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第二部 第三章
ナイフを扱う
しおりを挟む家の庭でソフィは肩をぐるぐると回した。体を強くする訓練を終えた後、リディアはようやく攻撃について教える気になったようだ。
さっきの練習で随分と体力を使ってしまったが、少し休憩したことで呼吸も落ち着いてきた。
秋の涼しい風が庭を吹き抜けてゆく。ひとつに括った髪がわずかに揺れた。肌に浮かんだ汗が風を受けて冷えてゆく。
リディアは一旦蔵へと戻り、それから一本のナイフを持って庭に現れた。
「はいお待たせソフィ」
「なんじゃ、剣ではないのか?」
てっきり剣の練習をすると思っていたから、リディアがナイフを持ってきたのは意外だった。ナイフは皮の鞘に収められたままで、その刃を晒してはいない。
リディアはナイフを胸の高さにまで上げて、明るい調子で言った。
「何言ってるのよ、剣なんて百年早いわよ」
「死んでおるわ」
「はいはい、まぁとにかく始めるわよ。とりあえずあたしが手本を見せて、それからソフィにやってもらうわ」
リディアはナイフを鞘から引き抜き、鞘をテーブルの上へと置いた。ナイフの刃が秋の陽光の中でぎらりと輝いている。いざ刃物を見てしまうと、つい体が竦んでしまう。
攻撃を教えて欲しいと頼んだのはこちらだが、人を殺せる武器を扱うのだと思うと顔が強張った。
リディアはナイフを軽く握り、足を肩幅に開いて半身に立った。
「いい、まずは横から見ておくのよ」
「う、うむ」
伝説の勇者から直接教えを受けられるのだ。よく目を凝らしておかなければいけない。
リディアはナイフを胸の高さにまで上げて、左手は自身の鎖骨の辺りにまで引き上げていた。
「じゃあよく見てなさい」
そう言ってから、リディアは右足を前へと素早く踏み出した。同時にシュッと音を立ててナイフが前に突き出される。ナイフが出たと思った瞬間に、リディアは右手をすかさず引いた。
確かに、目で捉えきれないほどの速い動きだった。だが、それよりも気になることがある。
リディアはふぅ、と息を吐いてから、テーブルの上に置いてあった鞘を手に取った。ナイフを鞘に納め、その鞘を指先で抓んで持っている。
ソフィはリディアに向かって大声を出した。
「それだけっ?!」
リディアは一仕事終えたとばかりにのんびりしている。リディアの動きは凄かったとは思う。もし自分があの目の前にいたのなら、リディアが動いたと思ったのと同時に刺されて死んでいただろう。
凄いのはわかるが、とんでもなく地味だった。
「リディアよ、まさかこれだけで教えたなどと言うつもりではなかろうな?」
「何言ってるのよ、ちゃんと手取り足取り教えるから心配しなくていいわ」
「いや、そういうことではなくてじゃな……、今の動きなど練習が必要なようには思えんのじゃ」
「そんなわけないでしょ。今のソフィにはさっきの動きは難しいわよ」
心外だとばかりにリディアが目を細めた。
「いいソフィ、ちゃんと説明するから聞きなさい。今のが基本になるんだから」
「ふむ……、基本か」
基本は大切だ。地味に見えたとしても、基本はしっかりと学んでおかなければいけない。
リディアはナイフの鞘を持って、柄をこちらに差し出してきた。ソフィが右手を伸ばしてナイフを受け取る。見た目の割に重たく、手の平にずしりと圧し掛かってくる。
よくよくナイフを見れば、包丁とは違って随分と厚みがあった。何より、柄の部分が重たいのだ。
リディアはソフィの横に回って、ソフィの右手首を取った。
「ソフィ、持ち方が違うわ。さっき見せた通りに持ってみなさい」
「ん? も、持ち方とな……」
「刃を上に向けるのよ。包丁とかとは逆に持つの」
そういえばリディアもそうやって持っていたような気がする。一体何の為なのかはわからないが、リディアの言う通り刃が上になるように掴んだ。
これでいいのだろうと思ったが、リディアは眉を寄せたままこちらの手元を睨んでいる。
「それでね、柄尻が手の平のここ、中心に当たるようにするの」
「ふむ……、いやちょっと待つのじゃリディア、これでは柄が握れんではないか」
「握る必要なんてないわよ、人差し指なんか力を入れる必要もないわ」
リディアは軽々しくそう言ったが、不安になってしまう。人差し指は軽く引っかかっただけの状態で、握る力がまったく入らない。
柄に対して指の方向が斜めになっているし、これでは何かを突いたとしても力がまったく伝わらないのではない気がしてしまう。
こちらの不安を察したのか、リディアが手招きをした。
「ちょっとソフィ、こっちに来なさい」
言われた通りに、ソフィは庭の一角に生えている木のほうへと向かった。
「ソフィ、そこから手を伸ばして、ナイフの先をこの幹に当ててみなさい」
「こんな感じかのう?」
手を伸ばし、ナイフの先を幹に当ててみる。
リディアが頷き、続けた。
「それでね、グッと押してみるの」
「こ、こうか」
「そうそう」
「んむ?」
いささか頼りないとばかり思っていたが、力がちょうど手の平の中心にかかることで思ったよりもしっかりとナイフを保持することが出来ている。
「そうそう、そんな感じでね、ちゃんとナイフとこの前腕がまっすぐになるように、そうしたら衝撃とか重みが手の平から腕に伝わるでしょ」
「ふむ、確かに……」
ナイフの先で幹を押してみたが、手の平でその抵抗を受けることが出来ている。
「あのね、握力でグッて握るとね、滑っちゃうわよ。このナイフは鍔があるからいいけど、もし無かったら手が滑って、ソフィの指なんかザックリ落ちちゃうわ」
「それは、嫌じゃのう」
「戦い慣れてるならともかく、緊張してたり怖い思いをしてる時に握力なんか十分出るわけないわ。練習で上手く行ったとしても、実際に使ったら、酷い目に遭うだけよ」
「なるほど……」
リディアの言う通り、もし危ない状況に陥ったとしたら、普段のように力が出せない可能性もある。しかし、こうやって手の平で重みを受けられるのであれば、自分の指が滑ってしまうことは無いかもしれない。
ソフィは一度ナイフの握りを変えて、指全体で握りこんでみた。もしリディアに教わらなかったら、おそらくこうやって持っていたはずだ。
その状態で木の幹を押してみたが、なかなか力が木にまで伝わらない。それに加えて手首の角度も妙に力が入りづらかった。
リディアに教わった持ち方だと、重みが指ではなく手の平にかかるから、かなり力を込めることが出来る。
「うむ、リディアの言う通りにしたほうが力が入るのじゃ」
「わかったところで、次の説明に入るわよ。とりあえず木から離れて、素振りをしてもらうわ」
「うむ」
一旦木から離れて、リディアがやっていたように軽く足を開いて立ってみた。さきほどリディアの動きを見ていたから、どうすればいいのかはわかる。
ソフィは前を見たままナイフをサッと突き出した。
リディアが細く息を吐き、首を振る。
「違うわね、全然なってないわ」
「む? そうかのう」
前に突き出すだけなのだから、違いが生じるとは思えない。しかしリディアは再び首を振る。
「ソフィ、肘は、最初っから最後まで下を向くようにするの。縦拳みたいに」
「たてけん?」
「って、ソフィが知ってるわけなかったわね。えっとね、手を出した時に親指側がずっと上に向いたままにするのよ、ほらこんな感じで」
「ふむふむ」
リディアの真似をしつつ、肘がずっと下を向いたまま縦に手を突き出してみる。何度かその動きを繰り返し、今度は素早くナイフを前に繰り出した。
いい感じに出来たと思ったが、リディアは目を細めたままこちらを見ている。
「そうね……、ソフィ、こうやって拳の底で自分の手の平を叩いてみなさい」
「んあ?」
こちらの疑問をよそに、リディアが実演を始めた。リディアは右拳を握り、その底で自身の左手の手の平をトントンと叩き始めた。
意味がよくわからなかったが、とりあえず真似してみるしかないだろう。ソフィは一度ナイフを握り直し、リディアの真似をしてみる。
リディアがこちらの背後に回りながら言う。
「その動きをちょっと続けてなさい」
「ふむ……」
よくわからなかったが、言われた通りに手の平をトントンと叩き続ける。こんな動きに何の意味があるのかはわからない。リディアはこちらの背後に回ったかと思うと、こちらの脇の下に手を入れてきた。
「のわっ?! な、なんじゃ」
「ここよ、ソフィ、ここに力を入れるのよ」
「は?」
どういうことかわからず、ソフィは後ろを振り返ってリディアを見た。リディアは右腕を上げて自分の脇の辺りを左手で示した。
ちょうど体の側面で、肋骨のあたりを指差している。
「ソフィ、ここから背中にかけて大きな筋肉があるのよ」
「そんなところに筋肉などあるのか?」
「っていうかあれよね、ソフィって、人の体の構造とかあんまり知らないみたいね」
「それは、まぁ」
「あのねソフィ、肩っていうのはね、こう自在に動くわけじゃない? でも肘とか膝とかはひとつの方向にしか動かないでしょ」
そう言いながらリディアが肘を折りたたんで見せた。その後で肩をぐるぐると回している。
「肩っていうのはね、背中側の肩甲骨と、鎖骨と、それと上腕の骨を沢山の筋肉で支えてるのよ」
「ほう……」
「だからこうやって色んな方向に動かせるわけだけど、そういうのを使えないと、力が全然入らないわけよ」
説明を聞いてはいるが、いまひとつ理解しがたい。腕を動かすのは腕についている筋肉なのではないかと思えてしまう。
肩を使うのならそういう筋肉を使うかもしれないが、今は腕の力こそが最も重要なはずだ。
リディアはソフィの脇の下に手を添えた。その手を背中のほうへとわずかに滑らせ、手の平でソフィの肩甲骨から脇にかけてのあたりを軽く押す。
「ここよ、この辺りに軽く力を入れるの」
「力を入れると言われてもじゃな」
そんなところに筋肉があるだなんて知らなかったし、力を入れようにもどう意識すればその筋肉が使えるのかがわからない。
背中のほうに意識を集中してみたが、何かが変わった気はしなかった。
それを察したのか、リディアが言葉を付け足す。
「ちょっと脇を締めるような感じにするの。脇を閉じながら、この辺りに力が入るようにしてみなさい」
「ふむ……」
脇を閉じるというのであれば簡単だ。ソフィは言われた通りに肘を自分の胴体へと近づけた。
何かが変わった気はしなかったが、リディアは満足したようで声を出した。
「そうそう、そんな感じよ。それでね、さっきと同じように手の平を拳の底で叩いてみなさい」
「ふむ……」
脇を締めたまま、ソフィはさきほどと同じ動作をしてみた。拳の底で左手の手の平を叩く。さっきと同じくらいの力で軽く叩いたはずなのだが、手の平から伝わってくる痛みは違っていた。
重たい音が伝わってきて、さらに左手の手の平に鈍い痛みが走った。
「おお、なんじゃ、さっきよりも力が入った気がするのじゃ」
「そうよ、それが大事なの。いいソフィ、腕に繋がってる筋肉は背中にもあって、その背中の筋肉は背骨に、それとこの骨盤の上のほうにまで繋がってるのよ」
リディアがそう言いながらソフィの腰に手を当てた。腕を動かす筋肉がそんなところにまで繋がっているというのは、俄かには信じがたかった。
今まで意識したことが無かったのもあるし、今もそんな筋肉を自分の意思で動かせないからかもしれない。
ただ、今までとは少し違った体の使い方が自分の体に現れているのは理解できた。
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