フィライン・エデン Ⅲ

夜市彼乃

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13.水鏡編

65雨祓いのプロシージャ ⑤

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 どれだけ湧いてくるのかと慄くほどの水が、地に着いた四つ足のそばから噴き上がる。今度は何を仕掛けてくるのかと身構えた少女たちだが、シズクの意図は彼女らの想定外だった。
 大量の水は、シズク自身の体を包み込み、水の球となって宙に浮かんだのだ。呼吸は必要なのか、頭部の部分だけぽっかりと空間が空いているが、体は直径二、三メートルの水の球の中でたゆたっている。
 守りに入った消極的な姿勢――かと思った次の瞬間、水球の表面から全方位へ向けて、水の弾丸が飛び出した。
「うわわわ!?」
 雷奈たちは散り散りになって逃げだした。皆何発かに体をかすめられ、水といえども擦過傷をその身に刻んだ。顔にでも当たれば大けがだ。
 続けざまに、やはり全方位へ飛ばされたのは水の刃。アワたちが游断と称して使う術だ。その一つが、氷架璃の頭部目がけて飛んできたのを、彼女は膝の力を抜く勢いでしゃがみ込んで回避した。その背後でバスンと音がして振り返れば、犠牲になった木の幹には斧が刺さった跡のような傷跡が走っていた。
 特に氷架璃にとって、游断はつい先日の戦闘で見慣れたところだった。だが、素人目にもわかる。シズクの放つ水の刃は、アワや柳青が放つものをはるかに凌駕する威力をもっている。改めて、チエアリの特異性を思い知らされる。
 シズクの水球は、言うなれば極めてシンプルな浮遊要塞だ。籠城したまま、猛烈な攻撃を周囲に放つことができる。このままいけば雷奈たちが劣勢のまま雌雄が決するのは明らかだ。
 ならば、とる手段は反撃のみ。
「焼き切れ、閃線せんせんッ!」
「翔けろ、瞬葉しゅんようっ!」
 氷架璃と芽華実がほぼ同時に術を放った。一点集中のレーザーと、硬い葉の群れが、互いに直角を描いてシズクへ向かう。しかし、細いレーザーは水球内に侵入こそできるものの、屈折してシズクを逸れ、木の葉のやいばは迎え撃つ水鉄砲に叩き落された。
「くっそー、ダメか!」
「葉がダメなら……!」
「氷架璃、芽華実!」
 術を切り替えようとする二人の間へ、雷奈が飛び出す。
「任せて! 背水の陣ならぬ、全水の陣ったい!」
「何言ってんだ? 録音してもっぺん聞き直してみ?」
 氷架璃の指摘ももっともだが、要はシズクには三六〇度逃げ場がないということだ。水の中にいる限り、雷奈の術から逃れるすべはない。
「瞬刻の走者、裂帛の奏者、明かす残像は幻影の証、猛進の枠と盲進の型に終止なく即せ!」
 極寒の種子島でもダークに会心の一撃を与えた一手。その種は、小学生でも知っている物理法則。
 水は、電気を通す。
「奔れ、超電流!」
 突き出した手からほとばしる高エネルギー。シズクに直接あたることはもちろん期待していない。だが、水球のどこかに触れでもすれば、中のシズクはひとたまりもない。
 その、はずだった。
 電流は、水球に直撃し、そこで消滅した。
「な……」
 雷奈は愕然とした。何が起こったのか、にわかには信じがたかった。
 水が電流を遮ったように見えた。だが、そんなはずはない。ならば、直撃したと思ったのは、見間違いだったのだろうか。
 目にした現象を信じられず、雷奈は二度、三度と同じ雷術を放った。だが、何度やっても結果は同じだ。電流が水の奥に伝わることはなく、シズクに届く気配もない。
 唖然として固まる雷奈に、水の大砲。足が地面に張り付いたままの彼女を、横から飛んできた衝撃が突き飛ばした。
「危ないっ!」
「……!」
 かわいらしい声を精いっぱい張り上げながらタックルしてきたユメとともに、雷奈は地面を転がった。
 全身びしょ濡れのうえ土だらけになりながら体を起こした雷奈は、そばで地面に手をつくユメを気遣った。
「ありがとう……大丈夫っちゃか」
「雷奈さま」
 擦ったところを痛そうにしながらも、ユメは起き上がろうとしながら雷奈を見上げた。
「あの水に……雷術は通用しません」
「そう……みたいやね」
 木雪が駆け寄ってきて、ユメの手を引いて助け起こす。物理法則に反した現象を目の当たりにしているはずなのに、科学者たちは冷静だ。
 シズクはといえば、氷架璃と芽華実の相手をしている。二人は手を変え品を変え、水球の中へ攻撃を届かせようとしているものの、どれもうまくいかない。そのたびに水球要塞から放たれる攻撃を這う這うの体でかわす様子は、見ていて危なっかしい。
「チエアリ……まさかそんな特殊性までもっているなんて……」
 水相手に最も分がいいのは雷術だと思っていたのに、慮外の形勢逆転だ。
 ならば、星術なら敵うだろうか。木雪は草猫なので、芽華実が不発に終わってしまった術は彼女が使っても同じだろう。
「……そういえば、ユメの猫種って……」
 発明家というアイデンティティが濃すぎて、これまで尋ねたことすらなかった。何か、この状況を打破できる力であればよいのだが、と雷奈は期待する。そんな彼女に、ユメはシズクを見据えたまま、淡々と答えた。
「雷ですぅ」
「そっか……」
 ならば、彼女の力も届かないだろう。
 いっそユメの発明品で何とかならないだろうか、と考えを巡らせる雷奈の耳に届いたのは、木雪のささやき声だった。
「ユユちゃん」
 木雪がシズクから目を離さずに腰をかがめて、座り込んだユメに顔を寄せる。まるでお姉さんが妹に目の高さを合わせてやっているような仕草で、実際に相応の年の差があるにもかかわらず、二人の間にある空気はどちらにも傾かない。
「私が出ます。……頼んでいいですか」
「もちろんですっ」
 雷奈には解せないやりとりが交わされた。混乱した様子の彼女に、木雪が立ち上がりながら言う。
「雷奈さん、氷架璃さんと芽華実さんと一緒に、相手の気を引いてください」
「えっ……ばってん」
 人間三人が戦闘に長けているとまでは言わないが、輪をかけて非戦闘員と見受けられる二人に任せるというのは、荷が勝ちすぎるのではないだろうか。
 逡巡する雷奈を、木雪とユメは強い視線で見つめ返した。
「おそらくあれは、チエアリの特殊性ではありません」
「えっ……!?」
「これからそれを証明しますっ!」
 いうや否や、二人は動き出した。
 木雪が白衣を翻して駆け出す。ユメはその場で刀印を結び、反対の手を前に突き出した。
「哭け、雷砲っ!」
 手のひらから現れた電流の塊が、水球要塞へと飛んでいく。だが、その大きさも速さも、雷奈の比ではないほどに弱い。人間とはいえ、戦闘もそこそこ場慣れしているうえ、あのガオンの血を引く雷奈の術は、希兵隊の隊長レベルに匹敵するのだ。その雷奈の雷術が効かなかったのだから、ユメのそれも当然水面に消える。
 奏効したといえば、シズクの注意が数秒でもユメにそれたことで、疲弊気味の氷架璃と芽華実に一時撤退の隙を与えたことか。
 ユメは脅威たり得ないと見たか、シズクが次に標的にしたのは、シズクの死角に回りこもうとする木雪だった。
 気づかれたと悟るや否や、木雪は言霊と共に刀印を振りかざした。濡れた草ごと地面を突き破り、一抱えはある太い巨大な根が姿を現す。根は大蛇のような動きで、水球を貫こうと伸び上がった。
 刹那、根は中腹から切り飛ばされた。切り株となった根元は静止し、刎ねられた胴から上は、運悪く術者の方へと飛んでいく。
「っ!」
 間一髪で身をかがめ、鈍器の直撃を避ける木雪。だが、いくら希兵隊員といえど、開発部員の運動能力と服装は戦闘を前提にしたものではない。彼女にとって、走りながら身を屈めるというのは、あまりにも無理があった。重心の安定を失い、受け身も怪しく地面を転がる。
「ここちゃんっ」
 ユメが悲鳴をあげる。シズクは意にも介さず、倒れた木雪にあの鉄砲水を向けた。今の方向ならば崖から落とされることはないだろうが、水かさにしろ勢いにしろ、ガオンがルシルを溺水させたものに近いところがある。
 切り札を迷わなかった。ユメはいつも下げているポシェットを跳ね開けると、中に手を突っ込んで、つかんだものを素早く構えた。
 無骨な灰色のカプセルボール。世界に一つだけの、異次元の収納具。
 ユークリッドの玉手箱が、口を開いた。
 木雪を飲み込もうとしていた激流が、強烈な引力に引かれていびつに向きを変える。引力の源であるユークリッドの玉手箱が、その小さな体の何百倍もの体積の水を、渇したように飲み干していく。
 ユメの、ある意味で普通の猫の力を超えた所業に、さすがのシズクも面食らったのか、放水をやめた。その瞬間、地面に伏したままの木雪の手が、地面を強く打った。
「這え、堅肢!」
 虎視眈々と狙い、やっととらえた一瞬の隙。
 再び別の個所から生えた大ぶりの根が、今度こそ鋭くシズクの要塞に侵入した。
 しかし、それが関の山だった。とっさの術の発動だったのが災いしたか、鋭い切っ先はシズクを逸れ、何もない水中を貫いたのみだった。
 退避して体力を回復させていた氷架璃と芽華実が悔しげにうめいた。
 そんな二人とは対照的に、木雪とユメが鋭く輝く視線をかわした。
 直後。
「奔れ、超電流っ!」
 ユークリッドの玉手箱を惜しげもなく足元に落とし、ユメの両手が電撃を放った。頭を抱えて地面に伏せる木雪の斜め上方、空中に浮かぶ水の球へ向けて。ガオン譲りの雷奈の強力な電撃をものともしない難攻不落の城に、目に見えて上品な威力の電撃が触れて――。
 目もくらむような明滅とともに、落城させた。
「アァァァッ!」
 引き裂くような叫喚が響き渡る。
 崩落する水の城塞と共に地に落ちた城主は、体から黒い霧を立ち昇らせながら這いつくばった。
 敵よりも驚倒した仲間たちが、起き上がった木雪と一仕事終えた風情のユメとの間で視線をせわしなくさせる。
「えっ、えっ……なして!?」
 雷奈に至っては、自分の力がユメにも及ばなかったのかと、少し矜持を傷めている始末だ。
 そんな彼女に、ユメの愛らしくも平坦な声が届く。
「チエアリに限らないことですが」
 スカートを丁寧に折りながらしゃがんで、ユークリッドの玉手箱を拾い上げながら。
「水猫が生み出す水というのは、源子が水そのものの形をとったもの。つまり、水道水や川の水とは違い、不純物のない純水なのですぅ」
「まじりけのない水……ってことっちゃか?」
「それが何だっていうんだよ」
 氷架璃も主旨がつかめない様子だ。
 雷奈の電撃が効かず、ユメの電撃は効いた。その違いに水質がどう関わるのかが全く見えず、混乱する三人。
 ユメはもったいぶるでもなく、衒学的なそぶりもせず、ただ淡々と事実を告げた。
「純水は絶縁体なのですよ」
 雷奈たちは、それが理科の授業でしか耳にしない用語の一つであることに気づくまで、いくらかの時間を要した。教科書の説明を頭の中でそらんじる。
 絶縁体とは、電気を通さない性質をもつ物質のことだ。
 忘れてはいけない。この甘いオーラをまとう少女は、日ごろから可愛らしい声で瀟洒なブランド名の代わりにいかめしい物理用語を紡ぐ、科学者だ。
「ばってん、私の認識じゃ、水は電気を通すって……」
「それは、通常の水は中に有機物などの不純物が溶け込んでいるからですぅ。源子から作り出され、あまつさえ中空に浮いたままの水には不純物が含まれず、水を通しません。だから、ここちゃんが木の根を突き刺して土などの不純物を混ぜた途端に……」
「通電するようになった……ってことっちゃか」
 ユメは頷いて、手の中のユークリッドの玉手箱を再び開いた。立ち上がろうとするシズクへ向かって口を開けたカプセルは、先程飲み込んだ水を、マーライオンの比ではない勢いで吐き出した。ユメ自身が足を踏ん張らなければならないほどの水圧が、シズクを襲う。
「芽華実さまの木の葉を叩き落したのも、おそらくそのためですぅ。鋭い葉が水中をたゆたっているのも脅威ですが、それ以上に、不純物を水球に入れたくなかったのですよ」
 吸い込んだぶんの水を吐き出し終わり、ユークリッドの玉手箱はその口を閉じた。シズクは再び地に倒れ伏した形だが、身を霧に変えるほどのダメージは与えられなかったようだ。
 だが、水球要塞の絶対不可侵のタネは暴かれた。そして、反撃に転じられた。
 きっとこの二人がいなければ、無知の闇に隠された唯一解を見つけ出すことはできなかった。一矢も報いられぬまま、避け損ねたいずれかの水術の餌食となり、三人まとめてこの異世界との出会いの地を青山としていたことだろう。
 希兵隊のように武に優れたわけでも、猫力学者のように術に特別長けているわけでもない。
 けれど、ときに彼らを凌駕するほどに、現象事実の理を知る科学者は――強い。
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