58 / 114
13.水鏡編
61あわせてはならない ⑤
しおりを挟む
自然で満ち溢れた視界の真ん中に現れた、まるで違う場所から切り取って張り付けたように場違いな、無機質な人工物。光沢をたたえるその表面は、何をも映していない。
『雷奈ちゃん、今、念のため三番隊を向かわせたわ。……雷奈ちゃん、返事してちょうだい』
呼びかけ続ける美雷に、雷奈は目の前の光景から目を離すことができないまま、震え声で一言だけ絞り出した。
「……鏡、が」
あたかも、その言葉に反応したかのように。
鏡面が、ぴしりと音を立てた。
中央に、わずかな傷が走る。それが、ぴし、ぴし、ときしみながら、外に向かって広がっていく。
割れてはいけないものが、割れていく。
危うげな音の断続の果て、亀裂は幾何学的な装飾がなされた額まで到達した。まるで巨大な蜘蛛の巣が張ったかのような、不吉な風体。
そこで、鏡は沈黙した。
――ように、みえた。
直後、耳を覆いたくなるような絶叫を上げて、鏡が粉砕した。悲鳴を上げることさえできない少女たちの足元に、弾け飛んだ破片が散らばる。
内側から破裂したように砕け散った姿見は、額縁に接している欠片を残し、鏡面を失った。
ふいに、雷奈の耳に由実の講話がよみがえる。
――私達は、鏡が前にあるものを反射して映し出していることを知ってるけれど、
きっとそれは、目の前の信じがたい光景のせいだ。
――鏡の向こうに「あちら側の世界」があると考える人達は世界中にいるみたいだよ。
鏡が割れた中央には、ぽっかりと暗闇が口を開けていた。鏡背の色ではない。光のない、奥行きのある空間が、残った破片に縁どられて存在していた。
そこに、人影が見えた。
人影は、ゆっくりと歩みを進めると、姿見の額をまたいだ。
ざ、と芝生を踏む。両の足が外の世界へ出た途端、鏡は蜃気楼であったかのように、ふっと消えた。
つい数分前と同じ光景。何事もなかったかのような、緑と草木のにおいにあふれた自然公園。足元に飛んできた破片も、今は跡形もなく消えている。
だが、今の一連の出来事は、白昼夢ではない。
その証拠に、雷奈たちの前に、今も立っていた。
その凛とした目と、人形のように整った顔立ちをもつ、小柄な少女の名を、雷奈たちは知っている。
「……ルシル……!?」
顔のつくりは、背格好は、まぎれもなく河道ルシルのものだった。
しかし、疑いようもなく、違う。
雷奈たちの知る二番隊隊長は、長い前髪から後ろのセミロングヘアまで、つややかな漆黒だ。だが、目の前の彼女は、その全てが雪のように白い。しかも、その双眸にはめ込まれているのは瑠璃ではなく、翡翠。透けるような緑色が、白いまつ毛に縁どられてぼんやりと雷奈たちを見ていた。
その身を包むのは、見たことのない意匠の服装だ。淡い淡い青色の、裾の広がったワンピース。ゆったりと広い大袖は、泉を思わせる濃紺の刺繍に縁どられている。胸の下で締められた帯も同じ濃紺で、ボレロのような短い羽織も然り。さらに同じ色合いに白い一本線が入った布が帯から長く垂れ、体の前面と脇から背中までとに分かれてワンピースの上に重なっている。
おそらく、フィライン・エデンの伝統装束なのだろう。その手合いのものを初めて見た雷奈たちが無理やり人間界の知識に結び付けるならば、古代中国の妃の装束を彷彿させる……気がする、といったところか。
雷奈は固唾をのもうとして、あまりの喉の渇きに仕損じてから、かすれた声のまま問うた。
「……あなたは」
「私は」
声も同じだ。
だが、黒髪碧眼のルシルよりも、どこか芯のない虚ろな響きだった。
「カミチ、ルシル。川路のルシル」
そう言って、ゆっくりと右手を持ち上げる。白く細い指が空を泳ぐと、そこに空気から湧き出すように、水が巻き起こった。
「私の、役目では、ないけれど……あなたたちには、消えてもらわなければならない」
「なっ……!」
出会い頭から不穏な宣言をされ、雷奈たちは慌てて身構えた。川路と名乗る彼女の水術の腕が、ルシルと遜色ないものなのかはわからない。だが、それを食らって評価するのは愚行だろう。少なくとも、ルシルの術は戦闘員のものだ。正面から受けて無事でいられる保証はない。
ふ、と右手がすばやく動かされる。呼応して、水かさがどっと増した。
渦を巻く水流が、ひたと雷奈を見据えた。雷奈は闘牛士の心地で、襲い来るその瞬間を見定める。
直後だった。
「!」
突如鳴り響いた炸裂音と閃光が、水術の前兆を切り裂いた。同時、川路は斜め後ろに飛び退く。
驚いて目を向けてきた氷架璃と芽華実に、雷奈は首を振る。
「私じゃなか」
「こっちこっち。あたしだよ」
聞き覚えのある声は、右手の木の上からその場を見下ろしていた。レモン色の毛並みに、同じ黄色い首輪。芽吉希雷――三番隊の隊員だ。別の枝には、見たことはないが同じ色の首輪をした猫がもう一名いた。
さっき、電話口で美雷が三番隊を向かわせたと言っていたのを思い出した。それがこの二名なのだろう。
そこへさらに、ばたばたと走ってくる音が近づいてきた。
「え、何これ、どういう状況!?」
「私たちがいない間に、何があったの……!?」
「遅いぞー、正統後継者二人。ちゃんと人間を守らないと」
ビニール袋――中身は出来合いの食糧だろう――を一つずつさげたアワとフーは、キラの冷やかしに「う」と言葉を詰まらせてから、白いルシルに視線を移した。怪訝そうな目で彼女をにらみながら、それぞれのパートナーの前に出る。
川路は状況をゆるりと見回すと、ふっと雪解けのようなため息をついた。
「多勢に、無勢。戦闘は、私の役目ではない」
「何なんだい、君は」
川路はアワには答えず、雷奈たちから見て左方向へ走り出した。ボリュームのある服装からは想像もつかないほど軽やかな動きだ。
「待てっ!」
言われて待つはずもなく、彼女は立ち並ぶ木立へ駆けていくと、大きく跳躍した。帯から伸びる背面の布を大きく翻し、一番近い木の上に着地。そのまま、再び軽やかに宙を舞い、木立を越えて見えなくなった。
「ルシルっちの偽者も現れちゃったか」
しばらくの間、白い姿が去っていったあとを呆然と見つめていた雷奈たちは、歩み寄ってきたキラの声で我に返った。
アワとフーが険しい顔で彼女を問い詰める。
「キラ、あれはいったい何なんだい」
「ルシルのようだったけれど……ルシルじゃなかったわ」
「一応、情報管理局から速報で発信されてるんだけどね。外にいる君たちは見聞きしてないんだね」
キラは人の姿をとると、ピッチを手にしながら言った。
「総司令部に連絡したら、送ってくよ。説明は安全なところでしたほうがいいでしょ」
そこで、雷奈は美雷からの電話を途中ですっぽかしたことを思い出したが、案の定、既に通話は切れていた。
***
キラ達の護衛のもと、人間界へ戻った雷奈たちは、雷華に事情を話し、「なぜ私まで」と険をにじませる彼女を無理やり引き込んで、いつもの会議席を設えた。
場が整ったちょうどそこへ、希兵隊の代表が現れた。
「やほー、お疲れさん」
「あれっ、美雷やなくて霞冴?」
「美雷さんは三者会議中! オンラインだけど」
副最高司令官は部屋に上がると、雷奈に促されて上座に腰を下ろした。
その直前、部屋に入る前には霧で隠されていたものを、左腰から抜いて、座布団の右側に置いた。
その一振りは、霞冴の警戒心そのものだ。
「ごめん、美雷からの電話、途中から応答できなくて……怒っとった?」
「そんなことで怒るわけないじゃ~ん。心配はしてたけど、無事って聞いてにっこりしてたよ」
だいじょぶだいじょぶ、とふにゃふにゃ笑って、湯飲みのお茶を一口飲んだ霞冴に、氷架璃が「で」と切り出した。
「脱色したルシルに会ったんだけど。あいつ漂白剤でもかぶったのか?」
「それは大惨事だね。でも、今の状況は大大惨事」
軽口を叩く口元は、薄く笑みを浮かべている。だが、さっきと打って変わって目が笑っていない。彼女の言葉は本当のようだ。
「キラからどこまで聞いたかな」
「え、何も。道中ずっと、数日前に喉に団子ば詰めかけた霞冴が、慌てたコウに見事なハイムリック決められて、九死に一生ば得た話ばっかり聞かされたっちゃけど」
「……」
「大大大惨事じゃねーか」
返す言葉もない霞冴は、三回ほど咳払いしてから本題に入った。
「キミたち、脱色したルシルに会ったと言ったね。つまり、キミたちの前には、黒髪ではないルシルが現れたということかな」
「うん、白髪。雪女みたいやったったい」
「しかも、ファンタジーな衣装に身を包んでな」
「それに、いつもの凛とした感じがなかったわね」
雷奈たちが、鏡の向こうから現れた「川路ルシル」と名乗った少女について言及する一方で、アワとフーは霞冴の口から発せられた別の言葉を聞きとがめた。
「キミたちの前にはと言ったね。どういうことかな」
「まるで、他の例もあるように聞こえたけれど」
「そうだよ。それも一件や二件じゃない。総司令部への通報がなりやまない始末だ」
ネットニュース見てみ、と促され、アワとフーがスマホを手にする。わ、と声を上げた。
「ドッペルゲンガー……?」
「まあ、早い話が『もう一人の自分』だよね。偽者といってもいい。ちなみに私達は『鏡像』と呼んでる。通報内容は一様に同じ。身の丈ほどの姿見が現れ、その鏡面を破って自分あるいは身近なひとによく似た、けれど随所が大きく異なる人物が現れる。そして、それが襲ってくる」
雷奈たちの体験をそのままなぞる描写だった。鏡から現れた、色や雰囲気の違うルシルが、雷奈たちに水術を放とうとしていたのと同じだ。
「そういう通報が今朝から何十件も入ってる。緊急の三者会議をおこなわざるを得ない事態だよ。前代未聞の現象だ」
「それで、美雷は早く人間界に帰れって……」
霞冴はこくっとうなずいた。
「今のところ、通報者はみんな逃げ出したり、その前に反撃したりしてて、大ケガをしたひとはいない。希兵隊もすでに対応に乗り出してる。とはいえ、キミたちがこちらへ来た時、無事でいられる保証ができるわけじゃない。しばらくは来ない方がいいよ」
そう忠告した霞冴のポケットから、ピリリリと着信音がした。ピッチを手に取り、いくつか相槌を打った後、彼女は「わかった、戻るね」と伝えて通話を切る。
「ごめん、本当は事象の前後について詳しく話を聞きたかったけれど、総司令部が思ったよりてんてこまいみたいだ。戻らないと」
美雷が会議中の間は、霞冴が率先して指揮をとらなければならない。
お茶ごちそうさま、と言い置いて立ち上がると、見送りも辞謝して部屋を後にした。
ひと段落したところで、ずっと黙っていた雷奈の胃が辛抱たまらず細く長く鳴いたので、一同は思い出したように昼食にありついた。アワとフーがビニール袋から次々にとりだしたのは、ザ・コンビニ飯だ。
フィライン・エデンの食べ物は相変わらず独特だ。動物由来の原料がないため、おにぎりの具は、しゃけのようで実は木の実であるし、サンドイッチに挟まっているのは、ハムのようで実は花びらだ。だが、なぜか食感も味もしゃけやハムなのだから不思議だ。
雷華は用は済んだとばかりにふすまを閉めて自分のスペースに閉じこもってしまったが、雷奈たちはしばらくそのまま語らっていた。
そろそろ日が傾いてきたというころ、アワとフーが腰を浮かせた。
「じゃ、そろそろお暇しようか」
「そうね。気をつけて帰らないとね」
「うっし、じゃあ一緒に行くか」
「そうね」
「いや、霞冴の話聞いてた!? それとも新手の反抗期!?」
「うっさいな、これだよ、これ!」
氷架璃と芽華実が、同時に間の人物を指さす。二人に挟まれた雷奈が手にしていたのは、ピンク色のカバーがかわいらしいタブレットだ。
「あ……ユメの」
「これ返しに行かんと」
「それくらい、ボクたちが代わりに返しておくよ」
「大助かりやったのに、直接返さんのは失礼ったい。アワとフーがついてきてくれたら安心っちゃろ」
二家の二人は顔を見合わせたが、諦念のため息をつくのにそう時間はかからなかった。
もう三年目だ。三人の強情さは嫌というほどよくわかっていた。
『雷奈ちゃん、今、念のため三番隊を向かわせたわ。……雷奈ちゃん、返事してちょうだい』
呼びかけ続ける美雷に、雷奈は目の前の光景から目を離すことができないまま、震え声で一言だけ絞り出した。
「……鏡、が」
あたかも、その言葉に反応したかのように。
鏡面が、ぴしりと音を立てた。
中央に、わずかな傷が走る。それが、ぴし、ぴし、ときしみながら、外に向かって広がっていく。
割れてはいけないものが、割れていく。
危うげな音の断続の果て、亀裂は幾何学的な装飾がなされた額まで到達した。まるで巨大な蜘蛛の巣が張ったかのような、不吉な風体。
そこで、鏡は沈黙した。
――ように、みえた。
直後、耳を覆いたくなるような絶叫を上げて、鏡が粉砕した。悲鳴を上げることさえできない少女たちの足元に、弾け飛んだ破片が散らばる。
内側から破裂したように砕け散った姿見は、額縁に接している欠片を残し、鏡面を失った。
ふいに、雷奈の耳に由実の講話がよみがえる。
――私達は、鏡が前にあるものを反射して映し出していることを知ってるけれど、
きっとそれは、目の前の信じがたい光景のせいだ。
――鏡の向こうに「あちら側の世界」があると考える人達は世界中にいるみたいだよ。
鏡が割れた中央には、ぽっかりと暗闇が口を開けていた。鏡背の色ではない。光のない、奥行きのある空間が、残った破片に縁どられて存在していた。
そこに、人影が見えた。
人影は、ゆっくりと歩みを進めると、姿見の額をまたいだ。
ざ、と芝生を踏む。両の足が外の世界へ出た途端、鏡は蜃気楼であったかのように、ふっと消えた。
つい数分前と同じ光景。何事もなかったかのような、緑と草木のにおいにあふれた自然公園。足元に飛んできた破片も、今は跡形もなく消えている。
だが、今の一連の出来事は、白昼夢ではない。
その証拠に、雷奈たちの前に、今も立っていた。
その凛とした目と、人形のように整った顔立ちをもつ、小柄な少女の名を、雷奈たちは知っている。
「……ルシル……!?」
顔のつくりは、背格好は、まぎれもなく河道ルシルのものだった。
しかし、疑いようもなく、違う。
雷奈たちの知る二番隊隊長は、長い前髪から後ろのセミロングヘアまで、つややかな漆黒だ。だが、目の前の彼女は、その全てが雪のように白い。しかも、その双眸にはめ込まれているのは瑠璃ではなく、翡翠。透けるような緑色が、白いまつ毛に縁どられてぼんやりと雷奈たちを見ていた。
