レツダンセンセイ・グレーテストヒッツ

れつだん先生

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ペペロン・チーノ伯爵(未完)

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 手入れされず伸び放題となった草木を掻き分けながら奥へ奥へと進んだ所に館はあった。館、と村の住民は呼んでいるが、それが館と呼ばれていることを知らない人間にこの建物を見せても、館だとは言わないだろう。僕もこれは館だとは思わない。一言で言うならそれは小屋でしかなかった。小屋はまるで長年誰かを待っているように、背丈ほど生い茂る草木の中にぽつんと座り込んでいる。
「俺の案内はここまでだ」と、体や髪にへばりつく草を払いながら男が言った。年齢は僕とそう変わらないように見えるが、肌の色は褐色に焼けていて、まるで全身を守る鎧のように筋肉が離れずくっついてまわっている。僕が男の体をじっと見ているのに気づき、少し怪訝そうな表情を浮かべた。僕は思わず目をそらし、お礼を言ってチップを渡した。予想より多いチップに驚きながらも、豪快に笑いながら元来た道を戻っていく男を眺めるのをやめ、僕はまた小屋に目をやった。
サイド・ポケットから煙草を取り出し、火を付ける間もずっと小屋を眺めていた。何かが作動して、小屋が変形し、館に変わるのを待っていた。そうでなければ、村の住人が館と呼ぶのに説明が付かなかったからだ。しかしいくら僕に見つめられても、小屋は小屋のまま、何も変わらない。
「やれやれ」と僕はつぶやいた。こうやって立ち尽くして、何の意味があるというのだろう。煙草が短くなったので、地面に落として靴底で火をもみ消した。ポイ捨ては良くない、なんて言われるかもしれないが、それは僕の住んでいる町だけの話で、ここでそれは通用しない。館が館で無い限り、そこに常識は存在しないんだ。
 大海原を泳ぐ魚のように、鳥が青空の中を飛んでいた。僕がもう一本の煙草に火をつけようとしたその時、突然小屋の扉が音も無く開いた。杖をついた老人がゆっくりと姿を現し、僕の足元を見た。煙草の吸殻を見て、僕をとがめようとしているのかもしれない。しかし老人は何もしゃべらず、僕に手招きをした。僕は煙草をサイド・ポケットにしまいこみ、小屋へと近づいていった。
「あなたがここに来るのは、もう何年も前から知っていました」
 風によって揺らされた木々が囁いてるのかと思えたほどに小さな声を出しながら、老人が笑った。ほ、ほ、ほ、という笑い方は僕は今まで聞いたことが無いし、そう笑おうと思ったことも無かった。それだけ普通とは違う笑い方で、またほ、ほ、ほ、と笑った。
「何年も前からとは、どういうことですか」という僕の問いに、独特な笑いを返し小屋へと入っていった。僕は思考を変え、あわてて老人の後へついていった。しかし中へ入りまわりを見渡しても、老人はそこにいなかった。
 小屋の中に部屋は一つしかない。まるで牢屋のように質素な作りの部屋にあるのは、小さなテーブルと少しの食器類、そして何年もほうっておいたパンのように固まった布団だけだった。水道や電気といった、生活するうえであって当たり前のものはそこには無かった。老人はそこにはいない。隠れられそうなものは無いし、隠し扉のようなものも無いだろう。僕は一応部屋の中をぐるりと見渡し、適当に壁を触ってみた。やはり隠し扉は無い。床はどうだろうか、と思い靴底で何度か叩いてみるが、床にも扉は無いようだった。
 館と呼ばれる小屋、そして独特な笑い声を上げ僕が来るのを何年も前から知っていた老人。僕は思わず混乱しそうになった頭を横に振り、床に座りたくなる衝動に駆られたがやめた。ズボンが汚れるかもしれない、と思ったからだ。ベッドに座ろうと思ったが、それもやめておいたほうが無難だろう。知らない人のベッドに座るなんていうことは、人の心に土足で入り込むのと同じことだと僕は日ごろから考えていたからだ。なるべく失礼なことはしたくない。知らない人に対してなら尚更だ。
 突然背後からあの独特な笑い声が聞こえた。振り向くと老人は小屋の入り口で、まるでずっとそこにいたかのように立っていた。また僕は混乱しそうになってしまった。確実に老人が小屋へ入っていくのを見たし、その後を追って僕は小屋へと入った。しかし、常識に頼りきってしまうのは僕の良くない癖だ。不思議な空間において常識は通用しない。ありえないことが当たり前になっている世界に僕の常識なんていうものは何の意味も持たないのだ。
「来たばかりで疲れているでしょう。しかし私には見ての通りもう時間がありません。手短に言います」
 僕はその勢いに負け、ただうなずくしか出来なかった。
「あなたは館に選ばれたのです。ここで私のように、死ぬまで行き続けなければいけません。それは決まっていることなのです。私がそうしたように、あなたもそうするのです。それが自然の流れであり、自然に逆らうことはできません。川が流れるようにね」
 また、ほ、ほ、ほ、と笑った。
「なぜですか?」
「決まっているからです。ここでの生き方を教えましょう。街とは違う生き方ですが、すぐに慣れるでしょう」
 僕は老人が小屋の外へ出たのを追いかけるのが精一杯だった。既に頭はパンクしそうなぐらいに、様々な思考が飛び回っていた。

 ここに住むにはいくつかのルールがあった。どれも覚えるのは簡単だし、それを実行するのも簡単そうだった。僕は紙とペンを老人に借り、一つ一つをメモした。

 一.林の外には出ないこと。
 二.案内役の男以外とは会わないこと。
 三.日々の生活を紙に書き留めること。
 四.小屋の中は常に綺麗にしておくこと。

 それだけだった。林の外に出ようとしても、案内役の男がいなければ迷ってしまい余計に事を悪くしそうだし、そんな林がある限り案内役の男以外の人間と会うこともないだろう。今まで日記をつけたことは無かったが、それ以外にすることも無さそうなのでこれも大丈夫だ。掃除は街にいた時から日課としていたので、これも大丈夫。
「私もたまにここに来ます。なに、別に監視するわけじゃありません。お互い話し相手が必要になるでしょうしね。食料の心配はありません。案内役の男が週に一度持ってきてくれます」老人はベッドに腰掛け、また独特な笑い声を浮かべた。「読書や音楽を聞くこともできます。案内役の男に頼んでください」
 大体の説明を聞いた僕は、唯一まだ聞いていないことを聞くためにポケットから煙草を取り出そうと手を入れた。
「喫煙は体を悪くするだけでなく、火事の心配もあります。――が、少しくらいならいいでしょう」
 僕は精一杯済まなそうな顔をしながら煙草とライターをテーブルの上に置いた。
「ありがとう。癖、なんていう言葉は使いたくないけど、これも僕の体の一部なんだ。良くないことだとはわかっているけど、こればかりはね」
「私も昔は嗜んでいましたよ。十年前までね」
「体を悪くされたんですか?」
 言いながら僕は腕時計を見た。まだ昼にもなっていない。しかし、朝食事を済ませてからここに来たはずなのに、僕の腹は背中とくっつきそうなぐらいに食事を欲していた。とてもじゃないけどこの老人との長話を続けられる状態じゃない。そんな僕の状態をわかったのか、老人は僕に背を向けて小屋の外に出て行った。そしてあの案内役の男の豪快な笑い声が聞こえ、次に老人が小屋へやってきた時には両手に食料と煙草の入った紙袋を持っていた。僕が慌てて立ち上がり老人から荷物を預かると、またほ、ほ、ほ、と笑った。
「名前を聞くのを忘れていました」
「名前を覚えておくのを忘れました」
 僕たちはお互いの顔を見ながら笑いあった。
「私はこの館の一部。名前は――そうですね。伯爵と呼んでいただきましょう」
 伯爵、と僕は声に出さずに口だけを動かして言った。僕が考えていた以上にその呼び方に違和感は感じなかった。は・く・しゃ・く。もう一度口を動かしてみた。今度はゆっくりと。老人――伯爵も同じように口を動かした。僕たちはまた笑った。
「それで、僕の名前は何というのでしょうか」
「あなたは今から館の主人になるのです。それ以外に名前は必要ありません」
 僕はこの瞬間から館の主人になった。悪くない呼び方だと思った。少なくとも街にいたころに呼ばれていた名前――ただの番号を名前と呼べるのかはわからないけど――よりは気に入った。
「それじゃあ私は」
 僕は小屋の外まで老人と歩き、案内役の男が老人の手を持って林の奥へ消えていくのをじっと見つめていた。
 ベッドの上に座ってみる。最初に想像したよりも布団は柔らかかった。雲のようにまでとは言えないけれど、布団としての使い方はできるほどに柔らかい。僕はそのまま小屋の中を見渡す。机、ランプ、ベッド、古いストーブ。そして僕。この中に僕がいることで、この小屋に何か変化はあるのだろうか。無ければ僕がここにいてもいいと小屋に認められたということだろう。悪くない、と思った。この空間にいることは、想像していたよりも悪くない。
 眺めるのをやめた瞬間、忘れていた空腹が僕を襲った。僕は思わず紙袋をあけ、その中から握りこぶしほどのクロワッサンを取り出した。その中にはコーヒーも入っていたし食器類の中には鍋も入っていたけど、水だけはどこにも無かった。もしかしたら見落としているのかもしれない、ともう一度紙袋の中を見たけど、そこには水と呼べるものは無かった。コーヒーを見つけなかったら、僕はクロワッサンを食べただけで満足しただろうけど、それはもう叶わないことだった。見つけた瞬間にまるで一日中煙草を吸っていない時のように、ただコーヒーを欲しがるようになってしまったんだ。
 突然僕は小屋の中にいることがすごく苦痛に感じ、思わず外へ出た。外へ出て何度か深呼吸をする。緑の香りと美味しい空気を肺いっぱいに取り込み、一気に吐き出した。
「水を探しているのか?」
 伯爵を送り終えた案内役の男が林からゆっくりと歩いてくるのが見えた。僕はこの男があまり好きになれなかった。体つき、性格共に僕とは正反対の男。しかしその時は、僕の欲しがるものを瞬時に言い当てたということもあり、少しだけ男のことが好きになった。好き嫌いなんていうのは山の天気のようにすぐに変わってしまうものだ。何より相手のことをまだ知らない状態から少し知った状態になるのに、前より嫌いになるはずがない。僕は小さくうなずくと、こっちへ来いというように手招きした。
 小屋の丁度裏側に、僕の身長ほどの幅をした川が流れていた。最初来たときには目に入らなかったけど、見落としなんていうのは当たり前にあるし、始めて来た場合なら尚更だ。僕は急いで小屋から鍋を持ってきて、川の水を汲んだ。川の水は僕のいた街に流れるどの川の水よりも綺麗だった。鍋に汲んだのにそれを忘れてまた汲んでしまいそうになるぐらいに澄んでいた。僕はそれをストーブの上に置いて、火をつけた。コップを二つ食器の山から取り出し、コーヒーの粉をスプーンですくって一杯ずつ入れる。すぐに沸騰し、それをコップに注いだ。コーヒーの香りは僕の鼻を一瞬にして通り抜け、小屋の中へ広がっていった。その臭いをかぎつけてか、案内役の男が小屋の外で物欲しそうに見つめていた。
「君の分も用意したよ。一緒に飲もう」
 しかし案内役の男は少し申し分けそうな顔を浮かべただけで、小屋の中へは入ろうとしなかった。
「この小屋へ入ることはできない。別に入りたくないわけじゃない。なぜなら俺は只の案内役だからだ」
「じゃあ外で飲もう。まだ晴れてるだろ?」
 案内役の男は今まで見たことも無いようなほどに嬉しそうに笑い、両手を広げた。「ああ、最高の天気だ。この太陽の下で飲むコーヒーは、どこで飲むコーヒーよりも美味いだろう」
 僕と案内役の男は小屋の外に座り込み、太陽と川、そして広がる草木の緑を眺めながらコーヒーを飲んだ。その美味さは、案内役の男が言うとおりの味だった。街で飲むコーヒーはコーヒーの振りをしたただの黒いお湯だとさえ思った。僕が煙草に火をつけると、案内役の男もポケットから煙草を取り出して火をつけた。より一層、この男のことが好きになっていた。
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