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《本編》
71. バイバイ、僕の"愛するひと”
しおりを挟む「僕が離婚を申し出たあの日、貴方は、祐斗さんの策略の末とはいえ番にしてしまった責任を取る為に面倒を見る事にした、と言った。
ねぇ、貴方にとっての『責任』って何? 貴方には、僕にこそ責任があるんじゃないの?
こんな言い方本当はしたくないけれど、敢えて言わせてもらえば、僕は貴方の夫なの。何度目だろうね、これ言うの。貴方が寄り添うべきは愛する夫の僕じゃないの? 番としても、愛し合って番った僕じゃないの?
貴方が僕よりも祐斗さんを優先する理由って何だろう? 祐斗さんの事も愛してしまったの? 責任が愛に変わる可能性も0じゃないよね。
僕だけじゃダメだったのかなぁ…。やっぱり浮気される僕が悪いのかなぁ…」
最後のほうは自分に向けた呟きだ。
彰宏さん、僕を愛してると…僕しか要らないと言いながら、祐斗さんと過ごす貴方が解らないよ…。僕が大切だと言うのなら、こんな事になる前にどうして戻れなかったの? 僕だけだと言うのならどうして…。
「…祐斗を愛した事はない」
呻く様な低い声で彰宏さんが言った。
「愛した事はないんだ。俺の言動をみれば、そう思われても仕方のない事は解っている。だが、俺が愛しているのは琳だけだ。前にも言ったが、琳だけなんだ。琳しか要らない。信じてもらえるまで何度でも言うから」
……………。
聞きたくないです。心の中でだけ呟く。
瑠偉くんには言ったけれど、彰宏さんの僕への愛を疑った事はない。だからこそ思う。
どうしてこんな事になったのか…と。
でも、全てが『今更』なんだ。信じて、赦して、仲直りして関係の再構築を求められても、全部は元には戻らない。
「彰宏さん、僕はあの家で独りだった。独り、ただ貴方の訪れを待っていた」
そう。帰宅…ではなく訪れ…だ。
「僕が仕事を辞めたいと言った日のこと、憶えてる? 本当はね、身体が辛かったの。抑制剤の常用の副作用でね、倦怠感と頭痛で夜も眠れなかった。仕事でもミスが増えて、同僚に迷惑は掛けられないから辞めたの」
「ど…どうしてそれならそうと…」
「…言えないよ。言える訳…ないじゃない…。僕が勝手に不安になって、勝手に薬を飲んだんだ。その結果だから…自分の所為なんだから…って…」
「そ…そんなことは…」
「あとね、これも憶えてるかなぁ。僕、一度だけ貴方に言った事があるの。行かないで…って…。でも、貴方は聞き届けてはくれなかった。振り返ってすらくれなかった。たった一度、勇気を出して縋った僕を…」
「琳、俺は…」
僕はふるふると首を横に振った。
もう十分に責めた。これで…あとこれだけを言ったら…終わりにしよう……。
「僕は寂しかった。痛くて…苦しくて…寂しくて…。耐えられなくて、抑制剤を手放せなくなった。お医者様には常用する危険性と直ぐに服用を止める様に言われたけれど、止める事が出来なかった。そして僕は子供が産めない体になって、おまけに命まで…。お医者様の言葉を聞かなかった僕の自業自得…。でもね…」
誰の所為でもない。自分が悪いんだ、って自分を納得させるのには、あまりにも…あまりにも重い現実ー。
「ねえ、僕が何をしたっていうの? ただ、貴方を愛しただけ。貴方に愛されたかっただけなのに…。何も悪いことなんかしてない。ただ貴方と幸せになりたかった…だけじゃないか…。なのに、どうして…。
貴方と過ごす時間を奪われて、赤ちゃんが産めなくなって、母親になる夢も失くして、貴方の子供を産んで家族を増やして幸せになる夢も絶たれて…。貴方との未来だけじゃない。人としての未来まで…奪われて…。なんで…。
どうして僕が死ななきゃいけないの…。どうしたらいいの…。誰の事も恨みたくないのに…。誰の所為なの…。僕の未来を奪ったのは、誰……」
ぶわっと弾ける様に涙が溢れた。嗚咽が洩れる。両手で口元を覆った。
「琳、ごめん。俺だ。俺が悪いんだ。
琳、俺は離婚したくない。俺の所為にしていい。好きだなだけ罵倒してくれて構わない。全部受け止める。ずっと傍にいるから…琳を独りになんてしないから、俺の所に戻って来て欲しい…」
「……………」
激しく首を横に振る僕。
「お願いだ、琳。別れて…このまま琳に会えなくなるのはイヤなんだ。子供は…持てなくても、俺達は家族だよ」
「……………」
酷い…。何でそんな事言うの…?
子供が持てなくても…? 貴方は何も解ってない。
自然に任せて、それで出来ないのなら、僕だって受け入れた。でも、僕はそうじゃないのに…。
「…戻らない…。貴方の所には戻らない…。僕は僕の人生の終わりを、貴方の傍で迎えたくない。貴方を祐斗さんや宏斗くんから奪った罪悪感を抱えながら過ごすなんて…堪えられない…」
「そんな事はない。そんな事は考えなくていい。俺が悪いのは解ってる。琳がそう思うのも仕方ない。でも、俺は琳の夫だ。俺と過ごす事に琳が罪悪感を抱く必要はないんだ」
「やめて…。…僕が惨めになる。子供が産めない事に…。貴方は子供はいなくても…って言うけれど、僕は欲しかったの。だから、辛いだけなんだ。愛し合う事も子供を望む事も出来ないのに、貴方の傍にいるのは……。
お願いします。僕の事を本当に愛しているのなら、離婚して下さい」
僕は、彰宏さんの僕への『愛』を逆手に取って、最後にもう一度、願う。
「……………。もう無理…なのか…?」
「……………。…ごめんなさい…」
彰宏さんの最後の問い掛けに謝るしか出来ない僕は、静かに涙を流す。
「…最後に…最後にもう一度、抱き締めても良い…?」
「…っ…! ………」
最後…という言葉に、やるせなさを感じながら、
こくん……
小さく頷いた僕。立ち上がり僕の傍に来た彰宏さんは、僕の隣に座って、そっと抱きしめてくれた。
その瞬間ー。
「……っ……」
僕は自らも彰宏さんに抱き着いた。涙が止めどなく溢れ出す。
「僕、祐斗さんが嫌い…。赦せない…。僕から貴方を奪った祐斗さんなんか…大嫌い…」
「…うん」
「祐斗さんを好きにならないで…」
「ならない」
「祐斗さんを愛さないで…」
「愛さない」
「…でも…。宏斗くんには罪は無いの…。あの子は愛してあげて。あの子に背負わせないで…」
「うん。宏斗は大切に育てる」
「彰宏さん。貴方を『愛してる』…」
「俺も、琳を『愛してる』」
言葉を交わしながら、僕達は泣いていた。互いに震える体を抱きしめながら…。
そして僕は、泣きながら、いつの間にか意識を手放していたー。
眠ってしまった僕が目を覚ました時、彰宏さんは既にいなかった。
(バイバイ、僕が愛した人…)
僕は、心の中でそっと、愛する人に別れを告げたー。
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