13 / 27
13話 連絡
しおりを挟む
薄暗い闇が、心を覆った。
どれだけ逃げようとしてもそれはいつまでも纏わりついて離れなくて。
この地獄から解放される日は永遠に来ないのだろうと、頭の片隅から消えてなくならない。
さざ波の音が聞こえる。遠い空には見渡す限りの青空が広がって、鳥が羽ばたいていく。
――ああ。早く逃げないと。
あの楽園へ。あのオアシスへ。
そうすればきっと、全て終わるはずだから。
だから私は――。
「っ――」
薄っすらと瞼が開く。気付けば目尻に涙が滲んでいて、静かに頬を伝った。
(嫌な夢を見ていた気がする……)
どんな夢だったか思い出せない。けれどあの”光景”で思い浮かぶ夢はただひとつだ。
(いつまで、引きずってるんだか)
我ながら馬鹿馬鹿しい。振り切るようにベッドから抜け出してリビングへ向かう。
設定したアラームより一時間も早い。本当はまだ眠っていたかったけれど、また夢の続きを見てしまいそうで怖かった。
冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注ぐ。そのまま目を覚ますようにぐいっと一気に飲み干してソファに腰掛けた。
いつもはすぐにテレビをつけていたが、今日はつける気にならない。昨日の慌ただしい一日のせいだろうか、今はとにかく静かな場所で心を休めたかった。
――今日も仕事だ。行きたくない。
こんなにも憂鬱な朝は久しぶりだ。それこそ仕事で大失敗した翌日のような朝だ。まあ、あながち間違ってはいないのだが。
昨夜のパーティーのことを思い出すと自分の無能っぷりに嫌気がさす。そりゃ笹桐さんが自分に敵対心を抱くのも当然だ。
(でも私だって……)
ここで働きたくて働いてるわけじゃない。いわばこれは強制なのだ。会社に裏切られ、取引の道具に使われた人質。
かつての幼馴染に夢を絶たれ、働きたくもない場所で働かされられ、誰が真摯に打ち込めるというのだ。
もうなにもかも滅茶苦茶だ。全部辞めてしまいたい。
何を迷うことがある、とっとと辞めてハワイに行ってしまえ。周りなんて関係ない。行けばなんとかなる。
(……そう思えたら、どれだけ楽だろうか)
結局、私は自分の弱さに負けた。ただそれだけだ。
(何もしなければ無難な人生を送ることはできる。けど、それ以上のものは何も得られない)
人生はハイリスク、ハイリターン。
だが一歩踏み出さなければ人生は始まらない。
中学の担任が卒業式に残した言葉だ。そんなことは誰でも分かっている。
だが、分かっていたとしても踏み出せないものもある。
複雑だ。なにもかも、複雑なのだ。
何が複雑かなんて分からない。それがただ、自分の被害妄想だということも分かっている。
踏み出せば、案外人生はなんとかなるということも。
(私は、何に囚われているのだろう……)
どさりとソファに倒れ込むと、ちょうど携帯のアラームが鳴った。もうこんな時間かと思ってアラームを止める。
すると昨日眠ってしまった後に、一件の通知が入っていた。
(嘘!?)
思わず携帯が手から滑り落ちそうになり、慌てて内容を確認する。
『お疲れ。初日はどうだった?
困ったことがあればいつでも言えよ』
相手は斎賀さんだった。
プライベートではあまり連絡を取ることはなったのに、心配して送ってきてくれたのだろう。
一気に目が覚めてソファから飛びあがると、頭の中で返事を考える。
(ありがとうございます、頑張ります。だけじゃ失礼よね? うーん……)
散々悩んで結局、
『ありがとうございます。なんとかやっていけそうです。
斎賀さんに教わったことを忘れず頑張ります』
と、なんともそっけない返事を送ってしまった。
(こ、これでよかったかな……? ちょっと冷たい?)
するとすぐに既読がついた。
『おはよう朝倉。
それならよかったよ。
今週の土曜、空いてたら食事でもどうだ?
仕事の話を聞かせてくれ』
「へっ!?」
まさかそんな返事が返ってくるとは思わず、その場で固まってしまう。
(土日休みでいいんだよね……?)
特に予定もいれていない。それに万が一、仕事だったとしても夜なら食事ぐらい行けるだろう。
「せっかくだし……」
出勤初日で心が折れかけていたのもあるだろう。なんとなく斎賀さんに会いたくて仕方なかった。
私は大丈夫ですよ、と返すとすぐに返事が返ってきた。
『イタリアン好きだったよな。
美味い店探しておくから、仕事頑張れよ』
ふっと笑みが漏れる。さっきまでの憂鬱が嘘のようだ。
ありがとうございます、楽しみにしていますと返した頃にはすでに家を出る時間ギリギリになっていて、
私は急いで支度を整えた。
(土曜日、楽しみだな)
⇔
相模リゾート 社長室
「おはようございます」
社長室に入ると、すでに笹桐さんの姿があった。しかし返事はなく、黙々と書類を整理している。
(負けるか)
「おはようございます」
「うるさい。聞こえている」
返事は返ってきたが、こちらを気にする素振りもない。それどころか朝から不機嫌そうに眉をひそめて淡々と仕事をこなしていく。
「笹桐さん、私も手伝います」
「君に任せる仕事はない」
「それでもやります。これを営業部まで持って行けばいいんですよね」
「おい朝倉!」
「すぐに戻ります」
営業部宛てに振り分けられたファイルを持って、にこりと微笑んだ。
こんなところで言い争っている場合ではない。たとえ笹桐さんが自分のことをよく思っていなくても、昨日みたいな醜態は晒したくはないのだ。
――今は、できるだけのことをやるしかない。
目の奥からせり上がってきそうな涙をぐっと堪えて、私は急ぎ足で営業部のあるフロアへと向かった。
⇔
「おはよう笹桐。ちーちゃんは?」
千秋と入れ替わるように、ちょうど悠が社長室へと入ってきた。
笹桐は手を止めて一礼すると、すぐに温かい珈琲を淹れる準備に取り掛かる。
「営業部に資料を届けに行きました」
「熱心だなあ。鞄も置き去りのままだし」
ソファにはチャックも開いたままの鞄が無造作に置き去りにされていた。
相川らずそそっかしいな、と悠がくすくすと笑う。バッグハンガーにかけておこうと思い鞄を持ち上げると、するりと中から携帯が滑り落ちてきた。
「おっと」
床に落ちる寸前で手を伸ばし、なんとか落下は回避する。
一応壊れていないか悠が画面を開くと、ちょうど携帯がブルブルと震えて一件の通知が表示された。
『じゃあ、また土曜日にな』
液晶に表示された名前に悠の手が止まる。
しばらしくじっと画面を見つめた後、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて携帯を鞄に戻した。
「ふーん、土曜日ねえ……」
どれだけ逃げようとしてもそれはいつまでも纏わりついて離れなくて。
この地獄から解放される日は永遠に来ないのだろうと、頭の片隅から消えてなくならない。
さざ波の音が聞こえる。遠い空には見渡す限りの青空が広がって、鳥が羽ばたいていく。
――ああ。早く逃げないと。
あの楽園へ。あのオアシスへ。
そうすればきっと、全て終わるはずだから。
だから私は――。
「っ――」
薄っすらと瞼が開く。気付けば目尻に涙が滲んでいて、静かに頬を伝った。
(嫌な夢を見ていた気がする……)
どんな夢だったか思い出せない。けれどあの”光景”で思い浮かぶ夢はただひとつだ。
(いつまで、引きずってるんだか)
我ながら馬鹿馬鹿しい。振り切るようにベッドから抜け出してリビングへ向かう。
設定したアラームより一時間も早い。本当はまだ眠っていたかったけれど、また夢の続きを見てしまいそうで怖かった。
冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注ぐ。そのまま目を覚ますようにぐいっと一気に飲み干してソファに腰掛けた。
いつもはすぐにテレビをつけていたが、今日はつける気にならない。昨日の慌ただしい一日のせいだろうか、今はとにかく静かな場所で心を休めたかった。
――今日も仕事だ。行きたくない。
こんなにも憂鬱な朝は久しぶりだ。それこそ仕事で大失敗した翌日のような朝だ。まあ、あながち間違ってはいないのだが。
昨夜のパーティーのことを思い出すと自分の無能っぷりに嫌気がさす。そりゃ笹桐さんが自分に敵対心を抱くのも当然だ。
(でも私だって……)
ここで働きたくて働いてるわけじゃない。いわばこれは強制なのだ。会社に裏切られ、取引の道具に使われた人質。
かつての幼馴染に夢を絶たれ、働きたくもない場所で働かされられ、誰が真摯に打ち込めるというのだ。
もうなにもかも滅茶苦茶だ。全部辞めてしまいたい。
何を迷うことがある、とっとと辞めてハワイに行ってしまえ。周りなんて関係ない。行けばなんとかなる。
(……そう思えたら、どれだけ楽だろうか)
結局、私は自分の弱さに負けた。ただそれだけだ。
(何もしなければ無難な人生を送ることはできる。けど、それ以上のものは何も得られない)
人生はハイリスク、ハイリターン。
だが一歩踏み出さなければ人生は始まらない。
中学の担任が卒業式に残した言葉だ。そんなことは誰でも分かっている。
だが、分かっていたとしても踏み出せないものもある。
複雑だ。なにもかも、複雑なのだ。
何が複雑かなんて分からない。それがただ、自分の被害妄想だということも分かっている。
踏み出せば、案外人生はなんとかなるということも。
(私は、何に囚われているのだろう……)
どさりとソファに倒れ込むと、ちょうど携帯のアラームが鳴った。もうこんな時間かと思ってアラームを止める。
すると昨日眠ってしまった後に、一件の通知が入っていた。
(嘘!?)
思わず携帯が手から滑り落ちそうになり、慌てて内容を確認する。
『お疲れ。初日はどうだった?
困ったことがあればいつでも言えよ』
相手は斎賀さんだった。
プライベートではあまり連絡を取ることはなったのに、心配して送ってきてくれたのだろう。
一気に目が覚めてソファから飛びあがると、頭の中で返事を考える。
(ありがとうございます、頑張ります。だけじゃ失礼よね? うーん……)
散々悩んで結局、
『ありがとうございます。なんとかやっていけそうです。
斎賀さんに教わったことを忘れず頑張ります』
と、なんともそっけない返事を送ってしまった。
(こ、これでよかったかな……? ちょっと冷たい?)
するとすぐに既読がついた。
『おはよう朝倉。
それならよかったよ。
今週の土曜、空いてたら食事でもどうだ?
仕事の話を聞かせてくれ』
「へっ!?」
まさかそんな返事が返ってくるとは思わず、その場で固まってしまう。
(土日休みでいいんだよね……?)
特に予定もいれていない。それに万が一、仕事だったとしても夜なら食事ぐらい行けるだろう。
「せっかくだし……」
出勤初日で心が折れかけていたのもあるだろう。なんとなく斎賀さんに会いたくて仕方なかった。
私は大丈夫ですよ、と返すとすぐに返事が返ってきた。
『イタリアン好きだったよな。
美味い店探しておくから、仕事頑張れよ』
ふっと笑みが漏れる。さっきまでの憂鬱が嘘のようだ。
ありがとうございます、楽しみにしていますと返した頃にはすでに家を出る時間ギリギリになっていて、
私は急いで支度を整えた。
(土曜日、楽しみだな)
⇔
相模リゾート 社長室
「おはようございます」
社長室に入ると、すでに笹桐さんの姿があった。しかし返事はなく、黙々と書類を整理している。
(負けるか)
「おはようございます」
「うるさい。聞こえている」
返事は返ってきたが、こちらを気にする素振りもない。それどころか朝から不機嫌そうに眉をひそめて淡々と仕事をこなしていく。
「笹桐さん、私も手伝います」
「君に任せる仕事はない」
「それでもやります。これを営業部まで持って行けばいいんですよね」
「おい朝倉!」
「すぐに戻ります」
営業部宛てに振り分けられたファイルを持って、にこりと微笑んだ。
こんなところで言い争っている場合ではない。たとえ笹桐さんが自分のことをよく思っていなくても、昨日みたいな醜態は晒したくはないのだ。
――今は、できるだけのことをやるしかない。
目の奥からせり上がってきそうな涙をぐっと堪えて、私は急ぎ足で営業部のあるフロアへと向かった。
⇔
「おはよう笹桐。ちーちゃんは?」
千秋と入れ替わるように、ちょうど悠が社長室へと入ってきた。
笹桐は手を止めて一礼すると、すぐに温かい珈琲を淹れる準備に取り掛かる。
「営業部に資料を届けに行きました」
「熱心だなあ。鞄も置き去りのままだし」
ソファにはチャックも開いたままの鞄が無造作に置き去りにされていた。
相川らずそそっかしいな、と悠がくすくすと笑う。バッグハンガーにかけておこうと思い鞄を持ち上げると、するりと中から携帯が滑り落ちてきた。
「おっと」
床に落ちる寸前で手を伸ばし、なんとか落下は回避する。
一応壊れていないか悠が画面を開くと、ちょうど携帯がブルブルと震えて一件の通知が表示された。
『じゃあ、また土曜日にな』
液晶に表示された名前に悠の手が止まる。
しばらしくじっと画面を見つめた後、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて携帯を鞄に戻した。
「ふーん、土曜日ねえ……」
0
あなたにおすすめの小説
Catch hold of your Love
天野斜己
恋愛
入社してからずっと片思いしていた男性(ひと)には、彼にお似合いの婚約者がいらっしゃる。あたしもそろそろ不毛な片思いから卒業して、親戚のオバサマの勧めるお見合いなんぞしてみようかな、うん、そうしよう。
決心して、お見合いに臨もうとしていた矢先。
当の上司から、よりにもよって職場で押し倒された。
なぜだ!?
あの美しいオジョーサマは、どーするの!?
※2016年01月08日 完結済。
契約が終わったら静かにお引き取りくださいと言ったのはあなたなのに執着しないでください
紬あおい
恋愛
「あなたとは二年間の契約婚です。満了の際は静かにお引き取りください。」
そう言ったのはあなたです。
お言葉通り、今日私はここを出て行きます。
なのに、どうして離してくれないのですか!?
無表情いとこの隠れた欲望
春密まつり
恋愛
大学生で21歳の梓は、6歳年上のいとこの雪哉と一緒に暮らすことになった。
小さい頃よく遊んでくれたお兄さんは社会人になりかっこよく成長していて戸惑いがち。
緊張しながらも仲良く暮らせそうだと思った矢先、転んだ拍子にキスをしてしまう。
それから雪哉の態度が変わり――。
そんな目で見ないで。
春密まつり
恋愛
職場の廊下で呼び止められ、無口な後輩の司に告白をされた真子。
勢いのまま承諾するが、口数の少ない彼との距離がなかなか縮まらない。
そのくせ、キスをする時は情熱的だった。
司の知らない一面を知ることによって惹かれ始め、身体を重ねるが、司の熱のこもった視線に真子は混乱し、怖くなった。
それから身体を重ねることを拒否し続けるが――。
▼2019年2月発行のオリジナルTL小説のWEB再録です。
▼全8話の短編連載
▼Rシーンが含まれる話には「*」マークをつけています。
社長の×××
恩田璃星
恋愛
真田葵26歳。
ある日突然異動が命じられた。
異動先である秘書課の課長天澤唯人が社長の愛人という噂は、社内では公然の秘密。
不倫が原因で辛い過去を持つ葵は、二人のただならぬ関係を確信し、課長に不倫を止めるよう説得する。
そんな葵に課長は
「社長との関係を止めさせたいなら、俺を誘惑してみて?」
と持ちかける。
決して結ばれることのない、同居人に想いを寄せる葵は、男の人を誘惑するどころかまともに付き合ったこともない。
果たして課長の不倫を止めることができるのか!?
*他サイト掲載作品を、若干修正、公開しております*
初色に囲われた秘書は、蜜色の秘処を暴かれる
ささゆき細雪
恋愛
樹理にはかつてひとまわり年上の婚約者がいた。けれど樹理は彼ではなく彼についてくる母親違いの弟の方に恋をしていた。
だが、高校一年生のときにとつぜん幼い頃からの婚約を破棄され、兄弟と逢うこともなくなってしまう。
あれから十年、中小企業の社長をしている父親の秘書として結婚から逃げるように働いていた樹理のもとにあらわれたのは……
幼馴染で初恋の彼が新社長になって、専属秘書にご指名ですか!?
これは、両片想いでゆるふわオフィスラブなひしょひしょばなし。
※ムーンライトノベルズで開催された「昼と夜の勝負服企画」参加作品です。他サイトにも掲載中。
「Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―」で当て馬だった紡の弟が今回のヒーローです(未読でもぜんぜん問題ないです)。
エリート課長の脳内は想像の斜め上をいっていた
ピロ子
恋愛
飲み会に参加した後、酔い潰れていた私を押し倒していたのは社内の女子社員が憧れるエリート課長でした。
普段は冷静沈着な課長の脳内は、私には斜め上過ぎて理解不能です。
※課長の脳内は変態です。
なとみさん主催、「#足フェチ祭り」参加作品です。完結しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる