【完結】腹黒王子と俺が″偽装カップル″を演じることになりました。

Y(ワイ)

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【最終章】「腹黒王子と俺、今ではすっかり″恋人同士″です(ただし逃げ場はない)」

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午後の休憩時間の廊下は、湿った風が通り抜けていた。
七月も半ば。窓から差し込む陽が長く影を伸ばし、その影の中、俺はまた——見てしまった。

晴人と、以前の男がふたり並んで歩いているのを。


(……また、話してる)

ただ並んでいるだけ。けれど、近い。
男の無表情と、晴人の柔らかな笑顔。それだけの構図なのに、どうしてこんなに胸がざわつくんだろう。


(……っ)

ふと、聞こえた。


「なあ、晴人。あのことの“報告”だけど——」
(……今、なんて……?)

名前呼びだった。
俺はその一言に、心臓が跳ねるような衝撃を受けた。


(……あいつ、“晴人”って呼んだ……?)


晴人のことを、あの王子様のことを、下の名前で?
なんのてらいもなく、まるで呼び慣れてるみたいに?


(ちょっと待って。俺、まだ名前呼び始めたばっかりなのに……!)

あざとく笑っておねだりされて、やっとこっちも“晴人”って言えたのに。
なのに、あいつは当然のようにその距離感を超えていて、しかも晴人もそれを咎める素振りすら見せない。

——胸が、きゅっと痛んだ。


(……なんか、やだ……)





俺は、晴人の″恋人″だ。

そのはずなのに。こんなにも近くにいるのに。
あんなふうに、当たり前のように晴人を呼ぶ″他の誰か″の存在に、こんなにも嫉妬するなんて。

″俺以外の人間″に見せる顔があることを、初めて突きつけられたような気がして、どうしようもなく——苦しかった。

けれど、その先の会話は、俺の耳には届かなかった。



晴人はふっと視線を横に流し、なにかを呟くと、澪が無言でうなずいた。
——それだけ。俺の目にはただの親密なやり取りにしか映らない。
でも、きっとそこには俺の知らない“コード”がある。


(……俺、知らない顔、されてる)

そのままふたりは角を曲がり、視界から消えた。
その背中に手を伸ばせなかった自分が、少しだけ悔しかった。






***






部屋に戻ると、晴人はすでにいた。
制服のネクタイを緩め、簡易キッチンで紅茶を淹れている。
その手つきが妙に優雅で、さっきのもやもやがぶり返す。


「……おかえり、美咲くん。今日も暑かったね」

いつも通りの声。いつも通りの微笑み。
けれど、俺はどこか冷静になれなくて、口をついて出た。


「……ねえ。さっき、廊下で話してた相手、誰?」

少し、晴人の手が止まった。
けれど、表情は変わらない。


「……ん?澪くんのこと?」

俺はこくりと頷いた。


「たぶん…そう。なんか……距離近かったし……名前も、呼んでた」

言ったあと、俺は自分の声の“拗ねた色”に気づいて、思わず唇を噛んだ。

(やば……なに、俺、めちゃくちゃ子供みたいじゃん……)




だけど、晴人はふわりと微笑むだけだった。


「澪くんとは、ちょっとね。共有しなきゃいけないことがあって」
「……共有?」
「うん。……君にはあんまり関係ない話だよ。安心して」

その声は、優しくて、でもどこか突き放すようでもあった。


「……ふうん」

苦笑して、俺はベッドに腰を落とす。


(関係ない……か。恋人なのに、知らなくていい話……)

なぜか、その言葉が心に刺さった。
俺には見せない顔を、誰かに見せて。
俺には話さないことを、誰かと話して。

それでも、“恋人”でいられるのかな。
少しだけ冷めた紅茶をひとくち飲み、俺は視線を落とした。


けれど、そんな俺の横にそっと座った晴人は、まるで全部を包み込むように——柔らかな声で囁いた。


「……ねえ、美咲くん。名前で呼んで?」
「……っ、今、そういう雰囲気じゃない……」
「……じゃあ、雰囲気、作ってあげる」

晴人は、俺の髪に指を通しながら囁く。


「……ねえ、美咲くん。僕のことだけ見ててくれるよね?」

鼓動が跳ねた。
甘い、甘い声。けれどその奥には、何か冷たいものが潜んでいる気がしているのに。
——俺は、胸の熱を抑えられなくなっていた。





***




同じ日の夕暮れ。
静かな風紀委員室では、澪が淡々と、晴人に報告していた。


「……観察記録は全部燃やした。手帳は保管してある」
「ありがとう、澪くん。あの子は……生かしておいた方が、″使えそう″だから。」

晴人は紅茶を啜るように、口元をほころばせる。


「……使わせるつもりはないが」
「へえ」

晴人は、口角を僅かに上げた。


「何だ。君もちゃんとそういう顔、出来るようになったんだね」
「………誰かさんのおかげでな。」

晴人の笑顔が、さらに深くなる。


「ふふ。……でも、ここからが本番だからね」

窓から差し込むの光の中、ふたりの影は長く伸びて、どこまでも重なっていた。
——その影の中で、恋人という名の檻が、少しずつ、その形を完成させていく。




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