20 / 45
心の光
20 善の不調
しおりを挟む
千代のことが気になり、テストに集中することができない。
テストの合間の休憩時間になると、スマホを見ては盛大なため息を吐く。なんの連絡もない。
全てのテストを終えて、結衣は急いで帰る。
真上から太陽が照り付け、なにもしていなくても汗が滲む。
結衣は汗だくになりながら、自転車を目一杯漕いだ。
千代が心配で、気持ちが急く。
家に着くと自転車を止め、額に張り付く前髪を掻き上げた。
大きく息を吐き出すと、長い石階段を駆け上がる。
息を荒げながら「ただいま!」と声をかけると、千代が出迎えてくれるが、すぐに引っ込んだ。
目を瞬かせていると、タオルを持ってきてくれた。
「結衣ちゃんおかえりなさい。暑かったでしょ。冷たいお茶を用意するわね」
結衣は千代からタオルを受け取る。
まだ戻っていない。千代は結衣と呼ぶ。
タオルで顔を押さえつけた。目に涙が滲む。結衣は涙を誤魔化すように、ゴシゴシと強く顔を拭った。
「結衣ちゃん、そんなに強くしたら赤くなっちゃうわよ」
千代の声にタオルを顔から離す。
「目と鼻が赤くなっちゃったわね」
「顔洗ってくる」
「お茶を用意しておくわね」
結衣は洗面所に入り、冷たい水で顔を洗った。
千代に他人のように接されるのが辛い。目に溜まる涙を、もう一度顔を洗って追い出した。
リビングで冷たいお茶を飲み、自室で着替える。
善と宗一郎はどこだろうか、と家の中を探すが見つからない。
「ねえ、善とおじいちゃんはどこにいるの?」
千代のことをおばあちゃんと呼べなくて、結衣は下唇を噛んだ。
「善様と神主様なら、拝殿にいらっしゃるわよ」
「私も行ってくる」
「もうすぐお昼ご飯ができるから、早めに戻ってきてね」
千代に「わかった」と返事をして、結衣は拝殿に駆け込む。
拝殿に入ると、善と宗一郎が話し込んでいた。
結衣はそこに割って入る。
「善、おじいちゃん、おばあちゃんはどうなの?」
「ああ、結衣、おかえり」
宗一郎は眉尻を下げて困ったように笑う。
「ばあさんはやっぱりじいちゃんと結衣だけを忘れているようだ。午前中は商店街で買い物をしていたが、お店の人や近所の人と楽しそうに話をしていた」
「……おじいちゃん、尾行をしていたの?」
「どうしても気になって」
宗一郎は肩を落とす。
宗一郎は自分のことを忘れているのに、他の人と和気藹々としている千代を目の当たりにして、相当落ち込んだらしい。
「千代と話をした限り、千代は自分のことを、住み込みの家政婦だと思っているようだ」
家族と認識していないのに家事をしているのは、そういう理由なのか。
「どうしたら戻るのかな?」
「わからない。だが思い出して欲しいから、と千代をあまり刺激するな。記憶を奪われた直後なんだ。穏やかに見えても、千代の心は不安定だろう」
「刺激するなって、このまま様子を見るってこと?」
「そうだ。記憶を取られたからといって、命に関わるというわけではない。結衣と宗一郎は辛いかもしれないが、千代の心を壊さないように慎重になるべきだ」
結衣と宗一郎は顔を見合わせて、渋々頷いた。
すぐに思い出して欲しいが、千代に負担を強いることはしたくない。
「あっ、そうだ。おばあちゃんが、もうすぐお昼ご飯ができるって言ってたよ」
「そうか、じゃあ家に戻ろう」
家に戻ると、ちょうど配膳が終わったところだった。
具材のたっぷり乗った冷やし中華だった。
「わー、美味しそう! 暑いから冷たいものが食べたかったんだ」
結衣は口角を無理矢理上げて、両手を合わせた。
「よかった。結衣ちゃん、いっぱい食べてね」
笑い皺の多い千代が、柔らかく笑う。いつもと変わらない笑顔だ。それでも結衣の呼び方が違い、いつもの千代ではないと改めて思い知らされる。
結衣たちはいつも通り過ごしながら、千代を気にしていた。
見ているだけだと、千代も普段と変わらなかった。
土曜日、日曜日はなにもできずに過ごす。
千代の記憶は、結衣と宗一郎を忘れたところから変わらない。
月曜日になり、「おはよう」とリビングに入ると、善があぐらを描いて腕を組み、機嫌が悪そうだった。奥歯を噛み締めて、目を尖らせている。
「善、どうしたの?」
結衣が声をかけると、善は眉間を狭める。
「いつも千代の祈りで一日が始まるのに、それがないから落ち着かない。毎朝手は合わせてくれるが、心がこもっていなくてな。千代の祈りがないと、気持ちが悪い」
