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第1部
第4話:愛に飢えた化け物、愛を知る春③
しおりを挟む背中にぼふっと強い衝撃を受けて、眠りそうだった意識が現実に引き戻される。
トランポリンのように反動で少し身体が浮いたのち、そのまま転がるようにそこから滑り落ちた。
次の地面(?)はすぐ傍だった。
雪と草の中に正面から落ちた俺の身体はぐわんぐわんと大きく上下に揺れる。
顔を上げるとどうやら崖から生えた木の上に運よく落ち、雪と揺れる枝葉が衝撃を和らげてくれたらしい。
どれくらい落下したのだろうか。
外は相変わらず強く吹雪いており、上を見上げても崖の上が見えない。死んでいないという事は案外高くないのかもしれない。
とりあえず看守たちの声も聞こえないし、追ってくる気配もなかった。
初めて、自由になれた。
なったは良いが…
「ぃってぇ…」
背中はまだいい、ただ先ほど施設で13番に斬られた傷が致命的だ。
内臓には達していなさそうだが、出血は多い。何よりこんな吹雪の中ではすぐ凍傷になってしまう。
吐く息すら真っ白で何も見えない銀世界の中、自由になったとて俺の未来は変わらない。
今生きていることが奇跡だが、きっとこの奇跡も長く持たないはず。
とはいえ、運よく拾った命だ。
このまま本当に何もしないまま野垂れ死にたくない。
ずっと木の上に居たところで助からない。雪と出血でおぼつかない足取りのまま木を下りる。
地面に着地すると、崖の切れ目が小さな洞窟のように開いているようだった。こんな瀕死の状況でなければ運が良いと喜んでいたかもしれない。いやむしろ、まだ諦めるなという神サマ、天使サマとやらの導きかもしれない。
そんなことあるわけないがと思いつつ、俺は細い木の枝を何本か折り、洞窟に入る。
出入口に雪を盛って、風よけ用の簡易的なバリケードを作る。集めた木の枝についた雪をなるべく払い、洞窟の中央に組み上げる。
俺は飛行能力も操作能力もないが、魔法が一切使えないわけではない。攻撃に使えるほどのものではないが火を起こす魔法は使える。魔力が低く、大きな炎は出せないが木に火をつけるくらいなら可能だ。
組み上げた木の枝に魔法で火をつける。
雪で湿っていたため、なかなか枝に火が付かなかったが、しばらく火を当てていると雪は蒸発して火が燃え移った。
これで少しは楽になるだろうが、やはり冬の洞窟の内部はこんな火ではどうにもならない程寒い。
足や指先は冷え切り、殆ど動かせなくなってきた。胸の傷も塞ぐ術もない。めまいもして眠くなってきた。歩き回る体力もなく、バリケードの隙間から吹雪く外を眺めることしか出来なかった。
「…あれ? …なんだろう」
気のせいかもしれないが、吹雪の中一瞬何かが光った。
誰かが居る? こんな吹雪の中でそんなことがあるのだろうか。
そう思っている瞬間、また光った気がした。
氷が反射しているのかとも思ったが、やはりあの一点だけ光っているのは不自然だ。
少しの間考え、わずかな希望を頼りにあの光の下へ向かうと決めた。
こんな吹雪の中、一瞬の光を頼りに歩くなんて正気ではないのは分かっている。でもここに居たって俺は静かに死ぬだけだ。わずかに寿命が延びるだけ。だったらあの光に賭けた方が良い。
バリケードを通れるくらい崩し、光の方へ歩いて行った。
強い横風で何度も倒れそうになったが、目的地付近にたどり着いた。
いつの間にか光は見失っていた。
このあたりに何かあるだろうかと注意深く探す。体力も限界に近く、おまけに吹雪で視界が悪く目が霞んできた。
「…あっ」
視界の端に何か大きなものが雪に埋もれていることに気付いた。
何かの荷物かと思い近づいてみると、思ったより大きく、細長い…まるで人間みたいな…
「…っ!! えっ、大丈夫!?」
そう、そこには人型の生物が倒れていた。
身体は半分雪に埋まっており、顔は真っ白で目を閉じている。
男の人だ。
いや、人間ではなく悪魔かもしれないが、今は視界が悪い上に体力的にも余裕がなく、まじまじと魂の姿を確認することが出来ない。肌に触れると岩肌のように冷たくて一瞬驚いて手を放してしまった。
手を離した瞬間、きつく閉じていた彼の瞳が重たげにゆっくり開き、こちらと目が合った。
彼は何も言わない、助けてくれとも関わらないでくれとも。
「…もしかしたら俺と関わりたくないかもしれないけど、考えている余裕もないんだ。近くに小さな洞窟があるからそこへ運ぶよ。そこで話を聞かせてほしい」
俺は返事も聞かず、来た道を彼を引っ張りながら戻っていった。
力を入れると胸の傷がより一層痛みが増して気絶しそうだ。この寒さで傷がより深くなっている。血液も固まり出血がほぼないのが不幸中の幸いか。
そこまで遠くもなかったので、なんとか洞窟の中に戻ることが出来た。
彼を火の近くに横たわらせ、自分は入口に背を向けるように座る。少しは風よけになるかもしれない。
改めて男の姿をまじまじと見る。
端正な顔立ちの美しい男だった。見た目の年齢は俺と同じくらい…20歳前後だと思う。身長は俺より高い。
雪のように真っ白な長髪とまつ毛は息を飲むほど美しく透明感があり、青い瞳は深い海を閉じ込めた水晶のようだった。
黒いズボンの上に、白い上質なローブのような布を何枚も重ね着しているような、今まで見たことのない服装だった。あまり詳しくないが貴族みたいだなと感じた。
どう考えても登山に向いた服装ではない。最初は同じ悪魔仲間かと思ったけど、こんな服装ではそうとも思えない。
座って少しだけ息が整ったので、彼に声をかける。
「いきなりこんなところに運んでごめん。えっと、君は人間? それとも悪魔? 目が霞んでさ、その…はっきりと見えないんだ」
「…? 君は悪魔かな?」
「うん、そうだよ。怖い?」
「いや、10年ぶりくらいに見たなと…」
となると彼は人間で間違いなさそうだな。
あそこにいる看守たちやその関係者以外の人間とは会ったことがないが、この世界のほとんどの人間は悪魔に対して良い印象を持っていないという。
当然か、自分は人間を何人も殺した事もある化け物だ…
「…えっとね、俺にはもう時間があまり残されていないから、一方的だけどお願いがある。
今晩はここで寝て少しでも体力を回復して。火も今晩は消えないと思う。そしたらゆっくり下山して。道が分からなかったらこの崖の上に登って煙でも炊いておけば、通りかかった人間に見つけてもらえるかもしれない。人間の君なら助けてもらえるはずだ」
「……」
「大丈夫?」
「君は…私を食べるために捕まえたのだと思ったのだが」
「…ああ、そうする悪魔も居るね。考えていなかった。でも俺にはその必要はないんだ」
俺は自分の上着を彼に見えるように数秒だけめくった。
そこには施設でつけられた大きな傷があるはずだ。それを見た彼の顔が一瞬引きつった。かなり気持ち悪い見た目をしていただろう。ちょっと申し訳ない。
「俺さ、多分今晩には死ぬ。君を食べたところでどうにもならない。…でも今俺はかろうじて生きている。きっと今、君を助けるために生きているんだ」
俺は彼の手を握った。彼の手も冷え切っていたが、ぎゅっと握ると肌の奥にわずかな体温を感じた。
大丈夫、君はまだ生きられるはずだ。少しでも安心してもらえるように、出来る限りの笑顔を向けた。今の俺はとても頼りない存在だろう。何を言っているんだと思われても仕方ない。
だけど彼を助けたいという気持ちは本物だ。
俺は愛情を与えられず育った。
そして沢山の人間を手にかけてきた俺なんて、愛される資格なんてない。
だったらせめて1人だけでも、死ぬ間際なのだから誰かを愛したっていいじゃないか。
俺の冷え切った人生のひとつくらい、そんな小さなぬくもりがあっても良いだろう?
それがたとえ独りよがりだとしても…俺のおかげでひとつの命が救われたとしたら、俺の人生に少しは価値があったんじゃないかと思えるんだ。
…ああ、でももう無理そうだ。
手の感覚がもうほとんどしない。身体が冷えすぎて、彼の顔もくっきり見えないほど視界が霞む。
そして何より、とてつもなく眠い。
寝たら死んでしまうと分かっているのに、抗うことが出来ずそのまま身体は横に倒れた。地面を打つ肩が痛かった。だがもう身をよじる体力もなければ、うめき声を上げる元気もない。
瞼が完全に閉じる前に誰かそっと寄り添ってきた。
きっと彼だろう。頭に手が触れられる感覚がし、そこだけ少し温かい気がする。
こんな悪魔も心配してくれるなんて良い人間だな。ますます生きて帰ってほしいと思う。
俺の身体なんて冷え切っていて、抱き枕になるどころか彼の体温を下げるだけだ。彼の事を考えると離れてほしかったが、彼の行動が嬉しくて突き放したくもない。
不思議だ。こんなに冷えた身体、寒い場所なのに、心が羽にくるまれているみたいに温かいんだ。
添い寝してもらえるのは、記憶上にある限り初めてだ。
知らなかった。他者に優しく触れられることって、こんなに温かいものだったんだ。
こんなにも幸せを感じるものだったんだ。
「温かいものが欲しかった…」
殆ど無意識だった。
自分の最後だと思ったからか、ずっとずっと何よりも焦がれていた思いが口からこぼれてしまった。
目からは涙が流れていた。また、泣いてしまった。
だけどこれは施設で流した涙とは違う、喜びの涙だ。
有難う、後悔なく逝くことが出来そうだ。
「やっと手に入れた…」
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