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11.七不思議編
55焔フォーミュラ ③
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「……は?」
間の抜けた声は、ホムラのものだった。だが、全員が同じような顔をしていた。
一人を除いて。
「……いいの、よね?」
冷酷な炎を亡き者にしたのは、輪をかけて冷酷な極寒の風。
その風上を、見る。まるでのぞいてはならない深淵をのぞき込むかのような、胸の底冷えを抱きながら。
「こいつ、チエアリ、だもの……強敵、だもの」
顔の半分を血まみれにしたまま、ゆらりと立ち上がる姿。黒髪を乱し、服のあちこちに擦り跡を残したボロボロの風体なのに、見る者の腹の中に氷を落とす異様な空気を放つのは、イカロスを落とす少女。
「手加減、しなくて、いいのよね? 本気で暴れて、いいのよね?」
声は、笑っていた。少し前まで、雷奈たちと気さくに言葉を交わしあっていたのと同じ声は、同じように笑っていたはずなのに――雷奈たちの喉を、凍てつかせる。
ホムラも、彼女を見つめたまま、微動だにしない。
誰もが一切の行動を封じられた、凍りついた時を、甲高い声が砕き破った。
「いいのよねぇ!?」
吹き荒れる寒波。種子島の吹雪の比ではない氷点下の風。下手すれば心臓麻痺でも起こせる極寒をもたらしたせつなの目は、理性を手放した獣のものだった。
「……ッ!」
怖気に震えたホムラが、せつなの周囲に爆発を起こした。起こそうと、した。
だが、生じたのは、目標地点で氷が砕け散るという現象だけ。
「なっ……何……!?」
続けざまに源子を操り、爆破を試みる。しかし、何度やっても同じことだった。
せつなはその場から一歩も動いていない。にもかかわらず、ホムラは、じり、と後ろ足を退かされた。
息絶え絶えに、「まさか」とつぶやく。
「爆発地点を、直前に凍らせてる……!?」
つまり、小さな火種の段階で凍らせ、爆発の威力を最低限に押さえ込んでいる。
そう見抜いたホムラの言葉に、せつなが野生の猫のような瞳で嗤う。
ホムラはヒステリックに叫んだ。
「バカな! どこで爆発が起きるかなんて、事前にわかるわけ……!」
ああ、と思った。
何とか起き上がった雷奈も、気絶したままのルシルを支え起こした氷架璃も、なぎなたの柄を抱き寄せて後ずさる芽華実も、思い知った。焦りをにじませるホムラとは対照的に、静かに悟っていた。
――源子の残滓を読み取れるのがわたしの特技っていうのは確かなんだけど、ユキナもできないわけじゃないんだよ。
――ユキナのほうがすごいんだ。
まさか、とどこかで疑っていた。
だが、ミストの言っていたことは、真実だった。
これが、彼女を上回る源子の感知能力。パートナーの専門をも凌駕する才能。
「あははっ……あははハハハッ!」
哄笑を響かせながら掲げたせつなの左手から、信じられない数の氷のつぶてが飛んだ。横殴りの雹がことごとく襲ってくるような猛攻に、さしものチエアリも回避に徹するしかない。むしろ、避けられているだけでも奇跡だろう。
右往左往を余儀なくされていたホムラは、直後、足元から突き出た氷塊に跳ね飛ばされた。そこへ、雪の粒を伴う猛吹雪が迫る。
「くうっ……!」
氷漬けにされる直前、自らの周りに炎をまとって防御、難を逃れて着地すると、すぐさま走り出す。その後を追って、間髪入れずに無数のつららが上から襲い掛かった。
もはや、落下してくるつららと、地面に墜落して砕け散る破片で覆いつくされ、その中心で逃げ惑うホムラの姿がわずかしか垣間見えない。太く大きなつららは、炎による融解など待ってくれない。
