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第三章 黄
第49話 「パステルじゃなきゃ、嫌だ」
しおりを挟む「私ね、セオのことが、好きなの」
私はセオにそう告げたが、セオにはやはり『好き』の意味がわかっていないようだった。
やはり言わなければ良かったと、俯いてしまう。
「パステル、どうして悲しそうな顔をしてるの?」
「……何でも、ないの」
「……パステル、今言ったように、パステルは僕にとって『特別』だよ。
言ったでしょ? パステルは、僕にとっての光だ。一生、大切にするって」
「……友人として、でしょ」
「違う」
自棄になって呟いた私の言葉に、セオは珍しく食い気味に否定した。
椅子を引く小さな音が響くが、私は顔を上げない。
セオが、私のすぐ隣まで歩いてくる。
膝に置いていた手に、セオの手がそっと重なる。
セオはそのまま、私の隣に跪いた。
「パステル……お願いがある」
セオの発した声は、少し震えていた。
私は驚いて、セオの顔を見る。
先ほどより濃い緊張が、その瞳を揺らしていた。
セオは私の手を取り、両手で大切そうに包み込む。
「お願いって……なに?」
「成人したら――僕と、結婚してほしい」
時が止まったように感じる。
静寂の中で、自分の鼓動だけがやけにうるさい。
その言葉は、何もおかしいものではない。メーアからも、聞いていた。
自分でも、そう言われる日がもしかしたら来るかもしれないと、なんとなく思っていた。
それは、私の身を守るための鎧。
偽物の、嘘の、仮初の婚姻。
なのに、どうして、この胸はときめいてしまうのだろう。
何故、喜びを感じてしまっているのだろう。
この想いが相手からも返ってくることを、期待したらいけない。
分かっているのに――。
私は、苦労して、ようやく声を絞り出した。
「……それは、私を守るため?」
「……それもあるけど、それだけじゃない。僕、パステルがいい。パステルと一緒にいたい。――パステルじゃなきゃ、嫌だ」
「……ずるいよ……」
声が掠れる。
涙が、じわじわ滲んでくる。
「……ダメ……?」
「ダメなわけ、ないじゃない。だって、私は、セオのこと、好きなんだよ……」
私はもう、自分が悲しいのか、嬉しいのかも分からなくなっていた。
目からは熱い雫が、ぽろぽろと溢れてくるばかり。
「パステル……なら、どうしてそんな……」
「だって、そんな約束しちゃったら……セオの感情が完全に戻って、沢山の女性に出会って……いつか本当に愛する人が出来た時に、私、足枷になっちゃうよ」
「……本当に愛する人?」
「そうだよ。
私より綺麗で、頭も良くて、しっかりしたご令嬢は、沢山いるんだよ。私なんて、何の取り柄もないし……きっと、幻滅する。
それで、一時的な判断で婚約したことを、いつか後悔するんだよ……」
「パステル……」
セオは、片方の手を私から離すと、その手で私の頬を濡らす涙を優しく拭ってくれる。
そして、限りなく優しい声で囁く。
――勘違いしてしまいそうになるほどに。
「……完全に感情が戻ってない僕の言うことなんて信じられないかもしれないけど、僕、パステルが好きだ。
真実の愛とか、そういうのは分からないけど……パステルは、僕にとって本当に特別なんだ。嘘じゃない」
「……セオが嘘をつかないことぐらい、わかってるよ」
その『好き』がどういう想いかは分からないけれど、セオは嘘なんてつかない。
セオは私の手を持ち上げ、自分の頬に擦り寄せた。
その表情はどことなく切なそうで、私は胸を締め付けられる。
「もし、それでも納得できないなら……政略結婚と思ってもらっても構わない。パステルの安全のためにも、どうしても必要なんだ」
「政略結婚……」
「僕の言葉が信じられるようになるまでは、それでいい。でも、僕は、僕の意思でパステルと一緒にいたいと思ってる。忘れないで」
「セオ……」
「お願い、パステル」
セオの金色の瞳は、不安げに揺れている。
――政略結婚。
『王侯貴族の婚姻に、感情は必要ない』……いつだったか、セオが言ったその言葉が、頭を過ぎる。
「……そう、ね」
私は、心を決めた。
いつか身を引く覚悟はあるけれど、どちらにせよ、ノーという選択肢は私には存在しない――気持ちの上でも、聖王国の事情を考えた上でも。
「……わかったわ。お受けします。でも、ひとつ約束して」
「約束?」
「セオ……私、セオのこと、好きよ」
「……うん」
胸が苦しい。
ぎゅっと、押しつぶされそうだ。
けれど、言わなくてはならない。
「……だから、私が要らなくなったら、突き放してね。出来るだけ、冷たく」
「……そんなことには、ならない」
「それはわからないよ。……約束して」
「……わかった。約束、する」
セオは、悲しそうな目を向ける。
けれど、これでいい。
セオは優しい。
優しいから、私はついついその好意に甘えたくなってしまう。
だからこそ、冷たく突き放してくれないと、未練が残りそうだ。
セオは、頬に寄せていた私の手を膝まで下ろし、もう一度両手で包み込んだのだった。
「パステル、僕、パステルのこと……好きだよ」
「……うん。私は、セオのこと、好きよ」
私は、どうしても通じ合わない、『好き』の言葉がもどかしく感じたのだった。
「この後は、どうする? 地の精霊を除いて、精霊の手掛かりはもう残ってないよ」
私が落ち着くのを見計らって、セオは椅子に戻り、紅茶を手に取って尋ねた。
すっかり冷めてしまった紅茶は、苦味が出てしまったのか、セオはほんの少し顔を顰めている。
そんな小さな仕草も、感情の回復を実感させてくれる。
「そうね……精霊の件もそうだけれど、一度、お義父様とお義母様に話をしてみる必要があるわ。
婚約のことも許可を取らないといけないし、もしかしたら私の幼少期のことを何か知ってるかもしれない」
「そうだね。じゃあ、目的地は、ロイド子爵家の……タウンハウス? ファブロ王国の王都に向かえばいい?」
「ううん、便りもなくいきなりあちらに行くのは難しいわ。一度領地のマナーハウスに戻るよ。
それに、私のお母様と、セオのお母様の関係……何か、大切なことが隠されている気がするの。義両親に聞く前に、少し自分で調べてみたいわ」
もしかしたら屋敷に、私の両親の手がかりがまだ残っているかもしれない。きちんと話せば、エレナも協力してくれるだろう。
それに、屋敷を預かる身でありながら、長らく屋敷を不在にしてしまった。
トマスがいるから問題は起きていないだろうが、その間に義父から何か連絡が来ている可能性もある。
「大丈夫? 不安そうな顔してる」
「正直……すごく不安よ。義両親が急な婚約を受け入れてくれるかどうか」
「僕も、頑張る。何かあったら、パステルを支えるから」
「……うん。ありがとう、セオ。エレナが戻ってきたら、出発しましょう」
「うん」
「それと、これからは……セオの抱えてるもの、私にもちゃんと話してくれる?」
「うん、もう隠さない。これからはずっと、僕が隣でパステルを守るから」
そう告げたセオの瞳には、強い意志が輝いている。
「わかった。セオを信じるよ」
「……!」
セオは目を見開いて、驚きを露わにした。
そういえば、まだ思い出せないけれど、私が小さい頃にもセオにそう言ったと……セオ本人が言っていたっけ。
何か、セオにとって大切な思い出が詰まっている言葉なのかもしれない。
「パステル……僕は、必ず」
続く言葉は、心の内に飲み込んでしまったようだ。
セオは、想いを込めてきゅっと私の手を握る。
その手は温かくて、力強くて、けれど繊細で、どこまでも優しかった。
~第三章・終~
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