39 / 114
12.文武抗争編
58開戦の狼火 ①
しおりを挟む
修学旅行の夜は、昼よりも盛り上がる――などとは、よく言ったものだ。
そしてそれは、修学旅行に限らない。とかく、少人数で、目的的に訪れた、いつもと違う場所で夜を越すというのは、ある種の高揚感をもたらす。いつもならけだるく過ごす就寝までの時間を、話題に次ぐ話題で食いつぶしていくのだ。
例えばそれが、年に何度か、一ヶ月間続くものであっても、少なくとも初めの数日間はそうであり。
例えばそれが、フィライン・エデンの治安を守る戦闘集団であっても、平時の間はそうなのだ。
「ねえ、タクミ。あんたは?」
「え?」
「憧れの先輩が誰かって話よ。次はあんたの番」
主体姿の後輩たちと額を寄せ合っていた、同じく主体姿の少女猫が、備品リストに目を通していた気弱そうな少年猫を振り返っていた。遠征一日目の夜、たまにしか来ないこの駐屯所の備品の位置や在庫を確認しようとしていた律儀な光猫・巧光は、この九番隊の隊長だ。そして、そんな用心深く几帳面な彼を、娯楽的な会話に無理やり引き入れようとする草猫・蓮華が、彼の相棒、すなわち副隊長である。
フィライン・エデン南部地方、それも飛壇から見て真南にある、高台の淵から道路や向こうの森を臨む屋舎でのこと。
「憧れっていうか……尊敬するのは、大和隊長?」
「納得いくわ。しっかりしてらっしゃるもの。あんたも隊長なら、あれくらいの威厳見せなさいよ」
「見せられてないから彼を尊敬してるんじゃないか……」
こんな風に言い負かされるのもいつものことである。
「そういや、あんたはコウさんのことどう思うの、こるり。同じ鋼猫として」
「キライですっ」
新人の琥瑠璃《こるり》は、その名の由来となった黄褐色の毛を逆立て、青紫の目を吊り上げた。
「何かにつけて、あのひとと比べられるんですもん! あたしは多様な武器の生成も、体への鋼の特性の付与も苦手です。それが際立つんですよっ!」
「逆に彼を目標として頑張る……ってことにはならないの?」
「あんなの目標にしたら、挫折しか見えませんよっ。だったらあたしは、得意な剣術をもっと磨いて、霞冴さんみたいになりたいです!」
「でも、お前、以前本部の廊下で派手に転んだとき、コウさんに声かけてもらって顔赤くしてたじゃねえか」
「ちょっ……それ言う!?」
余計な一言を口走った同期の少年隊員をぽかぽか殴り出すこるり。「ちなみに副隊長は?」と訊かれて「うーん、ルシルさんと霊那さんで迷うのよ……足して二で割った感じ?」と答える蓮華。まるで緊張感のない隊員たちに、さすがの及び腰隊長も小言を漏らした。
「あのさ、キャンプじゃないんだから、もうちょっと気を引き締めようよ」
「何よ、今は何も起こってないんだから、親睦くらい深めさせなさいよ」
間髪入れずに言い返す蓮華に、うっと気圧されながらも、タクミは反論する。
「そんなに話に夢中になってて、何か起こったらすぐに出動できるの?」
「できるわよ」
つーん、と背筋を伸ばして蓮華は豪語。
「警報が鳴ったらちゃんと仕事モードに早変わりしますぅー。でも、今は穏やかなんだから、息抜きくらいさせてよ。見なさい、窓の向こうの森を。しーんと平和に静まり返った……」
――平和に静まり返った、森の中心から。
直後、天にも届く激しい火柱が上がった。
***
「昨日の晩のことなんだけどね」
美雷の代理でやってきた霞冴は、護衛官としてではなく副最高司令官として、口を開いた。
「希兵隊執行部の三番隊から九番隊は、持ち回りで東西南北に駐在してるって話は知ってるよね。そのうち、南部地方に派遣されていた九番隊が、気になることを報告してきたんだよ」