善は胸の辺りをさする。
結衣は神棚に向かって、手を合わせた。
(おばあちゃんが早く記憶を取り戻しますように)
結衣が手を下ろすと、善は大きく息を吐き出した。
「結衣の方が神力が強くて、俺に伝わる力も大きい。だが、千代の祈りがないとダメだ。気分が乗らない」
善にとっても、千代の記憶がないことは、死活問題のようだ。
「様子を見てるだけじゃなくて、記憶を奪った犯人を探した方がいいんじゃない?」
「……そうかもしれないが、慎重にならざるを得ない」
善は瞼を下ろして思考を巡らせているようだが、すぐに「ダメだ、頭が働かない」と首を振った。
千代の祈りが不足しているからだろう。気力が枯渇している。
千代の作ったいつもの味の朝食を食べて、結衣は学校に向かった。
テストの合間の休憩時間になると、スマホを見ては盛大なため息を吐く。なんの連絡もない。
全てのテストを終えて、結衣は急いで帰る。
真上から太陽が照り付け、なにもしていなくても汗が滲む。
結衣は汗だくになりながら、自転車を目一杯漕いだ。
千代が心配で、気持ちが急く。
家に着くと自転車を止め、額に張り付く前髪を掻き上げた。
大きく息を吐き出すと、長い石階段を駆け上がる。
息を荒げながら「ただいま!」と声をかけると、千代が出迎えてくれるが、すぐに引っ込んだ。
目を瞬かせていると、タオルを持ってきてくれた。
「結衣ちゃんおかえりなさい。暑かったでしょ。冷たいお茶を用意するわね」
結衣は千代からタオルを受け取る。
まだ戻っていない。千代は結衣と呼ぶ。
タオルで顔を押さえつけた。目に涙が滲む。結衣は涙を誤魔化すように、ゴシゴシと強く顔を拭った。
「結衣ちゃん、そんなに強くしたら赤くなっちゃうわよ」
千代の声にタオルを顔から離す。
「目と鼻が赤くなっちゃったわね」
「顔洗ってくる」
「お茶を用意しておくわね」
結衣は洗面所に入り、冷たい水で顔を洗った。
千代に他人のように接されるのが辛い。目に溜まる涙を、もう一度顔を洗って追い出した。
リビングで冷たいお茶を飲み、自室で着替える。
善と宗一郎はどこだろうか、と家の中を探すが見つからない。
「ねえ、善とおじいちゃんはどこにいるの?」
千代のことをおばあちゃんと呼べなくて、結衣は下唇を噛んだ。
「善様と神主様なら、拝殿にいらっしゃるわよ」
「私も行ってくる」
「もうすぐお昼ご飯ができるから、早めに戻ってきてね」
千代に「わかった」と返事をして、結衣は拝殿に駆け込む。
拝殿に入ると、善と宗一郎が話し込んでいた。
結衣はそこに割って入る。
「善、おじいちゃん、おばあちゃんはどうなの?」
「ああ、結衣、おかえり」
宗一郎は眉尻を下げて困ったように笑う。
「ばあさんはやっぱりじいちゃんと結衣だけを忘れているようだ。午前中は商店街で買い物をしていたが、お店の人や近所の人と楽しそうに話をしていた」
「……おじいちゃん、尾行をしていたの?」
「どうしても気になって」
宗一郎は肩を落とす。
宗一郎は自分のことを忘れているのに、他の人と和気藹々としている千代を目の当たりにして、相当落ち込んだらしい。
「千代と話をした限り、千代は自分のことを、住み込みの家政婦だと思っているようだ」
家族と認識していないのに家事をしているのは、そういう理由なのか。
「どうしたら戻るのかな?」
「わからない。だが思い出して欲しいから、と千代をあまり刺激するな。記憶を奪われた直後なんだ。穏やかに見えても、千代の心は不安定だろう」
「刺激するなって、このまま様子を見るってこと?」
「そうだ。記憶を取られたからといって、命に関わるというわけではない。結衣と宗一郎は辛いかもしれないが、千代の心を壊さないように慎重になるべきだ」
結衣と宗一郎は顔を見合わせて、渋々頷いた。
すぐに思い出して欲しいが、千代に負担を強いることはしたくない。
「あっ、そうだ。おばあちゃんが、もうすぐお昼ご飯ができるって言ってたよ」
「そうか、じゃあ家に戻ろう」
家に戻ると、ちょうど配膳が終わったところだった。
具材のたっぷり乗った冷やし中華だった。
「わー、美味しそう! 暑いから冷たいものが食べたかったんだ」
結衣は口角を無理矢理上げて、両手を合わせた。
「よかった。結衣ちゃん、いっぱい食べてね」
笑い皺の多い千代が、柔らかく笑う。いつもと変わらない笑顔だ。それでも結衣の呼び方が違い、いつもの千代ではないと改めて思い知らされる。
結衣たちはいつも通り過ごしながら、千代を気にしていた。
見ているだけだと、千代も普段と変わらなかった。
土曜日、日曜日はなにもできずに過ごす。
千代の記憶は、結衣と宗一郎を忘れたところから変わらない。
月曜日になり、「おはよう」とリビングに入ると、善があぐらを描いて腕を組み、機嫌が悪そうだった。奥歯を噛み締めて、目を尖らせている。
「善、どうしたの?」
結衣が声をかけると、善は眉間を狭める。
「いつも千代の祈りで一日が始まるのに、それがないから落ち着かない。毎朝手は合わせてくれるが、心がこもっていなくてな。千代の祈りがないと、気持ちが悪い」
善は胸の辺りをさする。
結衣は神棚に向かって、手を合わせた。
(おばあちゃんが早く記憶を取り戻しますように)
結衣が手を下ろすと、善は大きく息を吐き出した。
「結衣の方が神力が強くて、俺に伝わる力も大きい。だが、千代の祈りがないとダメだ。気分が乗らない」
善にとっても、千代の記憶がないことは、死活問題のようだ。
「様子を見てるだけじゃなくて、記憶を奪った犯人を探した方がいいんじゃない?」
「……そうかもしれないが、慎重にならざるを得ない」
善は瞼を下ろして思考を巡らせているようだが、すぐに「ダメだ、頭が働かない」と首を振った。
千代の祈りが不足しているからだろう。気力が枯渇している。
千代の作ったいつもの味の朝食を食べて、結衣は学校に向かった。
0
あなたにおすすめの小説
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜
高里まつり
キャラ文芸
【耳のいい隠れ長公主】✕【したたかな美貌の文官】コンビが挑む後宮の陰謀!
片目が紅い娘・曄琳(イェリン)は訳あって後宮から逃走した妃の娘ーー先帝の血を引く、隠れ長公主。
貧民街で隠れて生活していたのに、ひょんなことから宮廷に舞い戻ってしまった曄琳は、生まれを秘匿し、楽師としてあらゆる音を聞き分けるという特技を活かしながら、宮廷からの脱走を目論んでいた。
しかしある日、後宮で起きた幽鬼騒動の解決に駆り出された先で、運命を狂わされてしまう。
利用できるものは利用します精神の美形の文官・暁明(シャオメイ)と、出生の秘密をなんとか隠して外に出たい曄琳。
二人が後宮での事件を追う中で、母や貴妃の死、過去の出来事が少しずつ絡んで、宮廷の陰謀に巻き込まれていく。契約じみた曄琳と暁明の関係も少しずつ、少しずつ、形を変えていきーー?
曄琳の運命やいかに!
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす
絹乃
キャラ文芸
12月26日よりコミカライズ開始。
旧題:後宮の隠れ薬師は、ため息をつく~花果根茎に毒は有り~
陸翠鈴(ルーツイリン)は年をごまかして、後宮の宮女となった。姉の仇を討つためだ。薬師なので薬草と毒の知識はある。だが翠鈴が後宮に潜りこんだことがばれては、仇が討てなくなる。翠鈴は目立たぬように司燈(しとう)の仕事をこなしていた。ある日、桃莉(タオリィ)公主に毒が盛られた。幼い公主を救うため、翠鈴は薬師として動く。力を貸してくれるのは、美貌の宦官である松光柳(ソンクアンリュウ)。翠鈴は苦しむ桃莉公主を助け、犯人を見つけ出す。※中国の複数の王朝を参考にしているので、制度などはオリジナル設定となります。
※第7回キャラ文芸大賞、後宮賞を受賞しました。ありがとうございます。
あやかし帝都の婚姻譚 〜浄癒の花嫁が祓魔の軍人に溺愛されるまで〜
鳴猫ツミキ
キャラ文芸
【完結】【第一章までで一区切り】時は大正。天羽家に生まれた桜子は、特異な体質から、家族に虐げられた生活を送っていた。すると女学院から帰ったある日、見合いをするよう命じられる。相手は冷酷だと評判の帝国陸軍あやかし対策部隊の四峰礼人だった。※和風シンデレラ風のお話です。恋愛要素が多いですが、あやかし要素が主体です。第9回キャラ文芸大賞に応募しているので、応援して頂けましたら嬉しいです。【第一章で一区切りで単体で読めますので、そこまででもご覧頂けると嬉しいです】。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる