士官学校の爆笑王 ~ヴァイリス英雄譚~

まつおさん

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第二部 第一章「高く付いた指輪」(8)

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「こちらが大使のコンセプシオン子爵だ」

 ポートイグニアス総督府の応接室で、アルフォンス宰相閣下が大使を紹介してくれた。
 大使っていうと、宰相閣下を若くしたおっさんのイメージを勝手に持っていたんだけど、思っていた大使のイメージとはだいぶ違っていて、スーツをバリッと着た、エキゾチックという言葉がピッタリくるような、大人の女性だった。

 まず印象に残ったのは、ヴァイリスでは珍しい、一重まぶたの、猫のようにキリッとした瞳。
 一見、真ん中で分けたロングヘアーを真っ直ぐに伸ばしただけのような髪型は、フェイスラインがやや内巻きになっていて、キツく見えがちな表情を柔らかく見せている。
 
 装飾品もシンプルで、化粧っ気もほとんど感じられないけど、手をかけていないわけじゃなく、スーツの着こなし方や、スカーフの巻き方一つ見ても、むしろすごくオシャレな人なんだと思う。

 きっと、ご自分のナチュラルな美しさに自信があるに違いない。
 都会のクールビューティ代表がヒルダ先輩だとすると、南国のクールビューティ代表って感じがする。

「お初にお目にかかります、ベルゲングリューン卿。イシドラ・フォン・コンセプシオンと申します」
頂戴ちょうだいいたします。コンセプシオン卿。まつおさん・フォン・ベルゲングリューンです」

 大使が立ち上がって名刺を差し出したので、僕は右手で、大使よりも低い位置で自分の名刺を差し出して、大使が受け取るのを確認してから、胸のやや上の高さで、左手に持った名刺入れの上で名刺を受け取り、すぐに右手を添えた。

「どうか、イシドラとお呼びください。伯爵」
「それでは、私のことはベルと。イシドラさん」
「くすっ、はい、ベル様」
 
 理知的な目を細めて微笑みかけたイシドラさんに、僕も微笑みながら、首を軽く斜めに傾けて、軽い会釈のジェスチャーをした。
 そんな僕の様子を、アルフォンス宰相閣下が驚いたような顔で見ている。

「それにしても、驚きましたわ。ベル様がエスパダ式の社交マナーを御存知だなんて」
「はは、恐縮です。付け焼き刃が少しでも上手くいったのなら幸いです」
「うふふ、ご謙遜を。いくらベル様が深慮遠謀でも、私とこうしてお会いすることまで予見はされていなかったはず。なのに、名刺までご用意されていらっしゃるばかりか、交換のマナーまで御存知だなんて……。ベル様が豊かな知見と教養をお持ちの証拠ですわ」

 僕は社交辞令ではなく、本当に苦笑した。
 名刺入れを絶対気に入ると見透かしていたメアリーは、自分の分だけでなく、僕の分まで名刺入れを作ってくれていたのだ。

 エスパダの革職人によって伝統的な製法で作られたミネアリスシオという革を使った黒革の名刺入れの内側には、鮮やかな青緑色に染めた革が張られている。
 そして、中央に掘られた水晶龍のエンブレム。

 メアリーには、後で何かお礼しなくちゃ。
 しかも準備がいいことに、メアリーは僕の名刺まで用意してくれていた。
 
 ヴァイリス王国 伯爵
 クラン「水晶の龍」代表
 ベルゲングリューンランド総帥

 まつおさん・フォン・ベルゲングリューン

 ……肩書はどうかと思うけど、鉄仮面卿の名刺よりは一万倍マシだった。

 船長室の騒動の後、げろを吐きそうな顔で抱きついてきたメアリーは、僕にこれだけを手渡して力尽きた。
 その後、ポートイグニアスのカフェテラスでくつろいでいたヒルダ先輩とギルサナスという上流貴族コンビに、エスパダ流の名刺交換方法をみっちりレクチャーされたのだった。

