【完結】観察者、愛されて壊される。

Y(ワイ)

文字の大きさ
22 / 32
【第四章】管理編

4-4

しおりを挟む
(孝視点)





昼食時の食堂は、いつもと同じざわめきに包まれていた。
食器がぶつかる音、笑い声、パンを落とした一年生の慌てる声。
——なのに、俺の耳に届くのは、ほんの一部だけだった。

人の目に触れないように窓際のいつもの席に座り、鏡の反射越しに″彼″を見る。

″根津美咲。″

白い皿の上にはサラダとパン、そして彩りのいいオムレツ。
それを左隣の天瀬晴人が丁寧に切り分け、美咲の皿へと運んでやっていた。


「……子供の世話かよ……」

自然と、呟きが漏れる。
それは突き刺すような侮蔑でも、からかいでもない。
自分でも気づかないほど微細な焦りと、嫉妬の混ざった警告だった。


(——騙されてることなんて、いい加減わかるでしょ…?)


あの男は王子様なんかじゃない。
優しくなんか、ない。
一度でも″標的″として視界に入ったら、もう二度と自由には戻れない。


美咲の横では、生徒会長の護堂要が凪と並んで食事をしていた。
相変わらず、誰よりも姿勢が良く、食事もきちんとしている。
——けれど、その隣で凪が無邪気に笑うたび、耳の先がほんのり赤くなっているのが見えた。

あの王子とあの会長が、同じテーブルで“笑っている”。
こんなバランスのとれた構図の中に、自分が立ち入る余地はどこにもない。
——いや、それでも。


「……俺は……」

声にならない声が、喉を震わせた。
美咲の視線が、一瞬だけこちらに向きかけたような気がして、俺はわずかに気を取られた。




その瞬間だった。

 
背後からぬるりと、白い指が、俺の口元を撫でてきた。

「んっ……?!」

反射的に肩が跳ねたが、遅かった。
指は俺の唇をこじ開け、舌の上へ、ぐじゅりと潜り込んできた。

 

ぬめった感触が口内を這う。
柔らかな舌の上を、指先がゆっくりと撫で、絡め、口蓋を押し上げる。

(っ、澪……!?)

見なくてもわかる。この無遠慮で執拗な侵入をするのは、あいつだけだ。

 
「……熱心だな。まだ“ファン活動”かよ」
「…………っ」

耳元で、酷く優しい声が囁く。


「まさか、あいつに声かけようとしたのか?」

指は抜かれず、舌の付け根をぐりぐりと押してくる。
息が詰まりそうになり、喉が詰まって、涎が滲んだ。


「次にあいつに関わったら、どうなるか……分かってるよな?」


——振り返れない。
——喋れない。
——逃げられない。

手は、今は自由なのに。
なのに、俺の身体は微動だにできなかった。

怖い。
澪の目を見るのが、怖い。
また、あの熱に灼かれたような目で覗き込まれたら、身体の奥まで暴かれる気がして——

(……人に、見られる……)

 

食堂はざわめいている。
すぐそこに、美咲の笑顔がある。凪が笑ってる。会長が紅茶を注いでる。晴人が微笑んでる。
そのすぐ近くで、俺は今、口の中を陵辱されている。


「……いい加減、“要らない心配事”ばかり増やすその頭、矯正してやろうか」

にこりと、吐息に触れるような声。
その瞬間、背筋に氷が走った。

澪は、“守るため”と言いながら、俺のすべてを管理している。
晴人から俺を守る“盾”なんかじゃない。
ただ、晴人と同じ種類の支配者にすぎない。

指が抜かれたあと、舌の先に残った澪の体温と、粘り気が、いつまでも消えなかった。

俺はもう、どこにも戻れない。

自分の身体が、自分のものじゃなくなっていく感覚を噛みしめながら、
鏡に映った“笑い合う幸福なテーブル”を、ただ、ただ、見つめていた。

——あの檻の中の幸福は、
手を伸ばした瞬間、地獄に引きずり込まれる。

俺はもう、それを知ってしまったから。






***




俺たちは並んで歩いていた。
けれどその距離は、もう“横並び”じゃない。

俺の数歩前を、澪が静かに進んでいく。
広すぎもせず、狭すぎもしない間隔。
けれど、どうしてもその背中に手を伸ばすことはできなかった。

 

(……ねえ、澪ちゃん)

そう呼ぼうとして——喉がひくりと引き攣った。

言葉にならなかった。
たった五文字が、声帯を通ることすら拒絶された。


(……あの頃は、普通に呼べてたのに)

頭の中に、擬装カップルだった頃の澪が浮かぶ。


『ダーリン、今日のプリント忘れてるよ?』
『俺がいてよかったでしょ?』

気怠そうに笑って、俺が持って行ったプリントを受け取る澪。
喧騒を避けて屋上で昼寝をする俺に、わざわざ飲み物を持ってきてくれた澪。

まるで、恋人みたいだった。
……いや、恋人の“演技”だったのに。

それでも、心地よかった。

 

あの頃の俺は、自由だった。
からかって、煽って、冗談混じりに腕を引っ張って。
澪はそのたびに眉をひそめたり、呆れたりしながらも——
どこか楽しそうだった。


(……あの頃の“澪ちゃん”は、ちゃんと、俺を見てた)

今も同じ目で見てくれるはずだ。
俺が「澪ちゃん」って呼べば、また“あの時”みたいに笑ってくれるはずだ。

わかってるのに——呼べない。

喉が痛いほど固まる。
名前が、どうしても、出てこない。


(澪、ちゃん……)

胸の奥で声が割れた。
あの頃の記憶は、今ではもう“夢”みたいに遠い。

今の俺は、呼ばない。
いや、呼べない。
名前ひとつで崩れてしまいそうな、この均衡を。
一歩間違えれば、あの熱を帯びた目で——また“壊される”。


(それでも……)

たまに思ってしまう。


(俺が、また澪ちゃんって呼んだら……)

また優しくしてくれるんじゃないかって。
また屋上で他愛ない話をして、
また俺の肩を小突いて、
また、ちょっと照れた顔で「バカ」って言って——

 

……幻想だ。

全部、ただの夢だ。

 

だって今の俺は、澪の後ろを黙ってついて歩くだけだ。

さっき食堂で澪の指が口の中を這ったとき、俺は……何一つ抵抗できなかった。

怖かった。嫌だった。けれど、それ以上に——

逆らえなかった。

 

もう、俺は“並んで歩ける相手”じゃない。
澪にとって、俺はもう、“隣”に置く必要のない存在なんだ。
背中越しの澪が、ふとこちらを振り返る。
反射的に視線を逸らした。


「……何だよ。みお、ちゃ……」
喉が詰まった。

「……い、や、なんでもない」
俺は、俯いたまま小さく呟いた。

 

もし呼んでしまったら。
もしあの名前を口にしてしまったら。
また“壊される”。

——優しい顔で、慈しむように、
俺の甘えた幻想ごと、壊されてしまう。


今の澪は、俺の望んだ“澪ちゃん”じゃない。
でも、俺はまだ——
まだ、あの時の“澪ちゃん”を、探してしまっている。

 

自分の足音が、澪の後ろに影のように続いていく。
まるで、俺という存在そのものが、
澪の“過去”にすがりついているみたいだった。

 



(もう分かってるんだ、ほんとは)

(俺が逃げなかったら、澪に向き合っていたら、澪は変わったりしなかった)

(澪ちゃんのまま、俺と居てくれた)

(澪を変えたのは、俺だ。)

(これは、好意を利用して、無視し続けた″罰″なんだ……)






(澪ちゃん、また、前の澪ちゃんに会いたいよ。)






 

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―

無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」 卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。 一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。 選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。 本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。 愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。 ※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。 ※本作は織理受けのハーレム形式です。 ※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください

婚約破棄されてヤケになって戦に乱入したら、英雄にされた上に美人で可愛い嫁ができました。

零壱
BL
自己肯定感ゼロ×圧倒的王太子───美形スパダリ同士の成長と恋のファンタジーBL。 鎖国国家クルシュの第三王子アースィムは、結婚式目前にして長年の婚約を一方的に破棄される。 ヤケになり、賑やかな幼馴染み達を引き連れ無関係の戦場に乗り込んだ結果───何故か英雄に祭り上げられ、なぜか嫁(男)まで手に入れてしまう。 「自分なんかがこんなどちゃくそ美人(男)を……」と悩むアースィム(攻)と、 「この私に不満があるのか」と詰め寄る王太子セオドア(受)。 互いを想い合う二人が紡ぐ、恋と成長の物語。 他にも幼馴染み達の一抹の寂寥を切り取った短篇や、 両想いなのに攻めの鈍感さで拗れる二人の恋を含む全四篇。 フッと笑えて、ギュッと胸が詰まる。 丁寧に読みたい、大人のためのファンタジーBL。 他サイトでも公開しております。

気づいたらスパダリの部屋で繭になってた話

米山のら
BL
鎌倉で静かにリモート生活を送る俺は、極度のあがり症。 子どものころ高い声をからかわれたトラウマが原因で、人と話すのが苦手だ。 そんな俺が、月に一度の出社日に出会ったのは、仕事も見た目も完璧なのに、なぜか異常に距離が近い謎のスパダリ。 気づけば荷物ごとドナドナされて、たどり着いたのは最上階の部屋。 「おいで」 ……その優しさ、むしろ怖いんですけど!? これは、殻に閉じこもっていた俺が、“繭”という名の執着にじわじわと絡め取られていく話。

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

陰キャな俺、人気者の幼馴染に溺愛されてます。

陽七 葵
BL
 主人公である佐倉 晴翔(さくら はると)は、顔がコンプレックスで、何をやらせてもダメダメな高校二年生。前髪で顔を隠し、目立たず平穏な高校ライフを望んでいる。  しかし、そんな晴翔の平穏な生活を脅かすのはこの男。幼馴染の葉山 蓮(はやま れん)。  蓮は、イケメンな上に人当たりも良く、勉強、スポーツ何でも出来る学校一の人気者。蓮と一緒にいれば、自ずと目立つ。  だから、晴翔は学校では極力蓮に近付きたくないのだが、避けているはずの蓮が晴翔にベッタリ構ってくる。  そして、ひょんなことから『恋人のフリ』を始める二人。  そこから物語は始まるのだが——。  実はこの二人、最初から両想いだったのにそれを拗らせまくり。蓮に新たな恋敵も現れ、蓮の執着心は過剰なモノへと変わっていく。  素直になれない主人公と人気者な幼馴染の恋の物語。どうぞお楽しみ下さい♪

婚約解消されたネコミミ悪役令息はなぜか王子に溺愛される

日色
BL
大好きな王子に婚約解消されてしまった悪役令息ルジア=アンセルは、ネコミミの呪いをかけられると同時に前世の記憶を思い出した。最後の情けにと両親に与えられた猫カフェで、これからは猫とまったり生きていくことに決めた……はずなのに! なぜか婚約解消したはずの王子レオンが押しかけてきて!? 『悪役令息溺愛アンソロジー』に寄稿したお話です。全11話になる予定です。 *ムーンライトノベルズにも投稿しています。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

学園一のスパダリが義兄兼恋人になりました

すいかちゃん
BL
母親の再婚により、名門リーディア家の一員となったユウト。憧れの先輩・セージュが義兄となり喜ぶ。だが、セージュの態度は冷たくて「兄弟になりたくなかった」とまで言われてしまう。おまけに、そんなセージュの部屋で暮らす事になり…。 第二話「兄と呼べない理由」 セージュがなぜユウトに冷たい態度をとるのかがここで明かされます。 第三話「恋人として」は、9月1日(月)の更新となります。 躊躇いながらもセージュの恋人になったユウト。触れられたりキスされるとドキドキしてしまい…。 そして、セージュはユウトに恋をした日を回想します。 第四話「誘惑」 セージュと親しいセシリアという少女の存在がユウトの心をざわつかせます。 愛される自信が持てないユウトを、セージュは洗面所で…。 第五話「月夜の口づけ」 セレストア祭の夜。ユウトはある人物からセージュとの恋を反対され…という話です。

処理中です...