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第四章 決戦
5-19 紫
しおりを挟むミア視点に戻ります。
――*――
私が魔女の館のリビング中心部に強力な結界を張り、オースティン伯爵が次の指示を出そうとしたとき。
コツコツと石床を踏む靴の音と、何かを引きずるような重い音が聞こえてきた。
ズル、ズル。
コツ、コツ。
リビングの外から、ゆっくりとこちらへ近づいてくる音に、全員の警戒が高まっていく。
屋外から、轟々という低い地鳴りが聞こえてくるのも、不安を煽る。
私は身震いをして、両手で自らの腕をさすった。
中と外を隔てる素朴な柄の布地に、革手袋をはめた手がかかり、めくれ上がる。
そこから姿を現したのは――、
「シナモン! 無事だったのか!」
安堵の声をあげたのは、先程玄関を確認しに行こうとして引き返した騎士だった。
紫色の髪と瞳、中性的な容貌の女性騎士シナモン様は、右手で持ち上げた布の外から半身だけ姿を覗かせると、薄く笑みを浮かべて答える。
「ああ」
「心配したぞ。さっき、呻き声が聞こえたし、姿が見えなかったから」
シナモン様はそれに答えることなく、リビングの中にゆっくりと身体を滑り込ませる。
彼女がその左手で引きずっていたものは――、
「――っ!?」
私は、思わず口元を手で覆う。
そばにいたウィル様が、すかさず私を守るように、ぐいっと腰を抱き寄せた。
オルとルトも、グルルと唸りながら、私の足下で紺色の毛を逆立たせている。
次に口を開いたのは、伯爵だった。
「……シナモン、お前がやったのか?」
「ああ」
彼女が無造作に引きずっていたのは、腹部に剣が刺さり、ぴくりとも動かない、黒ローブの男だった。
シナモン様の剣には血液こそ付着していなかったが、かわりに剣の刺さっている場所付近には、インクのような濃厚な靄がわだかまっており、ぞわぞわとするような冷たい呪力を垂れ流している。
「それは……例の魔族か?」
伯爵がシナモン様に問いかけると、シナモン様は言葉で返答することなく、ローブの男を床に転がして、腹部の剣を引き抜いた。
抜いた剣には、やはり血液はついていない。相手が人ではないという証拠だ。
シナモン様は剣先を倒して男のフードにかけ、はらりと捲る。
「浅黒い肌、紅い瞳……『紅い目の男』に間違いないな」
「そのようです」
伯爵が問い、ウィル様が首肯する。
男の瞼は細く開いたまま閉じることなく、紅い瞳をのぞかせていた。
剣を引き抜いた場所からは、黒い靄が漏れ出ては、聖魔法の結界に触れて霧散していく。
「……死んだのか?」
「いや、そんなはずはないのじゃ。魔族は、聖魔法か聖剣技でしか滅することができないはずじゃ。……おぬし、本当にシナモンか?」
騎士の疑問に、魔女が冷静に反論した。
リビングに入ってこようとしないシナモン様の様子。
抜き身のままの剣に纏わり付いた呪力。
――魔女だけではなく、この場にいる誰もが、彼女を疑っている。
「剣先に聖魔法の魔法石を埋め込んで刺したら、動かなくなった。それだけだ」
「そんなにあっさりと済むものか。そうじゃな、なら、結界の中に入ってみるのじゃ。おぬしが本当にシナモンなら、入れるはずじゃろう?」
「ああ」
冷たく見据える魔女の視線もものともせず、シナモン様は頷く。
そして、彼女はその足を前へと踏み出した。
足先が、結界の中に入る。
抜き身のままの剣に纏わり付いていた呪力が、じゅうと音を立てて消える。
そして、もう一歩。
結果――シナモン様は、問題なく結界の中に全身入ることができた。
「……結界に、入った……? 本当に、おぬし……?」
「私は紛れもなくシナモンだ。『英雄』キャンベルの子孫、キャンベル侯爵家が長女。魔法騎士団イグニ隊所属、纏う属性と色から『紫電』の二つ名を戴いている」
シナモン様は、すらすらと自分のことを述べた。まっすぐにこちらを見る瞳も、紫色のまま。
「……勘違い、じゃったのか?」
魔女は首を傾げて、訝しげにシナモン様を見ている。
私の腰を抱いたままのウィル様も、眉をひそめ、警戒を解いていない。
かくいう私も、疑う心を晴らすことができない。
「もっと言おうか? 私がここで暮らし始めてから、魔女殿がしてきた失敗談や、思い出話を。例えば、貴女には睡眠は必要ないが、夜は暇だからと自室で横になる。そのときには必ずクマゴロウと名付けたクマのぬいぐるみを抱いて――」
「わわわ、わかったのじゃ! それ以上言うでない!」
魔女はあたふたして、顔の前で手をぶんぶんと振りながらシナモン様の言葉を遮った。
「ど、どうやら間違いなく本人のようじゃな。疑ってすまんかった」
「いや、疑うのも当然だ」
「それにしても……よく奴を倒せたな」
ウィル様がそう呟くと、シナモン様の顔がこちらへ向く。
そのとき、一瞬だけ……ランプの灯りを反射したのだろうか、紫色のはずの瞳の奥が、赤っぽく光ったように感じた。
「この館に来てからも鍛錬を欠かさなかったからな」
「流石だな、シナモン」
ウィル様は、瞳が赤みを帯びて光ったことに気がつかなかったのだろうか。普通に会話を続けている。
「では、後は噴火をやり過ごすだけだな。結界を手伝おうか」
「いや――結界は、このままでいい。もっと言うと、父上と俺とミアを除いた三人でも充分ですよね? 魔女殿」
「ん? ああ、そうじゃの。その三人で平気じゃろう。聖魔法の結界も、風の結界があれば要らないじゃろうしな」
魔女は、ウィル様の言い回しに首を傾げながらも、太鼓判を押した。
オースティン伯爵は、何かに気がついたようだ。さりげなく、腰に差した剣に指先で触れている。
ウィル様は私の腰に回していた手を解き、私たちの一歩前に踏み出した。
「なあ、シナモン。騎士として問う。お前の信念は、何だ?」
「何だ、突然」
「いいから、答えろ。騎士としてのお前の在り方は、何だ?」
「強くなること。誰よりも強くなって、敵をねじ伏せることだ」
シナモン様がそう答えた瞬間。
ウィル様はいきなり剣を抜き、シナモン様に斬りかかったのだった。
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