「気になること?」
制服姿で畳に正座した雷奈が問う。テーブルの上には、氷を浮かべた麦茶と長野土産のクリーム入り欧風せんべい。またも行き先の変わった今年の修学旅行は、先月六月に行ってきたところだ。
霞冴は、「うん」と頷いて、
「南部地方には、水守《みかみ》の森っていう森があって、派遣隊の駐屯所はその近くにあるんだよね。で、その窓から、森からとんでもない火柱が上がったのが見えたっていう」
「山火事か?」
「いやー、山火事みたいな燃え方じゃなかったみたいだよ。突然、一地点から、噴き上げるように上がったっていうから」
「それで、九番隊は出動したの?」
氷架璃に次いで、隣に座る芽華実が尋ねると、霞冴は「もちろん」と首肯した。
「様子を見に行って、火柱の根元を探してたんだけど、それを見つける前に、何者かから攻撃を受けたらしくてね。ああ、ケガは擦り傷くらいで、みんな無事だったんだけど」
「それでも穏やかじゃないね。それで?」
「すぐ撤退したよ」
「なんで!?」
当然立ち向かったと思っていたアワは、豆鉄砲を食らったように叫んだ。もう少しタイミングがずれていたら、今まさに口にしようとしていたお茶を、いつものローテーブルを挟んで向かいに座る氷架璃に噴射するところだった。
アワの態度に、霞冴は責められたような気分になって唇を尖らせた。
「だって、センサーに反応がなかったんだもん」
「それって、つまり……」
フーが恐る恐る尋ねる。その先を、雷奈がため息交じりに暴いた。
「クロでもダークでもなく、チエアリの可能性があった、ってことったいね」
「そ」
霞冴がぱちんと指を鳴らした。
「強いもの順の執行部の九番隊だよ? 九あるうちの九番目だよ? チエアリとなんて戦わせられないでしょ」
「何のための派遣隊だよ」
「仕方ないじゃん。チエアリがそうホイホイ出てくることなんて想定してないの。いざって時は戦闘力の高い隊員による特別編成隊を派遣することになってるの」
そう言って霞冴がこくこくお茶を飲みだす間に、雷奈が「あーもう」と天を仰いだ。
「ついこの間、炎のチエアリば倒したところなのに!」
「二号機か? ホムラ二世か? それともホムラ・ジュニア?」
「それがさー、一概に炎のチエアリとは言えないんだよね」
「はたまたホムラ……え、なんて?」
「なぜそう思う?」
必要最低限の言葉で雷華が問うた。上座に座る霞冴は、角を挟んですぐ隣の雷華に、トーンを合わせた神妙な声で答えた。
「確かに火柱は上がった。でも、九番隊に加えられた攻撃は、水術によるものだったんだ」
「えっ……じゃあ」
雷奈たちは互いに顔を見合わせた。ここで、二つの可能性が浮上する。
「まさか、炎と水の二体のチエアリ?」
「それか、二種類の猫力を使うチエアリ……?」
「両方ありうるし、それ以外の可能性だってある」
甘く丸っこい声で紡がれるは、四角い座敷をきちんと四角く掃く発言だ。普段のんびりとしていて甘え上手な彼女だが、司令官の名は伊達ではない。
「っていうか、ガオンを倒して、生き残りのチエアリであるホムラも倒したのに、まだチエアリがいるってか?」
「チエアリは自然発生もするから、おかしくはないよ。先の侵攻だってそうだった。あのチエアリ軍は、ガオンとは関係なしに出現したはずだ」
霞冴のシアンの瞳に、にじむように痛みの色が浮かんだ。在りし日の何かを見ている目だった。
しかし、それも一瞬のことで、彼女の瞳はすぐに今の現実を、そして少し先の未来を見据えた。
「ただ、チエアリが発生した可能性がある一方で、美雷さんはもっともっと最悪の事態を危惧してる」
「最悪……」
「考えられうる最悪なんて、見えてるけどね。一応聞こうかな」
「ま、お察しの通りだよ」
苦虫を嚙み潰したような顔をするアワに、苦虫を諦めて飲み込んだような霞冴が肩をすくめて答えた。
「――ガオンが生きてた場合のこと」
同席者全員に苦虫が配膳された。
「だってそうでしょ。人間界に、またクロが現れたんだ。別の現象である可能性も視野に入れつつ、ガオンの再来を否定できないのは事実だ」
「そんな……」
あれだけの痛みを伴って、あれだけの恐怖を味わって、あれだけの絶望を突き付けられて、ようやく災厄の悪夢を目の前から消し去ることができたと思ったのに。消し去ったのではなく、ただ視界の外に隠れただけだったなど、阻喪のため息が出る。
だが、悄然としていられないのが希兵隊で。
「まあ、霊那隊と神座隊を全滅させたようなガオンが、あるいはその下にいるチエアリが、撤退する九番隊を追撃しなかったのは動機が不明なんだけど。備えておいて損はないかな、って感じ。で、念のため、明日にも水守の森に特別編成隊を派遣することになったんだ」
霞冴が挙げたメンバーの名前は、どれも精鋭隊にふさわしい、つわものたちのものだった。
一番隊隊長で執行部最強の大和鋼。
天真爛漫ながら、コウも認める副隊長の水鈴波音。
二番隊隊長で体術と頭脳戦を得意とする河道流知。
物悲しい顔をして情け容赦を知らない副隊長の天草芽瑠。
三番隊といえども引けを取らない女傑隊長、神守霊那。
霊那に寄り添う控えめな実力者、副隊長の遠野撫恋。
そして最後の一人は、希兵隊隊長にも匹敵する力を持つ、フィライン・エデンの血を引く者、三日月雷奈。
「……ってえええええ!?」
「五月蝿い」
氷架璃と芽華実の驚嘆を、雷華が一単語でぶった斬った。
それでも、ほとばしる驚愕は止まらない。
「なんで雷奈が希兵隊の精鋭隊に選ばれてんだよ!?」
「そうよ、チエアリと戦うんでしょう?」
「同感だね。正統後継者として見過ごせないな」
「人間をあえて危険なところへ赴かせるなんて」
「だったら私らも連れてけ!」
「運命共同体よ!」
「君たちィ!」
相変わらず血気盛んな少女たちに、当代の正統後継者はそろって頭を抱えた。
「あ、忘れてた。もう一人いたんだった」
「誰だ!?」
「現場指揮の那由他」
「……誰だ!?」
聞けば、総司令部員の少年だという。
「戦闘員でもない総司令部員が行って、一応戦える私達が行けないなんて、おかしいよなぁ!?」
「いや、ばってん」
特別編成隊に招待された唯一の人間が、そろりと手を上げる。思い出したのは、今日の放課後、帰宅途中で申し込まれたアポイントメントの電話だ。
「霞冴がここにくる前、美雷は電話で私に頼みがあるって言っとったよね? ってことは……」
「うん。氷架璃と芽華実は呼んでない」
「んだと、このチビ司令官が!」
「私じゃなくて美雷さんの決定だってば! っていうか暴言!」
猫の毛と同じように、アリスブルーの髪を逆立てんばかりに言い返した霞冴だが、呼吸一つで落ち着きを取り戻して、「それに」と付け加えた。
「言ったでしょ。美雷さんが警戒してるのは、ガオンの再来。雷奈はガオンが直接手を下せない、おそらく唯一の存在なんだ。しかも、実際にガオンを抑え込んだのも雷奈。雷奈が切り札なんだよ」
「私らだって……!」
「キミたち手も足も出なかったらしいじゃん」
「あんただって瞬殺されてただろーが!」
「私はそれまで敢闘しましたよーだ」
果たしてそうだっただろうか、と極寒の種子島での戦いを思い返す。
白い霧でガオンの視界を奪う霞冴。背後から急襲し、切り結ぶ霞冴。背中を思いきり斬りつける霞冴。
……なるほど、敢闘である。
「とにかく、雷奈さえよければ、明日の午後六時に希兵隊本部前に来てほしいんだけど」
「私はよかよ。お泊まりになるなら、おばさんに伝えとかんといかんけど」
「お手数かけるね」
ふにゃりと敬礼する霞冴に、アワとフーが不服を漏らす。
「ちょっと越権行為が過ぎるんじゃないかい」
「そうよ。私達がダメと言ったら、あなた達は下がらなければならないのよ」
「そお? でも、三枝岬で雷奈を守ったのはキミ達じゃなくて希兵隊なんだけどなー」
「……」
「過去世界への時間飛躍を許可したっていう前例もできちゃったしなー。その辺の整合性はどうするのかなー」
「……」
どちらの際にも雷奈は無事に帰還しており、自分たちは為す術もなかったと考えると、悲しいかな反論できないアワとフー。
忸怩たる思いに震えながら、「せめて氷架璃と芽華実だけは行かせないでおこうね……!」「そうね……!」と手を取り合う二人は、二対の双眸に策略の目で見つめられていることには気づいていなかった。
そしてそれは、修学旅行に限らない。とかく、少人数で、目的的に訪れた、いつもと違う場所で夜を越すというのは、ある種の高揚感をもたらす。いつもならけだるく過ごす就寝までの時間を、話題に次ぐ話題で食いつぶしていくのだ。
例えばそれが、年に何度か、一ヶ月間続くものであっても、少なくとも初めの数日間はそうであり。
例えばそれが、フィライン・エデンの治安を守る戦闘集団であっても、平時の間はそうなのだ。
「ねえ、タクミ。あんたは?」
「え?」
「憧れの先輩が誰かって話よ。次はあんたの番」
主体姿の後輩たちと額を寄せ合っていた、同じく主体姿の少女猫が、備品リストに目を通していた気弱そうな少年猫を振り返っていた。遠征一日目の夜、たまにしか来ないこの駐屯所の備品の位置や在庫を確認しようとしていた律儀な光猫・巧光は、この九番隊の隊長だ。そして、そんな用心深く几帳面な彼を、娯楽的な会話に無理やり引き入れようとする草猫・蓮華が、彼の相棒、すなわち副隊長である。
フィライン・エデン南部地方、それも飛壇から見て真南にある、高台の淵から道路や向こうの森を臨む屋舎でのこと。
「憧れっていうか……尊敬するのは、大和隊長?」
「納得いくわ。しっかりしてらっしゃるもの。あんたも隊長なら、あれくらいの威厳見せなさいよ」
「見せられてないから彼を尊敬してるんじゃないか……」
こんな風に言い負かされるのもいつものことである。
「そういや、あんたはコウさんのことどう思うの、こるり。同じ鋼猫として」
「キライですっ」
新人の琥瑠璃《こるり》は、その名の由来となった黄褐色の毛を逆立て、青紫の目を吊り上げた。
「何かにつけて、あのひとと比べられるんですもん! あたしは多様な武器の生成も、体への鋼の特性の付与も苦手です。それが際立つんですよっ!」
「逆に彼を目標として頑張る……ってことにはならないの?」
「あんなの目標にしたら、挫折しか見えませんよっ。だったらあたしは、得意な剣術をもっと磨いて、霞冴さんみたいになりたいです!」
「でも、お前、以前本部の廊下で派手に転んだとき、コウさんに声かけてもらって顔赤くしてたじゃねえか」
「ちょっ……それ言う!?」
余計な一言を口走った同期の少年隊員をぽかぽか殴り出すこるり。「ちなみに副隊長は?」と訊かれて「うーん、ルシルさんと霊那さんで迷うのよ……足して二で割った感じ?」と答える蓮華。まるで緊張感のない隊員たちに、さすがの及び腰隊長も小言を漏らした。
「あのさ、キャンプじゃないんだから、もうちょっと気を引き締めようよ」
「何よ、今は何も起こってないんだから、親睦くらい深めさせなさいよ」
間髪入れずに言い返す蓮華に、うっと気圧されながらも、タクミは反論する。
「そんなに話に夢中になってて、何か起こったらすぐに出動できるの?」
「できるわよ」
つーん、と背筋を伸ばして蓮華は豪語。
「警報が鳴ったらちゃんと仕事モードに早変わりしますぅー。でも、今は穏やかなんだから、息抜きくらいさせてよ。見なさい、窓の向こうの森を。しーんと平和に静まり返った……」
――平和に静まり返った、森の中心から。
直後、天にも届く激しい火柱が上がった。
***
「昨日の晩のことなんだけどね」
美雷の代理でやってきた霞冴は、護衛官としてではなく副最高司令官として、口を開いた。
「希兵隊執行部の三番隊から九番隊は、持ち回りで東西南北に駐在してるって話は知ってるよね。そのうち、南部地方に派遣されていた九番隊が、気になることを報告してきたんだよ」
「気になること?」
制服姿で畳に正座した雷奈が問う。テーブルの上には、氷を浮かべた麦茶と長野土産のクリーム入り欧風せんべい。またも行き先の変わった今年の修学旅行は、先月六月に行ってきたところだ。
霞冴は、「うん」と頷いて、
「南部地方には、水守《みかみ》の森っていう森があって、派遣隊の駐屯所はその近くにあるんだよね。で、その窓から、森からとんでもない火柱が上がったのが見えたっていう」
「山火事か?」
「いやー、山火事みたいな燃え方じゃなかったみたいだよ。突然、一地点から、噴き上げるように上がったっていうから」
「それで、九番隊は出動したの?」
氷架璃に次いで、隣に座る芽華実が尋ねると、霞冴は「もちろん」と首肯した。
「様子を見に行って、火柱の根元を探してたんだけど、それを見つける前に、何者かから攻撃を受けたらしくてね。ああ、ケガは擦り傷くらいで、みんな無事だったんだけど」
「それでも穏やかじゃないね。それで?」
「すぐ撤退したよ」
「なんで!?」
当然立ち向かったと思っていたアワは、豆鉄砲を食らったように叫んだ。もう少しタイミングがずれていたら、今まさに口にしようとしていたお茶を、いつものローテーブルを挟んで向かいに座る氷架璃に噴射するところだった。
アワの態度に、霞冴は責められたような気分になって唇を尖らせた。
「だって、センサーに反応がなかったんだもん」
「それって、つまり……」
フーが恐る恐る尋ねる。その先を、雷奈がため息交じりに暴いた。
「クロでもダークでもなく、チエアリの可能性があった、ってことったいね」
「そ」
霞冴がぱちんと指を鳴らした。
「強いもの順の執行部の九番隊だよ? 九あるうちの九番目だよ? チエアリとなんて戦わせられないでしょ」
「何のための派遣隊だよ」
「仕方ないじゃん。チエアリがそうホイホイ出てくることなんて想定してないの。いざって時は戦闘力の高い隊員による特別編成隊を派遣することになってるの」
そう言って霞冴がこくこくお茶を飲みだす間に、雷奈が「あーもう」と天を仰いだ。
「ついこの間、炎のチエアリば倒したところなのに!」
「二号機か? ホムラ二世か? それともホムラ・ジュニア?」
「それがさー、一概に炎のチエアリとは言えないんだよね」
「はたまたホムラ……え、なんて?」
「なぜそう思う?」
必要最低限の言葉で雷華が問うた。上座に座る霞冴は、角を挟んですぐ隣の雷華に、トーンを合わせた神妙な声で答えた。
「確かに火柱は上がった。でも、九番隊に加えられた攻撃は、水術によるものだったんだ」
「えっ……じゃあ」
雷奈たちは互いに顔を見合わせた。ここで、二つの可能性が浮上する。
「まさか、炎と水の二体のチエアリ?」
「それか、二種類の猫力を使うチエアリ……?」
「両方ありうるし、それ以外の可能性だってある」
甘く丸っこい声で紡がれるは、四角い座敷をきちんと四角く掃く発言だ。普段のんびりとしていて甘え上手な彼女だが、司令官の名は伊達ではない。
「っていうか、ガオンを倒して、生き残りのチエアリであるホムラも倒したのに、まだチエアリがいるってか?」
「チエアリは自然発生もするから、おかしくはないよ。先の侵攻だってそうだった。あのチエアリ軍は、ガオンとは関係なしに出現したはずだ」
霞冴のシアンの瞳に、にじむように痛みの色が浮かんだ。在りし日の何かを見ている目だった。
しかし、それも一瞬のことで、彼女の瞳はすぐに今の現実を、そして少し先の未来を見据えた。
「ただ、チエアリが発生した可能性がある一方で、美雷さんはもっともっと最悪の事態を危惧してる」
「最悪……」
「考えられうる最悪なんて、見えてるけどね。一応聞こうかな」
「ま、お察しの通りだよ」
苦虫を嚙み潰したような顔をするアワに、苦虫を諦めて飲み込んだような霞冴が肩をすくめて答えた。
「――ガオンが生きてた場合のこと」
同席者全員に苦虫が配膳された。
「だってそうでしょ。人間界に、またクロが現れたんだ。別の現象である可能性も視野に入れつつ、ガオンの再来を否定できないのは事実だ」
「そんな……」
あれだけの痛みを伴って、あれだけの恐怖を味わって、あれだけの絶望を突き付けられて、ようやく災厄の悪夢を目の前から消し去ることができたと思ったのに。消し去ったのではなく、ただ視界の外に隠れただけだったなど、阻喪のため息が出る。
だが、悄然としていられないのが希兵隊で。
「まあ、霊那隊と神座隊を全滅させたようなガオンが、あるいはその下にいるチエアリが、撤退する九番隊を追撃しなかったのは動機が不明なんだけど。備えておいて損はないかな、って感じ。で、念のため、明日にも水守の森に特別編成隊を派遣することになったんだ」
霞冴が挙げたメンバーの名前は、どれも精鋭隊にふさわしい、つわものたちのものだった。
一番隊隊長で執行部最強の大和鋼。
天真爛漫ながら、コウも認める副隊長の水鈴波音。
二番隊隊長で体術と頭脳戦を得意とする河道流知。
物悲しい顔をして情け容赦を知らない副隊長の天草芽瑠。
三番隊といえども引けを取らない女傑隊長、神守霊那。
霊那に寄り添う控えめな実力者、副隊長の遠野撫恋。
そして最後の一人は、希兵隊隊長にも匹敵する力を持つ、フィライン・エデンの血を引く者、三日月雷奈。
「……ってえええええ!?」
「五月蝿い」
氷架璃と芽華実の驚嘆を、雷華が一単語でぶった斬った。
それでも、ほとばしる驚愕は止まらない。
「なんで雷奈が希兵隊の精鋭隊に選ばれてんだよ!?」
「そうよ、チエアリと戦うんでしょう?」
「同感だね。正統後継者として見過ごせないな」
「人間をあえて危険なところへ赴かせるなんて」
「だったら私らも連れてけ!」
「運命共同体よ!」
「君たちィ!」
相変わらず血気盛んな少女たちに、当代の正統後継者はそろって頭を抱えた。
「あ、忘れてた。もう一人いたんだった」
「誰だ!?」
「現場指揮の那由他」
「……誰だ!?」
聞けば、総司令部員の少年だという。
「戦闘員でもない総司令部員が行って、一応戦える私達が行けないなんて、おかしいよなぁ!?」
「いや、ばってん」
特別編成隊に招待された唯一の人間が、そろりと手を上げる。思い出したのは、今日の放課後、帰宅途中で申し込まれたアポイントメントの電話だ。
「霞冴がここにくる前、美雷は電話で私に頼みがあるって言っとったよね? ってことは……」
「うん。氷架璃と芽華実は呼んでない」
「んだと、このチビ司令官が!」
「私じゃなくて美雷さんの決定だってば! っていうか暴言!」
猫の毛と同じように、アリスブルーの髪を逆立てんばかりに言い返した霞冴だが、呼吸一つで落ち着きを取り戻して、「それに」と付け加えた。
「言ったでしょ。美雷さんが警戒してるのは、ガオンの再来。雷奈はガオンが直接手を下せない、おそらく唯一の存在なんだ。しかも、実際にガオンを抑え込んだのも雷奈。雷奈が切り札なんだよ」
「私らだって……!」
「キミたち手も足も出なかったらしいじゃん」
「あんただって瞬殺されてただろーが!」
「私はそれまで敢闘しましたよーだ」
果たしてそうだっただろうか、と極寒の種子島での戦いを思い返す。
白い霧でガオンの視界を奪う霞冴。背後から急襲し、切り結ぶ霞冴。背中を思いきり斬りつける霞冴。
……なるほど、敢闘である。
「とにかく、雷奈さえよければ、明日の午後六時に希兵隊本部前に来てほしいんだけど」
「私はよかよ。お泊まりになるなら、おばさんに伝えとかんといかんけど」
「お手数かけるね」
ふにゃりと敬礼する霞冴に、アワとフーが不服を漏らす。
「ちょっと越権行為が過ぎるんじゃないかい」
「そうよ。私達がダメと言ったら、あなた達は下がらなければならないのよ」
「そお? でも、三枝岬で雷奈を守ったのはキミ達じゃなくて希兵隊なんだけどなー」
「……」
「過去世界への時間飛躍を許可したっていう前例もできちゃったしなー。その辺の整合性はどうするのかなー」
「……」
どちらの際にも雷奈は無事に帰還しており、自分たちは為す術もなかったと考えると、悲しいかな反論できないアワとフー。
忸怩たる思いに震えながら、「せめて氷架璃と芽華実だけは行かせないでおこうね……!」「そうね……!」と手を取り合う二人は、二対の双眸に策略の目で見つめられていることには気づいていなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
ギルドの受付嬢はうごかない ~定時に帰りたいので、一歩も動かず事件を解きます~
ぱすた屋さん
ファンタジー
ギルドの受付嬢アイラは、冒険者たちから「鉄の女」と呼ばれ、畏怖されている。
絶世の美貌を持ちながら、常に無表情。そして何より、彼女は窓口から一歩も動かない。
彼女の前世は、某大手企業のコールセンター勤務。
営業成績トップを走り抜け、最後には「地獄のクレーム処理専門部署」で数多の暴言を鎮めてきた、対話術の怪物。
「次の方、どうぞ。……ご相談ですか?(クローズド・クエスチョン)」
転生した彼女に備わったのは、声の「真偽」が色で見える地味な能力。
だが、彼女の真の武器は能力ではなく、前世で培った「声のトーン操作」と「心理誘導」だった。
ある日、窓口に現れたのは「相棒が死んだ」と弔慰金をせしめようとする嘘つきな冒険者。
周囲が同情し、ギルドマスターさえ騙されかける中、アイラは座ったまま、静かにペンを走らせる。
「……五秒だけ、沈黙を差し上げます。その間に、嘘を塗り直すおつもりですか?」
戦略的沈黙、オウム返し、そして逃げ場を塞ぐイエス・セット。
現代のコールセンター術を叩きつけられた犯人は、自らその罪を吐き散らし、崩れ落ちる。
「あー、疲れた。一五分も残業しちゃった。……マスター、残業代三倍でお願いしますね」
これは、一歩も動きたくない受付嬢が、口先だけで悪を断罪し、定時退勤を目指す物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる