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第8章
08-206 決裂
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花山真弓は、相応の損害を与えなければベルトラン軍の撤退はないと予想していた。長く、その“適正値”を模索していたのだが、彼女が抱いている小さな身体を見ていると、そんな配慮が急速に消えていく。
「怖かったね。
痛かったね。
間に合わなくてごめんね」
アクシャイは、こんな将軍はティターンにはいないと感じた。ぬくもりが残る幼児の遺体を抱いて泣くなんて、ティターンの軍人ならあり得ない。
「司令官閣下、先を急ぎましょう」
「ダメ。
このキャンプの全員を埋葬する」
装甲ドーザーで車体幅の溝を掘り、そこに18の遺体を並べる。若い女性のとなりに乳児の遺体を、もう少し年長の女性のとなりに幼児の遺体を置く。
遺体間の関係性はわからないが、花山は最大限の想像力を働かせて、安置していく。
アクシャイは何かに見られている気がした。この付近ならオオカミか?
もっと南ならハイエナかリカオンだが……。
「誰だ!」
アクシャイの叫びで、花山は南を見る。小さな姿だ。800メートルは離れている。
小さな男の子と女の子は、花山が近付いても逃げなかった。知らない言葉で話しかけられたが、怖くはなかった。
アクシャイは驚いていた。花山がヒツジ飼いの子供を連れ帰ったからだ。怖い思いをした直後だから、逃げてしまうと思ったのだが……。
百瀬未咲が保護していた女の子も、一瞬で花山になついてしまった。
男の子は12歳くらい。女の子は8歳くらい。兄妹ではなく、とっさに男の子が女の子の手を引いて逃げたとか。
生き残りは、この2人だけ。
男の子は気丈で、襲った隊の追跡に協力するという。荒野に置き去りにはできないので、連れていくことになった。
ヒツジ飼いのキャンプを襲った小部隊は、すぐに見つけた。愚かにも焚き火をしたからだ。炊事と暖房の煙に向かって走ると、河畔で休むティターンの軽騎兵を見つける。
花山真弓は、突撃を命じた。
拳大から頭大の角のとれた石を履帯が踏みしめて、焚き火に向かって装甲ドーザーが突進する。
対戦車擲弾を発射し、機関銃を撃ち、自動小銃を発射する。
初期の攻撃でウマが逃げてしまい、ティターンの騎兵はヒツジ飼いに行った行為と等価の報いを受けた。
若い兵が生き残っていた。足を撃たれ、這って逃げようともがいていた。
花山が若者を見下ろす。
「本隊はどこにいる」
若者は首を振る。
花山が場から離れようとする。アクシャイが慌てる。
「司令官、この捕虜はどうしますか?」
「放っておけ」
「ですが……」
「あれが処分してくれる」
ブルーウルフだ。超大型のオオカミで、狩りもするが主に腐肉食だ。
捕虜の顔色が変わる。だが、質問に答えることはなかった。
仕方なく、スクラッパー・ボウルに乗せようとして立たせる。
一瞬のことだった。
ヒツジ飼いの少年がティターン兵の槍を拾い、捕虜の胸を突き刺す。渾身の力で、槍を突き通す。捕虜は時間を経ずに絶命する。
少年はひどく動揺し、過呼吸になる。花山は少年を抱きしめ、小物を入れていた袋から中身を出し、少年の口にあてさせる。
肉食が少ない北部の民は、同族はもちろん、魚以外の動物を殺すことさえ滅多にない。
少年の動揺は当然のことだった。
少年はこの地域を熟知していた。馬車が通れる場所、ウマだけが通過できるルート、川の渡渉点、沼沢の回避の仕方など、あらゆる地形的特徴を記憶している。
そして、移動開始からわずか2時間で、ベルトラン軍主力の最後尾を見つける。
迂回しながら追跡し、さらに2時間後、先頭を捕捉する。
日没まで2時間だが、ズラ湾からここまで350キロほど。ターボコブラならば、1時間以内で到達できる。
ビーコンで大まかに誘導し、発煙弾で正確な位置を知らせる。パイロットは目標の確認を目視に頼らなければならないが、レーザーや赤外線での誘導が技術的に無理なので、これしか方法がないのだ。
周囲よりわずかに高い丘とも呼べない場所に、81ミリ迫撃砲を設置する。
1発目と2発目は夾叉した。小さい白い煙が立ち、着弾位置を示す。
3発目は、3列縦隊の先頭から10メートル付近に着弾する。赤い煙が立ち上り、隊列が乱れる。
数騎が隊列前後を盛んに往復している。
「赤い煙を確認」
アネリアが操縦するターボコブラは、赤い煙を巻くように旋回し、ベルトラン軍の真正面から接近する。
火炎の壁は何時間も続いたように感じたが、実際は30秒ほどだった。
ベルトラン軍の後方はパニック状態になり、四方八方に逃げていく。統制はまったくなく、恐怖に煽られての行動だ。
アネリア機は、それを補強するように12.7ミリ機関銃と37ミリ機関砲で地上を掃射する。ティターン兵は逃げ惑い、悲鳴を上げる。空に向けて弓を射る猛者もいるが、意気込み以上の何かがあるわけじゃない。
結局は地に伏すか、走り回る以外の対処法はない。ヒツジ飼いへの行いが、己が身に降りかかる。
花山真弓は、結果に満足していた。ベルトラン軍は山岳地帯に戻るしかない。封じ込めに成功すれば、食糧不足で自滅する。
第1報はキュッラからだった。
「ガバリ族に襲われ、ケンタが拉致された」
第2報はハルダール村の百瀬未咲から。
「健太が行方不明。キュッラ負傷」
第3報はハルダール村の滑走路からマーニが行った。
「ケンタの消息、いまだ不明。偵察機の派遣を求む」
レムリアに上陸したヒトと精霊族は、戦闘による重傷者はいたが、傷病死はなかった。重傷者は回復している。
少しの油断があったのかもしれない。
半田健太の状況は、直ちにドミヤート地区に連絡され、王冠湾地区はもちろん、パレルモも知っていた。
ドミヤート地区は、C-1改輸送機“くじらちゃん”の投入を要請してきた。
ドミヤートの捜索隊は、城島由加を隊長としてフィー・ニュンが副官を務めるという重厚なもので、捜索隊員は50に達する。
王冠湾地区では、最速のベルーガが出港の準備を始めている。航続距離の長いS-62シーガードヘリコプター2機と4輪を履帯に履き替えたフロッグ4輪装甲車4輌を搭載する。
捜索隊の志願者を募ると、200を超えるヒトと精霊族が手を上げた。
パレルモでは、チュールが最速の輸送船で出港しようとしていた。
情報をどうやって得たのかは不明だが、ヴルマンは指導者ベアーテ自らが捜索隊を率いて、フェニックス双発双胴輸送機2機で出発の準備をしていた。
これだけの反応を引き起こしたのは、半田健太が半田隼人の子だから。他の誰でも、同一規模の捜索隊が編制されただろうが、城島由加、フィー・ニュン、ベアーテなどの“大物”が捜索隊を指揮することはない。
キュッラの報告は詳細で、襲撃された経緯もはっきりした。
小さな池の畔で、小休止をしていた。キュッラと健太は、交代で顔を洗うことにした。途中でスタックして、顔に泥が付いていたからだ。
健太はヘルメットを脱ぎ、弾帯を外しはしたが、ボディアーマーはそのままだった。単に顔を洗おうとしただけだった。
弾帯は車内助手席上に置き、養父の形見である日本刀はフロントフェンダーに立てかけていた。
そこをガバリ族のパトロールに急襲された。
半田健太はキュッラに「行け!」と叫び、キュッラは軽装甲バギーに飛び乗った。
軽装甲バギーが400メートルほど進むと、バックミラーに両膝を地面に着き、両手を後頭部で組んだ健太の姿がバックミラー越しに見えた。
反撃を考えたが、健太は取り囲まれており、躊躇われた。
襲われた際、キュッラは右腕を馬上から斬られた。傷は深く、出血は多かった。
その場から離れたキュッラの判断は正しい。
半田健太はひどく殴られ、ゲドリクスの村に引き立てられた。族長の館は、ガバリ族の建物としては大型だが、木造の粗末な小屋だった。
「このガキの持ち物です」
半田健太を捕らえたガバリの男は、不審を感じていた。
「本当か?
こんな業物は見たことがない。
ガキの持ち物じゃない」
ゲドリクスも不審に思う。
「小僧、何者だ?」
健太は泣き出したいほど怖かったが、半田隼人の子であることが、それを諦めさせた。
「俺は半田健太。親父は半田隼人、お袋は城島由加。
親父はすべてのヒトを導いていた。お袋はノイリンの戦女神。
親父は死んだが、お袋は生きている。俺を捕らえたのだから、お袋を呼んだことになる」
ゲドリクスの妻が声を立てて笑う。
「おまえの母ちゃんに何ができる?」
健太から恐怖は消えていた。
「ガバリ族を皆殺しにできる」
建屋内が静まりかえる。あの炎の壁を見た以上、嘘ではない。
ゲドリクスがあることに気付く。
「ハンダという女がいたな。
おまえとどういう関係だ?」
「姉だ。半田千早。
優れた商人だ。クマン、湖水地域、西サハラ湖東岸との交易に成功した」
また、ゲドリクスの妻が笑う。
「商人風情に何ができる?」
「千早の支持者は多い。精霊族や鬼神族も味方する。
ガバリ族は、ひねり潰される。
だが、姉は動かない。
お袋が動くからね。
おまえたち、死ぬ準備をしておけ」
ゲドリクスには、ガバリ族の戦士招集に自信があった。精鋭だけで1万は集まる。第2次招集なら3万を超える。
ティターンにさえ対抗できると自負している。
「で、おまえの母ちゃんは、頑張ってどれだけの兵を集められる」
ゲドリクスの声には嘲笑が混じっていた。健太は母がどれだけの戦力を集められるか、考えたこともない。
「わからない……。
10万か100万か……。
1万はない。1000万もない。
現実的には20万から30万程度だろう」
建屋がざわつく。ゲドリクスが息を飲む。ゲドリクスの妻が叫ぶ。
「ウソだ!」
健太は両肩を押さえられ、両手は左右のガバリ戦士がしっかりとつかんでいる。
「ウソか……。
クフラック、シェプニノ、カンガブル、カラバッシュ、ティッシュモック、フルギア、ヴルマン、北方人、東方フルギア、クマン、湖水地域、精霊族、鬼神族、半龍族、黒魔族、どれだけの兵力になるのか想像ができない。
救世主も兵を出すかもしれない」
無言を貫いていた白髪の老人が尋ねる。
「それは部族か?」
「そうだ」
「おまえは何族だ?」
「バンジェル族のドミヤート支族だ」
「ズラ村には他の部族もいるのか?」
「あぁ、バンジェル族の王冠湾支族が主だ。ヴルマンや精霊族もいる。東方フルギアや北方人は少し」
白髪の老人は周囲の長老と長く話している。
ゴマ塩髭の老人が尋ねる。
「おまえたちは、何をしに来たのか?」
目的ははっきりしていた。
「交易だ。
この地方の産物を買いに来た。
最初はシルクが目当てだったが、良質のコムギや豆類も買っている。
支払いは金貨だ」
健太を捕らえたガバリの戦士が長老に革製の巾着を渡す。
「このガキが持っていました」
長老が中身を見る。
黒髪顎髭の長老が問う。
「巾着だけか、これは金入れだ。中身はどうした?
罰を受ける前に出せ」
ガバリの戦士が数枚の金貨を長老に渡す。
「若者、これは何という金貨だ?」
健太が見せられたのは、裏面にムギの穂が刻印されたもの。
「フルギア金貨だ。
交易する際に、見本として見せている。
支払いは、フルギア金貨でするように命じられている」
白髪の長老が問う。
「命じられた?
誰にだ?」
健太は、長老グループと族長は緊密なコミュニケーションがないように感じ始めていた。
「香野木恵一郎」
長老たちが話し合う。また、白髪の長老が問う。温厚には見えないが、族長ゲドリクスに盲従しているようには思えない。
「コーノゲ」
「コウノギ」
健太が訂正する。
「コウノギとは何者だ」
健太にもよくわからない。
「偉大なヒト。
すべての種族とすべての部族が、彼の指示に従った」
白髪の長老が問う。
「若者よ、そのコウノギとはどういう関係だ」
健太は、質問の意図を解していた。彼の“商品価値”を値踏みしているのだ。
「関係はない。
雲上のヒトだから。会ったこともない。
だが、俺の兄が直属の部下だ。
俺の父は半田隼人。生きていれば、香野木恵一郎の任を全うするはずだった。香野木恵一郎が半田隼人の任を引き継ぎ、父を超える成果を残した。
香野木さんが俺を助けに来ることはないだろう。忙しいヒトだから。だが、兄貴は来る。それは、間違いない。
たぶん、灰色のマトーシュと一緒に」
長老は、新しい名前に興味を示す。健太はここまで、話の成り行きで質問に答えてきた。特段秘密にするような内容ではないし、反抗的態度で刺激しようとも考えていない。
「灰色のマトーシュとは何者だ?」
健太は“父親”によく似ていた。
戦略的に考え、ふてぶてしいところが……。そして、ガバリ族が北部の情勢を理解していないことに気付いていた。
「ハイイログマを知っているか?
ホラアナライオンよりもはるかに大きい猛獣だ。
マトーシュは、ハイイログマのように大柄な男だ。探検船キヌエティの船長で、香野木さんの部下であると同時に、里崎提督の部下でもある」
禿で白髭の長老が問う。
「若者よ。言葉が上手いな?
モリニの訛がひどいが……」
「俺は商人だ。商いは言葉を覚えることから始まる。
だから、言葉を覚えた」
黒髪の長老が尋ねる。
「サトザキとは何者だ?
それと、提督とは何だ?」
健太は少し考えた。
「提督は、武装商船団を率いる役職の名だ。海と陸との違いはあるが、ティターン軍ならば軍団長に相当する。
里崎提督は、大小様々な船を指揮している。一番速い船は40ノットも出る。一番大きい船は、全長が150メートルもある」
族長ゲドリクスは沈黙している。
長老たちは単位がわからない。
黒髭の長老が問う。
「ティターンの軍船よりも大きいのか?」
健太はよく考えた。
「全長ならば、ティターンの軍船の4倍から5倍かな」
ゲドリクスの妻が大笑いする。
「愚かな嘘をつくな。まぁ、子供だからな。
そんな大船をどうやって造るというのだ。竜骨をどうするのだ?
そんな大木はないぞ!」
健太は相手が信じるか否か不安があったが、一応事実を告げた。
「大型船は木造じゃない。鋼鉄で造るんだ。俺たちは。
ドミヤートの船台だと、80メートル級や90メートル級を建造しているが、王冠湾の船台ならば200メートル級の船も造れるらしい。
それに、王冠湾には巨大な乾ドックもある」
ゲドリクスの妻は、呆れていた。
「鉄の船?
そいつはすごい。水に浮く鉄なんてあるものか!
嘘もここまでくると、滑稽だ」
妻の言葉にゲドリクスも頷く。
だが、意外な援軍がいた。
「鉄でできた車輪のある船が川を渡るところを見た」
健太の右手と右肩を拘束する戦士がそう言った。すると、人垣の背後から「俺も見たぞ」と声がする。
長老とは異なる、身分の高そうな壮年の男が健太の前に立つ。
「おまえたちの馬車は、ウマがなくても動く。なぜだ?
魔法か?」
健太は、どう答えるか考えた。エンジンの仕組みを説明しても理解できないだろうし、科学技術を魔法と言い換えるのも安直だ。
「油を燃やすんだ。
鉄の筒の中で油を燃やし、その熱を動力源にする」
「どんな油を使う?」
「いろいろある。
植物の種を絞った油もあるし、地から湧き出る油も使う」
「俺の村には、腐れ水が湧き出る場所がある。その油でも買うか?」
「品質を調べないと。大量の水が混じっていたり、タール分が多かったりすれば、俺たちが欲しい商品じゃない」
「調べてくれるか?」
場がざわつく。
壮年の男が一喝する。
「黙れ!」
健太は顎が痛くて泣きたかったが、耐えていた。
「俺は捕虜だ。
何もできない」
壮年の男が、建屋内を見渡す。
「明日、この男を我が村に連れて行く。
反対は許さん。
長老の皆々もご異存あるまいな?」
禿で白髭の長老が発言。
「いかに先代族長の嫡男であっても、それは横暴であろう。この若者を捕らえたのは、そこの2人じゃ。
獲物は狩人のもの。
狩人に聞くがよい」
壮年の男が、健太を拘束する2人を見る。
「この男を買う。
明日までに代金を決めておけ」
2人が顔を見合わせ笑う。
健太は売られた。
壮年の男がゲドリクスを見る。
「族長殿、明日、この男を引き渡してもらう。それまでは、客として丁重に扱ってくれ」
長老たちは、これを良とした。ゲドリクスは不満なようだが、受け入れた。
健太には魅力を感じなかったが、健太の刀は取り上げることにした。それだけで、十分だと感じていた。
深夜、ゲドリクスの妻は、彼女の部下に命じて、健太を納屋に運ばせた。
ゲドリクスの妻は健太の“商品価値”を下げるため、彼の背を激しく鞭打った。
健太は叫び声を一切発しなかった。その態度に腹を立てたゲドリクスの妻は、過剰に反応した。
夜明け前、納屋に放置された健太の生命は消えかけていた。
ゲドリクスの村は、西海岸から5キロ内陸にあり、周囲は森に囲まれている。耕作地は狭く、豊かではない。ガバリ族は完全な農耕民ではなく、狩猟採集にも依存していた。
村には南北を縦通する街道があり、耕作地を除くと東西には温帯森が広がっていた。
村は壕と土塁で囲まれているが、城壁のようなものはなかった。城門は頑丈だが造作の悪い木製。
ガバリ族の村は、モリニ族のような豊かさを感じない。
半田千早は、花山真弓から指示された通り、ゲドリクスの村を縦通する街道の北側を封鎖した。
この作戦について、ズラ村は北部諸族に支援を求めなかったが、各部族・村は情報の提供や物資の輸送などで積極的に協力してくれた。
里崎杏は、高速艇2隻をアフリカを分裂させる“狭い海”に派遣する。さらに、ヒギンズボート4隻と隊員を派遣。陸路からは水陸両用トラック“ダック”と水陸両用4輪装甲車“フロッグ”を送り、一部ルートは海上を進んで、ゲドリクスの村の南に出た。
街道南側を封鎖し、森の中にある小道も掌握する。
ゲドリクスの村を完全に封鎖した。
早朝、ゲドリクスの村は混乱の極にあった。日の出とともに村を発った村人や旅人が引き返してきたからだ。
「道が塞がれていた」
「村に帰れ、と脅された」
「ウマなしで走る鉄の馬車がたくさんあった」
戻ってきた誰もが、驚きの報告をする。
ゲドリクスの妻が叫ぶ。
「小勢など蹴散らせ!」
ガバリ族の行商が返す。
「小勢などではない。
大軍だ!
大軍が攻めてきた。
あの小僧が言った通りだ」
半田健太を買った男が騒ぐ。
「あの小僧はどこだ。
檻にいないぞ!」
ゲドリクスの妻がほくそ笑む。
「あの納屋だ」
健太は汚れた大きな布に俯せにされて、運ばれた。
広場は静まりかえった。
杖で身体を支える老人が言った。
「生きているのか?」
若い男が、健太の口に掌を近付ける。
「息をしているが、弱い」
ゲドリクスが叫ぶ。
「戦の準備だ!」
村の防備で最も脆弱な部分は、南北の城門だ。細い丸太で造った門扉は頑丈だが、木製の門柱と鉄製の蝶番が弱点だった。
ゲドリクスはそのことをよく知っており、城門の補強を命じる。補強の手順は明確になっており、大量の丸太で城門を支える。
半田千早は、花山真弓の指示を仰がなかった。最近は“命令違反”とは無縁だったが、待機するつもりはない。
健太が心配だったが、キュッラに深手を負わせたことにも立腹している。
それに、今回の件に関しては、マーニは命令に従わない。彼女のほうが無謀な行為をする。そのまえに決着を付けたい。
半田千早が乗る4輪装甲車“フロッグ”が北側城門に近付く。
千早は行動することを、南側を押さえる里崎杏に無線で知らせたが、里崎からは「用心するように」と指示された。
北側城門から100メートルまで接近すると、ガバリ族側は問答無用で弓を射た。
千早は戦闘室上部銃塔から身を乗り出し、肩にRPG-7を担ぐ。
ガバリ族が補強した木製城門は、大きな爆発とともに崩れる。
フロッグは前進し、上部だけが外れた蝶番の左側城門をはじき飛ばして村内に進入する。
後方には8輌のフロッグが追及している。
里崎杏は隙間のある包囲では、半田健太を保護できない可能性があることを危惧していた。連れ出されて、知らぬ存ぜぬを押し通されたら、いろいろと厄介だ。
半田千早の北側城門突破と同時に、南側城門を破壊突破して、大量の隊員を村を包み込むように中心に向かって前進させる。
ゲドリクスはガバリ族の族長であり、同時にこの村の長だ。
だが、村内の実権は彼の妻が握っている。ゲドリクスは外征が多く、気付けば村内の実権は妻に渡っていた。
外征先では強気だが、村に帰れば単身赴任が長すぎた夫(父親)のように居場所がなかった。
半田千早がフロッグの左側面観音ドアを開いて車外に出ると、ゲドリクスを押しのけて彼の妻が前に出た。
ゲドリクスには、彼の前妻の子が2人、しがみついている。子供たちは恐怖で、声さえ出さない。
南側から進入した、里崎杏の部隊が到着し、村内に大軍が進入したことを否応なくガバリ族に教える。
武器を手にする男や女は多いが、ここで戦えば、戦えない子供や老人がたくさん死ぬことになる。
ガバリ族は、族長の指示を待つ。
「半田健太を返してもらいに来た」
半田千早は眼前の女性に単刀直入に切り出した。彼女はその女性を知っている。族長ゲドリクスの妻だ。2人の年齢に大差はない。
「おい、連れてこい」
通訳は、イルメラが務めている。テシレアは、後方の車輌の上部ハッチから身を乗り出して、成り行きを見ている。
半田千早は健太の様子に凍りつく。
百瀬未咲が「どいて!」と叫んで、2人の男に引きずられてきた健太のバイタルをチェックする。
百瀬が首の動脈で脈拍の有無を確認し、健太の頬を叩く。
「健太、聞こえる!」
健太が腫れた目を少し開ける。
百瀬が注射をしようとすると、男が歩み出た。
「余計なことはするな。
この若いのは、俺が買った」
千早はまったく躊躇わなかった。
「なら、代金を払う」
ホルスターから自動拳銃を抜くと、男の額に向け撃った。
「他に代金がほしいヤツはいるか!」
イルメラの通訳がやけに長い。付け加えた言葉の一部の意味はわかる。彼女は「代金は鉛で払う」と付け加えた。
背後で機関銃のボルトを引く音がする。
百瀬が応急手当を始めると、衛生隊員が担架を持ってくる。百瀬の声がよく通る。彼女はヘリコプターを呼んだ。
「半田健太負傷、意識混濁、緊急輸送!
緊急輸送!」
マーニのエキュレイユがすぐに現れる。
小さなヘリだが、後席に負傷者を寝かせたまま運べる。
ヘリに向かって健太が運ばれていく。
ゲドリクスの妻は、ひどくイラついている。彼女の手には、健太の刀が握られている。
千早は怒りが沸点の近くまで上がっている。だが、怒りに感情が満たされてはいない。冷静なのだ。
千早は、健太の刀を無傷で取り返したかった。そんなことを考えていて、一瞬だが集中力が途切れた。
ゲドリクスの妻は、片手で大上段から千早の頭にめがけて振り下ろした。
千早の身体は、純粋に本能のまま動く。剣聖デュランダルから教えられた通りに。
千早のほうが速かった。抜刀すると同時に、下から上へ逆袈裟懸けで斬り上げる。
ゲドリクスの妻は、仰向けで呻いていた。
半田千早はゲドリクスの妻の右手首を踏み、手を開かせて健太の刀を拾い上げる。
そして、ゲドリクスに近付き、彼の右手から鞘を取り上げた。
「これは、半田隼人の持ち物だ。
おまえのような王のなり損ないが、鞘だけであろうと手にしていいものじゃない。
次に会うときは、どういう状況であれ、容赦しない」
ゲドリクスは、半田千早との決戦が近いことを察した。
「怖かったね。
痛かったね。
間に合わなくてごめんね」
アクシャイは、こんな将軍はティターンにはいないと感じた。ぬくもりが残る幼児の遺体を抱いて泣くなんて、ティターンの軍人ならあり得ない。
「司令官閣下、先を急ぎましょう」
「ダメ。
このキャンプの全員を埋葬する」
装甲ドーザーで車体幅の溝を掘り、そこに18の遺体を並べる。若い女性のとなりに乳児の遺体を、もう少し年長の女性のとなりに幼児の遺体を置く。
遺体間の関係性はわからないが、花山は最大限の想像力を働かせて、安置していく。
アクシャイは何かに見られている気がした。この付近ならオオカミか?
もっと南ならハイエナかリカオンだが……。
「誰だ!」
アクシャイの叫びで、花山は南を見る。小さな姿だ。800メートルは離れている。
小さな男の子と女の子は、花山が近付いても逃げなかった。知らない言葉で話しかけられたが、怖くはなかった。
アクシャイは驚いていた。花山がヒツジ飼いの子供を連れ帰ったからだ。怖い思いをした直後だから、逃げてしまうと思ったのだが……。
百瀬未咲が保護していた女の子も、一瞬で花山になついてしまった。
男の子は12歳くらい。女の子は8歳くらい。兄妹ではなく、とっさに男の子が女の子の手を引いて逃げたとか。
生き残りは、この2人だけ。
男の子は気丈で、襲った隊の追跡に協力するという。荒野に置き去りにはできないので、連れていくことになった。
ヒツジ飼いのキャンプを襲った小部隊は、すぐに見つけた。愚かにも焚き火をしたからだ。炊事と暖房の煙に向かって走ると、河畔で休むティターンの軽騎兵を見つける。
花山真弓は、突撃を命じた。
拳大から頭大の角のとれた石を履帯が踏みしめて、焚き火に向かって装甲ドーザーが突進する。
対戦車擲弾を発射し、機関銃を撃ち、自動小銃を発射する。
初期の攻撃でウマが逃げてしまい、ティターンの騎兵はヒツジ飼いに行った行為と等価の報いを受けた。
若い兵が生き残っていた。足を撃たれ、這って逃げようともがいていた。
花山が若者を見下ろす。
「本隊はどこにいる」
若者は首を振る。
花山が場から離れようとする。アクシャイが慌てる。
「司令官、この捕虜はどうしますか?」
「放っておけ」
「ですが……」
「あれが処分してくれる」
ブルーウルフだ。超大型のオオカミで、狩りもするが主に腐肉食だ。
捕虜の顔色が変わる。だが、質問に答えることはなかった。
仕方なく、スクラッパー・ボウルに乗せようとして立たせる。
一瞬のことだった。
ヒツジ飼いの少年がティターン兵の槍を拾い、捕虜の胸を突き刺す。渾身の力で、槍を突き通す。捕虜は時間を経ずに絶命する。
少年はひどく動揺し、過呼吸になる。花山は少年を抱きしめ、小物を入れていた袋から中身を出し、少年の口にあてさせる。
肉食が少ない北部の民は、同族はもちろん、魚以外の動物を殺すことさえ滅多にない。
少年の動揺は当然のことだった。
少年はこの地域を熟知していた。馬車が通れる場所、ウマだけが通過できるルート、川の渡渉点、沼沢の回避の仕方など、あらゆる地形的特徴を記憶している。
そして、移動開始からわずか2時間で、ベルトラン軍主力の最後尾を見つける。
迂回しながら追跡し、さらに2時間後、先頭を捕捉する。
日没まで2時間だが、ズラ湾からここまで350キロほど。ターボコブラならば、1時間以内で到達できる。
ビーコンで大まかに誘導し、発煙弾で正確な位置を知らせる。パイロットは目標の確認を目視に頼らなければならないが、レーザーや赤外線での誘導が技術的に無理なので、これしか方法がないのだ。
周囲よりわずかに高い丘とも呼べない場所に、81ミリ迫撃砲を設置する。
1発目と2発目は夾叉した。小さい白い煙が立ち、着弾位置を示す。
3発目は、3列縦隊の先頭から10メートル付近に着弾する。赤い煙が立ち上り、隊列が乱れる。
数騎が隊列前後を盛んに往復している。
「赤い煙を確認」
アネリアが操縦するターボコブラは、赤い煙を巻くように旋回し、ベルトラン軍の真正面から接近する。
火炎の壁は何時間も続いたように感じたが、実際は30秒ほどだった。
ベルトラン軍の後方はパニック状態になり、四方八方に逃げていく。統制はまったくなく、恐怖に煽られての行動だ。
アネリア機は、それを補強するように12.7ミリ機関銃と37ミリ機関砲で地上を掃射する。ティターン兵は逃げ惑い、悲鳴を上げる。空に向けて弓を射る猛者もいるが、意気込み以上の何かがあるわけじゃない。
結局は地に伏すか、走り回る以外の対処法はない。ヒツジ飼いへの行いが、己が身に降りかかる。
花山真弓は、結果に満足していた。ベルトラン軍は山岳地帯に戻るしかない。封じ込めに成功すれば、食糧不足で自滅する。
第1報はキュッラからだった。
「ガバリ族に襲われ、ケンタが拉致された」
第2報はハルダール村の百瀬未咲から。
「健太が行方不明。キュッラ負傷」
第3報はハルダール村の滑走路からマーニが行った。
「ケンタの消息、いまだ不明。偵察機の派遣を求む」
レムリアに上陸したヒトと精霊族は、戦闘による重傷者はいたが、傷病死はなかった。重傷者は回復している。
少しの油断があったのかもしれない。
半田健太の状況は、直ちにドミヤート地区に連絡され、王冠湾地区はもちろん、パレルモも知っていた。
ドミヤート地区は、C-1改輸送機“くじらちゃん”の投入を要請してきた。
ドミヤートの捜索隊は、城島由加を隊長としてフィー・ニュンが副官を務めるという重厚なもので、捜索隊員は50に達する。
王冠湾地区では、最速のベルーガが出港の準備を始めている。航続距離の長いS-62シーガードヘリコプター2機と4輪を履帯に履き替えたフロッグ4輪装甲車4輌を搭載する。
捜索隊の志願者を募ると、200を超えるヒトと精霊族が手を上げた。
パレルモでは、チュールが最速の輸送船で出港しようとしていた。
情報をどうやって得たのかは不明だが、ヴルマンは指導者ベアーテ自らが捜索隊を率いて、フェニックス双発双胴輸送機2機で出発の準備をしていた。
これだけの反応を引き起こしたのは、半田健太が半田隼人の子だから。他の誰でも、同一規模の捜索隊が編制されただろうが、城島由加、フィー・ニュン、ベアーテなどの“大物”が捜索隊を指揮することはない。
キュッラの報告は詳細で、襲撃された経緯もはっきりした。
小さな池の畔で、小休止をしていた。キュッラと健太は、交代で顔を洗うことにした。途中でスタックして、顔に泥が付いていたからだ。
健太はヘルメットを脱ぎ、弾帯を外しはしたが、ボディアーマーはそのままだった。単に顔を洗おうとしただけだった。
弾帯は車内助手席上に置き、養父の形見である日本刀はフロントフェンダーに立てかけていた。
そこをガバリ族のパトロールに急襲された。
半田健太はキュッラに「行け!」と叫び、キュッラは軽装甲バギーに飛び乗った。
軽装甲バギーが400メートルほど進むと、バックミラーに両膝を地面に着き、両手を後頭部で組んだ健太の姿がバックミラー越しに見えた。
反撃を考えたが、健太は取り囲まれており、躊躇われた。
襲われた際、キュッラは右腕を馬上から斬られた。傷は深く、出血は多かった。
その場から離れたキュッラの判断は正しい。
半田健太はひどく殴られ、ゲドリクスの村に引き立てられた。族長の館は、ガバリ族の建物としては大型だが、木造の粗末な小屋だった。
「このガキの持ち物です」
半田健太を捕らえたガバリの男は、不審を感じていた。
「本当か?
こんな業物は見たことがない。
ガキの持ち物じゃない」
ゲドリクスも不審に思う。
「小僧、何者だ?」
健太は泣き出したいほど怖かったが、半田隼人の子であることが、それを諦めさせた。
「俺は半田健太。親父は半田隼人、お袋は城島由加。
親父はすべてのヒトを導いていた。お袋はノイリンの戦女神。
親父は死んだが、お袋は生きている。俺を捕らえたのだから、お袋を呼んだことになる」
ゲドリクスの妻が声を立てて笑う。
「おまえの母ちゃんに何ができる?」
健太から恐怖は消えていた。
「ガバリ族を皆殺しにできる」
建屋内が静まりかえる。あの炎の壁を見た以上、嘘ではない。
ゲドリクスがあることに気付く。
「ハンダという女がいたな。
おまえとどういう関係だ?」
「姉だ。半田千早。
優れた商人だ。クマン、湖水地域、西サハラ湖東岸との交易に成功した」
また、ゲドリクスの妻が笑う。
「商人風情に何ができる?」
「千早の支持者は多い。精霊族や鬼神族も味方する。
ガバリ族は、ひねり潰される。
だが、姉は動かない。
お袋が動くからね。
おまえたち、死ぬ準備をしておけ」
ゲドリクスには、ガバリ族の戦士招集に自信があった。精鋭だけで1万は集まる。第2次招集なら3万を超える。
ティターンにさえ対抗できると自負している。
「で、おまえの母ちゃんは、頑張ってどれだけの兵を集められる」
ゲドリクスの声には嘲笑が混じっていた。健太は母がどれだけの戦力を集められるか、考えたこともない。
「わからない……。
10万か100万か……。
1万はない。1000万もない。
現実的には20万から30万程度だろう」
建屋がざわつく。ゲドリクスが息を飲む。ゲドリクスの妻が叫ぶ。
「ウソだ!」
健太は両肩を押さえられ、両手は左右のガバリ戦士がしっかりとつかんでいる。
「ウソか……。
クフラック、シェプニノ、カンガブル、カラバッシュ、ティッシュモック、フルギア、ヴルマン、北方人、東方フルギア、クマン、湖水地域、精霊族、鬼神族、半龍族、黒魔族、どれだけの兵力になるのか想像ができない。
救世主も兵を出すかもしれない」
無言を貫いていた白髪の老人が尋ねる。
「それは部族か?」
「そうだ」
「おまえは何族だ?」
「バンジェル族のドミヤート支族だ」
「ズラ村には他の部族もいるのか?」
「あぁ、バンジェル族の王冠湾支族が主だ。ヴルマンや精霊族もいる。東方フルギアや北方人は少し」
白髪の老人は周囲の長老と長く話している。
ゴマ塩髭の老人が尋ねる。
「おまえたちは、何をしに来たのか?」
目的ははっきりしていた。
「交易だ。
この地方の産物を買いに来た。
最初はシルクが目当てだったが、良質のコムギや豆類も買っている。
支払いは金貨だ」
健太を捕らえたガバリの戦士が長老に革製の巾着を渡す。
「このガキが持っていました」
長老が中身を見る。
黒髪顎髭の長老が問う。
「巾着だけか、これは金入れだ。中身はどうした?
罰を受ける前に出せ」
ガバリの戦士が数枚の金貨を長老に渡す。
「若者、これは何という金貨だ?」
健太が見せられたのは、裏面にムギの穂が刻印されたもの。
「フルギア金貨だ。
交易する際に、見本として見せている。
支払いは、フルギア金貨でするように命じられている」
白髪の長老が問う。
「命じられた?
誰にだ?」
健太は、長老グループと族長は緊密なコミュニケーションがないように感じ始めていた。
「香野木恵一郎」
長老たちが話し合う。また、白髪の長老が問う。温厚には見えないが、族長ゲドリクスに盲従しているようには思えない。
「コーノゲ」
「コウノギ」
健太が訂正する。
「コウノギとは何者だ」
健太にもよくわからない。
「偉大なヒト。
すべての種族とすべての部族が、彼の指示に従った」
白髪の長老が問う。
「若者よ、そのコウノギとはどういう関係だ」
健太は、質問の意図を解していた。彼の“商品価値”を値踏みしているのだ。
「関係はない。
雲上のヒトだから。会ったこともない。
だが、俺の兄が直属の部下だ。
俺の父は半田隼人。生きていれば、香野木恵一郎の任を全うするはずだった。香野木恵一郎が半田隼人の任を引き継ぎ、父を超える成果を残した。
香野木さんが俺を助けに来ることはないだろう。忙しいヒトだから。だが、兄貴は来る。それは、間違いない。
たぶん、灰色のマトーシュと一緒に」
長老は、新しい名前に興味を示す。健太はここまで、話の成り行きで質問に答えてきた。特段秘密にするような内容ではないし、反抗的態度で刺激しようとも考えていない。
「灰色のマトーシュとは何者だ?」
健太は“父親”によく似ていた。
戦略的に考え、ふてぶてしいところが……。そして、ガバリ族が北部の情勢を理解していないことに気付いていた。
「ハイイログマを知っているか?
ホラアナライオンよりもはるかに大きい猛獣だ。
マトーシュは、ハイイログマのように大柄な男だ。探検船キヌエティの船長で、香野木さんの部下であると同時に、里崎提督の部下でもある」
禿で白髭の長老が問う。
「若者よ。言葉が上手いな?
モリニの訛がひどいが……」
「俺は商人だ。商いは言葉を覚えることから始まる。
だから、言葉を覚えた」
黒髪の長老が尋ねる。
「サトザキとは何者だ?
それと、提督とは何だ?」
健太は少し考えた。
「提督は、武装商船団を率いる役職の名だ。海と陸との違いはあるが、ティターン軍ならば軍団長に相当する。
里崎提督は、大小様々な船を指揮している。一番速い船は40ノットも出る。一番大きい船は、全長が150メートルもある」
族長ゲドリクスは沈黙している。
長老たちは単位がわからない。
黒髭の長老が問う。
「ティターンの軍船よりも大きいのか?」
健太はよく考えた。
「全長ならば、ティターンの軍船の4倍から5倍かな」
ゲドリクスの妻が大笑いする。
「愚かな嘘をつくな。まぁ、子供だからな。
そんな大船をどうやって造るというのだ。竜骨をどうするのだ?
そんな大木はないぞ!」
健太は相手が信じるか否か不安があったが、一応事実を告げた。
「大型船は木造じゃない。鋼鉄で造るんだ。俺たちは。
ドミヤートの船台だと、80メートル級や90メートル級を建造しているが、王冠湾の船台ならば200メートル級の船も造れるらしい。
それに、王冠湾には巨大な乾ドックもある」
ゲドリクスの妻は、呆れていた。
「鉄の船?
そいつはすごい。水に浮く鉄なんてあるものか!
嘘もここまでくると、滑稽だ」
妻の言葉にゲドリクスも頷く。
だが、意外な援軍がいた。
「鉄でできた車輪のある船が川を渡るところを見た」
健太の右手と右肩を拘束する戦士がそう言った。すると、人垣の背後から「俺も見たぞ」と声がする。
長老とは異なる、身分の高そうな壮年の男が健太の前に立つ。
「おまえたちの馬車は、ウマがなくても動く。なぜだ?
魔法か?」
健太は、どう答えるか考えた。エンジンの仕組みを説明しても理解できないだろうし、科学技術を魔法と言い換えるのも安直だ。
「油を燃やすんだ。
鉄の筒の中で油を燃やし、その熱を動力源にする」
「どんな油を使う?」
「いろいろある。
植物の種を絞った油もあるし、地から湧き出る油も使う」
「俺の村には、腐れ水が湧き出る場所がある。その油でも買うか?」
「品質を調べないと。大量の水が混じっていたり、タール分が多かったりすれば、俺たちが欲しい商品じゃない」
「調べてくれるか?」
場がざわつく。
壮年の男が一喝する。
「黙れ!」
健太は顎が痛くて泣きたかったが、耐えていた。
「俺は捕虜だ。
何もできない」
壮年の男が、建屋内を見渡す。
「明日、この男を我が村に連れて行く。
反対は許さん。
長老の皆々もご異存あるまいな?」
禿で白髭の長老が発言。
「いかに先代族長の嫡男であっても、それは横暴であろう。この若者を捕らえたのは、そこの2人じゃ。
獲物は狩人のもの。
狩人に聞くがよい」
壮年の男が、健太を拘束する2人を見る。
「この男を買う。
明日までに代金を決めておけ」
2人が顔を見合わせ笑う。
健太は売られた。
壮年の男がゲドリクスを見る。
「族長殿、明日、この男を引き渡してもらう。それまでは、客として丁重に扱ってくれ」
長老たちは、これを良とした。ゲドリクスは不満なようだが、受け入れた。
健太には魅力を感じなかったが、健太の刀は取り上げることにした。それだけで、十分だと感じていた。
深夜、ゲドリクスの妻は、彼女の部下に命じて、健太を納屋に運ばせた。
ゲドリクスの妻は健太の“商品価値”を下げるため、彼の背を激しく鞭打った。
健太は叫び声を一切発しなかった。その態度に腹を立てたゲドリクスの妻は、過剰に反応した。
夜明け前、納屋に放置された健太の生命は消えかけていた。
ゲドリクスの村は、西海岸から5キロ内陸にあり、周囲は森に囲まれている。耕作地は狭く、豊かではない。ガバリ族は完全な農耕民ではなく、狩猟採集にも依存していた。
村には南北を縦通する街道があり、耕作地を除くと東西には温帯森が広がっていた。
村は壕と土塁で囲まれているが、城壁のようなものはなかった。城門は頑丈だが造作の悪い木製。
ガバリ族の村は、モリニ族のような豊かさを感じない。
半田千早は、花山真弓から指示された通り、ゲドリクスの村を縦通する街道の北側を封鎖した。
この作戦について、ズラ村は北部諸族に支援を求めなかったが、各部族・村は情報の提供や物資の輸送などで積極的に協力してくれた。
里崎杏は、高速艇2隻をアフリカを分裂させる“狭い海”に派遣する。さらに、ヒギンズボート4隻と隊員を派遣。陸路からは水陸両用トラック“ダック”と水陸両用4輪装甲車“フロッグ”を送り、一部ルートは海上を進んで、ゲドリクスの村の南に出た。
街道南側を封鎖し、森の中にある小道も掌握する。
ゲドリクスの村を完全に封鎖した。
早朝、ゲドリクスの村は混乱の極にあった。日の出とともに村を発った村人や旅人が引き返してきたからだ。
「道が塞がれていた」
「村に帰れ、と脅された」
「ウマなしで走る鉄の馬車がたくさんあった」
戻ってきた誰もが、驚きの報告をする。
ゲドリクスの妻が叫ぶ。
「小勢など蹴散らせ!」
ガバリ族の行商が返す。
「小勢などではない。
大軍だ!
大軍が攻めてきた。
あの小僧が言った通りだ」
半田健太を買った男が騒ぐ。
「あの小僧はどこだ。
檻にいないぞ!」
ゲドリクスの妻がほくそ笑む。
「あの納屋だ」
健太は汚れた大きな布に俯せにされて、運ばれた。
広場は静まりかえった。
杖で身体を支える老人が言った。
「生きているのか?」
若い男が、健太の口に掌を近付ける。
「息をしているが、弱い」
ゲドリクスが叫ぶ。
「戦の準備だ!」
村の防備で最も脆弱な部分は、南北の城門だ。細い丸太で造った門扉は頑丈だが、木製の門柱と鉄製の蝶番が弱点だった。
ゲドリクスはそのことをよく知っており、城門の補強を命じる。補強の手順は明確になっており、大量の丸太で城門を支える。
半田千早は、花山真弓の指示を仰がなかった。最近は“命令違反”とは無縁だったが、待機するつもりはない。
健太が心配だったが、キュッラに深手を負わせたことにも立腹している。
それに、今回の件に関しては、マーニは命令に従わない。彼女のほうが無謀な行為をする。そのまえに決着を付けたい。
半田千早が乗る4輪装甲車“フロッグ”が北側城門に近付く。
千早は行動することを、南側を押さえる里崎杏に無線で知らせたが、里崎からは「用心するように」と指示された。
北側城門から100メートルまで接近すると、ガバリ族側は問答無用で弓を射た。
千早は戦闘室上部銃塔から身を乗り出し、肩にRPG-7を担ぐ。
ガバリ族が補強した木製城門は、大きな爆発とともに崩れる。
フロッグは前進し、上部だけが外れた蝶番の左側城門をはじき飛ばして村内に進入する。
後方には8輌のフロッグが追及している。
里崎杏は隙間のある包囲では、半田健太を保護できない可能性があることを危惧していた。連れ出されて、知らぬ存ぜぬを押し通されたら、いろいろと厄介だ。
半田千早の北側城門突破と同時に、南側城門を破壊突破して、大量の隊員を村を包み込むように中心に向かって前進させる。
ゲドリクスはガバリ族の族長であり、同時にこの村の長だ。
だが、村内の実権は彼の妻が握っている。ゲドリクスは外征が多く、気付けば村内の実権は妻に渡っていた。
外征先では強気だが、村に帰れば単身赴任が長すぎた夫(父親)のように居場所がなかった。
半田千早がフロッグの左側面観音ドアを開いて車外に出ると、ゲドリクスを押しのけて彼の妻が前に出た。
ゲドリクスには、彼の前妻の子が2人、しがみついている。子供たちは恐怖で、声さえ出さない。
南側から進入した、里崎杏の部隊が到着し、村内に大軍が進入したことを否応なくガバリ族に教える。
武器を手にする男や女は多いが、ここで戦えば、戦えない子供や老人がたくさん死ぬことになる。
ガバリ族は、族長の指示を待つ。
「半田健太を返してもらいに来た」
半田千早は眼前の女性に単刀直入に切り出した。彼女はその女性を知っている。族長ゲドリクスの妻だ。2人の年齢に大差はない。
「おい、連れてこい」
通訳は、イルメラが務めている。テシレアは、後方の車輌の上部ハッチから身を乗り出して、成り行きを見ている。
半田千早は健太の様子に凍りつく。
百瀬未咲が「どいて!」と叫んで、2人の男に引きずられてきた健太のバイタルをチェックする。
百瀬が首の動脈で脈拍の有無を確認し、健太の頬を叩く。
「健太、聞こえる!」
健太が腫れた目を少し開ける。
百瀬が注射をしようとすると、男が歩み出た。
「余計なことはするな。
この若いのは、俺が買った」
千早はまったく躊躇わなかった。
「なら、代金を払う」
ホルスターから自動拳銃を抜くと、男の額に向け撃った。
「他に代金がほしいヤツはいるか!」
イルメラの通訳がやけに長い。付け加えた言葉の一部の意味はわかる。彼女は「代金は鉛で払う」と付け加えた。
背後で機関銃のボルトを引く音がする。
百瀬が応急手当を始めると、衛生隊員が担架を持ってくる。百瀬の声がよく通る。彼女はヘリコプターを呼んだ。
「半田健太負傷、意識混濁、緊急輸送!
緊急輸送!」
マーニのエキュレイユがすぐに現れる。
小さなヘリだが、後席に負傷者を寝かせたまま運べる。
ヘリに向かって健太が運ばれていく。
ゲドリクスの妻は、ひどくイラついている。彼女の手には、健太の刀が握られている。
千早は怒りが沸点の近くまで上がっている。だが、怒りに感情が満たされてはいない。冷静なのだ。
千早は、健太の刀を無傷で取り返したかった。そんなことを考えていて、一瞬だが集中力が途切れた。
ゲドリクスの妻は、片手で大上段から千早の頭にめがけて振り下ろした。
千早の身体は、純粋に本能のまま動く。剣聖デュランダルから教えられた通りに。
千早のほうが速かった。抜刀すると同時に、下から上へ逆袈裟懸けで斬り上げる。
ゲドリクスの妻は、仰向けで呻いていた。
半田千早はゲドリクスの妻の右手首を踏み、手を開かせて健太の刀を拾い上げる。
そして、ゲドリクスに近付き、彼の右手から鞘を取り上げた。
「これは、半田隼人の持ち物だ。
おまえのような王のなり損ないが、鞘だけであろうと手にしていいものじゃない。
次に会うときは、どういう状況であれ、容赦しない」
ゲドリクスは、半田千早との決戦が近いことを察した。
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