その身を包むのは、見たことのない意匠の服装だ。淡い淡い青色の、裾の広がったワンピース。ゆったりと広い大袖は、泉を思わせる濃紺の刺繍に縁どられている。胸の下で締められた帯も同じ濃紺で、ボレロのような短い羽織も然り。さらに同じ色合いに白い一本線が入った布が帯から長く垂れ、体の前面と脇から背中までとに分かれてワンピースの上に重なっている。
おそらく、フィライン・エデンの伝統装束なのだろう。その手合いのものを初めて見た雷奈たちが無理やり人間界の知識に結び付けるならば、古代中国の妃の装束を彷彿させる……気がする、といったところか。
雷奈は固唾をのもうとして、あまりの喉の渇きに仕損じてから、かすれた声のまま問うた。
「……あなたは」
「私は」
声も同じだ。
だが、黒髪碧眼のルシルよりも、どこか芯のない虚ろな響きだった。
「カミチ、ルシル。川路のルシル」
そう言って、ゆっくりと右手を持ち上げる。白く細い指が空を泳ぐと、そこに空気から湧き出すように、水が巻き起こった。
「私の、役目では、ないけれど……あなたたちには、消えてもらわなければならない」
「なっ……!」
出会い頭から不穏な宣言をされ、雷奈たちは慌てて身構えた。川路と名乗る彼女の水術の腕が、ルシルと遜色ないものなのかはわからない。だが、それを食らって評価するのは愚行だろう。少なくとも、ルシルの術は戦闘員のものだ。正面から受けて無事でいられる保証はない。
ふ、と右手がすばやく動かされる。呼応して、水かさがどっと増した。
渦を巻く水流が、ひたと雷奈を見据えた。雷奈は闘牛士の心地で、襲い来るその瞬間を見定める。
直後だった。
「!」
突如鳴り響いた炸裂音と閃光が、水術の前兆を切り裂いた。同時、川路は斜め後ろに飛び退く。
驚いて目を向けてきた氷架璃と芽華実に、雷奈は首を振る。
「私じゃなか」
「こっちこっち。あたしだよ」
聞き覚えのある声は、右手の木の上からその場を見下ろしていた。レモン色の毛並みに、同じ黄色い首輪。芽吉希雷――三番隊の隊員だ。別の枝には、見たことはないが同じ色の首輪をした猫がもう一名いた。
さっき、電話口で美雷が三番隊を向かわせたと言っていたのを思い出した。それがこの二名なのだろう。
そこへさらに、ばたばたと走ってくる音が近づいてきた。
「え、何これ、どういう状況!?」
「私たちがいない間に、何があったの……!?」
「遅いぞー、正統後継者二人。ちゃんと人間を守らないと」
ビニール袋――中身は出来合いの食糧だろう――を一つずつさげたアワとフーは、キラの冷やかしに「う」と言葉を詰まらせてから、白いルシルに視線を移した。怪訝そうな目で彼女をにらみながら、それぞれのパートナーの前に出る。
川路は状況をゆるりと見回すと、ふっと雪解けのようなため息をついた。
「多勢に、無勢。戦闘は、私の役目ではない」
「何なんだい、君は」
川路はアワには答えず、雷奈たちから見て左方向へ走り出した。ボリュームのある服装からは想像もつかないほど軽やかな動きだ。
「待てっ!」
言われて待つはずもなく、彼女は立ち並ぶ木立へ駆けていくと、大きく跳躍した。帯から伸びる背面の布を大きく翻し、一番近い木の上に着地。そのまま、再び軽やかに宙を舞い、木立を越えて見えなくなった。
「ルシルっちの偽者も現れちゃったか」
しばらくの間、白い姿が去っていったあとを呆然と見つめていた雷奈たちは、歩み寄ってきたキラの声で我に返った。
アワとフーが険しい顔で彼女を問い詰める。
「キラ、あれはいったい何なんだい」
「ルシルのようだったけれど……ルシルじゃなかったわ」
「一応、情報管理局から速報で発信されてるんだけどね。外にいる君たちは見聞きしてないんだね」
キラは人の姿をとると、ピッチを手にしながら言った。
「総司令部に連絡したら、送ってくよ。説明は安全なところでしたほうがいいでしょ」
そこで、雷奈は美雷からの電話を途中ですっぽかしたことを思い出したが、案の定、既に通話は切れていた。
***
キラ達の護衛のもと、人間界へ戻った雷奈たちは、雷華に事情を話し、「なぜ私まで」と険をにじませる彼女を無理やり引き込んで、いつもの会議席を設えた。
場が整ったちょうどそこへ、希兵隊の代表が現れた。
「やほー、お疲れさん」
「あれっ、美雷やなくて霞冴?」
「美雷さんは三者会議中! オンラインだけど」
副最高司令官は部屋に上がると、雷奈に促されて上座に腰を下ろした。
その直前、部屋に入る前には霧で隠されていたものを、左腰から抜いて、座布団の右側に置いた。
その一振りは、霞冴の警戒心そのものだ。
「ごめん、美雷からの電話、途中から応答できなくて……怒っとった?」
「そんなことで怒るわけないじゃ~ん。心配はしてたけど、無事って聞いてにっこりしてたよ」
だいじょぶだいじょぶ、とふにゃふにゃ笑って、湯飲みのお茶を一口飲んだ霞冴に、氷架璃が「で」と切り出した。
「脱色したルシルに会ったんだけど。あいつ漂白剤でもかぶったのか?」
「それは大惨事だね。でも、今の状況は大大惨事」
軽口を叩く口元は、薄く笑みを浮かべている。だが、さっきと打って変わって目が笑っていない。彼女の言葉は本当のようだ。
「キラからどこまで聞いたかな」
「え、何も。道中ずっと、数日前に喉に団子ば詰めかけた霞冴が、慌てたコウに見事なハイムリック決められて、九死に一生ば得た話ばっかり聞かされたっちゃけど」
「……」
「大大大惨事じゃねーか」
返す言葉もない霞冴は、三回ほど咳払いしてから本題に入った。
「キミたち、脱色したルシルに会ったと言ったね。つまり、キミたちの前には、黒髪ではないルシルが現れたということかな」
「うん、白髪。雪女みたいやったったい」
「しかも、ファンタジーな衣装に身を包んでな」
「それに、いつもの凛とした感じがなかったわね」
雷奈たちが、鏡の向こうから現れた「川路ルシル」と名乗った少女について言及する一方で、アワとフーは霞冴の口から発せられた別の言葉を聞きとがめた。
「キミたちの前にはと言ったね。どういうことかな」
「まるで、他の例もあるように聞こえたけれど」
「そうだよ。それも一件や二件じゃない。総司令部への通報がなりやまない始末だ」
ネットニュース見てみ、と促され、アワとフーがスマホを手にする。わ、と声を上げた。
「ドッペルゲンガー……?」
「まあ、早い話が『もう一人の自分』だよね。偽者といってもいい。ちなみに私達は『鏡像』と呼んでる。通報内容は一様に同じ。身の丈ほどの姿見が現れ、その鏡面を破って自分あるいは身近なひとによく似た、けれど随所が大きく異なる人物が現れる。そして、それが襲ってくる」
雷奈たちの体験をそのままなぞる描写だった。鏡から現れた、色や雰囲気の違うルシルが、雷奈たちに水術を放とうとしていたのと同じだ。
「そういう通報が今朝から何十件も入ってる。緊急の三者会議をおこなわざるを得ない事態だよ。前代未聞の現象だ」
「それで、美雷は早く人間界に帰れって……」
霞冴はこくっとうなずいた。
「今のところ、通報者はみんな逃げ出したり、その前に反撃したりしてて、大ケガをしたひとはいない。希兵隊もすでに対応に乗り出してる。とはいえ、キミたちがこちらへ来た時、無事でいられる保証ができるわけじゃない。しばらくは来ない方がいいよ」
そう忠告した霞冴のポケットから、ピリリリと着信音がした。ピッチを手に取り、いくつか相槌を打った後、彼女は「わかった、戻るね」と伝えて通話を切る。
「ごめん、本当は事象の前後について詳しく話を聞きたかったけれど、総司令部が思ったよりてんてこまいみたいだ。戻らないと」
美雷が会議中の間は、霞冴が率先して指揮をとらなければならない。
お茶ごちそうさま、と言い置いて立ち上がると、見送りも辞謝して部屋を後にした。
ひと段落したところで、ずっと黙っていた雷奈の胃が辛抱たまらず細く長く鳴いたので、一同は思い出したように昼食にありついた。アワとフーがビニール袋から次々にとりだしたのは、ザ・コンビニ飯だ。
フィライン・エデンの食べ物は相変わらず独特だ。動物由来の原料がないため、おにぎりの具は、しゃけのようで実は木の実であるし、サンドイッチに挟まっているのは、ハムのようで実は花びらだ。だが、なぜか食感も味もしゃけやハムなのだから不思議だ。
雷華は用は済んだとばかりにふすまを閉めて自分のスペースに閉じこもってしまったが、雷奈たちはしばらくそのまま語らっていた。
そろそろ日が傾いてきたというころ、アワとフーが腰を浮かせた。
「じゃ、そろそろお暇しようか」
「そうね。気をつけて帰らないとね」
「うっし、じゃあ一緒に行くか」
「そうね」
「いや、霞冴の話聞いてた!? それとも新手の反抗期!?」
「うっさいな、これだよ、これ!」
氷架璃と芽華実が、同時に間の人物を指さす。二人に挟まれた雷奈が手にしていたのは、ピンク色のカバーがかわいらしいタブレットだ。
「あ……ユメの」
「これ返しに行かんと」
「それくらい、ボクたちが代わりに返しておくよ」
「大助かりやったのに、直接返さんのは失礼ったい。アワとフーがついてきてくれたら安心っちゃろ」
二家の二人は顔を見合わせたが、諦念のため息をつくのにそう時間はかからなかった。
もう三年目だ。三人の強情さは嫌というほどよくわかっていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
ギルドの受付嬢はうごかない ~定時に帰りたいので、一歩も動かず事件を解きます~
ぱすた屋さん
ファンタジー
ギルドの受付嬢アイラは、冒険者たちから「鉄の女」と呼ばれ、畏怖されている。
絶世の美貌を持ちながら、常に無表情。そして何より、彼女は窓口から一歩も動かない。
彼女の前世は、某大手企業のコールセンター勤務。
営業成績トップを走り抜け、最後には「地獄のクレーム処理専門部署」で数多の暴言を鎮めてきた、対話術の怪物。
「次の方、どうぞ。……ご相談ですか?(クローズド・クエスチョン)」
転生した彼女に備わったのは、声の「真偽」が色で見える地味な能力。
だが、彼女の真の武器は能力ではなく、前世で培った「声のトーン操作」と「心理誘導」だった。
ある日、窓口に現れたのは「相棒が死んだ」と弔慰金をせしめようとする嘘つきな冒険者。
周囲が同情し、ギルドマスターさえ騙されかける中、アイラは座ったまま、静かにペンを走らせる。
「……五秒だけ、沈黙を差し上げます。その間に、嘘を塗り直すおつもりですか?」
戦略的沈黙、オウム返し、そして逃げ場を塞ぐイエス・セット。
現代のコールセンター術を叩きつけられた犯人は、自らその罪を吐き散らし、崩れ落ちる。
「あー、疲れた。一五分も残業しちゃった。……マスター、残業代三倍でお願いしますね」
これは、一歩も動きたくない受付嬢が、口先だけで悪を断罪し、定時退勤を目指す物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる