傲慢な神様の巫女

きたじまともみ

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飢えた牙

2 善様

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 境内の中を腕を組みながら歩き、玄関の扉を開いた。

「おばあちゃん」

 大きな声で呼びかけると、「はいはい、どうしたの?」と返事をしながら、廊下を歩く音が聞こえた。
 玄関までやってきた千代は、腕を組む結衣と善を見て「あらまぁ」と口元を手で押さえる。

「おばあちゃん、彼氏の善だよ」

 もう婿を取れなんて言われたくないし言わせない。
 千代は善に向かって両手を合わせた。

「善様、お久しぶりでございます」
「ああ、千代。いつも祈ってくれて助かっている」

 善が屈託なく笑う。
 結衣への対応と随分違った。

「あの……それで、結衣の言ったことは……」

 千代は言葉を濁して、善の顔を伺う。
 善は肩をすくめた。

「初めは断ったんだがな。それなのにどうしても俺の彼女になりたいと懇願された。仕方なく付き合ってやっている」

 結衣が善を好きでまとわりついたような言い方に、奥歯を食いしばって耐える。

「そうでしたか。いたらない孫ですが、よろしくお願いいたします」

 千代は深々と頭を下げた。

「ちょうど結衣の隣の部屋が空いております。善様もこちらで生活してはいかがでしょうか?」

 千代の提案に結衣は慌てて声を上げる。

「ちょっと待って! おじいちゃんとおばあちゃんの知り合いなのかもしれないけど、よく知りもしない男が隣の部屋にいるなんて嫌なんだけど」
「何を言っているの? 結衣は善様とお付き合いをしているのよね?」

 千代は目を瞬かせて、不思議そうに首を傾けた。

「その善様ってのもなに? おばあちゃんが土地神を善様って慕っているのは知ってるけど、善はどう見ても人間でしょ。名前が同じってだけで」

 千代と善が顔を見合わせた。
 千代はくすりと笑う。

「この方が土地神様の善様よ。知らずに付き合っていたの?」

 千代は「結衣は本当に善様のことが好きなのね」と少女のように頬を染める。

「え? だって、触れるじゃん。何で神様に触れるの?」

 善の体をベタベタと触れば、善に咳払いをされる。
 迷惑そうな顔に気まずさから「ごめん」と告げて、手を下げた。

「鳥居からこちら側。神社の敷地内でのみ、人間は俺の姿を認識できる」
「絶対に嘘! だって私は小さな頃からここに住んでいるけど、善のことを初めて見るもん」
「いつもは本殿にいる」

 御本殿は普段入ることができない。
 掃除の時に宗一郎が入るが、神聖な場所だからと結衣は掃除の手伝いもしたことがない。

 玄関の扉が開く。
 玄関に揃っている結衣たちを見て、宗一郎が目を丸くした後に善に向かって腰を折った。

「善様、こちらにいらしたのですね。御本殿のお掃除は滞りなく終えました」
「そうか。いつも綺麗にしてくれて清々しい。苦労をかけるな」
「もったいのうございます。善様のお力添えになれるのであれば、これ以上の喜びはございません」

 宗一郎はもう一度丁寧に頭を下げた。

「いつも御本殿にいるなら、おじいちゃんにやらせるんじゃなくて、自分で掃除しなさいよ!」
「こら、結衣! 善様に向かってなんてことを言うんだ」

 穏やかな宗一郎が慌てふためき、結衣を叱る。
 普段の宗一郎からは想像できない姿に、結衣はポカンと口を開いた。

「こんなところで立ち話をして申し訳ありません。善様、どうぞ中に。とっておきのお酒をご用意いたしますね」

 千代に促され、善は家に上がる。
 後ろ姿がウキウキとして見えるのは、お酒に釣られたためだろう。

 結衣と宗一郎も靴を脱ぎ、リビングへ向かう。
 全員が席に着くと、千代が宗一郎に結衣と善のことを話した。

「最近の子は、すぐに仲良くなるんだな」

 宗一郎は理解の範疇を越えている、といった様子で曖昧に頷いた。
 結衣は怪しい人がいる、と善のところまで宗一郎を連れて行ったばかりだ。それなのに彼氏だと紹介されれば戸惑うだろう。結衣だって逆の立場なら訝しむ。

 結衣は乾いた笑い声を上げ、隣に座る善に目を向ける。
 善は「美味い!」と上機嫌にお酒に夢中だった。
 千代が善のお猪口に酒を注ぎ、和気あいあいとした雰囲気で話している。

「結衣、そろそろ着替えてきなさい」

 時計に目を向けると、八時を指していた。九時に厄祓いの予約が入っている為、結衣は準備のために席を立つ。

 自室に入ると白衣と緋袴に着替え、無造作に纏めた髪は、うなじできちんと結び直す。
 着替え終わると拝殿の掃除をしたり、神具の手入れや準備をした。

 時計が九時を指すと、結衣は受付で初穂料の確認と簡単な説明を済ませて参拝者を拝殿へと誘導した。

 参拝者は神職の後ろ、畳に敷かれた座布団に正座をする。結衣は神職席に近い控えの場所で待機した。
 狩衣姿の宗一郎が、厳かな足取りで神前へ進み出る。そして深々とお辞儀をした。

「ただいまより、厄祓いのご祈祷を執り行います」

 宗一郎の穏やかながらよく通る声が、静かな拝殿に響き渡った。
 宗一郎が大麻おおぬさという白い紙垂がついた木の棒を手に取り、それを左右に振りながら、参拝者と場を祓い清めていく。

 結衣はバサバサと紙垂が鳴る度、空気が澄んでいくように感じて、宗一郎の鳴らすこの音が好きだった。

 宗一郎が神前で深く頭を下げ、祝詞を奏上し始めた。
 低く荘厳な声で、参拝者の氏名と住所、生年月日、そしてこれから一年間の無病息災が、神へと捧げられていく。

 この神聖な儀式が、リビングで酒を飲んでいる善に捧げられることが結衣には信じられなかった。

 祝詞が終わり、宗一郎が静かに一歩下がると、結衣の出番だった。

 結衣は立ち上がり、床を踏み鳴らさぬよう静かに進み出る。手に持つのは、白い柄の先にいくつもの鈴と五色の布が付いた神楽鈴。
 結衣は流れるように巫女舞を舞い始めた。
 鈴を回し、袖口の緋色の布が優雅に舞う。小さな鈴の清らかな音が心地良い。

 舞が終わると、宗一郎が玉串の捧げ方を参拝者に指導し、拝礼。
 無事に儀式が終わり、結衣は控室で待つ参拝者へ御札と御守りを手渡した。

 参拝者を見送ると、拝殿を丁寧に掃除する。
 掃除が終わると家に戻り、千代がグラスに注いだ冷たいお茶を一気に飲み干す。
 善は酒を飲んで満足したのか、絨毯の上で寝転がっていた。

「ねぇ、おばあちゃん。善はなにもしないの?」
「善様にも事情があるのよ」

 千代は悲しそうに笑う。
 善は朝から酒を飲んで寝て、と怠けているようにしか見えない。
 社務所の呼び鈴が鳴り、結衣は対応に向かう。

 二十代くらいの女性二人組の御朱印をしたためた。
 御朱印帳を手渡して窓口を閉めようとした時、宗一郎が境内を歩いているのが見える。

「善が働いたら、おじいちゃんが楽できるかもしれないのに」

 不満を漏らし、結衣はリビングに戻る。
 儀式の手伝いや参拝者の対応をして、合間にリビングで勉強をしていた。
 夕方になるまで、善は起き上がることはなかった。
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