• 『社交界の華は、影に咲く毒。〜私を捨てた世界、すべてお返しいたします〜』

ヨォコ

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第2章:黄金の瞳の覚醒 〜

10話 黄金の瞳と静かな朝

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ロゼレイド公爵邸の三階、エレーナの部屋へと続く廊下には、不自然なほどの沈黙が漂っていた。扉の前で皇帝の弟、ヴィンセント相談役が立ち止まる。
「フェイ。少しでもあの子を怖がらせたら、お前でも承知しないぞ」
「はいはい、了解ですって。……じゃ、行ってきます」
騎士団のジャケットを脱ぎ捨てたフェイは、軽い足取りで扉を開けた。
部屋に入ると、そこには侍女のアンが、窓際で静かに控えていた。エレーナは、巨大な本棚の影にひっそりと隠れている。フェイは彼女を探そうとはせず、入り口から最も遠い壁際まで歩いていき、ドサリと床に座り込んだ。
「よっ、エレーナ。はじめまして。俺はフェイ。今日からここで君の番をすることになったんだ。……よろしくね」
フェイは一度名乗った後は、もう何も言わなかった。窓の外を眺めたり、自分の指先をいじったり。エレーナは本棚の暗がりから、その「動かない大きな影」をじっと観察していた。
そこへ、廊下でヴィンセントたちを「男たちは仕事へ行きなさい!」と一喝して追い払ってきたメイド長のマギーが、静かに戻ってきた。
「アン、交代しますね。お疲れ様でした」
「……はい、マギーさん。お願いします」
アンが退出すると、マギーはエレーナの様子を気にかけながらも、無理に声をかけず、部屋の隅で静かに針仕事を始めた。三人だけの、静かな時間が流れる。
沈黙を破ったのは、フェイの大きすぎる欠伸だった。
「……あー。……あー、暇だ。マギー、しりとりしない?」
「フェイ様、お仕事中ですよ。……お嬢様の邪魔にならない程度なら、構いませんが」
「よし。じゃあ、まずは『ロゼレイド』」
フェイの「脱力しりとり」が始まった。
「『ど』……ドラン帝国。……『つ』……つくし。……『し』……しっぽ。……『ぽ』……ぽち。……『ち』……ちいさなドラゴン。……あ、『ん』がついちゃった! 負けだ、やり直し!」
フェイがわざとらしく絨毯の上でゴロゴロと転がる。その情けない姿に、本棚の隙間から「ふふっ」と、鈴を転がしたような微かな笑い声が漏れた。
「……あ。笑った? よし、次は『しあわせ』。次は『え』……えーっと、そうだ。『えれーな』。響きが綺麗で、いい名前だよね」
フェイがさらりとその名前を呼んだ瞬間、本棚の隙間でエレーナの肩が小さく揺れた。
(この人は、私の名前を綺麗だと言ってくれた)
その無邪気な肯定が、エレーナの心の境界線を、ふわっと溶かしてしまった。
「……えーっと、次は『な』か。な、な……。な……なす? いや、それじゃ晩ご飯の献立だしな。なぞなぞ? な……あ、波(なみ)! 夏の海ってキラキラしててさ……」
フェイが一生懸命言葉をひねり出しながら、床を這うようにして本棚へ距離を詰める。エレーナの顔が影から覗くか覗かないか、その距離に踏み込んだ、その時だった。
――カチリ。
エレーナの魂の鍵が弾け飛んだ。
窓からの朝日を塗り替えるほどの、神々しく柔らかな金色の光。それは本棚の隙間から噴水のように溢れ出し、部屋中に星屑のような紋章を散りばめた。
「っ!?!?!?……っ!?」
フェイが弾かれたようにのけ反り、床に手をついた。
マギーも「ああっ!?」と悲鳴を上げて立ちすくむ。
(なんて……なんてお美しい……! これが旦那様の仰っていた……!)
マギーは震える手で胸元の十字を切った。
しかし、当事者であるフェイの衝撃はそれ以上だった。
(……え、これ……。俺の視界が……二重になってる!?)
自分の目は本棚を見ているのに、脳の裏側では、「本棚の影から、自分を見つめている自分」の姿が映し出されている。エレーナの「視界共有」が、フェイの意識をジャックしたのだ。
(……あぁ、そうか。これ、君が見てる世界なんだな)
恐怖は一瞬で消え、彼は心の中で、一番優しい声をかけた。
(……すごいな、エレーナ。……綺麗だ。俺の目を使って、君がどれだけ美しいか、好きなだけ見てていいよ)
エレーナの頭の中に、フェイの濁りない「本音」が流れ込む。
瞳の光が、ゆっくりと収まっていく。
「……な、……な……つ……」
「……なつ? あぁ、夏か。明るくて、いいな。……しりとり、俺の負けだ」
フェイがへらりと笑ってしばらく時間がたった時、扉が勢いよく開いた。
「失礼します!!フェイ様ぁ! 急ぎですう!」
飛び込んできたのは、侍従のジョエルだった。
ジョエルは廊下でクラウスに口うるさいほど気をつけろと言われていたため、エレーナからは最も遠い位置でピタッと止まり、声だけは最大限に配慮して「……っス」と付け加えた。
「緊急召集ですぅ!閣下が待ってるんすよぉ!いつまでしりとりで負けてるんスか!」
「ジョエル! お前なぁ、入るならもっとスマートに来いよ。マギーが腰抜かしてるだろ」
「無理言わないでください。後ろでクラウスに睨まれててやばいと思ったんスから。……っていうか、さっきの光なんスか。外まで漏れてましたよ」
ジョエルはフェイの首根っこを掴むようにして扉へ追いやった。
(……ったく。お前、主席補佐官だろ。他にも方法はあっただろ、なんでしりとりなんだよ!!)
と、ジョエルは心の中で、今日何度目かわからないツッコミを入れていた。
「わーかったよ! 行くよ! ……じゃあね、エレーナ。次は『つ』からだ。もっと難しい言葉、考えておけよな」
フェイがジョエルに押し出されるようにして部屋を出ていく。
カチャリ、と扉が閉まり、再び静寂が戻る。
(……つ、……つ……)
エレーナは、本棚の影で、次の言葉を小さく探した。
「化け物」だと言われてきた瞳が、初めて「夏」のように温かい光だと言われた、そんな朝だった。
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