 互いに挨拶を済ませ、総督府の職員が紅茶を並べ終わって退室したところで、会談が始まった。
 ちなみに、ポートイグニアス総督府の総督は、アルフォンス宰相閣下だ。
 港町ポートイグニアスは宰相閣下の地元、生まれ故郷らしい。

 ……なるほど、釣りが上手いわけである。

「まずは、この度のに感謝いたします。ベル様」
「協力、といいますと?」

 僕は感謝の意を素直に受け取る前に、イシドラさんに聞き返した。
 もちろん、海賊団の討伐のことだろう。
 それはわかっているのだけど、「協力」という言葉を使ったことに少し違和感を感じた。

 なんとなくわかる。
 この人は宰相閣下と同類だ。 
 ちょっとした言い回しや表現で、交渉事を優位に運ぶ術を心得ている。

「我がエスパダの女王陛下は、最近のアドリアナ海域で問題になっていた海賊被害を重く受け止め、議会に海軍による討伐を提案、全会一致で可決され、今日にも軍事作戦が決行される予定だったのです。それで、『協力』と申し上げたのですわ」

 くすり、と笑いながらイシドラさんが言った。
 要するに、「お前ごときがしゃしゃり出なくても、海賊問題はエスパダで解決できたんだよ」と言いたいわけか。

 どうやら、エスパダ王国としては可能な限りヴァイリス王国から恩を受けたくないらしい。

「ふむ。アドリアナ海域の半分はヴァイリスの領海でもある。軍事作戦を実行するという話はこちらに連絡が来ていないが」

 アルフォンス宰相閣下が一刺しする。

「ええ。もちろん、ヴァイリス王国に承認をいただくつもりでおりましたわ」
「はは、すごいですね」

 僕が軽く笑うと、イシドラさんが首をかしげた。

「ベル様、すごいとは?」
「いえ、エスパダ王国はヴァイリス王国に軍事作戦の実行を本日伝えて、当日中にヴァイリス王国の承認を取り、当日中に作戦を実行できると考えたわけですよね。両国にそこまでの信頼関係があったとは、正直驚きました」

 僕がニコニコしながらそう言うと、イシドラさんは少し表情を変えながらも、笑顔を続ける。
 もちろん、今の僕の発言が痛烈な皮肉であると伝わった上でのことだ。

「海賊討伐は双方にとって利益のあることですから。正義と秩序を重んじるヴァイリス王国がそれを受理されないはずはありませんでしょう?」
「そう女王陛下が判断された、ということかね?」
「はい」

 絶対違うのに、イシドラさんは表情を一切変えず、ハッキリとそう言い切った。
 こう言い切られてしまっては、これ以上は何も言えない。

「そんなに我が国のことをご理解されていらっしゃるとは、さすが女王陛下ですな」

 さりげない苦笑を交えながら、アルフォンス宰相閣下が合わせた。

(うへぇ……。政治家って、いつもこんなかし合いみたいな会話しなくちゃならないのか)

 各国の関係やら互いの立場やらに配慮して、こういうまわりくどいやり方をしているのだろうけど、僕がそれに付き合うのもバカらしいよね。

「それで……、お話によると、海賊たちから奪還された金品の目録をご用意くださったとか」

 イシドラさんが表面上は友好的な表情を向けて、僕に尋ねた。

「ええ、そうなんですが……気が変わりました」
「……は?」

 僕はそれまで浅く座っていたソファに、どかっと深く座って、膝を組み、肘掛けに肘を乗せて腕を組んだ。

「今回の海賊討伐のために、私は私財を投じておとりとなる船を購入し、船員を雇い、私兵を動員させました。また、幸いにも、たった一人の犠牲者を出すこともなく討伐することができましたが、乗組員や兵、そして私自身の生命の危険を少なからず負っていたことも、また事実です」
「……」

