フィライン・エデン Ⅲ

夜市彼乃

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13.水鏡編

62学園追放 ①

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 ユメと木雪が、連行された。
 ドッペルゲンガー騒動の重要参考人として。
 その事実が、まるで枕元に立て札でも建てられていたかのように、寝起きの頭に真っ先に飛び込んできて、雷奈はしばらく布団の上で瞬きだけを繰り返していた。
 どれだけそうしていただろうか。時計を見る。
 午前六時。今日の素振りの時間をとり逃した。
 ため息をつきながら、のっそりと起き上がると、月曜日の時間割を頭の中に広げる。
 四限、国語。五限、英語。教室移動なし、テストなし。
 昼休みいっぱいの電話会議は決定事項だ。

***

 昨日、あのまま半ば放心状態で取り残された一同は、心ここにあらずの状態で各々帰宅したので、情報としては何一つ進展していない状況だった。
 何とか心に余裕を生み出し、受け皿を用意できた昼休み。
 各自、弁当や菓子パンをもそもそやりながら、雷奈のスマホを中心に額を寄せ合っていた。
 こんな時、情報を得る手段は決まっている。
 アワとフーのスマホなら、ネットでフィライン・エデンのニュースも拾えるが、そこにはまだ規制がかかっている。二家の正統後継者ともなると、規制線が取り払われるのを指をくわえて待つよりよほど手っ取り早い権力を持っている。そして、その二人が必要だと言えば、恩恵は上客の人間たちにも与えられるのだ。
 だから、その手段とは、正統後継者を強力なバックにつけ、雷奈たちが最も親しい三大機関の長に生の情報を聞き出すことに他ならなかった。
「……ユメと木雪が連行されたっちゃけど」
『ええ』
 美雷の声は、いつもと何ら変わらなかった。
『三者会議での決定事項だったからね』
 仲間がこの動乱の発端ではないかと疑われ、学院寮の一室に強制的に留置され、糾弾されている。だというのに、愛想のよい柔らかなソプラノは、一ミリも揺れない。
 そういえば、彼女はそういう人物だった。ジンズウの一件で、霞冴とルシルが重態に陥り、コウも無事では済まなかった中で、残酷なまでに冷静に隊を回していたのだ。雷奈が自らの出生を知って傷つき、行方をくらませた時も。
 全ては、最善の対応をするために。それ以上、事態を悪化させないために。
 わかってはいるものの、そのたびに誰もが胸にちりちりとしたものを覚える。
 ともあれ、話は続ける。
「教えて。なして、あの二人が連行されたと? なして、三者会議はそんな結論に行きついたと?」
 スマホは、しばらく黙った後、アワとフーへ向けて美雷の声を伝えた。
『それは、人間が知る必要のある事柄なのかしら、二家のお二人?』
「大アリだよ」
 アワが即答した。
「三人はすでにルシルの『鏡像』とやらに襲われているんだ。今さら無関係とはいえない。最新の情報を得て、状況を把握する権利がある」
「いたずらに怖がる必要はない、けれど高を括るわけにもいかない。どれくらいの脅威か知ることで、とるべき行動も見えるはずよ」
 フーも言葉を重ねる。
 最高司令官は、しばらく沈黙に徹したのち、意を決したように口を切った。
『花雛さんとユメちゃんが、今回の事件にどのように関わっているのか、そもそも関わっているのかどうかは、断定することはできない。……けれど』
 柔和な声は次第に重みを増していき、深刻な現状と天秤で釣り合った。
『今から話すことは、二人が重要参考人として連行される根拠となった。覆せない、真実よ』
 そんな前置きをプロローグに、美雷の口から語られたのは、時間がループする七年前、とある研究室を起点として学院中に波紋を広げた、葛藤と破滅の物語だった。
 総造学研究科・皆川みなかわ研究室。
 教授としてはまだ若い、三十代後半の彼の元で、二人は出会った。
 前年に研究室入りし、学院研究者として駆け出したばかりの、十二歳の少女・花雛木雪。
 総造学研究科在籍で、卒業後の所属に皆川研究室を希望する、九歳の応用科学生・叶ユメ。
 彼女らは、専門を同じくする先輩と後輩だった。
 普通科を一年飛び級し、応用科もスムーズに卒業した木雪は、周囲に年上が多かったこともあって、いずれ研究室仲間となるであろうユメをたいそうかわいがった。ユメも、卒業に向けた勉学の傍ら、皆川研究室に足を運んでは将来の上司に学ぶ日々の中で、いっそ同級生よりも話す機会のある木雪を慕っていた。その親密さたるや、通常は礼儀正しく「さん」づけで呼ぶ木雪や、「全てのひとに敬意を」という理念から「さま」と最上級の敬称を添えるユメの、互いの呼称を聞けば推し量るのも難くはない。
 ユメに発明分野の才能の頭角が見え始めたのは、五月だった。本体の十倍以上大きなものをも収納して見せるカプセル「ユークリッドの玉手箱~n個入ればn+1個入る、帰納法帰納法!~」を完成させたのだ。
 おそらく、皆川もそれを見て、まだ研究室入りしていないユメをその計画に誘ったのだろう。
 とある一件の発明計画。これこそが、前途有望な二人の若者の運命を狂わせた禁断の誘いだった。
 彼が、優秀な弟子と弟子候補の三名でこの世にもたらそうと企てたもの。
 仮称・双在呪符そうざいじゅふ。猫力を注ぎ込むことで、その者のコピーを作り出す呪符だ。
 幻術などではなく、呪符そのものが変形し、当然組成物は異なるものの、本物と同様にふるまい、活動する。教授の名は伊達ではなく、皆川はすでにその理論的方法を突き止めていた。あとに必要なのは、膨大な試行錯誤だった。
 だが、その研究の本質的な問題を見抜けない二人ではなかった。
 人クローン個体及び交雑個体の生成の防止並びにこれらに類する個体の人為による生成の規制――人間でも、同じことを考える。
 命が尊いのは、この世に一つしかないからだ。それが量産されるとなれば、存在の尊厳が脅かされるのは明らかだ。
 当然、それは皆川の認識内にもあった。だからこそ、彼はその研究計画について、倫理審査に申請しなかった。
 学院の一般通念として、文献研究でない限りは、これからおこなおうという研究については、前もって倫理審査に通し、研究対象や研究者自身に危害が及ばないか、社会に負の影響をもたらさないか、十分な意義が見いだされるかなどを確認される。
 双在呪符開発を申請などすれば、満場一致で否決されることは問うまでもなくわかりきっていた。だからこそ、彼は研究者の卵と雛を囲い込み、内々に完成させようと目論んでいたのだ。
 二人は渋った。本音を言えば、断固拒否し、科学者の道を踏み外そうとしている彼を引き戻しさえしたかった。
 けれど、現、あるいは将来の上司の強い説得に、逆接を呈することができなかった。
 とはいえ、いっそ彼が富や名声を求めるあこぎな研究者だったならば、ユメと木雪は周囲に助けを求めてでも協力を拒んだだろう。二人が本当にその手を振り払えなかったのは、世に公表する意図もなく、ただその忌まわしい呪符を実現させたいが、まっすぐに伝わってきてしまったからかもしれない。
 もし、自分たちが皆川の立場だったら。そう考えてしまったのが最後だった。
 二人は、彼の共犯者になった。五月がまだ過ぎ去らない頃だった。
 そして、その関係は同じ年の十月まで続いた。何かの拍子に、同じ総造学研究科の別の教授に摘発され、学院長の耳に届くまでの間だった。
 あとは子細に語るまでもない。倫理的問題を抱えた研究を、意図的に審査に通すことをせず、秘密裏におこなった三名は、規定違反として責任を追及され、学府でのその先の道を閉ざされた。
 皆川は五年間にわたる研究活動停止処分。それに伴い、木雪は所属研究室を失い、案の定、他の研究室に受け入れてもらえるわけもなく、退職。ユメも研究室入りを断念せざるをえず、よってそのための過程である応用科も中退した。学院を去る前に、双在呪符に関するものは、研究データ、資料、ノート、何から何までをも処分させられた。
 その後、上司からの圧力があったととらえられて、木雪は希兵隊に迎え入れてもらうことができ、ユメは発明家として開業できたのは、僥倖中の僥倖といっていいだろう。それでも、彼女らの経歴に傷跡が残ったのは消えない事実だ。
 禁断の果実を口にした二人は、もうあの場所に戻ることを許されない。皆川研究室さえ、活動停止処分が解ける五年後に復活することはなかった。空っぽの自宅を残し、皆川は二度と姿を現さなかったのだ。関係者の間では、罪びととしてクロになったのだとささやかれ、研究室は早々に別の研究者にあてがわれた。
 双在呪符は、その芽さえ摘まれて、闇に葬られた。
 ――そのはずだった。
『それが、鏡像が現れ始めたことで、「実は双在呪符はすでに開発されていて、破棄されず二名のいずれかによって使用された」または「情報の破棄が不十分で第三者によって利用された」可能性が浮上したのよ』
「それで……あの二人が」
 円になったまま、彼女らは言葉を探して視線をさまよわせた。
 考えていることは同じだった。きっと、あの二人は双在呪符を使用してはいない。あれだけ必死にお互いを確かめあっていたのだ。その呪符が使われるということが由々しき事態であることは、彼女らが一番よくわかっているからだろう。
 しかし、百回それを口にしたところで、一つの証拠にすらなりはしない。彼女らへの容疑は晴れないだろう。
 せめて、第三者に使われたという線なら、少しは罰が軽くなるかもしれないのだが。
「……というか、もし容疑ばぬぐえんかったら、罰とか与えられると?」
「いやでも、フィライン・エデンはあれだろ? 黒の場合は文字通りクロになるんだろ?」
「クロになるかどうかは、学院のひとが決めることじゃないものね?」
『けれど、実害が出ているのは事実。……希兵隊の開発部や発明業といった科学界からの追放は免れないでしょうね』
 美雷の一言は、雷奈の四段弁当箱の上に置かれたスマホから零れ落ちて、屋上のコンクリートの床に、梅雨の日の雨水のようにしみこんでいった。
「……現状はどうなっているんだい」
 静かに尋ねるアワに、美雷も落ち着いた声色で答えた。
「二人は学院で取り調べを受けているわ。希兵隊はパトロール強化。鏡像はクロ類検出センサーに反応しないから、目視で警戒するしかないのよ。……それから、被害に遭ったひとからも情報収集を始めたわ」
「それは、担当しているのはもしかして……」
「ええ。情報管理局が、今も事情聴取を進めているはずよ」
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