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【第二章】 「腹黒王子に逃げた俺、逃げきれませんでした」
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しおりを挟む部屋の扉がノックされたのは、放課後の陽が陰りはじめたころだった。
「——来たな」
会長がソファから立ち上がり、無言でドアを開ける。
その向こうにいたのは、制服の襟元をきちんと整えた天瀬晴人。
けれど、その整いすぎた姿よりも、目の下のくま、力の抜けた頬、焦点の合っていない目のほうが目を引いた。
(……委員長、こんな顔するんだ)
とっさにそう思ってしまうほど、彼は″疲れて″いた。
「……入れ」
会長が言うと、晴人はゆっくりと頷いて中へ入る。
俺と凪くんは、ソファに座ったまま彼の姿を見上げた。
晴人は、一言も発さず、ただ目を伏せたまま立ち尽くしている。
凪くんが、柔らかく空気を割るように言った。
「話しに来たんだよね?」
その言葉に、晴人の肩がわずかに震える。
「……ああ。話を、しに」
どこか掠れた声だった。
あの人の声って、こんなふうに震えるんだ。そう思うだけで、喉が詰まる。
「じゃ、俺たちは席を外す」
会長が立ち上がると、凪くんもつられて動いた。
「……話し合って。ちゃんと、ね」
俺の肩をそっと叩いた凪くんの指が、心なしか強くて、少しだけ背中を押された気がした。
会長は晴人に「変なことしたらぶっ飛ばすからな」とだけ言って、部屋を出ていった。
静かになった部屋に、微かな足音だけが響いている。
俺と、委員長。
かつて同じ部屋にいた2人が、今度は会長の部屋で向かい合っている。
この状況だけで、胸の奥がずっと痛い。
「……あの」
先に口を開いたのは、晴人だった。
その目は、やっぱり俺を見ていなかった。
いや、見れないのかもしれない。
「……僕がしたこと、わかってる。……怖かったよね、きっと。気持ち悪かったと思うし、……僕のせいで、苦しんだと思う」
ぽつぽつと、晴人はまるで自分に言い聞かせるように言葉を並べる。
「支配してたって、言われた。……そのとおりだと思う。
君のこと、幸せにしてあげたかった。
誰にも傷つけられないように、守ってあげたかった。……でも、そうじゃなかったんだよね。
君の意志を、無視してた。君がちゃんと話してたのに、聞いてなかった」
その声に、怒りはなかった。言い訳もなかった。
ただ——痛みが、あった。
「……ごめん。本当に、ごめん……」
最後の言葉だけは、涙の奥に絞り出すような響きをしていた。
顔を上げた晴人の瞳は、真っ赤だった。
いつもの透き通った青ではなく、熱に濁った色で、でもそれが、やけに綺麗に見えた。
「僕は、ね……」
晴人は少し言い淀んでから、かすかに唇を噛んだ。
「君に“愛されてるフリ”をされても、満足してたんだと思う。
笑ってくれてるなら、それでいいって思ってた。……でも違った」
一歩、俺のほうに近づく。
「君が居なくなってから。……やっと気づいた。
僕は、何も君のことを見ていなかった。
心も、願いも、嫌がる顔も……何ひとつ、本当には見てなかった」
近づいた彼が、ほんのすこしだけ手を伸ばす。
でも、その手は途中で止まった。
——もう、俺の気持ちを″無視して″触れてこない。
それだけで、胸の奥がじんと熱くなった。
「君が僕のことを許さなくてもいい。嫌いでも、顔を見たくなくても、全部受け入れる。
でも……それでも、一度だけちゃんと伝えさせて」
まっすぐな、熱に滲んだ声だった。
「——好きです。君が、好き。
だからもう一度……ちゃんと″君の声″を聞かせてください。僕は、君の話を聞きたい。君が—……嫌なことは、もうしないから……戻ってきて……っ」
ぼろりと、涙は出ていないのにまるで泣いているように見えた。
赤い目は充血して、眉間に皺がよって、喉がしゃくりあげて弾き縛られている。
沈黙が落ちた。
俺は——答えなきゃいけない。
目の前にいる委員長は、もう″王子様″じゃない。
完璧でもなく、冷たくもなく、すべての仮面を外して、俺に話してくれてる。
——弱さを隠さずに見せてくれている彼に、俺は、
「…………っ」
言葉にならなかった。
喉が詰まって、声が出なかった。
でも、胸が——熱かった。
この数日間、ずっと考えてきた。
怒りも、疑いも、恐怖も、混ざっていた。
それでも今、彼の弱さに触れて、胸の奥の“好き”が揺れた。
怖い。だって、俺、委員長のこと″好き″なんだって、分かってしまった。
今度彼から″好意″を掛けられたら、きっともう逃げられない。
支配から、逃げようとさえ思わないのかもしれない。
「……俺、」
やっと出た声が、掠れていた。
「……今更、委員長のことが……好きかもしれない……」
晴人の目が、ふっと見開かれた。
「でも、俺、まだ、迷ってるし……委員長の全部を、受け入れる覚悟もできてない。委員長のこと裏切ったし、その…掲示板の時も嘘ついてたし、俺だって悪い点いっぱいあるし…
でも、」
声が震えるのを隠しながら、俺は彼の目を見た。
「——ちゃんと、委員長と″話し合いたい″って思った」
それだけで、晴人は目を伏せて、小さく「ありがとう」と呟いた。
蝋人形みたいな綺麗な顔に、涙が頬を伝って落ちた。
完璧な王子は、もうそこにはいない。
でも、俺はそれでいいと思った。
——今、ここにいるのは、″天瀬晴人″というひとりの人間で。
そして俺はこの人を、初めて″支えたい″と思った。
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