名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

弁解不可能

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 アデルは心臓に氷柱を打ち込まれたような気分に陥った。心臓から流れてゆく血液は冷たく重くなってゆく。
 胃袋が裏返ってしまったかのような気持ち悪さをみぞおちに感じた。日差しはまだ暖かいというのに、背筋を氷が走ってゆく。
 瞬きをすることすら忘れて、アデルは目の前のリディアを凝視してしまった。

 リディアが尋ねてきたことは、事実だ。
 昔、自分は三人の女の子と同時に付き合ったことがあり、無残な破局を迎えた。
 この事実を知っている人は多いし、いつかリディアやシシィに知られてしまう可能性は十分にあった。

 リディアの問いかけにどう対応しようか考え始めたが、結論が出るよりも早くリディアが尋ねてくる。

「ねぇ、あんた、やっぱり三股してたの?」
「……ああ、そういうことを、したことがある」

 正直に答えた。今更嘘を吐いても無駄だろう。リディアは自分を軽蔑するだろうか。
 リディアはこちらの言葉を聞いて、目つきを鋭くした。非難されているようで心が痛む。
 アデルの口内から唾液が失われていった。

 どうにか落ち着いて話さなければいけない。

「リディアよ、落ち着いてくれ」
「あたしは落ちついてるわよ。動揺してるのはあんたでしょ」
「う、うむ……」

 確かにそうだ。

 リディアは非難するように目を細めてこちらを凝視している。その瞳はまったく動かず、何か自分の心の奥底まで見透かされているような気になった。
 この視線から逃れてしまいたいが、そういうわけにもいかないだろう。シシィがそうであったように、自分も誠実でなければいけない。
 アデルは渇き始めた唇を舌で湿らせて、リディアの顔をまっすぐに捉えた。

「確かにわしは、そのようなことをした。そして、後悔している。もう二度とああいうことはせんと、誓った」
「ふーん、そう……」

 リディアは冷たい目でこちらを見てくる。胃がきりきりと痛んだ。取り繕う言葉も思いつかない。
 何を言うべきか悩んだが、結局、ひとつしか言うべきことはないのだろう。
 アデルは一度空唾を飲み込んでからリディアに言った。

「リディア、わしがそのような非道を働いたのは事実じゃ。しかし、どうか許してくれ」
「なんであたしが許すとか許さないとか決めなきゃいけないのよ。あたしはその被害者じゃないし」
「うむ、わかっておる。しかし、そのような事実を知ったリディアに、軽蔑されるのが怖い。黙っておったことは悪いと思うが、知られてしまえば、リディアに嫌われてしまう。ソフィにも、シシィにも知られたくはない」
「そう……」

 リディアは詰まらなさそうに顎をわずかに上げた。納得はしていないように見える。

 昔のことではあったが、三股をしようとか考えていたわけではなかった。結果としてそうなってしまったが、当時も誠実であろうとしたし、相手に喜んでもらおうと心から考えていた。
 だが、相手の求めに応じてゆくうちに引き返せないところまで達してしまった。自身の欲望もそれに拍車をかけ、気がついた時には崖の上だった。

 そして、付き合っていた女の子の一人にナイフで刺された。殺されるところだった。
 喜んで欲しいと心から願った相手に、殺されそうになってしまった。そこまで追い詰めてしまったのが自分だということに怒りを覚える。

 狭い町村での出来事だったからか、噂話は冬眠明けの熊のように暴れ回り、自分は女たらしのクズ野郎と認識されるに至った。
 すべては自分で招いたことで、何も言うことなど出来ない。

 それでも、リディアやソフィやシシィにこの事実を知られてしまうのは避けたい。
 特にソフィには知られたくは無い。あれだけ反省した出来事なのに、それを知られてしまうことを恐れている。
 もう一度リディアに伝えるべきだろう。ソフィとシシィにはどうか黙っていてほしいと。

 何か言おうとした瞬間、リディアが口を開く。

「そういえば村長が言ってたわね、あんたには悪評があるとかなんとか」
「う、うむ……」
「ユーリも言ってたわ、女ったらしの暴力男だって」
「ああ」
「そう、へぇ……」

 リディアは機嫌悪そうに目を細めている。アデルは自分の横隔膜がギリギリと絞られていくような気がした。胃の内容物が溢れてしまうのではないかと思うほどに、腹が痛い。
 誤魔化すことも、言い逃れることも今はすべきではないだろう。自身の過ちを無かったことには出来ない。
 アデルは冷静になるよう自分に諭し、それから右手を開いた。

「リディア、確かにこれはわしが悪かった。わしの過ちであった。道徳的に許されぬことであったと思う」
「反省してるの?」
「無論」
「しなくていいわ」
「はぁ?」

 アデルが眉を寄せてリディアをじっと見つめた。
 リディアがやや胸を反らし、人差し指を立てる。

「昔のことでしょ、それを責めたりはしないわ。でもね、あんたさ、三股かけられるんだったら、今しなさいよ」
「何を言っておるんじゃ」
「だから、今だって三股かけようと思えば出来るでしょ。あたし、シシィ、ソフィ」
「無茶を言うでない」
「なんでよ、どうせあんた女ったらしの暴力男とか噂されてるんでしょ? 女ったらしのほうは事実じゃないの。三股かけたことがあって、しかも今はまた三人誑かして」
「昔も今も、誑かそうなどと思ったことはない。結果としてそうなってしまったかもしれんが」
「どっちでもいいわ。とにかく、なんなのよもう、あんたはそういうことが出来る男なんじゃないの。だったら、今もすればいいの。わかった?」
「わかるか。無茶苦茶なことを言いおって」

 リディアは眉を吊り上げながら、道徳に反するようなことをしろと言ってきた。
 このようなことを受け入れるのには抵抗がある。どうにかリディアを説得しなければいけない。

「よいかリディア、わしはこの過ちによって相手を深く傷つけてしまった。わしはな、喜んでもらいたいと思っておった。事実、彼女たちを楽しませることに成功しておったと思う。だからこそ、わしは信頼されたのじゃと思う。そして、わしはその信頼を酷い形で裏切って、傷つけてしまった。それはもうするべきではない」
「それはあれでしょ、その女たちが三股かけてることを知らなかったからでしょ。あたしたちはもう知ってるから問題にはならないわ」
「ぬ……、いや」
「よかったわ、あんたがそこで失敗してくれて。そうじゃなかったら、あたしたちはこうしていられなかったもの。あんたと一緒にいられなかったかもしれない」
「……それはそうかもしれんが」
「その三人の女たちがどんなのかは知らないけど、あたしたちのほうが絶対に色んな意味であんたにとって良いに決まってるわ。それとも、あたしよりも美人だったの?」
「リディアより美しい女など見たことがないな」
「あたしも」
「自分でそう言えるところが凄いな」
「事実だもの。でもね、そんな美人でもたった一人の男に愛してもらえないのよ。悲しいことだわ。その三人の女が羨ましいくらいよ」

 リディアは少し声に棘を含ませてこちらを睨んできた。アデルは手の平に脂っぽい汗が滲むのを感じた。それを服で拭いてから、唾を飲み込む。
 落ち着かなければと思ってはいるが、太腿は他人のものになってしまったかのように遠く感じられた。
 アデルがリディアの顔をじっと見据える。

「まずひとつ言わせてもらいたい。この事実を知られてしまうことを、わしは恐れていた。リディアやシシィのように誠実な者にとって、このような行為は受け入れがたく、わしを軽蔑してしまうかもしれんと思っておった」
「別にいいわよ、もう終わったことでしょ。そんなこと言ったら、あたしもシシィも、人には受け入れてもらえないようなことを沢山してきたわ」
「それは大義のためであろう、わしのものとは違う」
「さぁどうかしら。まぁいいわ、あたしもあんたに秘密にしてることは色々あるからお互い様よ。でもね、ただあんたがそうやって焦ってるのは素直に嬉しいわ」
「な、なんじゃ?」

 リディアは唇の端をわずかに持ち上げてこちらを見てくる。それから腕を組んで、つんと顎を持ち上げた。

「だって、知られたくないのは、あたしに嫌われたくないからでしょ? そんな汗だくになって焦って、どうにかあたしに嫌われないように色々考えてたんだなぁって思うと、なんか嬉しいわ」
「……それは、リディアがわしにとって大切な人じゃからな。嫌われたくないとは思う」
「へぇ、そうなんだ。あたしとシシィを相手にして、大怪我したのに、最後の最後まで戦い抜いた男が、あたしに嫌われたくないからそんなに焦って不安になってるのね」
「間違ってはおらん」

 リディアは手で口元を隠した。おそらく笑っているのだろう。目尻も下がっているし、肩も小さく震えていた。
 笑われる分にはまだ構わない。軽蔑されて、嫌われるのが一番困る。
 アデルは深く息を吐いた。

「ともかく、わしのしたことは間違っておったと思うし、反省しておる」
「そう、まぁそれはともかくとして、ちょっと歩きましょ」
「何故に?」
「もうすぐね、あたしの可愛い妹がぷりぷり怒りながら帰ってくる頃だもの」
「なっ?!」

 まさか、ソフィもこの事実を知ったというのか。しかも怒っているのだという。
 この事実を二人に教えたのはおそらくリーゼだろう。なんという余計なことをしてくれるのだ。自分が悪いのは解ってはいるが、リーゼに対して怒りが芽生えてしまう。
 しかし今はそんな怒りに身を任せている場合ではない。

 どうにかソフィを宥めることを考えなければならない。
 そうやって考え込んでいると、リディアがあっけらかんとした様子で笑った。

「大丈夫よ、心配しなくていいわ。ソフィのことは任せておきなさい」
「いや、任せておけと言われてもじゃな」
「まぁいいから、あんたはそういうの向いてないわ。あたしがなんとかするから、今はとにかくここを離れるわよ」

 リディアが手を掴んできた。急に手を握られたせいで、つい体が硬直してしまう。さらに強く引っ張られたものだから転びそうになってしまった。

「待て待て、ちょっと待て、鍋を火から外さねばならん」

 竈まで行こうとしたが、リディアが手を離してくれない。仕方が無いので、リディアと手を繋いだまま竈まで行き、火掻き棒で竈の中の薪を散らして火を弱めた。
 これで鍋の中身が焦げたりすることはないはずだ。

 リディアが手をくいっと引っ張ってくる。

「ほら行くわよ。早くしないと、ソフィに怒られちゃうわ」
「う、うむ……」

 ソフィにこの事実を知られてしまったのだから、どちらにしても何か弁解する必要はあるだろう。
 ただ、今はその方法が思いつかない。今までソフィには自分の情けない姿を何度も見せてきたが、今度は状況が違う。
 ソフィの信頼を壊しかねない。

 何か対策を考えなければならないが、頭は上手く働いてくれない。
 リディアに引っ張られるまま、アデルは道を歩いた。

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