フィライン・エデン Ⅲ

夜市彼乃

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11.七不思議編

51降臨コーリング ④

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***

 雷奈達が宿坊についたときには、すでに茶を入れる準備が整っていた。ローテーブルの上には、雷志がぜひ手土産にと持ってきたフレーバーティーの缶と、湯の入ったポット。帰ったら雷奈が茶の支度をしているものと思っていた雷華は、彼女らの道草を知って、案の定呆れ、舌鋒鋭く端的な説教を見舞った。
 美雷と霞冴がやってきたのは、雷華が溜飲を下げた十分後、四時きっかりである。
 よくシャンプーした後の霞冴の髪が乾いたな、と氷架璃と芽華実は驚いたが、霞冴の髪は細いので乾きやすいのでは、とは雷奈の談だ。
 美雷が和室に上がってくると、雷志は正座で座っていた姿勢から、品のあるしなやかな動きで立ち上がった。
「あなたが美雷さんね」
「ええ、そうです」
 ふわり、美雷が微笑んだ。
「希兵隊総司令部・最高司令官、時尼美雷です。お初にお目にかかりますわ、雷志さん。先日は度重なる失礼をいたしまして、大変申し訳ございませんでした。体調管理の甘さゆえにご迷惑をおかけいたしましたこと、お恥ずかしい限りです」
 一礼する彼女も、雷志に負けず劣らず淑やかな所作だ。十を超える歳の差が、どうしてか、向かい合った二人の間で溶けて消えた。
「いいえ、お気になさらないで。季節の変わり目は何かと体調を崩すものよ。それに、漢方の世界では、二月や三月――旧暦の春はのびのびと過ごすのが養生法。ちょうどその時期に休めなかったんですもの、無理もないわ」
「『春の三月、此れを発陳はっちんう。天地ともに生じ、万物もって栄ゆ。夜に臥し早く起き、広く庭を歩み、髪をひらき形を緩うし、以て志をして生ぜしむ』。『素問』ですね。雷志さんは看護師さんでいらっしゃるとうかがいました。ご助言、どうも痛み入ります」
「まあ、お詳しいのね! さすが、博識でいらっしゃるわ。お見それいたしました」
「陰陽五行思想はフィライン・エデンにおける重要概念。最高司令官として恥ずかしくない程度には手習いをと思いまして。こちらこそ、出過ぎた真似をいたしました」
 まるで井戸端会議を始めた主婦達のよう……に見えて、会話の内容はいやに高度。一部は理解できなかったうえ、「そんな上品な日本語使ったことないわ」と所在なくなってきた雷奈達は、着席とお茶を勧めてこれ以上の会話の昇華を阻止した。
 その後、「フィライン・エデンの住人に再会するのは、アワ君とフーちゃん以来ですか?」「いいえ、バブルとウィンディにも会わせてもらいました」「希兵隊とは関わりが?」「最高司令官とお会いしたことはありますが、そう親しくなった方はいなくて」と前菜のような会話を挟み、ゆっくりと本題へ移行した。
「この度は……その、主人がご迷惑をおかけしてしまってごめんなさい。希兵隊の隊員さんにも重傷を負わせたと聞いていて……」
 雷志の口切りに、美雷は笑顔にほんのわずか、痛みをにじませた。ルシル、コウ、霞冴。大切な部下が傷つけられたことを思い出すと、まだ胸が痛むのだろう。
 美雷は瞳に浮かんだ陰りを、まばたき一つで奥に隠すと、ゆるゆると首を振った。
「こちらこそ、ご子女にお怪我をさせてしまい、申し訳ありませんでした。希兵隊がついていながらこの失態、忸怩たる思いです」
「いいえ、そんな……。……私が生前、彼を止められればよかったのだけど」
 そう言ってうつむく雷志に、雷奈は今日の議題の一つに切り込んだ。
「母さん、私達、日記読んだっちゃけど……母さんは親父がフィライン・エデンの猫って分かってて結婚したとよね?」
「ええ」
 雷志は、まだ雷奈がガオンを「親父」呼ばわりすることに慣れない様子で、苦笑しながらうなずいた。
 けれど、母を殺した男を「父さん」と呼び慕う気などない雷奈は、構わずその呼び名で続ける。
「その……殺される前には、親父の様子がおかしかったことも、気づいとったと?」
「……まあね」
 苦笑に、せつなげな陰が落ちる。その様子をじっと見つめていた美雷は、ささやくように静かな声で言った。
「雷志さん。ご主人が関わる出来事は、いずれも今となってはおつらい記憶と存じます。けれど、私達は彼がどのような経緯をたどったのかを知り、この度の事象が何であったのかを理解しなければなりません。……失礼を承知の上で、どうか、あなたの知る三日月ガオンさんをお聞かせ願えませんか」
 フィライン・エデンの住人が知るガオンは、ただの巨大なチエアリだ。そして、雷奈が知る彼は、不愛想ながら怜悧な雅音という父親だ。これらの同一人物である男が、未来で世界を壊してから三日月家の亭主となるまでの空白が、どうしても埋まらなかった。
 もっとも、一番肝要なのは、三日月ガオンという猫がチエアリになったいきさつであろう。だが、それを知る者は、少なくともこの時代の住人にはいない。それでも、わずかでも手がかりがあれば。
「ええ……元より、話すつもりで来ました」
 雷志が重くうなずく。たとえ忌まわしき記憶でも、今日の本題の片方は、彼女が口を開かなければ始まらない。
 死人に口なし。そのことわりが破られ、今、誰も知らない三日月ガオンが語られる。
「と言っても、お話しできるのはほぼ日記に書いたことの詳細くらいです。これがどこまで役に立つかはわからないけれど、私が出会った頃の主人は……ガオンさんは、虫も殺せそうにないほどの、脆く儚いひとだったんです」

***

 ――皇学園高等部の三年生になってすぐのことだった。
 二年の時の友人とカラオケに行った帰り、自動車のヘッドライトが眩しいほどには暗くなっていた。生徒寮に住む雷志は、学園方面に急ぎ足で戻っていた。ルームメイトの耀には遅くなることを伝えてあったが、それでも心配されてはいけないと、足は次第に速くなっていた。
 カラオケがあった繁華街は、複数車線ある大きな道路を挟んだ向こうにあった。横断歩道はかなり待たされるとあって、雷志は行き帰りにはいつも歩道橋を使っていた。
 その日も、歩道橋の階段を駆け上がり、鉄道の高架が頭上を通るせいで一層暗くなっている橋の部分を、おっかなびっくり渡っていた。
 そこで、出会った。
 歩道橋から、それなりのスピードで車が往来する車道を見下ろす、一人の男。黒い髪に、服も上下とも黒で、長めの前髪がかかる白い顔だけが暗がりに映えるようだった。
 さして何の特徴もない、ややもすれば薄暗闇に溶け込んでしまいそうな容貌の男。それなのに、雷志の目には、どうしようもなく彼の姿が浮いて見えた。まるで周囲の景色から排斥されたように、くっきりとした違和感をまとっていた。
 そこで、雷志の中にある予感が芽生えた。もしそうであれば、自分には話しかける権利がある。そう思い至った雷志が、彼に歩み寄りかけた時だ。
 男は柵を握って、前のめりに体を倒そうとした。飛び降りようとしている。目から入ったその強烈な情報が、衝動的に足を動かした。
 駆け寄って手を伸ばし、黒いセーターの裾をつかみ、思い切り引っ張ると、男はたたらを踏みながら後ずさった。そして、驚いたように雷志を見つめた。その瞬間、予感は確信に変わった。
 彼の瞳は、血のように赤かった。
 世の中には、赤い瞳を持つ人間もいる。色素欠乏症、いわゆるアルビノと呼ばれる者だ。だが、その場合、髪の色素も薄くなり、茶色、金色、あるいは真っ白な見た目を呈する。黒髪で瞳だけ色素が欠乏するという例は、看護師を目指して生物科目を熱心に勉強する雷志でも聞いたことがなかった。
 もちろん、髪を黒く染めただけ、という可能性もある。けれど、近づいてみて一層はっきりと感じられる異質感が――人間以上の高次な存在が放つ独特な気配が、雷志の先の確信を肯定した。
「……ああ」
 だから、雷志は言った。
 ほかに通る人もいない、二人きりの歩道橋の上で、こう言った。
「やっぱり、あなた……フィライン・エデンの猫なのね」
 その指摘は、正鵠を射た。男は先ほどにも増して驚いたように目を見開き、つぶやくように問うた。
「……お前、何者だ」
「私は」
 一瞬だけ、迷った。知らない人に名前を聞かれても答えてはいけないよ、ましてついて行ってはいけないよと、まるで親のように耀に言い聞かされていた。
 けれど、それは人間相手の場合だと割り切って、雷志は続けた。
「私の名前は、九頭竜雷志。風中家とパートナー契約を結んだ、選ばれし人間の一人です」
 その答えで男は納得したようで、驚愕の表情をふっと消した。そして、深紅の瞳に陰を落とし、再び車の行きかう車道を見下ろした。
「……死なせてくれ」
 力のこもらない、乾いた声だった。
「俺はもう……生きているわけにはいかないんだ。ここで死なせてくれ」
「させません」
 男は再び雷志を見つめた。驚きと、それを上回る戸惑いが浮かんでいた。
 雷志は胸に手を当てて主張した。
「私は将来、看護師になる人間です。命を救う手伝いをするんです。その私が、目の前で命を絶とうとするひとを見過ごすわけにはいきません」
 男はしばらく、その言葉を耳に染み込ませるように黙り込んでいた。だが、それに返事をするでもなく、斜め下の足下に視線を落とした。
 今の言葉は響かなかったのかもしれない。それもそうだ、これは自分の意志であって、彼の立場に立ったものではない。
 そう考えた雷志は、「ねえ」と顔を覗き込むようにして話しかけた。
「明日の午後……三時半くらいに、またここで会えませんか」
 男は視線を合わせようとしない。それでも、雷志は同じ調子で続ける。
「今日はもう暗いので、明日、学校が終わってからまたここへ来ます。そしたら、もっとゆっくり話せますから……なぜそんな風に思うのか、私に話してみませんか」
 返事も頷きもよこさない彼に、無邪気な笑顔を見せて。それを目にした誰もが、険悪な人間関係も、教師からの叱責も、部活動での失敗も忘れて心をほどいてしまう、天使の微笑みをたたえて。
「諦めてしまうのは、それからだって遅くはないでしょう?」

***

 次の日、ホームルームが終わると、雷志は部活動に向かう耀と、フィライン・エデンに帰る仮り初めのクラスメイト・バブルとウィンディに挨拶して、学校を飛び出した。目指すはあの歩道橋だ。
 基本的に、放課後は四人はバラバラに行動する。コンピュータ研究部の耀と帰宅部の雷志はもちろん別行動であったし、手隙の雷志と正統後継者の二人で話そうにも、住んでいる生徒寮は来客のたびに面倒な手続きを要するので二の足を踏む。まして、猫を連れ込むなどご法度だ。かといって毎回カフェを利用するのはお財布に厳しい。よって、四人の秘密の交流は、主に休み時間や休日に限られていた。
 耀にも、そしてバブルやウィンディにも、前日の邂逅については伝えていない。何となく、事情が把握できてからにした方がよい気がしていたからだ。
 その事情はこれから聞いていけると踏んでいたが、思えば一方的に取り付けた約束だ。守られる保証などどこにもなかった。
 それでも、角を曲がって歩道橋が目に入った時から、通路の上にひっそりと立つ黒い人影を見つけて、雷志はほっとして顔をほころばせた。階段を駆け上がる足が、羽が生えたように軽かった。
 雷志が近づいても、顔も合わせようとせず、昨晩と同じように車の往来を見つめる彼と最初に交わした会話は、雲一つないその日の晴天についてだった。厳密には、会話を交わす、というレベルにも至らなかった。何の反応も示さない彼に、一応の返答の余地を挟みながら、同じように歩道橋の外へ目をやる雷志が、ただ話しかけるだけの時間。
 真っ青な空は気持ちがいいですね。
 白い雲のいろんな形も、見ていて楽しいけれど。
 晴れの日に空がきれいなのは、朝や昼間だけじゃないんですよ。
 通りすがりの何人かの、二人を不思議そうに眺めていく視線も気にすることなく、雷志はゆっくりと流れる時間を惜しみなく使って、人間でないこと以外は何も知らない男の隣にいる、ただそれだけのことに心を傾けていた。
 なぜ、初対面の赤の他人にそこまでしてやるのか。雷志を知らない人々は、そう口をそろえるだろう。
 答えは単純明快だ。困っている人、傷ついている人、迷っている人。そんな人が、目の前にいるから。ただ、それだけだ。それが、九頭竜雷志だった。
 ふと、昨夜の空を思い出して、何の気なしに口を開いた時だった。
「三日月が……」
 その瞬間、男が初めて雷志を振り返った。深紅の目を見張っている様子だったが、驚いたのは雷志のほうだ。
「どうしましたか?」
「……いや」
 その日、初めて彼の声を聞いたのは、会ってから時計の長針が半周した頃だった。
 もしかして、彼も夜空を見上げるのが好きなのだろうか。昨夜の三日月を眺めていたのだろうか。
 ひそかに期待を胸にする雷志に対し、男はきまり悪そうに、再び眼下に視線を戻した。
「……呼ばれたかと」
 ぱちり、雷志は明るい茶色の瞳をしばたたかせた。すぐには言葉の意味を図りかねたが、直前の自分の発言を思い出し、気づいた。が彼にとっては呼びかけに聞こえるのだということ。
 そして、彼にもっと近づくための一歩の踏み出し方にも。
 雷志はにっこりと笑って、つかんでいた柵から手を離すと、踵を九十度返し、男に正対した。
 彼は、横目で雷志を見ながら、やはり気まずそうな面持ちを浮かべていた。雷志の次なる言葉を見透かしたようだった。
 雷志は、正解、というように一層無邪気な笑顔になって、二人を分かつ境界を超える、大きな一歩を踏み出した。
「あなたのお名前は?」
「…………」
 男は口を閉ざしたままだった。
 けれど、数分前までとは違う。沈黙が、揺らいでいた。
 今にこの世界から消えようとしている最中さなか、誰かに名前を残す。それは、奈落へ落ちる自分と今世との間に、一本のつながりを結ぶ行為だ。きっと、それだけでは無へと落ち行く体を支えきれない。せいぜい、終焉に至るまでに糸一本分だけの抵抗が生まれるだけだ。
 そのたった一本は、無意味か。あるいは、希望の片鱗か。
 所詮、一本の糸は、それ以上にはなりえない。けれど、一ついえるとすれば――幾本ものつながりをより合わせて生まれる絆は、この世に留まるには十分に強固だ。
 だから、揺らぐ水面に一度だけ波紋を広げるようにつぶやいた言葉から、雷志は見出した。
「……三日月、ガオン」
 その一本が、彼の目には一縷の希望に映ったことを。
 そして、もう一つ。
「よろしくお願いしますね、ガオンさん」
 ――つながりを結びたいと思う程度には、この世に未練があることも。

***

「それからは、少しずつ自分のことを話してくれるようになったわね。星猫であること、猫力学研究者だったこと、夜にお散歩するのが好きだったこと。歩道橋以外の場所でも話をするようになったわ。やけに顔色が悪いと思ったら、ご飯を食べていないようだったから、おにぎりとかお弁当とかを持って行ったりもしたわね。初日は間違えて豚の生姜焼きを詰めていって、嫌な顔をされてしまったけど」
「さすがの親父も、他のフィライン・エデンの猫と同じく肉は食べんっちゃか。ムシャムシャいってもおかしくない風貌やったばってん」
「むしろ、ご飯食べる方が意外だけど。チエアリってご飯食べんの?」
「でも、ガオンは血を流していたくらいだから、普通のチエアリとは違うのよね?」
「あ、そっか」
 氷架璃と芽華実の議論に、なぜか目をぱちぱちさせていた雷志だが、雷奈に視線で先を促され、再び口を開いた。表情を少しだけ曇らせながら。
「そうして、ある種の逢瀬を重ねていくうちに……一か月くらいたったころかしら、ついに打ち明けてくれたの。自分が……未来から来たこと」
 その時の雷志の衝撃たるや、察するに余りある。実際に時間飛躍の経験がある雷奈達でさえ、その事実を最初に耳にした時は驚愕したものだ。まして、もっと平凡なフィライン・エデン生活を送っていたらしい雷志には、目の前の男がタイムスリップしてきたなど、受け入れ難い事実だっただろう。
「母さんは……すぐに信じられたと?」
「私も、初めは聞き間違いかと思ったわ。でも、源子はそれを可能にするとは聞いていたし、フィライン・エデンへ行けること自体が空間飛躍だから、時間飛躍の結果を目の当たりにしても抵抗がなかったというか」
 彼女の言には雷奈達も同感だった。一度日常から足を踏み外してしまえば、向こう側がどれほど深い非日常であったとしても、もはや日常ではない点で変わりがない。この二年間で身をもって感じてきたことだ。
「ただ、猫力学者なのに時間飛躍できたというのは驚きだったわ。そういうのは時空学の領域と聞いていたから」
「それはチエアリとしての能力っちゃろね。チエアリになってから、フィライン・エデンを破壊して、過去に飛んだとすれば、辻褄も合うし」
 腕組みして言う雷奈に、氷架璃と芽華実はうんうんと頷いていた一方で、雷志は訝しげに首を傾げた。
「あの、雷奈ちゃん」
「うん?」
「さっき氷架璃ちゃんと芽華実ちゃんも言ってたけれど……ガオンさんは、チエアリだったの? それに、チエアリにって……?」
「あ……そっか」
 選ばれし人間ならば、一度は聞いたことがあるだろうフィライン・エデンの訓戒。罪を犯した猫は、クロになる。けれど、そのメカニズムが明らかになったのはつい最近のことだし、フィライン・エデンの住人でも、実際に目の当たりにしたことのない者たちは半信半疑でいた。先立って耳にしていたその話を、雷奈達が信じるようになったのは、他でもない霞冴のクロ化の一件以来だ。
 雷奈達は反射的に、一瞬だけ霞冴に視線を投じてしまった。本人と目が合い、バツが悪そうにしていると、霞冴は最初から分かっていたように「私が話します」と口を開いた。
 自分がクロ化したことがあること、とはいえ罪を犯したわけではなく、心身ともに弱ったせいで源子に食われかけたためということ。その延長線で、クロ化するならチエアリ化する可能性もあることを、雷志の反応をうかがいながら丁寧に説明した。
 感受性の高い雷志は、時に「まあ」と驚き、時に霞冴の辛苦に寄り添うように頷きながら、最後まで聞いていた。話に区切りがついたところで、彼女はほうっとため息をついて雷奈を振り返り見た。
「何というか……今回のワープフープ解放がイレギュラーだとはウィンディから聞いていたけれど、ずいぶんな冒険をしているのね、雷奈ちゃん達……」
「そうっちゃね。君臨者の遣いが来るなんて、前代未聞っちゃろうし」
「それで、ガオンさんはチエアリに転じたせいでフィライン・エデンを破滅させてしまった……かもしれないということなのね」
 雷志はその事実を反芻するように、小さなおとがいに手を当ててゆっくりと瞬きをした。彼女の繊細な仕草と空気をレイピアで突き崩すが如く、雷華が単刀直入に問う。
「ガオンは自身がチエアリになったことなど口にしていなかったか? あるいは、それを匂わせるような発言や挙動は?」
「いいえ……私はチエアリを見たことがないから、言葉の表面からしかうかがい知れないけれど、少なくともチエアリやクロを匂わせるようなことを言っていた覚えはないわ」
 心の整理を待たない雷華の言葉にも落ち着いて答える雷志は、さすが母の貫禄をまとっているといえた。
「まだ女子高生だった私にとって、道で出会っただけの大人の男の人なんて、脅威であってもおかしくなかったはず。だけど、そんな警戒も忘れてしまうほどに、彼は攻撃性とか、そういうものから遠い存在に見えたの。……だから」
 雷志は一度、せつなげにまぶたを下ろし、伏し目がちに開いた。
「だから、六月のあの日の告白を、私はずっと信じられなかった。……十数年後、彼が私に再び赤い目を向けるまでは」
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