冬の終わり

文字の大きさ
2 / 3

中編

しおりを挟む
「それで、未だに碌に話をしていないと。話にならないな君たちは。」

 カンとペンが軽く机をたたいて、カラカテは肩を跳ねらせた。週明けに訪れた職場で急に来客用の椅子に座らされたかと思ったら、対面にエルドゲルニア様が座って来た。カラカテがここに勤め始めて1カ月、面談をすると言ってきた上司はこちらの近況にため息を吐いた。

「し、仕事に不満はないのです。」
「あってたまるか、なまっちょろい子供の手伝いのようなことしかしていないというのに。」
「それは…その…」

 やっぱりそうだったのか。カラカテは俯いた。どれだけ知識がなかろうと、1カ月もここに居れば嫌でもわかる。カラカテの仕事は実のところ、エルドゲルニアが用意した建前のようなものだった。

 最初に届け物をした時にひどく驚かれたものだ。いつもは魔法で飛んでくる書類を人間が運んできたからだ。道具が壊れたからだと言っておけとエルドゲルニアに言われたのでそう言うと、納得したようなしていないような顔をしていたが、何も言わずに受け取られた。

「ここがどういう場所かもう分かっただろう。魔物や魔法に頭を乗っ取られたいかれた研究者が詰め込まれた場所だ。」
「そ、そんなおかしな場所ではないはずでは。」
「いいやそんな場所だ。熱意のない人間だっているが、そいつらだって何等かの知識を持ってここに来ている。確かに君は記憶能力が高く、努力を続ける根気もあるようだが、それだけでここを選ぶべきではない。あいつだってそんなこと分かり切っているだろうに。」

 エルドゲルニア様は朝食代わりのスコーンを食べながら淡々と語っている。カラカテだってあの小屋で粗食ばかり食べていたが、この人はそんな立場ではないはずだ。眉をひそめていると、コーヒーを飲んだエルドゲルニア様が眼鏡越しにこちらを見た。

「はっきり言うぞ。君たちのそれは恋や愛などではない。他に人間のいない特殊な環境下で作られた幻のようなものだ。私はお前たちが今のままで上手くいくとは思えない。」
「な、」
「ヴァレルディンは君を物のように扱っている。自分が拾ってきた物をいつも通り、どうにかできる私に預けているだけだ。」
「ヴァン様はそのような方ではありません。」
「まるで分かっていないな。あいつを神格化しているようだが、あいつは多少図太いだけの勝手な男だ。」

 そんなことないと否定したかったが、できなかった。目の前にいるのは恐らくカラカテよりもヴァレルディンと付き合いの長い男で、ヴァレルディンから信頼を得ている人だった。そんな人にこんな自分がどうやって反抗できようか。

 無自覚に噛みしめていた歯を緩める。カラカテもコーヒーを飲んで落ち着こうとした。何故こんなことを言われなくてはいけないのだろうか。そんなにヴァン様に従うことはおかしいのか。ただ傍にいたいだけなのに何故こんなに否定されなければいけない。

「君、今日もあいつに送られてきたな。それをおかしいと思わないのか。」

 何が言いたいんだ。そう思いながらカラカテはどこかで分かっていたことを眼前に突き付けられて狼狽えた。

 この1カ月、カラカテの出勤と退勤に必ずヴァン様は着いてきた。朝、カラカテを送ってから自身の職場へ行き、夕方になるとエルドゲルニア様の仕事部屋までやってくる。不安そうに送り出し、心底ホッとした様子でカラカテを迎え入れるのだ。

「その様子だと分かっているようだな。」
「何をです。」
「とぼけるな。それともここから騎士団までの距離を教えて欲しいのか?」
「やめてください!」
「ならよく考えることだ。このままでいいわけがないと分かっているはずだ。」

 何も言い返せず俯いていると、立ち上がる音がした。エルドゲルニア様はもうカラカテの前には座っていない。仕事用の机に向かうと、椅子を引いた。

「お前もあいつも子供じゃないんだ。身の振りをよく考えて、話し合うんだ。いいな。」

 何を話し合えばいいんだ。カラカテはヴァレルディンの傍にいたい、ただそれだけなのだ。

 けれどその願いも足元が崩れていくような脆さが出来ていた。あの人の傍にいたいと思えば思うほど、自分の小ささを思い知って尻込みしてしまう。ヴァン様に褒められたことだけがカラカテが唯一自信を持てることで、それだけを握りしめてどうにか立っている。

 どうすれば。こんな無能者に何ができるのだろうか。なんとなくなにかが良くないことは分かっている。けどどうしたらいいのか分からない。自分に何ができるのかわからない。

 ひんやりとした風を思い出す。あの北での日々、遠巻きに見られる視線、お前に出来ることは何もないと言われた日。父と母を亡くし、本当に一人きりになってしまった時の、脳みそがぐうと擦り潰されそうになる感覚。

 僕にはヴァン様だけなのだ。あの人だけが自分を見てくれたのだ。

 そんなことは全くなかった。北の大地ではそれとなく村の老婦人たちがカラカテのことを気にかけていた。施設の者だって新顔のカラカテのことを気にかけていた。エルドゲルニアなどその筆頭だった。けれど精神の不安定さがカラカテの視界を狭くした。

 さらに悪かったのは、カラカテはひどく限られた環境で育ってきたからか、身の振りを考えろと言われても何をどう考えればいいか分からなかった。与えられる選択肢のみが全てだった。

 退勤時間にトボトボと歩いてくるカラカテの手を取ると、ヴァレルディンはエルドゲルニアの方を見た。

「なぜこんなに気落ちしている。」
「さあな。話を聞いてみると良い。」
「お前を信頼して預けたんだが。」
「今のお前のこれは信頼ではない、押し付けだ阿呆。」
「しばらく休ませる。」
「そうしろ。お前も彼も急いて動きすぎだ。少し休ませて考える時間を取ってやれ。」


 ガタガタと馬車が進んでいく。その間ずっとカラカテはヴァレルディンに抱え込まれていた。カラカテもヴァレルディンも何も言わなかった。

 屋敷に辿り着き部屋へ入ると、ヴァン様はカラカテを抱え込んでソファへ倒れこんだ。ローテーブルには駒がいくつかおかれたチェス盤が置かれたままになっている。右手の指輪がなぞられる。労わるように頬に軽く口づけが落とされた。

「すまない、急ぎすぎたようだ。」
「僕こそ申し訳ありません。せっかく用意していただいた職なのに、こんな…エルドゲルニア様にも申し訳ないことを…」
「あいつのことはいい、どうにでもするやつだ。それよりも君のことだ。」

 ぞんざいに言い放つ様子に、カラカテは嫉妬した。いいよな、エルドゲルニア様は。ヴァン様にこんなに信頼されていて。ムッとして、驚いた。僕はヴァン様に信頼されていないと思っているのか。

 驚くカラカテを余所にヴァレルディンは起き上がると、カラカテのジャケットを脱がせてハンガーにかけに行った。

「君が凄いのを見せびらかしたくてつい、その、急ぎすぎてしまった。」
「えっあ…いえ…そんな風に考えてくれていたんですね。嬉しいです。」

 ヴァン様は苦笑すると手を差し出してきた。起き上がってダイニングに向かうと、ヴァン様がキッチンへ向かって行く。カラカテもその後ろに着いていった。

 ここに来てから半月ほど経った頃、ヴァン様が食事をテーブルに持ってきたときは驚いた。帰ってきた瞬間作ったのかと思ったが、どうやらヴァン様は使用人を夕方以降は帰しているらしい。作り置きのものを温め直しているだけだった。

 そういうものだろうか。あまりこういった生活に馴染がないから判別がつかない。当初は疑問に思ったものの、こちらの方がカラカテにとってはありがたかった。単純にヴァン様と2人きりになれて安心できるのだ。

「しばらく君を休ませようと思う。」
「申し訳ありません。」
「いいんだ。その間は部屋にいてくれ、いくつか本を運ばせておく。部屋に人は通さないようにするから、掃除だけ頼む。休日は俺と出かけよう。」
「はい。ありがとうございます。」
「ああ。王都の名所を見に行こう。でかい市場があって面白いぞ。国一の図書館もあるんだ。」

 夕食を食べながら笑うヴァン様は、久しぶりに見た楽しそうな笑顔だった。カラカテは嬉しくなって頷いた。どこでもよかった。ヴァン様の傍に居られるならどこでもよかった。


 それからカラカテは暫く単調な日々を過ごした。朝出かけていくヴァン様を見送り、部屋を掃除する。初日に運び込まれた沢山の本を読んだり、チェス盤を動かしたりしながら帰りを待つ。帰って来たヴァン様を出迎えて夕飯を取る。そのまま抱かれることもあったし、のんびりと話しながら眠りにつくこともあった。

 その間に1日だけヴァン様が休日を取ることが出来た日があった。休んだ方がいいのではないかと思ったが、ヴァン様があまりにも楽しそうに翌日の予定を話すものだから、言うのは憚られた。

 その日は大きな市場や図書館、植物園を見て回った。北では見ることがなかった新鮮な景色はカラカテの大きな刺激になったし、となりであれがどうこれがどうと楽し気に説明するヴァン様を見るのも嬉しかった。

 その時にカラカテは、やっとあの日急に訪れた王城を遠くからしっかりと見ることが出来た。乳白色に輝く城は高々と聳え立ち、青い旗が揺れている。カラカテは隣で歩く人を見た。ヴァン様はカラカテを見ていて、どうしたと聞いてきた。何でもないと笑って手をつないだ。


 よく考えることだ。休み始めてから2週間経とうとした頃、カラカテの脳裏にこの言葉が響き始めた。それは淡々とした声音で、眼鏡越しの鋭い目が静かにこちらを見据えている。

 読んでいた本にしおりを挟み、テラスから街を眺める。しっかりと休んだカラカテは、少しずつ落ち着きを取り戻し始めていた。ヴァレルディンに連れ出された興奮と、急に放りこまれた環境で刺激された劣等感がひんやりと冷えていっていた。残ったものはヴァレルディンに対する憧憬と慕情だった。

 見える景色は違うものの、ここ最近の生活はあの森でヴァン様と過ごした数カ月と酷似している。違う点は、カラカテが何もヴァン様に与えることが出来ていないところだった。                
 あの森にいた頃、カラカテはヴァレルディンに少なからず与えられるものがあった。屋根と抜けない床のある家、いくばくかの食糧、森の知識、薬草のちょっとした見分け方、雪道の歩き方。

 些細なものだったが、それでもヴァン様に与えることが出来たものだ。カラカテは街から部屋の中へ視線を戻した。

 今はどうだろう。この家も、食べ物も、この時間すらヴァン様に与えられている。それはきっと幸せなことなのだろう。なんの憂いもない温いまどろみのような生活は、誰かにとっては最も素晴らしい生き方のはずだ。

 嫌だ。カラカテはふとそう思った。自分だってあの人になにかを与えたい。なにか、あの人に見合うものを持ち帰りたい。あの人がそうしてくれたように、自分だって何かを持ち帰ってあげたい。自分の力であの人に与えたい。何がいいかは、まだわからないが。

 部屋に入ると、増え始めた鹿の置物が棚に並んでいる。ヴァン様が切彫りしたものの横に、ガラスや乳白色の石で作られた鹿が点々と並んでいる。

 余程鹿が好きだと思われているのだろうか。鹿の肉の料理を昨日夕食で食ったのに。本当にあの方は豪快だ。カラカテはちょっと笑って最新の鹿を撫でた。それは緑色の鹿で、これも何かの結晶で出来ているようで、キラキラと光っている。

 ヴァン様に聞こう、なにかカラカテでも出来ることはないかと。それはカラカテにとって大きな進歩だった。出来ることなど何もないと思っている人間の、大きな一歩だった。

 聞かれたヴァレルディンは困ったように微笑むと、カラカテの両手を自分の両手で包んだ。

「カラカテ、俺は君がここに居てくれたらそれだけで良いんだ。」
「ですがこれでは僕が与えられてばかりです。」
「それの何が悪いんだ?俺がやりたくてやっていることなのに。」
「それは…そうなのかもしれませんが…僕も貴方になにかを差し上げたいのです。」
「ならずっとここに居てくれ。ここで俺だけと居てくれ。頼む。」

 そう言われて押し倒されながら、あれ、とカラカテは思った。そう言えば休み始めてから、ヴァン様以外の人に会ったか。あの休みの日に外出したきりじゃないか。そう思ったものの、次いで襲ってきた快感に気を取られて、その時は考え込む余裕も聞き返す気も無くなってしまった。

 翌日からヴァン様は、出かけるときに部屋の外から鍵をかけるようになった。危ないからと言って、魔法でガチャリと締まる扉。何がどう危ないというのか。部屋の中に一通りの設備があるせいで困ることもなく、カラカテは動揺した。

 あの密室を思い出す。外から鍵の閉まったあの小屋の、パチパチと暖炉の火が燃える音がする。雪と木の混じった冷たい空気が肺に入ってくる。

 カラカテの小さな自主性は、ヴァレルディンへの大きな慕情で隅に追いやられることになった。あの人が傍にいて欲しいというならそうしてあげたい。ずっとここに居て欲しいというなら、ずっとそうしてあげたい。それがカラカテが出来る最大のことならそうしてあげたい。

 日の暮れた部屋の鍵が開く。扉を開けて出迎えると、抱き込まれながら部屋へ押し込まれた。

「ただいま。」
「おかえりなさい。」

 誰かにとっては最も素晴らしい生き方だと、そう思った。それは自分のことなのではないか。カラカテはヴァレルディンに後ろから抱きしめられながらそう思った。

 寝台は2人分の人間の息遣いが聞こえる。肩口でふうと安堵の声がする。胸元に回された手に両手が握りこまれている。足に足が絡まれている。

 拘束するように抱きしめられていた。それを悪いと思わなかった。それでいいと思った。

 本当か?頭の隅でずっとエルドゲルニアが問いかけてくる。うるさいのに耳を傾けてしまう。カラカテとヴァレルディンのこれを恋でも愛でもないと言い放った人がずっと頭の隅に居座り続けて問いかけて来る。良いに決まっているはずだ。ヴァン様がいいと言っているんだ、間違っていないはずだ。

「今日はどんなことをされたんですか?」

 問いかけを振り払うようにヴァン様に問いかける。肩口でもごもごと口が動いてくすぐったい。

「昨日と変わらずだ。殿下に言いつけられた山の視察と、封印の機能の確認、山から着いてきた精霊との意思疎通確認の護衛。」
「そうですか。山の視察はしばらく続きそうなんですよね?」
「ああ。すまない、中々休みが取れなくて。殿下も手厳しい、働きを示せと言ってあれもこれも俺に頼んでくる。」
「信頼されている証ではありませんか。名誉なことです。」
「信頼というより押し付けだあれは、まったく。」

 エルドゲルニア様と同じことを言ってる。包まれている手を握りしめると、力が入ったのが分かったのだろう、外側からも強く握りこまれた。

「どうした。」
「…いえ。」
「カラカテ。」

 最近、こういう時がある。何かを言うのを躊躇った時、ヴァン様は引かなくなった。カラカテが口を割るまで一切引かない。この間など酷かった。口を割るまでずっと口づけられて窒息するかと思った。

 肩口からじいと見られている気配がする。カラカテの動揺を見落とさないよう、青とも黄ともつかない不思議な目がずっと見ている。カラカテの口が少し戦慄いた。

「仲がいいなと思ったんです。」
「誰と誰の。」
「貴方とエルドゲルニア様と殿下の。」
「何故。」
「同じことを…仰っていたので…」
「同じ?…ああ、押し付け云々の話か。仲が良いというより、腐れ縁でな。殿下とあいつと私の3人、長くともに居れば口調も移る。それだけのことだ。それがどうかしたのか。」
「…いいなって。」
「え?」
「いいなと思ったんです。仲が良くて。」
「…。…嫉妬か!?」
「耳元で叫ばないでください!!!」

 ええ…俺とあいつらだぞ…ええ…。ぶつぶつ呟きながら起き上がると、上からヴァン様か見下ろしてきた。ムッとして見上げていると、嬉しそうに目を細めたと思ったら、少し申し訳なさそうな顔をして、また嬉しそうにして。百面相。ここに来たばかりの時、カラカテが部屋で待っていると言った時と同じだった。

「なんです。」
「いや?」
「僕だけ言わされるのおかしいと思います。」
「すまん、嬉しくてつい。けど杞憂にも程がある。」
「杞憂ではありません。事実貴方は僕よりあの方たちを信頼しているじゃないですか。」
「君のここ最近の悩み事はそれか?」

 違うとも言えたし、そうとも言えた。どちらとも言えず黙っていると、チウと口を吸われて、そのまま抱き込まれた。これもここ最近よくあることだった。ヴァン様はよくカラカテを閉じ込めるように抱き込むようになった。

「…カラカテ、君は俺を裏切らないだろ?」

 何を言っているのだろう、そんな当たり前のことを。一も二もなく頷くと、ヴァン様が笑った。その笑顔を見て、カラカテは目を見開いた。

 暗い。いつからこの人はこんなに暗く笑うようになったんだ。いやこんな風に笑ったことは確かにあった。運がいいとカラカテが言った瞬間の、唾棄するようなあの笑い方。

「ヴァン様、どうしたんですか。」
「何が?」
「どうしてそんな暗い顔をしてるんです。」
「暗い?そんなわけ無いだろ、こんなに嬉しいのに。」

 クスクス笑っている人は確かに嬉しそうなのに、どうしてこんなに暗いんだ。目は少し山なりに細められて、眉は平らで、口元だけが弧を描いている。

 背中に回った腕にさらに力が入った。苦しい。苦しく溺れそうで顔を持ち上げると、また口を吸われる。息がしづらくて苦しい。助けてほしくて背を叩くと、背中から腕がわずかに離れた。

「ずっとここに居てくれたら大丈夫だ。絶対に。」
「どうして。」
「俺しかいないだろう、ここには。」

 支離滅裂だ。どうして暗いのか聞いているのに、回答になっていない。ヴァン様しかいないことがなんの保証になっているんだ。

 ようやくカラカテはヴァレルディンの精神もおかしくなっていることに気が付いた。自分もヴァレルディンも2人して依存性の高い関係に落ちようとしている。それが素晴らしいことだと受け入れようとしている自分がいる。

 その日、カラカテは何も言えずに眠りについた。何を言うべきか分からなかった。何が悪いんだと言っていたヴァン様は、よくよく考えれば暗い顔をしていた。

 一度目の休みから一度も休んでいない人は、ずっとずっとカラカテを閉じ込めている。今日も外から閉じられた部屋は、最後の理性のようにテラスにだけは出られるようになっていた。

 たぶん、ここから飛び降りて出ていくこともできるのだろう。カラカテがそうしたらあの人はどうなってしまうのだろうか。悪い予感がする。それをした瞬間、今度こそこの部屋は全て閉じ切られる気がする。

 テラスの椅子に座りながら集中できない本を閉じる。街からはワイワイと人の行き交う熱気が漂っている。昼間の日は暖かで、カラカテはテラスから外を見た。

 考えろとまた声がする。頭の隅に居座った上司がまた問いかけ始めてきた。横で暗い顔をしてヴァン様が笑っている。違うんだ。そんな風でいて欲しいわけじゃない。元気でいて欲しいだけなんだ。あの冬の森にいた頃みたいに、無邪気に笑って欲しいだけなのに。

 傍にいればそれでいいはずなのに、どうしてあんな暗い顔をさせてしまうんだ。

 エルドゲルニア様はあれからどうされているのだろうか。休み始めてからもう1カ月になろうとしている。碌な挨拶もせずこんなに休んでいるカラカテに怒り狂っているだろうか。もう顔も見たくないと見捨てられているだろうか。

「あら、素敵なお部屋ね。鹿の置物がいっぱい。これは何かしら、薬草かしら?」

 勢いよく部屋の方を振り返った。鹿の置物の前で、虹色に光らなくなった薬草の瓶を持った女性が立っていた。ほっそりとしたシルエットがカラカテの方に向き直った。

「殿下。」
「ごきげんようカラカテ、息災かしら。」

 金色の髪が編み上げられていて、煌びやかで品のいい服を着た人が、閉じられていたはずの部屋にいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【8話完結】僕の大切な人はBLゲームの主人公でした。〜モブは主人公の幸せのためなら、この恋も諦められます〜

キノア9g
BL
転生先は、まさかのBLゲームの世界。 モブであるリセルは、恋を自覚した瞬間、幼馴染・セスがこの世界の“主人公”だと気づいてしまう。 このまま一緒にいても、いつか彼は攻略対象に惹かれていく運命——それでも、今だけは傍にいたい。 「諦める覚悟をしたのに、どうしてこんなにも君が愛おしいんだろう」 恋の終わりを知っているモブと、想いを自覚していく主人公。 甘さと切なさが胸を締めつける、すれ違いから始まる運命の物語。 全8話。

君に二度、恋をした。

春夜夢
BL
十年前、初恋の幼なじみ・堂本遥は、何も告げずに春翔の前から突然姿を消した。 あれ以来、恋をすることもなく、淡々と生きてきた春翔。 ――もう二度と会うこともないと思っていたのに。 大手広告代理店で働く春翔の前に、遥は今度は“役員”として現れる。 変わらぬ笑顔。けれど、彼の瞳は、かつてよりずっと強く、熱を帯びていた。 「逃がさないよ、春翔。今度こそ、お前の全部を手に入れるまで」 初恋、すれ違い、再会、そして執着。 “好き”だけでは乗り越えられなかった過去を乗り越えて、ふたりは本当の恋に辿り着けるのか―― すれ違い×再会×俺様攻め 十年越しに交錯する、切なくも甘い溺愛ラブストーリー、開幕。

諦めようとした話。

みつば
BL
もう限界だった。僕がどうしても君に与えられない幸せに目を背けているのは。 どうか幸せになって 溺愛攻め(微執着)×ネガティブ受け(めんどくさい)

出戻り王子が幸せになるまで

あきたいぬ大好き(深凪雪花)
BL
初恋の相手と政略結婚した主人公セフィラだが、相手には愛人ながら本命がいたことを知る。追及した結果、離縁されることになり、母国に出戻ることに。けれど、バツイチになったせいか父王に厄介払いされ、後宮から追い出されてしまう。王都の下町で暮らし始めるが、ふと訪れた先の母校で幼馴染であるフレンシスと再会。事情を話すと、突然求婚される。 一途な幼馴染×強がり出戻り王子のお話です。 ※他サイトにも掲載しております。

俺の彼氏は真面目だから

西を向いたらね
BL
受けが攻めと恋人同士だと思って「俺の彼氏は真面目だからなぁ」って言ったら、攻めの様子が急におかしくなった話。

夜が明けなければいいのに(和風)

万里
BL
時は泰平の世。華やかな御所の奥で、第三皇子・透月は政の渦に巻き込まれていた。隣国――かつて刃を交えた国との和睦の証として、姫のもとへ婿入りすることが決まったのだ。 表向きは「良縁」と囁かれ、朝廷は祝賀の空気に包まれる。しかし、透月の胸中は穏やかではない。鋭い眼差しと冷ややかな物腰で「冷徹の皇子」と噂される彼だが、その実、心は誰よりも臆病で、幼い頃から傍に仕えてきた従者・玄にだけは甘えたいという弱さを抱えていた。 だが、その弱さを悟られるのが怖い。 透月は苛立ちを隠すように、玄へ無茶な命を次々と下す。 「お前の顔など見たくない」 突き放すような言葉を投げつけても、玄はただ静かに頭を垂れ、淡々と従うだけ。 その背が遠ざかっていく瞬間、透月は思わず目を伏せる。 婿入りが迫る中、二人の距離は近いようでいて、決して触れられない。 なんか昔こんなのあったよなあと思いつつ、私が読みたいから書く…! そして、和風と洋風も書いてみます。どっちバージョンもいいなあと思いまして。

【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー AI比較企画作品

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

処理中です...