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【最終章】
9
しおりを挟む王城は、驚くほど静かだった。
広場の喧騒や処刑の怒号が嘘のように、ただ風が、石造りの廊下を這う音だけが響いていた。
その塔の最上階、もともとは幽閉された王太子が使っていた部屋には、もう人の気配はない。
鉄格子の外側には衛兵の姿もなく、机に置かれた食器は空になって久しい。
わずかに開け放たれた窓から、夜風がカーテンをはためかせている。
そしてその部屋の中央に、ふたりの人影があった。
レティシアはカツリ、とヒールの音を鳴らしながら、誰もいない寝台に目を落とした。
その寝台には誰の温もりもなく、ただ枕元に一輪、青い花が置かれている。
「……人払いを?」
「一応はね。ここに王太子殿下がいないことは、誰にも知られてはならないから。」
ユリウスはそう答えながら、部屋の奥の椅子に腰を下ろす。
その顔は疲れているようで、それでもどこか、清々しささえ漂っていた。
レティシアは部屋の中央に立ったまま、視線を彼に向けた。
「……わたくし達もこれで、“大罪人”ですわね。」
皮肉を含ませることも、笑うこともなく、ただ事実として。
その一言は、空気に溶けて静かに消えた。
ユリウスもまた、肩をすくめるようにして答える。
「……笑えない話だ。」
窓の外では、空に光が差し厚い雲が破れていく。
天が二人の罪を認めるように、空は青く晴れ渡った。
***
それは、夜が明けるほんの数時間前のことだった。
王城の東棟にある書斎の一室。
執務机の上には、処刑リスト、証書、軍令書、焼き捨てられる予定の一通の密命書。
レティシアはその部屋の窓際に立ち、夜空を見上げていた。
風が髪を撫でる。月は翳り、明かりも乏しい。
「……君から、呼び出されるなんて珍しいな。」
「この夜にしか言えないことですから。」
振り返った彼女の声は、いつもより穏やかだった。
挑発も皮肉もない。抑えた決意だけが宿っている。
ユリウスは少しだけ眉をひそめる。
その気配に、何かを察したようだった。
「……どうしても、わたくしの口から伝えねばならぬことがありまして。」
言葉を選ぶようにして、レティシアは息を吸った。
その所作ひとつすらも、今夜の彼女にとっては覚悟だった。
「ユリウス様。わたくしの、最初で最後の大罪を、
見逃していただけませんか。」
ユリウスの目がわずかに揺れる。
「……聞き間違いだとは言わせないつもりだね。」
「もちろんですわ。」
返ってきたのは、揺るぎのない声。
「私は、セラフィーヌを……あの子を、処刑するわけにはいきません。」
「……」
「裁きの形式をとったうえで、世間には“王城にて処刑された”と知らせる。
そして裏で、彼女を国外へと逃がします。」
その一言で、ユリウスの表情から冗談の気配が完全に消えた。
彼は机の前に立ち、重く息を吐く。
「君のやろうとしていることは、明白な叛逆だ。」
「ええ、分かっております。」
レティシアは即答する。
だがその顔に恐れはなかった。
「それでも、わたくしはあの子を裁けない。」
「……誤りだ。感情論で判断するには、君は冷静すぎる。
尋問官として、何人も見送ってきただろう。」
「だからこそですわ」
レティシアは、ユリウスの正面に進み出る。
「私は、“悪人を裁く者”でありたい。」
「…君が言いたい“悪人”とは?」
「教会の大人たち、利用した者たち。
嘘を真実とすり替えて彼女を祀り上げた者たち。」
「それでも彼女は結果的に加担した。
麻薬成分を含んだ菓子を人々に与え、国家を操った。」
「ええ、分かっております。」
レティシアは幾百の嘘を見抜いてきた尋問者だからこそ、
人の“知らなかった”という一言の重みを知っている。
たとえ拷問をしても彼女は情報を落とさない。
情に深く感謝を胸に抱いたまま死を選ぶだろう。
そんな人間を悪と断ずるのは、この先一生後悔をする確信があった。
「彼女は、善意でお菓子を焼いていた。
あの花の蜜にそんな力があると知ったのは、全て終わった後のこと」
「だとしても、逃がすという選択は——」
「……分かっています。」
レティシアは静かに、ユリウスの言葉を遮った。
「わたくし自身、この選択がどれほどの愚行か、どれほどの裏切りか……嫌というほど、理解しております。」
唇が震えてもおかしくないはずの場面で、彼女は凛として立っていた。
その姿は、裁きの座にいた尋問者ではなく、
誰かひとりの未来のために罪を選ぶただの人間だった。
「どうか……見逃していただけませんか。」
部屋のなかに、長い沈黙が流れた。
ユリウスは視線を逸らさない。
まるで目の前の女を、見誤らぬように。
「——君が、ここまで人に肩入れをするとは思わなかった。」
「ええ、私もですわ。」
「それでも君は、この件を“法に背いた”と、はっきり認めるのだね?」
「はい。罪に問われれば、潔く裁かれましょう。」
「……この件が露見すれば、君は爵位も家も、国の信用も失う。」
「構いません。レティシア・ヴァルデューラとしてではなく、“わたくし”という一人の人間として、あの子を救いたい。」
ユリウスは一度、目を伏せるようにして背を向けた。
そして、机に置かれていた処刑記録の紙を指先で折り、火の灯った蝋燭へと近づける。
紙はぱちり、と燃え上がる。
処刑の命を記すその紙は、黒い灰となって空へと昇っていった。
「……君の罪は、僕が背負う。」
その言葉に、今度はレティシアが瞳を揺らした。
国の導き手が共犯者になる。
この人は、信仰も信用もなくしたこの国の最後の支えだ。
もし露見すればただの裁きではすまない、国の崩壊を意味する。
「……僕もね、分かっていたんだ。君がこの選択をするかもしれないと。その時は君が僕と共に叛逆者になってくれたように、僕も罪を担おうと誓っていた」
「……いけませんわ。」
「…死ぬ時は、並んで首を落とされよう。」
ユリウスの覚悟は厚く、
レティシアは、静かに涙を流した。
頬を伝うそれは、悪女の嘲笑でも、尋問官の悲哀でもない。
ただ一人の人間として、愛に応える涙だった。
「貴方を、死なせるわけにはいきませんわね。」
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