 こいつは何を言い出すのか、という顔で、イシドラさんと宰相閣下が僕を見る。

「私が海賊団から回収した金品のうち、元々エスパダの方々の所有物であったと思われる物品をしようと思ったのは、これは私の善意であり、おわかりいただけるでしょうが、義務ではありません」
「そ、それは……」

 何かを言おうとするイシドラさんを、僕は右手で制した。
 大変無礼な態度ではあるけれど、場の空気を支配するには最適だ。

「善意というものは、特に恩を売るだとか、見返りを求めない、ただの敬意や好意によってもたらすべきものである、と私は思います。ですので、この会談に出席させていただくまでは、私も心から、そう考えておりました」

 僕はそこで言葉を切って、二人を見渡した。
 発言を制したこともあってか、イシドラさんは黙って、言葉の続きを待っている。

「ところが、会談が始まって以降のイシドラさんのお言葉は、そのようなご意図がなければ大変申し訳ないのですが……、可能な限り私、ひいてはヴァイリス王国に恩を着せられたくないという思いが随所から感じられたのです」
「私は決してそのようなつもりは……」
「ええ、そうなんでしょうね。大変失礼いたしました。ですが、生命を賭して海賊を討伐したことを『協力』とおっしゃり、私が動かなくても貴国だけで早晩解決できたと強調し、返還するのがさも当然だと言わんばかりに目録の提出を求められてしまって……、いえ、これは決して大使を責めているわけではなくてですね」

 思いっきり責めながら、僕はにっこり笑って言った。

「いやぁ、善意のつもりが、かえってご迷惑になってしまっているのだな、と思ったのです。であれば、そもそもの金品はすべて私の所有物として、今回のお話はなかったことにさせていただこうかと思いまして……」

 僕がそう言うと、それまで困ったような表情を見せていたイシドラさんの目がきゅっ、と細まり、一瞬、不敵な笑みを浮かべた。

 来る。
 本領発揮らしい。

「口下手な私の表現が拙く、ベル様に誤解をさせてしまったようで、大変申し訳ありませんでした。ですが……、盗まれたものを返還するというのは、ヴァイリスでも、エスパダでも、ジェルディクでも、法治国家であれば必ず法によって規定されていることだと思うのですが」
「……エスパダの通貨はペセタでしたっけ?」

 突然の問いに、イシドラさんは当惑しながらも、平静を装ってうなずいた。

「ええ、そうですが……」
「ちょっと一万ペセタ紙幣を見せていただいてもいいですか? 千ペセタ紙幣は持っているのですが……」

 僕はそう言って、財布の中身をイシドラさんに見せた。

「あら、とっても素敵なお財布! ヴァイリス貴族の方が財布をお持ちなんて……、ベル様は先進的でいらっしゃるのですね」

 ヴァイリスは後進的だと言わんばかりの物言いに、アルフォンス宰相閣下が苦笑する中、僕はにこやかにイシドラさんから一万ペセタ紙幣を受け取った。

 最新の活版印刷で刷られた、美しい紙幣にはシワ一つない。
 描かれているのは女王陛下だろうか。
 とても聡明そうで、気品があって、美しい女性が古風アルカイックな微笑みを浮かべた肖像が描かれている。

 ちなみに、この紙幣一枚で、銅貨1000枚、銀貨10枚の価値がある。

「ありがとうございます」
「え、ちょ、ちょっと……」

 僕がイシドラさんの紙幣をそのまま財布に入れると、イシドラさんが思わず素の声を上げた。
 エスパダの公職のお給料はそんなに高くないのだろうか。

 アルフォンス宰相閣下は、内心では僕の行動に驚いているのだろうけど、無言で状況を見守っている。

「どうかされました?」
「それ、私のお金です」
「いやぁ、それがですね……」

 僕は苦笑しながら、財布に入れた一万ペセタ紙幣をイシドラさんに見せた。

「ほら、紙幣のここをよく見てください。『B』って書いてあるでしょう?」
「えっ、い、いつの間に……」

 イシドラさんが動揺している間に、僕は言葉を続ける。

「この財布、いただき物なんですが、せっかくもらったので何か紙幣を入れておきたくて、一万ペセタ紙幣を入れていたんです。それで、記念にベルゲングリューンの頭文字を書いておいたんですが……、いつの間にか盗まれてしまいまして……」
「い、いえ、そんなはすは……」
「……失礼ですが、イシドラさんは盗んだりしていませんよね?」
「当たり前ですっ!」

 イシドラさんが憤慨を隠さずに言った。

「でもこの紙幣、元は僕のお金ですから……、僕の物ですよね?」
「お言葉ですが、百歩譲って、それが元々貴方のものであったにせよ、それは貨幣としての正規の流通を経て、私の手元に入ったものですから、私の物であることに変わりありませんわ」
「なるほど、納得しました。それでは、この紙幣はあなたに差し上げましょう」

 僕がそう言って一万ペセタを手渡すと、イシドラさんが奪い取るように紙幣を受け取って、自分の財布に仕舞った。
 ……さっきからアルフォンス宰相閣下が自分の太腿ふとももをつねって、笑いを必死にこらえている。

「それで、盗まれた物を返還するのがうんちゃらかんちゃら、でしたっけ」
「うんちゃらかんちゃらではありませんが、そうです」

 僕にお金を取られかけたのが本当に頭に来たらしく、すこし乱暴にイシドラさんが答える。

「それではお聞きしますが、その盗まれた物が、海賊団たちが『正規の流通を経て』入手したものでないという証拠はお持ちでしょうか?」
「はぁっ?!」
「その証拠がおありでしたら、私としても、海賊団の財宝をお譲りしてもかまわないと思っているのですが……」
「そ、そのようなもの、あるわけが……」
「おや? これはなことをおっしゃる」

 僕はニヤニヤ笑いながら言った。

「あなたは各国の法まで持ち出して私にご高説をお聞かせくださったのに、証拠もなしにそちらに金品を提供するのが当たり前だとおっしゃるのですか? それでは海賊と同じじゃありませんか」
「ぷぷーっ!!! あっはっはっは!!!!」

 アルフォンス宰相閣下がとうとう笑いをこらえきれず、紅茶を噴き出してしまった。

「大使。これはヴァイリスの宰相としてではなく、親友の娘御に対する忠告なのだが、この男に舌戦を仕掛けるのはやめておきたまえ。この私でさえ、とてもかなわんのだからな」

 イシドラさんは顔を真っ赤にして、宰相閣下をひと睨みした。
 なるほど、宰相閣下と親交があるから、この人も感情をそこまで抑制していないんだな。

「……わかりました。あなたが海賊団から得た一切の金品につきまして、エスパダは返還を求めません」

 おお、そう来たか。
 僕が少し驚きを見せると、僕が最大の切り札を失ったと思ったイシドラさんが挑発気味に笑った。

「ですが……、調べさせていただきましたところ、ベル様が乗ってお帰りになられたあの船は、エスパダ船籍の船のようですわね」
「ええ、その通りです」

 僕が答えると、イシドラさんは大げさに驚いた顔を見せた。
 先程の意趣返しということらしい。

「まぁ、御存知でいらしたのですか?! エスパダ船籍の船はエスパダに帰属すべきものですのに、ご自身の所有物であるかのように紋章旗を掲げ、ヴァイリスの港に着港させたということなのでしょうか」
「ええ、そうなります」
「そうなりますって……。となると、あの船は我がエスパダ王国にお返しいただけるということで、よろしいですわね?」

 勝ち誇った表情で、イシドラさんが言った。
 
「ふふっ……、チェックメイト、というお顔をしていらっしゃいますね」
「ええ、チェックメイトですもの」

 勝利の愉悦で口元をほころばせるイシドラさん。
 そういう表情が、とっても魅力的だ。
 すごく気が強い人なのは話していてよくわかるんだけど、僕はこういう人、嫌いじゃない。

 もしかして、エスパダの女性ってみんなこんな感じなのかな。

「うーん……残念!!!」

 僕は本当に残念に思いながら、そう叫んだ。

「ええ、とても残念ですが……、これで詰みです」
「違うんです……」

 僕は残念そうに、イシドラさんに言った。

「残念ながら……、チェックメイトされているのは、あなたの方なんですよね」
「……何をおっしゃっているのか、よくわかりませんが……」

 僕はイシドラさんに、にや、っと笑みを向けると、応接室に入った時に横に立て掛けておいた、布でくるんだ、大きな四角い物を持ってきて、膝の上に乗せた。

「まず、1つ目の残念」

 僕は布の包みをほどきながら、言った。

「『私が海賊団から得た一切の金品について、エスパダは返還を求めない』でしたっけ? 国の代表として大使が、宰相閣下と私の前でそうおっしゃったのですから、もうそのお言葉は今さらくつがえりませんよね……、大変残念です」
「何をおっしゃっているのか……えっ……」

 僕が布包みをほどいていくごとに、イシドラさんの顔色がみるみる蒼白になっていく。

「そ、それは……っ!!!」
「これだけは、どうしても返還して差し上げなければ……、と思っていたのですが……、そうか……大変残念です……」
「そ、そんな……そ、それは、もしかして……、『アフロディーテの邂逅かいこう』?!」

 それは、豪華な宝石細工が埋め込まれた金の額縁に入れられた、一枚の油絵だった。
 驚くほど精緻かつ力強いタッチで、美しい半裸の女神が手を差し伸べている様子が描かれた、素人目にも素晴らしい絵画だった。

「名画ですよねぇ……。きっとエスパダの名のある方の作だと思い、これはご返還せねばと思っていたのですが……」
「名画ですって?! そ、それは『神のごとく』と呼ばれた1400年前の巨匠、アレハンドロ・ブセナロッソの作品ですよ!? エスパダ王宮の女王の間に飾られていた三点のうちの一点!! 先の大戦の折に失われたと思われていた絵画が……、そんな……現存していたなんて!!!」

 全部知ってる。
 芸術家バルトロメウが歌いながら教えてくれたからだ。

「いやぁ、そう思ったんですけど……、一切の返還を断られてしまったので」
「い、いや、それは……!!」
「ちょうど便所に飾る絵がなくて探してたところなんですよね。これからは巨匠の描いた女神の微笑みを受けながら、ゆっくりとうんこすることができそうです」
「ぷぷーっ、くくくっ……、うわっはっはっはっは!!」

 宰相閣下がついに限界に達して、ソファから転がり落ちて笑い転げた。

「ベル様!! ベル様!! ど、どうか私の数々のご無礼のほどをお許しを!! そ、その絵は……、その絵だけは……!!」
「無礼? いえ、何も無礼を受けた覚えはありません。それでは、私はこれで……」
「船!!!」

 席を立とうとする僕に、イシドラさんが慌ててそう叫んだ。

「船?」
「船はお譲りします!! お譲りしますから!!」
「あなた……何を言っているんですか? あれは元々、僕のものですよ」
「そ、それは違います!! あれはエスパダ船籍の……!!」
「ええ、そうです。ですからあれは、一度元の持ち主に返還しているんです」
「えっ?」

 驚くイシドラさんに、僕はにっこりと笑いながら言った。

「元の所有者は、バルトロメウ・イグレシアス。海賊に捕らわれていた彼を救出した僕は、彼に船を返還し、そんな彼から譲り受けたのです。つまり、船籍がどうであれ、あの船が僕の所有物であることに変わりなく、エスパダ王国からどうこう言われる筋合いはまったくありません」
「ちょ、ちょっと待ってください……。イグレシアス? イグレシアス商会の?」

 イシドラさんがさらに驚いてこちらを見上げる。

「イシドラさん、驚くのはまだ早いですよ」

 僕は苦笑しながら、彼女とエスパダ王国にとって衝撃の事実を告げた。

「海賊団の首領の名はエメリコ・イグレシアス。彼の義弟です。彼が義兄から船を略取し、監禁し、海賊団を率いてアドリアナ海域を荒らし回っていたんですよ」
「なんですって!!!」

 イシドラさんはついにソファから立ち上がった。

「これが、残念の2つ目です」
「……そんな……、それは本当なんですか?」
「エメリコの身柄は私が極秘裏に預かっています。これが供述書と誓約書、それと雇用契約書になります。大使なら、押してある印章を見れば、絵画同様、これの真贋がおわかりになるのではありませんか?」

 僕は事前に用意していた羊皮紙を三枚、イシドラさんに見せる。
 それをじっくり何度も凝視すると、イシドラさんは深いため息と共に、ソファに沈み込んだ。

「なんて……こと……」
「残念な話ですね。もし事がおおやけになれば、エスパダ王国は大変なことになるんじゃないですか?」
「そ、それは……」
「イグレシアス商会の前当主はエスパダの現政権を全面的にバックアップしている大物ですよね。そんな大物のご子息が海賊行為を働いていたとなれば、お若いあなたを大使に任命した国家元首の首が飛ぶばかりか、あなたにまで累が及ぶ」
「ど、どうしてエスパダの内情をそこまで御存知なのですか……」

 僕にはヴェンツェルとメアリーという二大情報センターがいるので、「これから向こうの大使と会うんだけど、なんかいいネタある?」と聞くだけで、この程度のリサーチはなんでもないのである。

「加えて、アドリアナ海域というのがマズい。ヴァイリス王国と市民にも多大な迷惑をかけてしまっている。こんなことが明らかになってしまえば、エスパダ王国は向こう100年は、我がヴァイリスに頭が上がらないでしょうね」
「……」
「少しはご理解いただけましたか? 貴国は『ヴァイリス王国になるべく恩を与えたくない』などと、スケールの小さいことを画策している場合ではないのですよ」
「……」
「ご理解が足りないようなので補足しますと、海賊団の正体については、僕のほうで、早い段階で情報統制しており、新聞報道についても固く禁止しています。改心した彼らを罰するのは気が引けますし、また、両国にとっても、その方がよろしいでしょうから」
「……理解いたしました……。ベル様のご機転に感謝いたします……」

 イシドラさんが、力なく答えた。

「どうやら、チェックメイトのようだね。大使」

 呆然とするイシドラさんに、宰相閣下がトドメを刺した。

「それでは、会談の続きをしましょうか。『協力に感謝する』でしたっけ?」
「い、いえ……。一度本国に持ち帰らせていただきますが……。おそらくは、女王陛下からの感謝状と、叙勲は間違いないかと……」

 イシドラさんが言った。

「ねぇ、宰相閣下」
「なんだね、ベルゲングリューン伯」
「エスパダってケチなんですか?」
「べ、ベル様!」
「それとも、この大使がケチなのかな……」
「ふむ、まぁ、我が国と違って王権が限られるとはいえ……、たしかに気前が良いとは言えないだろうね」

