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第一章 聖女ステラの手記
3-1 伯爵家の手厚いもてなし
しおりを挟む小鳥の囀る声と、柔らかな朝の光。
私は、いつにも増して穏やかな気持ちで目を覚ました。
「……?」
目を開いた瞬間、いつもと違う天蓋が見えて、私は二、三回まばたきをする。
「……あ……そうだ、ここ、オースティン伯爵家の……」
すぐそのことに思い至り、私はゆっくりと身体を起こす。
昨日、見知らぬ聖女がエヴァンズ子爵家を訪れ、急遽オースティン伯爵家に滞在することが決まったのだった。
「ウィル様……さすがにもう、出かけてしまったかしら」
昨日の夜眠るまでは、ウィル様のお見送りをするために早起きしようと思っていたのだが、寝過ごしてしまったようだ。
このベッドの寝心地がとても良かったのに加えて、眠る前に持ってきてくれたハーブティーの安眠効果が優れていたのだろう。昨日は、夢も見ずに熟睡してしまった。色々あって疲れていたから、というのもあったかもしれない。
ベッドサイドに置いたベルを鳴らしてシェリーを呼ぶと、続きの部屋からすぐに来てくれた。
尋ねると、やはりウィル様はもう仕事に出かけてしまったようだ。私は、寝過ごしてしまって申し訳ない気持ちになる。
「ウィル様は何時頃にお出ましになったの?」
「普段はわかりませんが、今日は日が昇り始めた頃に出て行かれたようです。ですから、お嬢様がお心を痛める必要はございませんよ」
「そんなに早く……?」
魔法騎士団の仕事は朝も夜もなく、急に呼び出されることもあると聞く。けれど、そんなに忙しいだなんて……ウィル様の身体が心配になる。
「ウィリアム様がお戻りになられる際にお出迎えできるよう、連絡が入ったらお嬢様にも声をかけてほしいと伝えておきましょうか」
「ええ、そうね。そうしてもらえると嬉しいわ」
「かしこまりました。後ほど、伯爵家の使用人の方にお願いしておきます」
「ありがとう」
今日に限らず、ウィル様は魔法騎士団に入団してから、ずっと忙しそうだ。
昨年の夏までのように、ウィル様からの愛情を信じることができないまま入団の日を迎えていたら――、手紙のやり取りもなく、会う回数もぐっと減って、さらに関係が冷えていってしまっただろう。不安と不信が募って、もしかしたら怒りに変じていたかもしれない。
けれど今は、確かな想いを感じられる。昨晩、額に、頬に、唇にふれた柔らかな熱を、私は大切に覚えている。
思い出すたびに、胸に火がともるような、ぽかぽかした気持ちになる。
それに、胸元に輝くこのペンダントも。
いつもウィル様がそばにいてくれるみたいで、不安な気持ちも寂しい気持ちも、すうっと消えていく。
ゆっくりと朝の支度をした後、私は、邪魔にならないように気をつけながら、オースティン伯爵家の邸内を散策することにした。
入っても良い範囲は限られているものの、魔法書がたくさん蔵書されているライブラリーや、美術品の置かれたギャラリーは、眺めているだけで楽しい。
伯爵家の使用人は、よく訓練されているのか、皆きびきびと動く。朝の忙しい時間帯が過ぎても、気を緩めることなく、各々の仕事に没頭していた。
今後のことはまだ未定だけれど、ひとまずはこのままオースティン伯爵家に滞在させてもらうことが決まった。ウィル様の父親であるオースティン伯爵からも、状況が落ち着くまで邸に滞在する許可をもらっている。
期間は、エヴァンズ子爵家を聖女マリィが再訪し、納得して帰るまで。
もしくは、近々魔法騎士団が大きく動く予定とのことで、状況が変化しそうになったら、その時にまた臨機応変に対応するということだ。
とにかく、『ウィル様の婚約者』として、私の身を守るようにと伯爵家の私兵に周知徹底されているから、安心して過ごすようにとのことだった。
――私が聖女だということは、当然伯爵家の中でも一部の人間にしか知らされていない。
伯爵家への滞在は、邸の外へ出ないことと、来客と顔を合わせないよう注意すること以外、何一つ制約などはない。
困ったことがあればシェリーかウィル様に言うように、とのことだったが、昨日の晩から今日の昼まで過ごした上で、困ることなど一切なかった。
食事は気をきかせて部屋まで持ってきてくれるし、刺繍セットや文通用の便箋の用意など、暇を持て余さないような配慮もされている。
天蓋付きのベッドはふかふかで極上の寝心地だったし、部屋の掃除も、私がいない隙に手早く丁寧に終わらせてくれた。
部屋の中には、外に出られなくても目を楽しませてくれるようにと、表の庭園に植えられていた春の花が飾られた。
オースティン伯爵家には、正面の庭だけではなく、小さな中庭もある。周囲を建物にぐるりと囲まれているため、敷地外から見られる心配もなく、安心して散歩することができる場所だ。
中庭の入り口付近には、小さな噴水とベンチが一脚ある。奥側には、ちょっとしたハーブ園が作られていた。
ハーブ園には、怪我に効くおなじみの薬草の他、ハーブティーにすると安眠効果が高まるハーブや、解熱と抗炎症効果のあるハーブ、遠征の際に食料と一緒に入れておくことで食材を長持ちさせることができる毒消しのハーブなど、騎士団の役に立ちそうな植物がたくさん植えられている。
ハーブ園の管理のために使用人たちが時折訪れる他は、人の出入りもない。
柔らかな光が差し込み、植物と水の香りに満ちた、爽やかな場所だ。観賞用の花たちが植えられている庭園とは違い、緑色が多めの庭である。
紫や白の素朴な花が控えめに咲いているが、無闇に飾り立てられてはいない。その自然な雰囲気が、なんだかとても落ち着く。
ウィル様も幼い時によくベンチに座って本を読んだり、少ない魔力でも使える簡単な魔法を練習したりしていたそうだ。
透き通るような黄金色の髪に光を浴び、新緑色の瞳を輝かせながら、夢中になって魔法に関する本を読んでいたのだろう――華奢で儚げだった『ルゥ君』の姿を思い浮かべて、私はひとり笑みをこぼす。
そんな『ルゥ君』が座っていたであろうベンチに腰を下ろして、私はエヴァンズ子爵家から持ってきた一冊の本を、膝の上に置いた。
――ステラ様の残した手記である。
今までは、勉強や練習の時間が限られていたこともあって、魔法の発動に関する部分以外はほとんど読んでいなかった。
だが、今はいくらでも一人の時間がある。それに、もうこれ以上、逃げるわけにはいかないだろう。
ステラ様がこの手記に残した、教会の秘密。聖女の秘密。
それを知るべき時が来たと、私の心が告げているのだ。
私は小さく深呼吸をしてから、膝の上にある手記を開いた――。
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