていたのか。それはわからない。

 ただ時間が止まってしまったかのように沈黙が訪れた。

 自分の心臓の鼓動と、やや乱れた呼吸の音だけが耳に響いた。

 少女は沈黙に困ったかのように眉を寄せて、もう一度首を肩の方へ倒す。
 少女が息を吸い込むかのような音が聞こえた気がしていた。そしてゆっくりと、今までよりもずっと落ち着いた静かな声で、少女は誠へと訊ねかける。

「私は。誰なんでしょう」

 少女のその予想だにしない呟きに、誠は思わず目を丸くして言葉を失っていた。
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