 僕の小芝居を楽しそうに笑いながら、宰相閣下が調子を合わせる。
 本当に楽しくてしかたがないらしく、ノリノリである。

「わ、わかりました!! ベル様はヴァイリスの方なので、領土はお譲りできませんが……、エスパダにお屋敷をご用意します!!」
「かーらーのー?!」

 僕は名画「アフロディーテの邂逅」をさり気なく持ち上げながら、イシドラさんをひと押しする。

「べ、ベル様の生涯にわたる自由渡航権と、お持ちの船舶のエスパダ領への自由着港を許可します!!」
「う~ん」

 砲台をあれだけ積んだ船を、他国に着港させるのは普通に考えて無理だ。
 なので、実は着港許可は一番欲しかった権利の一つだったんだけど、僕は顔をしかめて見せた。
 
「しゃ、爵位を!! 当代かぎりの名誉称号ですが、ベル様にふさわしい爵位をご用意します!!」
「かーらーのー?」

 半泣きになるイシドラさんの前で、僕は「アフロディーテの邂逅」をぐるぐると回した。

「こ、これ以上、どうしろとおっしゃるんですかぁ!」
「通商権」

 僕は言った。

「っ?!」
「つ、通商権?!」

 イシドラさんだけでなく、にやにや笑っていたアルフォンス宰相閣下の笑顔が急に止まって、驚愕の表情を浮かべた。

「ヴァイリスにはジェルディクからの品はたくさん入ってきますが、通商権がないため、エスパダの商品はあまり入ってこないんですよね。そちらの国もそうでしょう?」
「そ、それはそうですが……、社会制度が異なるということもあり、今まで各国との貿易が思うように進んでいなかった側面があります。そのような国際的な条約をこの場で決定するのは……」
「もちろんわかっています。ですので、国家間の取り決めはとりあえず将来的に、そちらの国と宰相閣下で進めていただくとして。私個人の通商権であれば、女王陛下の一存でお許しいただけないのかなーと」
「……わ、わかりました。女王陛下のご裁可を仰いでみます……」
「私がこの絵を便所に飾るまでに、そのご裁可とやらが得られるのを、心よりお待ちしております」

 僕が釘を刺すと、イシドラさんがふらふらした様子でこめかみを揉んだ。
 
 ……こうして、会談はおおむね、こちらの思い通りに推移した。

「べル様って、怖い方なんですね……。女王陛下が気に入りそうな御方」

 会談が終わり、互いに握手を交わし、応接室を退室する時に、イシドラさんは微笑みながらそんなことを言った。

 すっかりスイッチが切り替わり、会談前の強気な雰囲気に戻っている。
 うん、呆然とした顔は面白かったけど、この人はこうしているのが一番美しい。

「通商権とは、恐れ入ったよ。まだ学生の君が、まさかそんなことまで言い出すとは……」

 アルフォンス宰相閣下が肩をすくめながら、ブランデーをあおった。

 それまで、商売にはあまり興味がなかったんだけど、ベルゲングリューンランドの運営で、何かの活動をする際に、経済を回し続けることがいかに重要かを僕は学んだ。

 今回の海賊討伐で船をぽん、と買えたのもベルゲングリューンランドのおかげだし、宰相閣下主導のヴァイリス王国が既得権益を握る前に、ベルゲングリューン市の各施設や設備を準備できたのも、これまでの報奨金だけでなく、移動式馬防柵の開発・販売などに手を広げていたからだ。
 
 ヴァイリス・ジェルディク間で手広く商売をしているギュンターさんと、エスパダの豪商の現当主であるバルトロメウ。
 この二人を抱えている僕が、エスパダとの通商権を独占的に取得できるということの持つ意味は、この絵画一枚の価値よりはるかに大きい。

「どうやら、君がヴァイリス王国ごと買い占めてしまう前に、エスパダとの通商条約を締結せねばならくなったようだ」
「しませんよ、そんなこと」

 こういう時の宰相閣下は笑っていても目が笑っていなかったりするんだけど、なぜか今日は心から楽しそうに笑っている。
 まるで、そうなったらなったで面白い、とか思っているみたいだ。

「それなら、なぜ通商権なんて求めたのかね? 女王陛下の裁可が下りれば、君は間違いなく、ヴァイリスの貴族で一番の富豪になると思うが」
「いやぁ、エスパダの革製品、気に入っちゃったんですよねー」
「……本当の理由は?」

 やれやれ。
 僕は苦笑しながら、宰相閣下に答えた。

「約束ですよ」
「約束?」
「そう、約束」

 僕はアルフォンス宰相閣下に答えた。

「卒業したら、君の目を取り返すって、大切な友達に約束しちゃったんで」
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