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第2部
第12話:運命崩しの研究者④
しおりを挟むある晴れた日、目的もなく空を飛んでいたら見覚えのある町が見えてきた。
『フォレストレイク』だ。悪魔の俺には危険が多い町だからあまり立ち寄らないようにしていたが、偶然来てしまったらしい。そのせいで10年前の出来事を思い出してしまった。
エリックとかいう人間の事を…薄ぼんやりとではあるが覚えている忌々しい記憶だ。
だがあの人間との思い出はさておき、あの時の金は良い娯楽となった。札束を目の前でチラつかせれば釣れる人間の多いこと。酒に賭博に風俗、いろんなものに使わせてもらったが今はもう全部なくなった。
あれから10年経ったが、ディアボロス様のことは一切聞かない。
人間の魔法技術も進歩していき、以前より人間たちも面倒な存在になってきた。
見つかる前に立ち去ろうとしたが、ふと今もあの隠れ家は存在しているのか確かめたくなった。荒らされているか当時のままかのどちらかだろうが、偶然とはいえ来てしまったのだ。暇だし向かうのも悪くない。
薄れた記憶を頼りに崖の下を注意深く観察しながらしばらく歩く。少しだけ、不自然に盛り上がった岩の前に着いた。耳を澄ませば僅かに空気の音が聞こえる。
間違いない、ここだ。魔法具はまだ壊れず残っているようで、引っ張っても開きそうにない。あの時と同じように魔法で身体を透過させ、中へ入る。
洞窟の中はかつてのままで全く変わらなかった。
そう、全く変わらない…明かりも見える。
確か魔力で点灯する魔法具のだったはず。10年間魔力の補充なくずっと点灯し続けていることなどあり得るだろうか? 疑問に思っていると明かりが少しだけ揺れた気がした。
誰かが居る…
賊か何かだろうか? 貴重な物は何もなかったはず。
魔法具は売れば多少金になるかもしれないが型も古く、得られる額は微々たるものだろう。労力に見合っていない。ゆっくりと、曲がり角からその向こうにあるであろう小さな書斎を覗き見た。
「は!?」
予想外の出来事に思わず声が出る。人間…それも10歳前後の小さな子供が居る。
白髪のその子供は、かつてのエリックのように椅子に座っていた。それだけなら大して気にも止めなかっただろうが、驚いたのはその魂だ。
歪で縫い重なった魂はエリックのものと全く同じだった。
魂の姿は身体より、本人の人間性を表した姿をとる。今までいろんな人間を観察してきたが、こんな特徴的な魂の人間はあいつくらいしか知らない。
「うん? おや、君は…」
振り返った子供の赤い瞳と視線が合う。
片手に羽ペンを持ち、大きな紙に何かを書いている。
机に置いてある冊子も、あの時と同じ悪魔に関する書物。そしてあの時資料を見ながら必死にページを埋めた記録ノートもそばに置いてあった。
「…エリック、無事だったのか?」
俺は半信半疑の状態で子供の側に寄った。机には大きな世界地図が記されていた。北部の町から離れた森のいくつかに×マークが付けられている。
「エリックは、今もディアボロス様を探しているのか?」
「えっ? ああ、うん」
どういう事だか理解出来ない。エリックが子供になって戻ってきたとでも言うのか?
姿は違うが行動も魂もエリックと一緒だ。人間界には輪廻転生の概念があると聞くが、記憶も思考も違う別人として生まれ変わると聞いていたはず。ということはエリックは死んでおらず、身体は子供になった?