「アハハハハ!」
まるで何かにとりつかれているかのように、せつなは笑いながらホムラを蹂躙する。その様子は、力加減を知らない子供が、遊び半分に小さな動物の限界を知ろうとなぶるかのよう。
詠唱もなく、言霊もなく、刀印もなく、集中する様子もなく、ただ片手を突き出して笑うだけで、この威力。
下手をすれば、彼女一人でチエアリに匹敵するのではないか。そう薄ら寒さを感じさせるほど。
ひっきりなしに続く氷の割れる音か、狂気じみた笑い声かが、氷架璃の腕の中のルシルを揺り起こした。ん、と声を漏らし、ぼんやりとまぶたを上げる。
「起きたか、隊長。情けないぞ、研究者が意気揚々とお転婆してるってのに」
「……私は……」
呟いた後、ルシルは目の前で繰り広げられる激闘――というより暴虐の限りに、ハッと飛び起きる。
「ちょ、急に動くな」
「誰か……あいつを止めろ」
まだくらくらするのか、立ち上がれないまま声を絞り出す。
戦闘員でもないせつなを巻き込むわけにはいかないと思っているのだろう。氷架璃も、ルシルの目覚めに気づいた雷奈と芽華実も、そう思った。
だから、呆れた様子の氷架璃が発した言葉にもうなずくだけだった。
「心配しなくても、十分強いじゃんか。私たちが出たって、足手まといになるだけ……」
「違う!」
牙をむいて、一喝。そこで初めて、三人は何か思い違いをしていることに気づいた。
「ルシル……?」
「ダメなんだ! 頼む、誰でもいい、あいつを止めてくれ!」
這ってでも止めんとするかのようにもがき、必死の形相で叫ぶルシル。彼女がここまで鬼気迫った焦りを見せるのは珍しい。かつて一度だけ、闇に堕ちかけた大切な親友を連れ戻そうとした時以来だろう。
あの時と同じ顔で、ルシルは全身全霊の声を張り上げた。
「あいつに……せつなにこれ以上猫力を使わせるな!」
爆発音。
見ると、複数個所で同時に爆炎を巻き起こしてつららを凌いだホムラが、ようやく氷の監獄から抜け出すところだった。
「はあっ、はあっ、は……っ」
あのチエアリが、喘いでいる。恨めしそうにせつなをねめつけて。
一方のせつなも、疲労が来ているのか、ようやく五月雨のごとき攻撃をやめた。まとっていた荒れ狂うオーラも落ち着き、その瞳にはいつもの彼女が映し出されていた。
「ハハ……あはは。久しぶりだわ、こんなに抑圧から解放されたのは」
それでも、チエアリに向ける敵意は消えず、受け手のホムラは引きつった笑いで皮肉を飛ばした。
「あなた、本当にバケモノよ。希兵隊より源子の扱いがうまいんじゃないの」
「あまり希兵隊と比べないでちょうだい。希兵隊は、私のコンプレックスだから」
存外に穏やかに、せつなは言った。そして、初めて左手に刀印を形作ると、ゆっくりと天に掲げる。
「かわいい従妹も、頼もしい幼馴染も、上京して希兵隊になった。希兵隊員として、今も咲き誇っている。けれど、私の病弱体質じゃ、それは叶わなかった」
目を閉じ、ゆっくりと語るせつなの声は、どこか切なげだ。白い肌も、線の細さも、今まで雷奈たちの目にそうは映らなかったのに、初めて儚く見えた。
たゆたう冷気に髪を揺らしながらも、微動だにしないせつなだが、何か仕掛けてくるのは確かだ。
ホムラが、警戒に体勢を整えかけた瞬間。
ベキン。
一瞬だった。まばたきの直後、景色が一変していた。モータープールの中央部、ホムラを中心として円を描くように、アスファルトの地面が凍り付いていた。厳密には、アスファルトの上に厚い氷が張ったのだろうが、とかく、ホムラは四肢を氷に縫い留められる形となった。
「なっ……」
「それでも、私は箱庭を出たかった。自分にできることで、彼らと同じように広い世界で咲き誇りたかった私は……自分の咲き場所に、象牙の塔を選んだ」
すぐさま四肢の先に炎をともし、足枷を溶かす。だが、それすら待たずに、ホムラを四方から囲む、荒削りの氷の壁がそびえたった。さらに、唯一の逃げ口だった上方を、突如現れた巨大な氷塊が塞いだ。
ホムラを完全に閉じ込めた無骨な直方体。
それはまるで、氷の棺。
「私は挫折を味わった。苦悩の末に妥協もした。だけど」
彼女は言った。希兵隊はコンプレックスだと。
そう至らしめた体質ではなく、叶わなかった夢を劣等感だと言い切った。
「だけど、戦闘員になるには脆すぎたとしても、この体だからできることもある。この体に土足で入り込んで、体内を荒らしまわっていく源子をひっ捕まえて従えられたなら!」
凛と見開いた瞳に、儚さは微塵もない。
屈辱の末、懊悩の果てに手を取り合った逆境。彼女は静かに、けれどこの上なく誇らしげに、その名を口にした。
「ただの可哀想な病弱体質なんかじゃ終わらせない。――才能よ、源子侵襲症は」
同時、振り下ろされる刀印。共鳴した上部の氷塊が震えて、形を変え――水となって棺の中に降り注ぐ。融けたそばから新しい氷が継ぎ足されるように構成され、次の瞬間には溶けて棺の中を満たしていく。
ごつごつとした壁の内側で、光の乱反射で形も曖昧なホムラの声が、くぐもりながら聞こえる。
「氷猫が水を……!? 複数猫力ですって!?」
「いいえ」
せつなは夕焼けのごとく静かなまなざしで答えた。
「ただ、巨人の肩の上に立っただけよ」
全ての氷塊が融け切り、棺にふたをするのは水面のみとなった。手足で水をかいているのだろう、黒い影が水中を上昇していく。
だが、その顔が水面から出るより早く。
「奔れ……超電流!」
稲妻一閃、鉄槌の雷が打ち落された。空気を切り割く雷鳴が轟く。
ここを逃してたまるものかと、雷奈が座り込んだまま手を掲げていた。
水面に落ちた雷は、水で満たされた棺の中で荒れ狂う。明滅しながら、氷の壁越しにまばゆく発光するさまは、まるで間接照明のスタンドライトか何かのようだ。
裂帛の大音響は、雷奈の追撃の電撃によるものか、はたまたホムラの断末魔か。それがわからない以上は、頭の痛くなるようなフラッシュの中でも、目をそらすわけにはいかない。
もし、ホムラが生きて這い出てきたら、その時こそ息の根を止める。その意気で、氷架璃と芽華実も肩に緊張感を走らせながら行方を見守っていた。
やがて、雷奈の息切れとともに、雷光は残響を残して消えた。
氷の造形は、しばらくそのまま立ちすくんでいた。だが、やがて、ぴしりぴしりと亀裂を走らせ――大往生の音とともに、崩落した。
身構える。中から出て来たものを、目を皿のようにして観察する。
残骸となった氷片。
そこから、器を失って流れ出てきたのは――大量の水。
それだけだった。
「ふう……」
手を下ろし、ぺたんと地面につくと、雷奈は大息を吐いた。背中の痛みはようやく収まってきたところだ。
「大丈夫、雷奈!?」
「なんとか……あ、電線は無事っちゃか?」
「電線より自分の心配でしょ。……今回は大丈夫よ。そのうち誰か野次馬に来るかもしれないけれど」
「早く立ち去らんといかんねー……」
なぎなたの柄を握ったまま駆け寄ってきた芽華実の手を借り、雷奈はよいしょと立ち上がった。以前ならしばらく起き上がれなかっただろうが、ガオン戦で負ったケガを思えば、こんなダメージなどよほどマシだ。ずいぶんタフになったものである。
他のみんなは無事か、と顔を上げると同時、水の跳ねる音がした。
「せつな!」
ルシルの悲鳴。
氷架璃と、その腕からすり抜けて駆け寄ってきたルシルの前で、浅い水たまりの中にせつなが沈んでいた。
「せつな……!」
「大丈夫っちゃか!?」
芽華実と雷奈も駆け寄る。倒れこんだせつなの顔には、水しぶきではない水滴がいくつも流れ、濃い苦悶の色が浮かんでいた。両手でみぞおちから腹部にかけてを握りしめ、体をくの字に折り曲げて苦しんでいる。
ルシルは荒っぽくも素早い動きで、せつなのスカートのポケットに手を突っ込んだ。そして、中の布地をひっくり返す勢いで、入っていたものを取り出すと、オナモミのチャームの位置がずれるのもいとわず、せつなの首に巻き付けた。
薄く開いた彼女の瞳の赤が、眠るように黒く変色する。
「……ル、シ……」
「しっかりしろ、すぐに処置を手配する! そのままゆっくり呼吸してろ!」
「ルシルさん」
悲痛な声で叫んでいたルシルが、聞きなれた声にハッと顔を上げる。雷奈たちも振り返ると、執行着姿のメル、そのあとを続く二匹の猫たち、そして人間姿のミストが駆けつけたところだった。
「おケガは」
「至急、本部に連絡してくれ。重症だ、発作を起こしている」
「了解です」
メルの声掛けは最小限で、すでにピッチを耳に当てていた。彼女も手練れのプロである。
その横をすり抜け、ミストがせつなのそばに駆け寄った。ワンピースの裾が水に浸るのも構わず座り込むと、せつなの上体を抱き起す。
「ユキナ」
呼びかけても、細い息を繰り返すだけのせつなは、すでに意識が混濁しかけていた。
ミストは、片手で彼女の肩を支えながら、もう片方の手にすでに握っていた小さなチューブ容器を、自身の口元にもっていった。黄みがかった液体で満たされたそれの、細くなった先端の切り口を噛みちぎって開封。すかさず、せつなの半開きの口に突っ込んだ。
「飲んで」
ぼんやりとした眼のままだが、親友の声は届いたらしく、せつなの喉が少しずつ動く。口の端から一筋、あごに伝わせながらも、五ミリリットルほどの液体を飲み干すと、ほんのわずか、は、と息を吐いた。
それを最後に、せつなは力尽きたようにまぶたを閉じ、完全に意識を手放した。
間の抜けた声は、ホムラのものだった。だが、全員が同じような顔をしていた。
一人を除いて。
「……いいの、よね?」
冷酷な炎を亡き者にしたのは、輪をかけて冷酷な極寒の風。
その風上を、見る。まるでのぞいてはならない深淵をのぞき込むかのような、胸の底冷えを抱きながら。
「こいつ、チエアリ、だもの……強敵、だもの」
顔の半分を血まみれにしたまま、ゆらりと立ち上がる姿。黒髪を乱し、服のあちこちに擦り跡を残したボロボロの風体なのに、見る者の腹の中に氷を落とす異様な空気を放つのは、イカロスを落とす少女。
「手加減、しなくて、いいのよね? 本気で暴れて、いいのよね?」
声は、笑っていた。少し前まで、雷奈たちと気さくに言葉を交わしあっていたのと同じ声は、同じように笑っていたはずなのに――雷奈たちの喉を、凍てつかせる。
ホムラも、彼女を見つめたまま、微動だにしない。
誰もが一切の行動を封じられた、凍りついた時を、甲高い声が砕き破った。
「いいのよねぇ!?」
吹き荒れる寒波。種子島の吹雪の比ではない氷点下の風。下手すれば心臓麻痺でも起こせる極寒をもたらしたせつなの目は、理性を手放した獣のものだった。
「……ッ!」
怖気に震えたホムラが、せつなの周囲に爆発を起こした。起こそうと、した。
だが、生じたのは、目標地点で氷が砕け散るという現象だけ。
「なっ……何……!?」
続けざまに源子を操り、爆破を試みる。しかし、何度やっても同じことだった。
せつなはその場から一歩も動いていない。にもかかわらず、ホムラは、じり、と後ろ足を退かされた。
息絶え絶えに、「まさか」とつぶやく。
「爆発地点を、直前に凍らせてる……!?」
つまり、小さな火種の段階で凍らせ、爆発の威力を最低限に押さえ込んでいる。
そう見抜いたホムラの言葉に、せつなが野生の猫のような瞳で嗤う。
ホムラはヒステリックに叫んだ。
「バカな! どこで爆発が起きるかなんて、事前にわかるわけ……!」
ああ、と思った。
何とか起き上がった雷奈も、気絶したままのルシルを支え起こした氷架璃も、なぎなたの柄を抱き寄せて後ずさる芽華実も、思い知った。焦りをにじませるホムラとは対照的に、静かに悟っていた。
――源子の残滓を読み取れるのがわたしの特技っていうのは確かなんだけど、ユキナもできないわけじゃないんだよ。
――ユキナのほうがすごいんだ。
まさか、とどこかで疑っていた。
だが、ミストの言っていたことは、真実だった。
これが、彼女を上回る源子の感知能力。パートナーの専門をも凌駕する才能。
「あははっ……あははハハハッ!」
哄笑を響かせながら掲げたせつなの左手から、信じられない数の氷のつぶてが飛んだ。横殴りの雹がことごとく襲ってくるような猛攻に、さしものチエアリも回避に徹するしかない。むしろ、避けられているだけでも奇跡だろう。
右往左往を余儀なくされていたホムラは、直後、足元から突き出た氷塊に跳ね飛ばされた。そこへ、雪の粒を伴う猛吹雪が迫る。
「くうっ……!」
氷漬けにされる直前、自らの周りに炎をまとって防御、難を逃れて着地すると、すぐさま走り出す。その後を追って、間髪入れずに無数のつららが上から襲い掛かった。
もはや、落下してくるつららと、地面に墜落して砕け散る破片で覆いつくされ、その中心で逃げ惑うホムラの姿がわずかしか垣間見えない。太く大きなつららは、炎による融解など待ってくれない。
「アハハハハ!」
まるで何かにとりつかれているかのように、せつなは笑いながらホムラを蹂躙する。その様子は、力加減を知らない子供が、遊び半分に小さな動物の限界を知ろうとなぶるかのよう。
詠唱もなく、言霊もなく、刀印もなく、集中する様子もなく、ただ片手を突き出して笑うだけで、この威力。
下手をすれば、彼女一人でチエアリに匹敵するのではないか。そう薄ら寒さを感じさせるほど。
ひっきりなしに続く氷の割れる音か、狂気じみた笑い声かが、氷架璃の腕の中のルシルを揺り起こした。ん、と声を漏らし、ぼんやりとまぶたを上げる。
「起きたか、隊長。情けないぞ、研究者が意気揚々とお転婆してるってのに」
「……私は……」
呟いた後、ルシルは目の前で繰り広げられる激闘――というより暴虐の限りに、ハッと飛び起きる。
「ちょ、急に動くな」
「誰か……あいつを止めろ」
まだくらくらするのか、立ち上がれないまま声を絞り出す。
戦闘員でもないせつなを巻き込むわけにはいかないと思っているのだろう。氷架璃も、ルシルの目覚めに気づいた雷奈と芽華実も、そう思った。
だから、呆れた様子の氷架璃が発した言葉にもうなずくだけだった。
「心配しなくても、十分強いじゃんか。私たちが出たって、足手まといになるだけ……」
「違う!」
牙をむいて、一喝。そこで初めて、三人は何か思い違いをしていることに気づいた。
「ルシル……?」
「ダメなんだ! 頼む、誰でもいい、あいつを止めてくれ!」
這ってでも止めんとするかのようにもがき、必死の形相で叫ぶルシル。彼女がここまで鬼気迫った焦りを見せるのは珍しい。かつて一度だけ、闇に堕ちかけた大切な親友を連れ戻そうとした時以来だろう。
あの時と同じ顔で、ルシルは全身全霊の声を張り上げた。
「あいつに……せつなにこれ以上猫力を使わせるな!」
爆発音。
見ると、複数個所で同時に爆炎を巻き起こしてつららを凌いだホムラが、ようやく氷の監獄から抜け出すところだった。
「はあっ、はあっ、は……っ」
あのチエアリが、喘いでいる。恨めしそうにせつなをねめつけて。
一方のせつなも、疲労が来ているのか、ようやく五月雨のごとき攻撃をやめた。まとっていた荒れ狂うオーラも落ち着き、その瞳にはいつもの彼女が映し出されていた。
「ハハ……あはは。久しぶりだわ、こんなに抑圧から解放されたのは」
それでも、チエアリに向ける敵意は消えず、受け手のホムラは引きつった笑いで皮肉を飛ばした。
「あなた、本当にバケモノよ。希兵隊より源子の扱いがうまいんじゃないの」
「あまり希兵隊と比べないでちょうだい。希兵隊は、私のコンプレックスだから」
存外に穏やかに、せつなは言った。そして、初めて左手に刀印を形作ると、ゆっくりと天に掲げる。
「かわいい従妹も、頼もしい幼馴染も、上京して希兵隊になった。希兵隊員として、今も咲き誇っている。けれど、私の病弱体質じゃ、それは叶わなかった」
目を閉じ、ゆっくりと語るせつなの声は、どこか切なげだ。白い肌も、線の細さも、今まで雷奈たちの目にそうは映らなかったのに、初めて儚く見えた。
たゆたう冷気に髪を揺らしながらも、微動だにしないせつなだが、何か仕掛けてくるのは確かだ。
ホムラが、警戒に体勢を整えかけた瞬間。
ベキン。
一瞬だった。まばたきの直後、景色が一変していた。モータープールの中央部、ホムラを中心として円を描くように、アスファルトの地面が凍り付いていた。厳密には、アスファルトの上に厚い氷が張ったのだろうが、とかく、ホムラは四肢を氷に縫い留められる形となった。
「なっ……」
「それでも、私は箱庭を出たかった。自分にできることで、彼らと同じように広い世界で咲き誇りたかった私は……自分の咲き場所に、象牙の塔を選んだ」
すぐさま四肢の先に炎をともし、足枷を溶かす。だが、それすら待たずに、ホムラを四方から囲む、荒削りの氷の壁がそびえたった。さらに、唯一の逃げ口だった上方を、突如現れた巨大な氷塊が塞いだ。
ホムラを完全に閉じ込めた無骨な直方体。
それはまるで、氷の棺。
「私は挫折を味わった。苦悩の末に妥協もした。だけど」
彼女は言った。希兵隊はコンプレックスだと。
そう至らしめた体質ではなく、叶わなかった夢を劣等感だと言い切った。
「だけど、戦闘員になるには脆すぎたとしても、この体だからできることもある。この体に土足で入り込んで、体内を荒らしまわっていく源子をひっ捕まえて従えられたなら!」
凛と見開いた瞳に、儚さは微塵もない。
屈辱の末、懊悩の果てに手を取り合った逆境。彼女は静かに、けれどこの上なく誇らしげに、その名を口にした。
「ただの可哀想な病弱体質なんかじゃ終わらせない。――才能よ、源子侵襲症は」
同時、振り下ろされる刀印。共鳴した上部の氷塊が震えて、形を変え――水となって棺の中に降り注ぐ。融けたそばから新しい氷が継ぎ足されるように構成され、次の瞬間には溶けて棺の中を満たしていく。
ごつごつとした壁の内側で、光の乱反射で形も曖昧なホムラの声が、くぐもりながら聞こえる。
「氷猫が水を……!? 複数猫力ですって!?」
「いいえ」
せつなは夕焼けのごとく静かなまなざしで答えた。
「ただ、巨人の肩の上に立っただけよ」
全ての氷塊が融け切り、棺にふたをするのは水面のみとなった。手足で水をかいているのだろう、黒い影が水中を上昇していく。
だが、その顔が水面から出るより早く。
「奔れ……超電流!」
稲妻一閃、鉄槌の雷が打ち落された。空気を切り割く雷鳴が轟く。
ここを逃してたまるものかと、雷奈が座り込んだまま手を掲げていた。
水面に落ちた雷は、水で満たされた棺の中で荒れ狂う。明滅しながら、氷の壁越しにまばゆく発光するさまは、まるで間接照明のスタンドライトか何かのようだ。
裂帛の大音響は、雷奈の追撃の電撃によるものか、はたまたホムラの断末魔か。それがわからない以上は、頭の痛くなるようなフラッシュの中でも、目をそらすわけにはいかない。
もし、ホムラが生きて這い出てきたら、その時こそ息の根を止める。その意気で、氷架璃と芽華実も肩に緊張感を走らせながら行方を見守っていた。
やがて、雷奈の息切れとともに、雷光は残響を残して消えた。
氷の造形は、しばらくそのまま立ちすくんでいた。だが、やがて、ぴしりぴしりと亀裂を走らせ――大往生の音とともに、崩落した。
身構える。中から出て来たものを、目を皿のようにして観察する。
残骸となった氷片。
そこから、器を失って流れ出てきたのは――大量の水。
それだけだった。
「ふう……」
手を下ろし、ぺたんと地面につくと、雷奈は大息を吐いた。背中の痛みはようやく収まってきたところだ。
「大丈夫、雷奈!?」
「なんとか……あ、電線は無事っちゃか?」
「電線より自分の心配でしょ。……今回は大丈夫よ。そのうち誰か野次馬に来るかもしれないけれど」
「早く立ち去らんといかんねー……」
なぎなたの柄を握ったまま駆け寄ってきた芽華実の手を借り、雷奈はよいしょと立ち上がった。以前ならしばらく起き上がれなかっただろうが、ガオン戦で負ったケガを思えば、こんなダメージなどよほどマシだ。ずいぶんタフになったものである。
他のみんなは無事か、と顔を上げると同時、水の跳ねる音がした。
「せつな!」
ルシルの悲鳴。
氷架璃と、その腕からすり抜けて駆け寄ってきたルシルの前で、浅い水たまりの中にせつなが沈んでいた。
「せつな……!」
「大丈夫っちゃか!?」
芽華実と雷奈も駆け寄る。倒れこんだせつなの顔には、水しぶきではない水滴がいくつも流れ、濃い苦悶の色が浮かんでいた。両手でみぞおちから腹部にかけてを握りしめ、体をくの字に折り曲げて苦しんでいる。
ルシルは荒っぽくも素早い動きで、せつなのスカートのポケットに手を突っ込んだ。そして、中の布地をひっくり返す勢いで、入っていたものを取り出すと、オナモミのチャームの位置がずれるのもいとわず、せつなの首に巻き付けた。
薄く開いた彼女の瞳の赤が、眠るように黒く変色する。
「……ル、シ……」
「しっかりしろ、すぐに処置を手配する! そのままゆっくり呼吸してろ!」
「ルシルさん」
悲痛な声で叫んでいたルシルが、聞きなれた声にハッと顔を上げる。雷奈たちも振り返ると、執行着姿のメル、そのあとを続く二匹の猫たち、そして人間姿のミストが駆けつけたところだった。
「おケガは」
「至急、本部に連絡してくれ。重症だ、発作を起こしている」
「了解です」
メルの声掛けは最小限で、すでにピッチを耳に当てていた。彼女も手練れのプロである。
その横をすり抜け、ミストがせつなのそばに駆け寄った。ワンピースの裾が水に浸るのも構わず座り込むと、せつなの上体を抱き起す。
「ユキナ」
呼びかけても、細い息を繰り返すだけのせつなは、すでに意識が混濁しかけていた。
ミストは、片手で彼女の肩を支えながら、もう片方の手にすでに握っていた小さなチューブ容器を、自身の口元にもっていった。黄みがかった液体で満たされたそれの、細くなった先端の切り口を噛みちぎって開封。すかさず、せつなの半開きの口に突っ込んだ。
「飲んで」
ぼんやりとした眼のままだが、親友の声は届いたらしく、せつなの喉が少しずつ動く。口の端から一筋、あごに伝わせながらも、五ミリリットルほどの液体を飲み干すと、ほんのわずか、は、と息を吐いた。
それを最後に、せつなは力尽きたようにまぶたを閉じ、完全に意識を手放した。
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