フィライン・エデン Ⅲ

夜市彼乃

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13.水鏡編

61あわせてはならない ⑥

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***

 これ見つかったら希兵隊に怒られるなぁ、と罪悪感を覚えながらアワとフーが同伴して行ったのは、叶ユメのアトリエだ。
 位置としては、希兵隊舎とは逆方向、学院へ向かう道から枝分かれした先だ。昭和レトロとファンタジーを掛け合わせたような店が立ち並ぶ通りを抜け、ぽつぽつと住居が立っている区域の奥、木々に見守られるように一軒だけ、小ぢんまりとしたロッジが立っている。白塗りの壁にピンクの三角屋根と、メルヘンチックな装いだ。住居は別で、ここに至るまでに歩いてきた住居区域のどこかにあるらしい。おそらく、ピンク色を探せば行きつくのだろう。
 夕暮れ時とあって、アトリエは夕陽を受けた壁の明るい橙色と陰の濃い黒で、くっきりとしたコントラストに上塗りされていた。かわいらしい外装なのに、扉が開けば魔女が出てきてもおかしくないような、ほんの少しの妖しささえ感じてしまうのは、黄昏時の仕業だ。
 ともあれ、タブレットを借りた時と同じドアの前に立つと、雷奈はインターフォンを押した。
 ……。
 …………。
「……出ないっちゃね」
「もう帰ったか?」
「明かりもついてないし……」
 芽華実の言葉に、雷奈ははめ殺しの窓に目をやって「確かに」とつぶやいた。さすがにこの時間にもなると、明かりのない室内では文字を読むのも億劫だろう。
 一度連絡だけでも取ろうと、雷奈がスマホを取り出しかけた時だ。
 ガチャ。
 花をかたどった金属ノブが音をたて、扉が開いた。
 無人だと思っていたものだから、雷奈たちは少なからず驚いたのだが、ドアの隙間から顔をのぞかせた人物を見て、さらに驚愕した。
 想定外の人物だったわけではない。叶ユメ。求めていた、このアトリエの主だ。
 だが、いつも人懐っこく笑う牡丹色の大きな瞳は悲哀で潤み、かわいらしい小さな鼻の頭は痛々しいほどに紅潮していた。
「ユ、ユメ!? どげんしたと!?」
「雷奈さま……みなさま……」
 ユメは一瞬、ほっとしたように眉間の力を抜いたが、すぐに目をそらしたくなるほどにくしゃくしゃに顔をゆがめて、涙をぼろぼろと落とし始めた。
「あなたがただったんですね……でも、ううん。時間の問題、です」
「何があったんだい、ユメ。……もしかして……」
 難しい想像ではない。来客が雷奈たちだとわかって安堵したということは、彼女の不安はだろう。
 アワが言いよどんだ続きを、フーが綿の上に下ろすようにそっとそっと口にした。
「……誰かが来るのに、怯えているの?」
 ユメの肩がびくんと大きく跳ねた。胸元で小さな拳をきゅっと握りしめ、天敵に怯える小動物のように、息を震わせている。
「……もしかして、情報管理局から速報が発信されたっていう……ドッペルゲンガー、っちゃか」
 声の響きに最大限やすりをかけてから放ったものの、ユメは痛みを感じた時のように小さく悲鳴を上げた。
「大丈夫だって。今のところ、大けがしたヤツはいないらしいしさ」
「希兵隊も動いてくれているから、じきに解決するわ」
 氷架璃と芽華実が明るく励ますが、ユメはなぜか首を振った。
「違う、んです」
「違うって?」
「わたくしが恐れている来客は……どなたかの偽者、ではありません」
 雷奈たちの頭に疑問符が浮かんだ。今、この世界で問題となっているのは「鏡像」と呼ばれるドッペルゲンガー現象だ。
 しばらく考えを巡らせた雷奈が、「まさか」と声を上げた。
「この世界で、他にも何か起こっとる……?」
「いいえ……目下、お昼前にラジオで聞いた、いわゆるドッペルゲンガー現象の件だけです」
 ユメがすすり上げながらたどたどしくそう言う。
 混乱はますます深まるばかりだ。それならば、彼女はいったい何に怯えているのか。
 どんな脅威が、この家のインターフォンに指を伸ばそうとしているのか。
「今、世間を騒がせているドッペルゲンガー現象……」
 ユメは、喉から熱された鉄塊を吐き出すような苦しそうな声で、その答えを吐露した。
 その告白は、きっと今初めて、音としてこの世に産み落とされた。
「この事件の原因は……わたくしたちなのです」
 ――それを聞いた雷奈たちの喉は声を忘れ、頭は言葉を忘れた。
 大きな姿見を破って現れた、友を象った何者か。
 その存在による襲撃。
 希兵隊やメディアを動かし、住民を恐怖と混乱に陥れている現状。
 飛壇中に根を伸ばしたおぞましい現象の種をまいたのが、このお菓子の家のようなかわいらしい小屋の主だというのか。
 雷奈たちが第一声を見つけ出すより先に、ユメが力なく首を振った。
「わたくしたちは、きっと連行されます……。償ったはずの過去の罪が、みなさまに牙をむいたとあれば……わたくしたちは……!」
「ま、待って」
 雷奈がもつれる舌を必死に回す。
「罪って……それに、わたくしって言った? ユメの他にも、誰かいると?」
「……はい。故人を除けば、わたくしのお友達が一人……共犯、になります」
 その不穏な単語は、彼女の口から出るのを幾秒か嫌がった。今もその程度には親しい人物なのだろう。ユメと彼女の友人の他に、少なくとももう一名は関わっているようだが、既に鬼籍に入っているらしい。
 彼女の口ぶりからするに、その人物が存命のうちに彼女らが犯した何かが、今回の事件とつながっているのだろう。
 そしてもう一つ、聞き逃せない単語。
「連行って……だ、誰に……?」
 芽華実が友人たちの顔を見まわしながら言った。きっとその人物こそが、ユメが恐れた来客なのだろう。
 問いへの答えは、他ならぬユメの口から告げられた。
「フィライン・エデンの治安を守る、希兵隊の方か、あるいは……わたくしたちの犯した罪に最も詳しい、学院の……」
 そこまで口にしたユメの瞳が、雷奈たちごしに何かを見つめて大きく開かれる。
 振り返った彼女らは、いつの間にか背後にいた新たな客の姿に絶句した。
 肉球が足音を消していたのだろう、その人物は主体姿だった。初めて見る姿だが、長毛の中でも長い部類に入るだろうふさふさとした桜色の毛並みと、鼻の上に乗った理知的なメガネで感づいた。
 花雛はなひな木雪こゆき
 元所属、学院・総造学研究科。
 現所属、希兵隊・開発部。
 連行。その二文字が、怪物の舌のように雷奈たちの背筋をなめ上げた。
 とっさに、ユメをかばうように立ちはだかる。その行動の正しささえ確かならぬまま。
 闇に沈みゆく閑静な町はずれに、心音が響き渡る。普段よりも速く打つその音を遮ったのは、ユメの震え声だった。
「ここちゃん……?」
 え、とユメを振り返る。
 その間に、木雪はすうっと双体姿をとると、雷奈たちの間を、立ち入り制限のポールの間をすり抜けるように通り抜け、自分より低い位置にある両肩に手を置いた。
「ユユちゃん」
 木雪の手の指先は、震えるユメの肩の上に乗せる前から微弱に揺れていた。
「よかった……ユユちゃん、まだ捕まっていないんですね」
「ここちゃんこそ……だって、希兵隊……っ」
「先手を打って、早々に仕事を切り上げて、外出届を出してきました。でも、時間の問題です。きっと今、源子化して圏外になっているスマホへは、総司令部が何度もコンタクトを試みていることでしょう」
 冷静な声のトーンと、真剣な目つきは、神社を来訪してきた時とは別の方向で大人びて見えた。動揺のない落ち着き払った声が、いつもの三割増しの速さで流れていなければ、この科学者からは一片の緊張も見て取れなかっただろう。
「ユユちゃん、じきに私たちはただされます。二人で話せる時間は今しかありません。親しき仲の礼を欠くことを承知で、率直に訊きます。ユユちゃんの手元に、はありませんよね?」
 ユメは痙攣したように首を横に震わせた。
「あ、ありませんっ! ……ここちゃんこそ……?」
「私の科学者魂に、君臨者に、そして何よりもあなたとの友情に誓います。私も、全てを放棄しました。私たちは、あの研究をこの世から抹消したはずなのです。……けれど、もし第三者の手に渡り、今回の事態が発生したのだとすれば……糾弾されるべきは、まぎれもなく……」
 強く訴えかけていた木雪の言葉を遮ったのは、かすかな足音だった。
 振り返った木雪と、その肩越しに新たな来客を目にしたユメの表情が凍てつく。
 ビジネスカジュアルというのだろうか、濃い色のカーディガンに白い襟無しブラウス、センタープレスの入ったパンツを合わせた女性が近づいてくるところだった。すでに周囲の風景と同様に宵闇の走りにまとわれた彼女は、正確な年代はわからないが、少なくとも人間界でも社会に出て働いているくらいの、れっきとした大人だ。
 彼女は手にしたクリップボードに眼鏡の奥の視線を一度だけ落とした後、冷たく事務的な声を放った。
「叶ユメさんと花雛木雪さんですね」
 二人は返事をしなかった。だが、この状況では返事をしようとしまいと結果は同じだっただろう。
 それぞれ膨れ上がる不安を抱えていたユメと木雪が、互いの顔を見て声をかわすことで何とか淡く形をもった安堵が、絶望という名の槍に突き崩されるのが分かった。
 現れた女性がその先を言う前から、雷奈たちの頭は目を閉じ耳をふさぎたくなるほどにこの状況を理解してしまった。
「飛壇中央学院・研究部の者です。三者会議の決定により、研究倫理違反および一連の鏡像事件の重要参考人として、同行願います」
 ――恐れていた事態は、今、現実となったのだと。
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