ますます意味が分からない。
「もう、ディアボロス様を探すのは諦めないか? エリックはもう十分頑張ったさ。姿が変わっても俺の気持ちは変わらない」
「気持ちが変わらないって…つまり…?」
「俺と共に付いてきてほしい」
意味は分からないが、あの時の気持ちを晴らすチャンスだ。もうディアボロス様にお会いできた後にとか、悠長なことを考えるのはやめた。魔界の人間オークション会場にでも連れて行けば少しは気が晴れるだろう。
理屈は分からないが研究の事を今でも覚え、執着しているのだから、当然尽くしてやった俺のことも覚えているはずだ。孤独な人間が、懇意にしてくれる数少ない存在を忘れているはずがない。
俺はエリックに手を差し伸べてニコリと微笑む。
「…ごめん、君は誰?」
「は?」
あれだけの時間を過ごし、優しくしてやったのだ。当然その手を取ってくれるものだと思っていた。予想外の反応に一瞬頭が真っ白になる。
「お、俺だよ。ずっと一緒に居たアビスだよ」
「…なんの事か分からないけど、僕は諦めるつもりはないから帰ってほしい。地図作りで忙しい」
そう言うとエリックは再び机に広げた紙に視線を向ける。
こちらのことは眼中にないと言わんばかりの態度が腹立たしい。
「俺を無視するな人間!!」
俺は思い切り床を踏みつける。薄い板で作られた足元の床が割れ、木が割れた音と軋む音が狭い洞窟内で響く。俺の声にエリックはビクッと肩を震わせ、驚いたように見開かれた瞳がこちらに向いた。
「人間のガキのくせに一度だけでなく二度も俺を怒らせる気か? 教えてやるよ、お前がやっていることは全て無駄なんだよ!! ここに置いてある書類も、その地図作りも、まとめたノートも全部無駄だ。人間風情が会える御方ではないんだよ」
「…無駄かどうかは僕が決める。僕は絶対ディアを見つける。何度生まれ変わっても、これだけは諦めない」
エリックは俺の反応に最初は驚いていたが眉一つ動かさず反応する。警戒してるのか先ほどのように机に視線を落とさないが、その態度は気に入らなかった。邪魔だと言わんばかりに睨みつける赤い瞳に苛立ちが募る。もう目の前にいる時点で不愉快だ。
俺は手のひらに魔力を集めていく。魔力は強い熱を帯び、一瞬で手のひらに黒い炎が燃え上がった。
エリックが慌てた様子で目を見開くがもう遅い。
「灰になるがいい!!」
腕を大きく振ると、手のひらの炎は弾丸となってエリックに一直線に飛んでいった。
「ちょ…せっかちだな…!」
当然直撃してエリックは一瞬で焼け焦げる…と思っていたが、エリックの周りに透明な壁が現れて、壁に当たった炎が霧散する。
結界魔法のようだ。
だがおかしい…1000年生きている俺の炎は人間が咄嗟に張った結界で防げるものではないはず。それに結界から妙な魔力を感じる。立っているだけで身体中に静電気が駆け巡るような、なんだか落ち着かない感じだ。
魔法具を使っているからエリックは魔法使いだろうとは思っていたが、今まで魔力を感じていなかった。結界を前にして、ようやく妙な魔力であると少し分かった。魔力感知は苦手ではあるが、それでも魔法を使われるまで分からないことなどあるのだろうか?
…扱える人間の母数は多くないが悪魔に感知されにくい、悪魔に対して有効な性質の魔力があると聞く。これがもしかして…
「封魔の力か…?」
「ん…? ああっ!?」
エリックは机に置いてあるノートを見て叫び声を上げる。
10年前、必死でまとめたノートだ。結界でエリックに直撃こそしなかったが、咄嗟に張った結界は大きくなく、霧散する前の炎の一部がノートに付いたらしい。
炎はゆっくりと大きくなっていき、ノートを飲み込んでいく。
エリックは慌てて近くの別の本で叩いて消そうとするが効果はない。
当たり前だ。俺の能力の黒炎は一度着火したが最後、対象を燃やし尽くすまで消えない。先程まで強気に俺を睨んでいた人間が慌てふためく様子は愉快なものだった。
俺は再び魔法で黒炎を作り出す。エリックではなくこの隠し部屋に火をつけた。一気に燃やすのではなく、あくまで小さく。何もできずゆっくりと全てが燃え尽きるのを見ているが良い。
「さて、どうする? このままでは数十分で全て燃え尽きるぞ?」
「うぅ…なんて酷いことをするんだ!」
エリックが涙目で睨んでくるが、むしろ心地よさすら覚える。ノートはもう殆ど燃え尽きており、消すのを諦めたようだ。さて、次はどう出る?
とても残念そうにノートを見たエリックは何かを思い出したかのように部屋の奥の引き出しに手をかける。引き出しから取り出したのは、2本の大きな瓶だった。中には何か透明の液体が入っているようだ。エリックは瓶の蓋を投げ捨て、中の液体を部屋全体に振りまくように大きく振った。
「俺の炎はただの水では消えんぞ?」
こんなもので事態は好転するはずがないと、離れたところで悠々と見守っていた。
だが、瓶の中の水が部屋中に飛び散った途端、俺の炎はすぐさま勢いを失い消えてしまった。家具や床、様々な書類に燃え移っていた炎全てがだ。本当に一瞬で消し飛ばされたかのように消え、一瞬の出来事に時間が止まったかのような錯覚を覚えた。
「馬鹿な…」
家は焦げた匂いがするだけで完全に鎮火している。燃え尽きたものもいくつかあるが、殆どの本や家具は残っていた。
俺の魔法の炎がただの水で消えるはずがない。ただの炎だとしても瓶に入った量の水で一部屋を包む炎を消せるはずがない。目の前の光景が信じられず唖然としていた俺の視界に、何かが勢いよく飛んできた。
「くっ…!」
咄嗟に結界を自分の周りに張ると、飛んできた何かがゴンッという鈍い音をたてて弾かれる。もう一本の液体入り瓶だった。蓋はすでに外されており弾いたと同時に中身が外に飛び出る。中の液体が結界に触れた途端、結界はジュッと音を立てながら溶けるように消えてしまった。
そして呆気に取られる間もなく、液体はそのまま結界の内側に居る俺の右肩に勢いよく降りかかる。
「グガァ゛ア゛ア゛ァァァ!!」
今まで感じたことのない程の激痛が全身を駆け巡る。
水が蒸発するかのような音と、蒸気に包まれていた。
液体がかかった右肩が熱い。
左手で触れるとドロリとしたものが触れた。溶けてどす黒く染まった俺の皮膚と血液だった。強い痛みで立つことすらままならず、その場に膝をつく。右肩は溶けて傷口は筋肉の内側が見えるほど深い。黒く染まり、溶けた右手は全く動かない。
何が起きたのか理解しようとするも痛みで思考がまとまらない。
数秒その場でうずくまっていると、コツンという足音が聞こえて顔を上げる。
怒りに染まったエリックと目が合った。
「なんて事してくれるんだ!! 写本はあるとはいえ、全部燃やしてしまうなんて許せない。邪魔をするなら容赦しない!!」
エリックの身体から魔力が溢れ出す。
総量は分からないが、何故か震えが止まらない。悪寒が全身を駆け巡り、逃げないと危険なのは嫌というほどわかるのに動けなかった。むしろ激痛で意識を保つのも辛いほどだ。
近くの壁に魔法陣が出現し、このままでは殺されると本能で分かった。
この俺が人間に対して恐怖を抱くなんてありえない。俺がこんな場所で…こんな小さな子供に負けるなんて、そんなことあってはならないというのに…
「俺を殺しても無駄だ…運良くディアボロス様に会えてもお前はどうせ何も出来ずに死ぬ…」
俺に出来ることは、言葉で攻撃することだけだった。
唇の震えを必死で抑え、せめて一矢報いてやろうと喉から声を絞り出す。
「ディアは僕を殺さない。僕と契約しているから」
「契約? そんなもの存在しないし妄言も大概にしろ」
「存在しないらしいけど本人と会って契約した。ちゃんと指切りした」
右手を前に出して小指を立てる姿に思わず笑ってしまった。
エリックは頬を膨らませるが黙る気はない。
「お前の妄言が事実だとしても、お前は騙されてる。お前だけが縋って滑稽だよ」
「まあディアがもう忘れている可能性はゼロではないけど契約は契約だ。忘れていようと破棄できない。ディアにはしっかり僕の側に居る義務がある」
「さっきからなんだそのディアって呼び方は…気色悪い人間だな。あの御方をそのように呼ぶのすら烏滸がましいというのに、自分に全ての権利があるような言い方、無礼にも程がある…」
「無礼じゃない。ディアは僕のものだから」
さっきからこの人間は何を言っているのだ? まるで話が噛み合わない。どう考えても妄言なのに、力強くはっきり言う言葉に動揺が隠し切れない。
「ディアは僕のものだ!! ディアが忘れていようと、他の人を好きになろうと事実は変わらない。忘れているなら叩いてでも思い出させれば良い。僕のそばから離れようとするなら鎖で縛り付ければ良い。一生僕と生き、一緒に僕と眠るんだ!!」
背筋がぞわりとした。
ああ思い出した。この感覚は、一度だけ経験したことがある。
初めてディアボロス様に関する資料を持ってきた時だ。エリックは、執着と狂気に染まった瞳でディアボロス様の絵を撫でていた。その時の本能的な恐怖は、きっと気のせいだと思っていた。いや、そう思いたかった。
こんな人間に恐れを抱くなど、俺のプライドが許さなかった。
あの時離れれば…いや、隠れ家を燃やして刺激しなければこんな事にならなかったのだ。俺は与えるべきではない知識を与え、とんでもない存在を世に解き放ってしまったのかもしれない。
壁に浮かび上がった魔法陣の光が大きくなると同時に、魔法陣から数本の魔法の鎖がこちらへ向かってくる。
逃げたいのに身体がうまく動かない。抵抗も出来ず一瞬で縛られ、そのまま魔法陣の中に引っ張られる。左手で突き出た岩を掴み抵抗するが、何故か身体に力が入らない。このままでは魔法陣に吸い込まれるのは時間の問題だ。
「ふざけるな…こんなガキに…俺は1000年生きた悪魔だ…こんな運命認めない!!」
岩を掴んで抵抗するが、身体は半分ほど魔法陣の内側に吸い込まれている。全身が魔法陣の内側に入ったら、俺はどうなってしまうのだろう。こんな絶体絶命の状況を打破する手段なんて、もうなかった。
「…そっか、君も1000年生きているんだね。じゃあもっと早く別の生き方を見つけるべきだったね」
「エリック…何を言って…」
顔を上げるとエリックはどこか憐れんだ目で俺を見ていた。
鎖はさらに強く俺を引っ張り、抵抗も空しく俺は魔法陣に吸い込まれていく。
「エリックじゃない。今の僕の名前はアカツキだよ」
完全に吸い込まれる直前に、エリックはそう言った。
暁のように輝く瞳で俺を見る姿は、まるで悪魔のようだった。
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