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第二章 聖女と『呪い』
1-8 黒いもや
しおりを挟むそれからしばらくして、秋も深まってきた頃。
エヴァンズ子爵家に、客人の来訪があった。
でっぷり……いや、少し立派な体格の、四十路の男性だ。
「ベイカー男爵、よく来てくれたね」
「エヴァンズ子爵、この度はお招きありがとうございます」
「ああ。早速、新規事業の件、詳しい話を聞かせて貰いたい。こちらの部屋へ……」
ベイカー男爵は、仕事の話をしに訪れたようだ。
挨拶もそこそこに、お父様と一緒に応接室へと入っていってしまった。
だが、その瞬間――
肌の表面を鳥の羽で撫でられた時のように、ぞわりと嫌な悪寒が全身に走る。
「今のは……?」
「どうしたの、ミア?」
今確かに、男爵の方から、どうにも嫌な雰囲気を感じられたのだ。
「お母様は、何ともありませんか?」
「何ともって……何が?」
「……いえ。何でもございません」
きっと、気のせいだったのだろう。
上手く説明できないのだが、男爵自身が嫌な気配を放っていた訳ではない。
ベイカー男爵とは何度も会っているし、これまで会った時には何もおかしな気配は感じられなかった。
深入りするのは危険かもしれないが、私の頭のどこかで警鐘が鳴っていた。
そして、仕事の話が終わり、ベイカー男爵が帰る際。
見送りのために再び玄関に顔を出した私は、男爵をじっと観察し――おぞましいものを見つけたのだった。
*
「――不気味な、黒い靄?」
「ええ。ベイカー男爵の左手の手首から先、指のあたりを靄が覆っていたのです。真っ黒で、ぞっとするような気配を放っていて……」
男爵が屋敷を訪れた翌日。
私に会いに来てくれたウィリアム様に、男爵から感じた不気味な気配のことを話していた。
「お父様にも、お母様にも、その靄は見えていないようでした。けれど、私には確かに見えたのです。魔法にお詳しいウィリアム様なら、もしかしたら何かご存じじゃないかと思いまして……」
「――ああ。心当たりは、ないことはないが……絞りきれないな。もう少し詳しく聞かせてくれないか?」
ウィリアム様は、近くにいた侍従を下がらせた。
私は気が付かなかったが、魔法に関する情報には、個人情報が含まれる場合もあるのだ。
もしその靄が隠されるべき内容の魔法で、偶然私が看破してしまったのだとしたら、私にもベイカー男爵にも何か損害をもたらすかもしれない。
ウィリアム様は人払いを済ませ、秘密を守ることを約束した後、私にいくつか質問をした。
ベイカー男爵が魔法を使えるかどうか。魔道具を所持していたか。魔法使いは同伴していたか。
それから、その靄の形状、動き、色の濃淡、触っている物や人に靄が移るか否か……。
一通り質問を終えると、ウィリアム様は考えこむ仕草を見せた。
ほとんど動くこともなく、真剣な表情で顎に手を当てているウィリアム様。
その芸術的なまでの美しいお姿は、いつまで見ていても飽きない。
口を開かなければ、絵画や彫刻を鑑賞している時と同じように、視線が吸い寄せられてしまう魅力が――
「――ミア。そんなにじっと見つめられたら、どうにかなってしまいそうだよ」
「~~~っ!! し、失礼しましたっ」
耳をほんのり赤くして表情を緩めたウィリアム様と、バッチリ目が合って、私は顔を熱くした。
しっかりと見つめてしまっていたことを本人に気取られてしまった。
――私としたことが。穴があったら入りたい……!
恥ずかしさのあまり思いっきり顔を逸らして俯いていると、正面から楽しそうな、揶揄うような声が聞こえてくる。
「ふふ、構わないよ。好きな女性に熱心に見つめられて、嫌だと思う男はいないさ」
「ま、またご冗談を……」
「冗談ではないのだけどな。――ところでミア。その男爵の件だけれど」
ウィリアム様の声色が変わる。
私が顔を上げると、真剣そのものといった表情のウィリアム様から、真っ直ぐな視線が注がれていた。
先程見つめていた美しい顔が、私の方に向いていて――とくん、と小さく鼓動が跳ねた。
「――その靄は、恐らく『呪い』だ」
私の心臓は、先ほどとは違う、嫌な跳ね方をしたのだった。
「『呪い』、ですか……?」
――呪い。
それは、以前ウィリアム様が説明してくれた通り、魔族の扱う闇魔法の一種である。
呪いをかけられると、その人間は段階的に痛みや苦しみを感じるようになり、全身に呪いが回ってしまうと強い苦しみに肉体も精神も蝕まれ、最終的には永い眠りに落ちてしまうのだという。
呪いが厄介なのは、その呪力を検知し治療することが出来る人間が、教会にいる『聖女』に限られていることだ。
魔族による被害が頻発していた戦争中はいざ知らず、発生源不明の弱い呪いが時折確認される現在は、発見が遅れることも多いと聞いた。
発見が遅くなると、呪われている当人にも、治療に携わる聖女にも、より大きな負担がかかってしまう。
ウィリアム様によると、教会も聖女の負担軽減のために『神殿騎士団』を調査に向かわせ、原因の究明にあたってはいるらしい。
しかし、これといった決定打を得られずにいる――正確には、『成果なし』の報告しか上がってこないようだ。
だが、ひとつ腑に落ちないことがある。
私は首を傾げて、ウィリアム様に質問をした。
「ウィリアム様。呪いって、教会にいらっしゃる聖女様たちにしか見えないものなのでは……?」
「その通りだ」
「なら、私に見えるはずがありませんわ。大聖女様のお血筋は、教会によってすべて把握されているはずでしょう?」
「そうなのだが、例外もある。それは、聖女が掟を破って教会を抜け出した時だ」
「……私は、教会にいたことはございません。それどころか、今まで教会には行ったことすらありませんわよ」
「ああ、君が教会から抜け出した聖女じゃないのはわかっている。そうだったら、神殿騎士団に追われているはずだ。君の場合は、そうではない」
私は、やはりよく分からず、反対側に首を倒した。
ウィリアム様は、少しの間、迷うようなそぶりを見せ――ためらいがちに口を開いた。
「――ミア。君は、拾い子なのだろう?」
ウィリアム様のその言葉に、私はすぐさま、彼が何を言わんとしているのかを察して――強い衝撃を受けたのだった。
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