14 / 46
第2章:黄金の瞳の覚醒 〜
第8話 見えざる令嬢と、主君の誓い
しおりを挟む
ロゼレイド公爵邸の大ホールには、異様な緊張感が漂っていた。
家令のクラウスによって緊急招集された使用人たちは、総勢百名近く。彼らは皆、昨夜から屋敷内を駆け巡っている「ある噂」の真偽を確かめたくて、そわそわとした視線を交わし合っていた。
「……聞いたか? 閣下が昨夜、吹雪の中から子供を抱えて戻られたそうだ」
「ああ、ボロボロの毛布に包まれていたって、門番の奴が言っていた。まるで死人のように冷たかったらしい」
「マギー様がつきっきりでお世話をしているそうだが……一体、何者なんだろうな」
使用人たちのほとんどは、まだその少女――エレーナの姿を見ていない。ただ、東翼の一室が厳重に閉ざされ、マギーやアンといった限られた者だけが出入りしているという事実が、噂に拍車をかけていた。
そこへ、軍靴の音を響かせてヴィンセントが入室してきた。
壇上に立った彼の顔は、普段の冷静沈着な公爵のものとは明らかに違っていた。黄金の瞳には、かつてないほどの熱と、隠しきれない焦燥が混ざり合っている。
「……皆、集まってもらったのは他でもない。昨夜、私が連れ帰った少女のことだ」
ヴィンセントが口を開くと、ホールは一瞬で水を打ったように静まり返った。
「名はエレーナ。……あの子は今日、この瞬間から、ロゼレイド公爵家の正当な令嬢となる。私の娘であり、お前たちの新しい主人の一人だ」
その宣告に、ホール全体が大きくどよめいた。
「娘」「令嬢」という、あまりに重い言葉。使用人たちの頭には、名もなき行き倒れの少女が、一躍この国の最高位の貴族に列せられたという衝撃が走る。
「……お前たちのほとんどは、まだあの子の姿を見ていないだろう。それで構わん。あの子は今、部屋の隅の暗がりに逃げ込み、一歩も外に出ることができずにいる」
ヴィンセントの声が、怒りと悲しみが混ざったように低くなった。
「あの子は、今まで地獄のような場所で、大人たちから執拗な虐待を受けてきた。あの子にとって、お前たちのような『健康な大人』の存在そのものが、恐怖の対象なのだ。……今、あの子に最も必要なのは、豪華な宝石でも教育でもない。ただの『安全』だ」
ヴィンセントは、壇上の手すりを握りしめた。その力が強すぎて、木がみりみりと音を立てる。
「だから、お前たちに頼みたい。……いや、これは命令だ。あの子が部屋から出てこないことを、決して不審に思うな。廊下であの子の泣き声が聞こえても、好奇の目で見ようとするな。……あの子が自分から扉を開けるその日まで、お前たちは気配を殺し、あの子がこの屋敷で『呼吸をしていても怒られない』ということを、態度で示してやってくれ」
ヴィンセントは、一人の父親としての不器用な願いを、全使用人の心に叩きつけるように言葉を続けた。
「料理長。あの子は飢えている。だが、急に贅沢なものを食べさせれば、あの子の胃は耐えられん。……あの子が『美味しい』と心から思える、世界で一番優しいスープを毎日作ってくれ。洗濯係。あの子が着ているボロ布を、世界で一番柔らかい絹に変えてやれ。庭師。あの子がいつか窓の外を見た時、そこが宝石箱のように見えるよう、花を手入れしておけ」
不器用な、けれどあまりに一途なヴィンセントの言葉。その「親バカ」とも取れる過保護な指示の数々に、使用人たちの表情から緊張が消え、温かな光が灯り始めた。
「……閣下。私たちは、お嬢様がお姿を見せてくださる日を、家族として心待ちにしておりますわ」
最前列にいた年配のメイドが、優しく微笑んで答えた。それを皮切りに、あちこちから「お任せください」「お嬢様のスープ、私が命をかけて作ります!」と声が上がる。
ヴィンセントは少しだけ驚いたように目を見開いた後、ふっと、これまでに見せたことのない穏やかな笑みを浮かべた。
「……ああ。頼んだぞ。……あの子がいつか笑えるようになった時、私はお前たち全員を、最高の家族だと誇りに思うだろう」
家令のクラウスによって緊急招集された使用人たちは、総勢百名近く。彼らは皆、昨夜から屋敷内を駆け巡っている「ある噂」の真偽を確かめたくて、そわそわとした視線を交わし合っていた。
「……聞いたか? 閣下が昨夜、吹雪の中から子供を抱えて戻られたそうだ」
「ああ、ボロボロの毛布に包まれていたって、門番の奴が言っていた。まるで死人のように冷たかったらしい」
「マギー様がつきっきりでお世話をしているそうだが……一体、何者なんだろうな」
使用人たちのほとんどは、まだその少女――エレーナの姿を見ていない。ただ、東翼の一室が厳重に閉ざされ、マギーやアンといった限られた者だけが出入りしているという事実が、噂に拍車をかけていた。
そこへ、軍靴の音を響かせてヴィンセントが入室してきた。
壇上に立った彼の顔は、普段の冷静沈着な公爵のものとは明らかに違っていた。黄金の瞳には、かつてないほどの熱と、隠しきれない焦燥が混ざり合っている。
「……皆、集まってもらったのは他でもない。昨夜、私が連れ帰った少女のことだ」
ヴィンセントが口を開くと、ホールは一瞬で水を打ったように静まり返った。
「名はエレーナ。……あの子は今日、この瞬間から、ロゼレイド公爵家の正当な令嬢となる。私の娘であり、お前たちの新しい主人の一人だ」
その宣告に、ホール全体が大きくどよめいた。
「娘」「令嬢」という、あまりに重い言葉。使用人たちの頭には、名もなき行き倒れの少女が、一躍この国の最高位の貴族に列せられたという衝撃が走る。
「……お前たちのほとんどは、まだあの子の姿を見ていないだろう。それで構わん。あの子は今、部屋の隅の暗がりに逃げ込み、一歩も外に出ることができずにいる」
ヴィンセントの声が、怒りと悲しみが混ざったように低くなった。
「あの子は、今まで地獄のような場所で、大人たちから執拗な虐待を受けてきた。あの子にとって、お前たちのような『健康な大人』の存在そのものが、恐怖の対象なのだ。……今、あの子に最も必要なのは、豪華な宝石でも教育でもない。ただの『安全』だ」
ヴィンセントは、壇上の手すりを握りしめた。その力が強すぎて、木がみりみりと音を立てる。
「だから、お前たちに頼みたい。……いや、これは命令だ。あの子が部屋から出てこないことを、決して不審に思うな。廊下であの子の泣き声が聞こえても、好奇の目で見ようとするな。……あの子が自分から扉を開けるその日まで、お前たちは気配を殺し、あの子がこの屋敷で『呼吸をしていても怒られない』ということを、態度で示してやってくれ」
ヴィンセントは、一人の父親としての不器用な願いを、全使用人の心に叩きつけるように言葉を続けた。
「料理長。あの子は飢えている。だが、急に贅沢なものを食べさせれば、あの子の胃は耐えられん。……あの子が『美味しい』と心から思える、世界で一番優しいスープを毎日作ってくれ。洗濯係。あの子が着ているボロ布を、世界で一番柔らかい絹に変えてやれ。庭師。あの子がいつか窓の外を見た時、そこが宝石箱のように見えるよう、花を手入れしておけ」
不器用な、けれどあまりに一途なヴィンセントの言葉。その「親バカ」とも取れる過保護な指示の数々に、使用人たちの表情から緊張が消え、温かな光が灯り始めた。
「……閣下。私たちは、お嬢様がお姿を見せてくださる日を、家族として心待ちにしておりますわ」
最前列にいた年配のメイドが、優しく微笑んで答えた。それを皮切りに、あちこちから「お任せください」「お嬢様のスープ、私が命をかけて作ります!」と声が上がる。
ヴィンセントは少しだけ驚いたように目を見開いた後、ふっと、これまでに見せたことのない穏やかな笑みを浮かべた。
「……ああ。頼んだぞ。……あの子がいつか笑えるようになった時、私はお前たち全員を、最高の家族だと誇りに思うだろう」
8
あなたにおすすめの小説
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
【完結】ある二人の皇女
つくも茄子
ファンタジー
美しき姉妹の皇女がいた。
姉は物静か淑やかな美女、妹は勝気で闊達な美女。
成長した二人は同じ夫・皇太子に嫁ぐ。
最初に嫁いだ姉であったが、皇后になったのは妹。
何故か?
それは夫が皇帝に即位する前に姉が亡くなったからである。
皇后には息子が一人いた。
ライバルは亡き姉の忘れ形見の皇子。
不穏な空気が漂う中で謀反が起こる。
我が子に隠された秘密を皇后が知るのは全てが終わった時であった。
他のサイトにも公開中。
どうぞお好きに
音無砂月
ファンタジー
公爵家に生まれたスカーレット・ミレイユ。
王命で第二王子であるセルフと婚約することになったけれど彼が商家の娘であるシャーベットを囲っているのはとても有名な話だった。そのせいか、なかなか婚約話が進まず、あまり野心のない公爵家にまで縁談話が来てしまった。
【完結】私が愛されるのを見ていなさい
芹澤紗凪
恋愛
虐げられた少女の、最も残酷で最も華麗な復讐劇。(全6話の予定)
公爵家で、天使の仮面を被った義理の妹、ララフィーナに全てを奪われたディディアラ。
絶望の淵で、彼女は一族に伝わる「血縁者の姿と入れ替わる」という特殊能力に目覚める。
ディディアラは、憎き義妹と入れ替わることを決意。
完璧な令嬢として振る舞いながら、自分を陥れた者たちを内側から崩壊させていく。
立場と顔が入れ替わった二人の少女が織りなす、壮絶なダークファンタジー。
奪われ系令嬢になるのはごめんなので逃げて幸せになるぞ!
よもぎ
ファンタジー
とある伯爵家の令嬢アリサは転生者である。薄々察していたヤバい未来が現実になる前に逃げおおせ、好き勝手生きる決意をキメていた彼女は家を追放されても想定通りという顔で旅立つのだった。
“いつまでも一緒”の鎖、貴方にお返しいたします
柊
ファンタジー
男爵令嬢エリナ・ブランシュは、幼馴染であるマルグリット・シャンテリィの引き立て役だった。
マルグリットに婚約が決まり開放されると思ったのも束の間、彼女は婚約者であるティオ・ソルベに、家へ迎え入れてくれないかというお願いをする。
それをティオに承諾されたエリナは、冷酷な手段をとることを決意し……。
※複数のサイトに投稿しております。
私の、虐げられていた親友の幸せな結婚
オレンジ方解石
ファンタジー
女学院に通う、女学生のイリス。
彼女は、親友のシュゼットがいつも妹に持ち物や見せ場を奪われることに怒りつつも、何もできずに悔しい思いをしていた。
だがある日、シュゼットは名門公爵令息に見初められ、婚約する。
「もう、シュゼットが妹や両親に利用されることはない」
安堵したイリスだが、親友の言葉に違和感が残り…………。
王太子妃が我慢しなさい ~姉妹差別を受けていた姉がもっとひどい兄弟差別を受けていた王太子に嫁ぎました~
玄未マオ
ファンタジー
メディア王家に伝わる古い呪いで第一王子は家族からも畏怖されていた。
その王子の元に姉妹差別を受けていたメルが嫁ぐことになるが、その事情とは?
ヒロインは姉妹差別され育っていますが、言いたいことはきっちりいう子です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる