• 『社交界の華は、影に咲く毒。〜私を捨てた世界、すべてお返しいたします〜』

ヨォコ

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第2章:黄金の瞳の覚醒 〜

第9話 選ばれし「番犬」 ――同じ空気を吸うための、静かなる侵入

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ロゼレイド公爵邸の執務室は、本来、帝国の軍事戦略や領地経営の重い議論が交わされる聖域である。しかし今、この場所を支配しているのは、国家の存亡よりも遥かに切実で、そして決定的に「ピントのズレた」熱気だった。
主君ヴィンセントは、彫刻の施された大机の奥に深く腰掛け、眉間に深い皺を刻んでいた。その黄金の瞳は鋭く、目の前に並ぶ七人の男たちを射抜いている。
「いいか、お前たち。……エレーナが自ら部屋の扉を開けるのを待つだけでは不十分だ。あの子にとって、扉の向こう側に『得体の知れない強者』が立っていること自体が、目に見えない包囲網と同じなのだ」
ヴィンセントの声が、重々しく響く。
「そこで、誰か一人があの子の部屋に入り、同じ空間で静かに過ごす……いわば『無害な同居人』になってもらう。あの子が『この人が部屋にいても、私は傷つけられない』と、細胞レベルで理解するまで、ただの空気として存在できる者が必要だ。……さて、名乗りを上げる者はいるか」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、場を制したのは公爵家の次男、セドリックだった。
「父上! 俺が行きます! 俺は部屋の隅で、ひたすらエレーナのためにリンゴの皮を剥き続けます! 言葉はいらない、ただ瑞々しい果物の香りと、俺の献身があれば、いつか彼女も一口食べてくれるはずだ!」
セドリックは拳を握り、熱く語る。だが、その隣で長男のカイルが冷ややかな視線を投げた。
「セドリック、お前がその凶暴な筋肉を躍動させながら包丁を持って部屋にいるだけで、あの子には処刑人にしか見えんよ。……父上、ここは俺が適任です。俺なら、部屋の反対側の壁際で、ひたすら歴史書を読み耽りましょう。俺はあの子を見ない。ただ、そこに『無害な知性』が存在することを示す。……存在を感じさせつつ、視線を合わせない。これこそが、警戒心の強い生き物に対する最高の礼儀です」
「カイル兄さん、それはただの『冷たい放置』だって! エレーナが『無視されてる』って悲しくなったらどうするんだよ!」
兄弟が火花を散らす中、今度は騎士たちが身を乗り出した。
「カイル様、セドリック様、お言葉ですが!」
カッセル侯爵家の次男、リアンが不敵な笑みを浮かべる。
「お嬢様の視界の端っこで、ひたすらトランプタワーを作りますよ、俺は! ガシャーンって崩れた時に『あーっ!』って情けない顔をすれば、お嬢様だって『この人、何やってるの?』って呆れてくれる。……強者への恐怖を、弱者への同情に変える。これこそが高度な護衛術です!」
「リアン、お前のは演技じゃなくて素で失敗するからな。……私は、彼女の部屋の隅で、彼女が最も心地よいと感じる香香を焚き、彼女の呼吸に合わせて自身の心拍数を同調させる『バイオリズム同調守護』を提案します」
シオンが眼鏡を光らせて理屈を並べれば、ゼノは「……私は部屋の隅の、一番暗い場所で石像になる」とボソリと呟き、バッシュは「俺は部屋の真ん中で正座して、『俺はただの大きなクッションです』と念じ続ける!」と地響きのような声を上げた。
「……喧しいッ!」
ヴィンセントの一喝が飛ぶ。
執務室は、もはや帝国のエリートが集まっているとは思えないほど、純粋すぎる――悪く言えば「残念な」言い争いに包まれていた。
そして、その光景を壁際で一列に並んで見守る者たちがいた。
公爵邸の執事長クラウス。そして、カイル、セドリック、さらに騎士たちに仕えるそれぞれの「従事(従者)」たちである。
(……救いようがない。我が主カイル様は、帝国の若手最高知性と呼ばれていたはずですが。今や『知的な空気』になろうとしている。……教育係として、私はどこで間違えたのでしょうか)
カイルの従者は、無表情のまま、心の中で深く溜息をついた。
(……リンゴの皮を剥く姿を献身と呼ぶセドリック様。……その顔は、どう見ても獲物を狙う狩人です。お嬢様からすれば、リンゴの次は自分の番かとお怯えになるでしょうな)
セドリックの従者は、手帳に「主人の奇行・要記録」と淡々と書き込んでいる。
(……トランプタワーを崩して喜ぶ20歳の騎士。リアン様、あなたは先月の演習で千人の歩兵を一人で壊滅させた英雄ですよ。……カッセル侯爵家の家紋を、今すぐピエロの帽子に変えてやりたいものです)
リアンの従者は、遠い目をして窓の外を見つめていた。
クラウスは、若きエリートたちの暴走と、その後ろで魂が抜けかけている従者たちの様子を眺め、冷徹に時計を確認した。
「閣下、お話中失礼いたします。……既に予定時間を30分過ぎておりますが、議論は一向に『無害』な方向へは向かっていないように見受けられます。皆様、自分が『どう見えるか』ではなく、『お嬢様がどう感じるか』という視点が決定的に欠落しておりますな」
クラウスの氷のような言葉に、ヴィンセントは頭を抱えた。
「……ええい、どいつもこいつも極端なのだ! もっと、こう……普通に、自然に接することができる奴はおらんのか!」
その狂乱の最中、最後方で窓辺に寄りかかり、プラチナブロンドの髪を揺らしていたフェイが、ふっと笑った。
彼はロシュ侯爵家の令息。カイルやセドリックにとっても、気心の知れた親戚だ。
フェイは、最高級のシルクで作られたネクタイを「首が苦しいから」という理由で既に外し、そのまま執務室の高級絨毯の上に、だらしなく「ぺたん」と座り込んだ。
「……フェイ、何をしている」
ヴィンセントの問いに、フェイはヘテロクロマニアの瞳を細めて答えた。
「みんな、格好つけすぎだよ。……お嬢様が求めているのは、完璧なお兄様でも、必死な騎士でもない。……ただ、自分の目線まで降りてきてくれる、暇そうな誰かでしょ?」
フェイは床に座ったまま、おどけたように肩をすくめた。
「俺は、お嬢様の部屋に入って、お嬢様から一番遠い床に座って……ひたすら、**『一人しりとり』**でもしてますよ。『りんご、ごりら、らっぱ……ぱ、ぱ……パン!』とか言って、一人で詰まって、一人で笑ってる。……あの子が『この人、一人で何やってるんだろう。バカなのかな』って思って、チラッと本棚の隙間から見てくれるまで、俺はただの『居心地の良い居候』になります」
フェイの、この圧倒的な「隙」。
カイルやセドリックが「何かをしてあげよう」と気負っているのに対し、フェイは「ただそこに、無意味に存在する」ことを選んだのだ。
ヴィンセントは、床に座り込んで情けない顔をしてみせるフェイを見て、ようやく決断を下した。
「……フェイ。お前に任せる。……あの子の部屋に入り、あの子の『同居人』になってこい。……ただし、あの子に触れるな。驚かせるな。ただ、同じ空気を温めてくるんだ」
「了解です、お父様。……あ、カイル、セドリック。廊下で聞き耳立てててもいいけど、鼻息でドアを揺らさないでね?」
フェイはひらひらと手を振り、床から立ち上がると、軽やかな足取りで執務室を出て行った。
残された兄二人と騎士たちは、屈辱に震えながら床を叩いた。
「……負けた。……『一人しりとり』という、究極の脱力戦術に……!」
「カイル兄さん、俺たちも特訓ですよ! 明日から、いかに情けなく『ぱ』で詰まるかの練習だ!」
それを見送る従者たちの心境は、もはや無であった。
(……ああ、ロゼレイド公爵邸は、今日を限りに帝国の誇り高き要塞から、『世界一高貴なしりとり修行場』に改装されるのですね……。閣下、私はもう辞表を書いてもよろしいでしょうか)
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