士官学校の爆笑王 ~ヴァイリス英雄譚~

まつおさん

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第十一章「ベルゲングリューン伯爵」(1)

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「うわはははっ!! くっせぇ!!」
「おとなのやることじゃないよね。やっぱりまつおさんはこどもだよ」

 未だいぶしたうんこの残り香が漂う納屋の前で、ユータとヨマが騒いでいる。
 
「でも、みんなでまたここであそべるの、うれしいねっ!」

 ニーナはいい子だなぁ。

「納屋の中はまだ入っちゃだめだぞー。危ないものが残ってるかもしれないから」
『『『はーい』』』

 湖で釣り竿ざおを振っている僕に、子供たちが元気よく返事した。

 旧ベルゲングリューン伯爵領。
 そして現まつおさん・フォン・ベルゲングリューン伯爵領になった邸内で、子供たちが遊び回っている。

「まつおさん、こんど、ほかのおともだちもつれてきていいー?」

 僕は釣り糸をリールで巻き取りながら、ニーナに答える。

「もちろんいいよ。でも、できれば最初はご両親ともご挨拶させてくれな? 何かあった時に魔法伝達テレパシーで連絡できるから」
「ほごせきにんってやつだね。そういうところはおとなっぽいよね」
「そりゃそうだよー。まつおさんは『りょうしゅさま』なんだから」

 ヨマとニーナの会話に、僕は思わず苦笑した。
 
「今、何匹目だね」

 そんな子供たちをまぶしそうに眺めてパイプをくゆらせながら、白髪の紳士が僕に話しかけてきた。
 老紳士の足元には自分用の釣り竿が置かれている。

「レインボートラウトが4匹、ヒメマスが1匹です」
「ほう、まずまずと言ったところだね。ヒメマスが釣れるというのは素晴らしい。この土地は恵まれているな」

 そう言う老紳士の魚袋バッカンの中身には、うわ、すげぇ、いつの間にイワナなんて釣ったんだ。
 ……っていうか、この湖でイワナなんて釣れるのか?!

「プラグの方が使いやすいだろう?」
「はい。道具屋さんではスプーンのルアーが定番だと言われたんですが」
「スプーンは一つで全ての層を釣ることができるから万能なんだ。だが、覚えたての君では一定の層と速度を保ったまま巻くのは難しいだろう」
「おお、なるほど」
 
 鳥打ハンチング帽に釣り用のベストをオシャレに着こなした老紳士がくれたルアーを眺める。
 朝の3時間でレインボートラウト1匹しか連れていなかったのが、トラウトの形を模した、青銀色に輝くそのルアーに変えてから、この1時間で面白いぐらいに連れた。

「ところで……」

 僕は遠慮がちに、老紳士に尋ねる。

「ご公務の方は、大丈夫なのですか? 宰相閣下」

 ユキがいたら、きっと大騒ぎしているに違いない。
 はしゃぎまわっている子供たちを楽しそうに眺めながら僕の隣で竿を垂らしている老紳士が、ヴァイリス王国宰相、アルフォンス・フォン・アイヒベルガー閣下その人だと知ったら。
 
「まったく大丈夫ではない。前宰相ベイガンが癒着していた軍高官や貴族、商人どもの調査や粛清、ジェルディク帝国をはじめ他国との調整および折衝。前任者ベイガンとの引き継ぎが全く行えない中でのあらゆる公共事業の把握、国務・軍務・財務・内務・司法・工部・学芸・宮内・典礼の閣僚との会合。奴が決して無能な男ではなかったのがせめてもの救いだね。……まったく、寝る暇もないよ」
「そ、それじゃ……」

 ダメじゃん。
 こんなとこで釣り糸垂らしてちゃ絶対ダメじゃん。

「ベルゲングリューン伯」
「あ、は、はい」

 一瞬自分のことだとわからず、返答が遅れた。

「私はね、さっさと娘婿に家督を譲って気ままな隠居暮らしをする予定だったのだ。祖母が遺してくれた農園で葡萄ブドウを育てて、自分好みの葡萄酒ワインでも作りながら余生を過ごすつもりだったのだよ」

 宰相閣下がうらみがましい目で僕を見上げた。

「協力してくれそうな葡萄酒ワインの醸造家と話をつけ、国王陛下に隠居する許可までいただいていたんだ。あのクソ野郎ベイガンがくだらん企みで失脚するまではな」
「な、なるほど……」
「つまりこれは、君のせいでもあるわけだ。君のおかげで、私は我が国において王族でない者が到達できる最高の地位で最も多忙な職務を仰せつかったわけだ」

 すいません。
 本当にすいません。

「そんな私が権謀術数渦巻く王宮をほんのちょっとだけ離れ、虚言癖と誇大妄想と噂好きだらけの貴族社会にスレていない若者と釣りに興じ、今後多忙を極める公務に邁進するためにひとときの安息を得ることの、いったい何が悪いと言うのだね」

 朝からルアー釣りするのがほんのちょっとなんだろうか。
 僕は少し、自国の行く末が心配になってきた。

「しかも君は、貴族慣れしていないとはいえ伯爵だからな。新しい伯爵領復興のための会合という名目であれば対外的にも問題ない」
「会合……」

 魚釣りをやっていただけなような気がするけど。

「宰相閣下。屋敷の調査が完了いたしました」
「うむ、ご苦労」

 廃屋敷の方から恰幅のいい男性がやってきて、宰相閣下に敬礼した。
 貴族服を着ているけど、服の上からでも筋骨隆々なのがよくわかる。
 無造作な黒髪短髪にきりりとした太い眉。きれいに剃られた口元にもし髭があれば、熟練の木こりと言われても驚かないだろう。

「紹介しよう。こちらは工部省のリップマン子爵だ」
「お初にお目にかかります。ベルゲングリューン伯爵」
「あ、はじめまして。リップマン子爵」

 うやうやしい挨拶をされて、僕は恐縮して頭を下げた。

「宰相閣下より、伯爵の領内の補修・改築・整備を仰せつかっております」
「えっ?!」

 唖然として振り向く僕をよそに、宰相閣下はリップマン子爵に告げる。

「今朝方からベルゲングリューン伯と釣りをしていたが、ヴァイリス周辺では稀少種であるヒメマスやイワナが釣れた。これを貴公はどう思うかね」
「はっ。おそらく、この湖にはアルミナの渓流からの流入があるからではないかと思われます」
「私もそう思う。領内の整備はこうした生態系の保全にも注意を払ってもらいたい」
「かしこまりました」

 そう言うと、宰相閣下はいたずらっぽい顔で僕を見た。
 「この私がただ釣りに興じていたと思うかね」、と言いたげな表情だ。
 いや、絶対ただ釣りに興じていただけで、こっちの仕事がおまけなんだと僕は思う。

「先に言っておくが、礼は不要だ。ベルゲングリューン伯」

 宰相閣下が言った。

「これから君の領内は我がヴァイリス王国によって大規模な改修を行うことになる。礼は不要だし、拒否権もない。君に任せているとオンボロ屋敷のままでいいや、と言いかねんからな」
「うっ」

 宰相閣下は僕のことをよくわかっておいでだった。

「仮にもヴァイリス王国の伯爵領が荒れ放題で屋敷がオンボロというのでは、自国と他国に示しがつかない。最低限の体裁はこちらで整えさせてもらう」
「はっ、ありがたき幸せ」
「私も公務の合間を縫って遊び……コホン、視察に来るつもりだが、領内整備はリップマン子爵に委任している。本人を前にして言うのもなんだが、なかなか話せる有能な男だ。なんでも相談したまえ」
「はい、よろしくお願いします。リップマン子爵」
「非才の限り尽力いたします。ベルゲングリューン伯」
「さて……、娘婿への土産も取れたし、私はこれで帰ることとしよう」

 いったい何匹釣っていたのか、魚袋バッカンに入っている魚をいくつか放流して荷を軽くすると、宰相閣下はいつの間にか領内に待たせていた馬車に乗り込んだ。

 ……底が知れないおじいさんだ。

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