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《本編》
76. 愛されたかった僕の人生④(彰宏side)
しおりを挟む「琳、おはよう。今日も良い天気だよ」
カーテンを開けて窓から空を見上げてからベッドに戻り、眠る琳に語り掛ける。
深く眠る琳は、身動ぎ一つしない。
「…琳は…お寝坊さんだね…」
琳が眠りに就いて5日…。
浅く繰り返される呼吸だけが、琳が生きている事を教えてくれるー。
俺が沖縄に着いたのは、琳が昏睡状態になった翌日。
瑠偉さんから「一緒に来い」と言われて、取るものも取り敢えず、瑠偉さんと共に飛行機に飛び乗った。宏斗は父さんにお願いした。
琳が身を寄せる華英さんの家に着くなり、俺は華英さんの奥さんのノエルさんに殴られた。Ωのノエルさんに殴られてもそんなにダメージはないが、ノエルさんに会ったのは何年も前の一度きりでほぼ初対面の彼が俺を睨み付けるその顔には、激しい怒りが滲んでいた。
『何でリンを大切にしなかったんだ! お前はリンの番だろ!? リンは寝言でいつもお前の名前を呼ぶんだ! 呟きながら笑うんだよ! きっとリンは、夢ではお前と一緒にいた! 幸せだった頃を夢で見てた!
僕達番持ちのΩにとっては、番のαが全てなんだ! たとえ家族でも代わりにならないんだよ! なのに…。なのに、どうして……』
ノエルさんは、俺の胸を何度も何度も拳で叩いてから、その場に崩折れた。華英さんが抱き上げるようにしてノエルさんを立たせるさまを見ていた俺は…。
叩かれた所は全く痛くないのに、投げられた言葉は胸に重く伸し掛かり、痛かった。
そして、俺が沖縄に来る事を許された理由が解ったような気がしたー。
琳の両親がアメリカから駆け付けたのは、俺が沖縄に着いた2日後。殴られ、罵倒される事を覚悟した。されても甘んじて受け入れるつもりだった。土下座してでも琳の傍に居させてもらうつもりだった。
けれど…。
家族間で俺についてどんな話をしたのか。琳の両親も、瑠偉さんも華英さんも、俺を責める言葉を口にしない。
ただ一言だけ、瑠偉さんが言った。
『琳が望んでいないから……』
とー。
そしてその日から、琳の身の回りの世話は俺が任せてもらえる事になったー。
琳の寝顔を見つめながら寝間着から普段着に着替え終えた頃、ノエルさんが俺の朝食をお盆に載せて運んで来てくれた。片時も琳の傍を離れたくない俺は部屋で三度の食事を食べているのだが、毎食ノエルさんが用意してくれて、部屋まで運んでくれる。何度か「自分で取りに行きます」と言った俺に、彼は…。
「いつもありがとうございます」
「別にいい。リンの顔を見たいから、そのついで」
いつも『ついで』だと言うから、素直に感謝する事にした。
「リン、おはよう。今日の寝顔も美人さんだねぇ。いっぱい寝て起きたら、お散歩しようね。ノアも楽しみにしてる…からね…」
必ず眠る琳に言葉をかけるノエルさんの目に浮かぶ涙を、いつも俺は見ていないフリをする。
ノエルさんが退室してから、俺は食事を食べる。
琳の食事は1日2回の栄養剤投与の点滴。毎日2回、近くの診療所から男性看護師さんが来てくれて準備してくれる。昼過ぎには、診療所から今度は年配の男性医師が来て、琳の診察をしてくれる。
琳の身の回りの世話といっても、俺自身に出来る事は少ない。
ずっと琳の世話をしてくれていたというノエルさんから俺が初日に教わったのは、毎日の清拭と着替えの仕方。深く眠っていても排泄はするから、オムツ替えの仕方。床擦れ防止の為の2時間置きの体の向きの変え方だった。俺にとってはどれも苦にならない。
ただオムツ替えだけは、毎回、琳に申し訳ない気持ちになる。番とはいえ、『元夫』に排泄の世話などされたくはないと思う。だから毎回、「ごめんな…」と声を掛けてから替える。
俺が琳の為に出来る事なんてこれくらいで、あとは傍にいる事しか出来ない。眠り続ける琳に語り掛けるだけ。『愛』を毎日伝える事も絶対だ。
長峰の両親と瑠偉さんと華英さんも日に何度か琳の顔を見に来るが、数分、琳の寝顔を見つめ、一言二言琳に声を掛けてから退室する。
だけど、ノエルさんとノアくんだけは違った。ノアくんは琳が大好きで、琳がベッドから出られなくなってからは、毎日この部屋で…琳の傍で遊んでいたらしい。そしてそれは、俺が居ても変わらない。琳を名前で呼ぶように、俺の事は『アキ』と呼んでくれる。屈託なく俺に懐いてくれる彼も、いずれ俺が琳にした仕打ちを知れば、俺を嫌悪するかも知れない。いや、絶対するだろう。
ノエルさんは、沖縄に来てからの琳の事を話してくれた。俺の事を決して赦しはしないだろうが、それでも琳の前では俺を責めない。その代わり、沖縄に来た琳が、病に冒されながらも日々どれだけ幸せに…充実した毎日を送ってきたかを俺に話す。俺の知らない琳の幸せを…俺が与えられなかった幸せな日々を、沖縄で…自分達の傍で過ごしたんだ、と知らしめるように…。それを知る事が俺への罰だというかのように…。そして俺は黙って聞く。琳の事なら零さずに知りたいから。それをどんなに悔しく思ったとしても…。
安らかな琳の寝顔を見つめ、穏やかに繰り返す呼吸音を聴きながら、たとえこのまま目を覚まさなくても傍にいるから、この時間を失いたくない…と、願った。
けれど、現実は残酷だ…。
『その日』は突然、訪れたー。
ある日の明け方の事だった。
俺は不意に目を覚ました。
それはきっと『予感』だった。
時計を確認すれば琳の体の向きを変えてから1時間しか経っていない。ふと琳の方を見て、俺は息を飲んだ。琳の目が開いていたからだ。驚いて顔を覗き込むも、目を覚ました訳では無い事に気付いて、再び息を飲む。
開かれた目は虚ろだった。ただ1点、天井に向けられていた。琳はゆっくりとした動作で布団から出ていた腕を持ち上げ……。
「…彰宏さん、どこぉ……」
「…っ…!!…」
俺は天井に向かって伸ばされた琳の手を握った。
「此処にいるよ。琳、俺は此処にいる…」
返しながら俺は、「ああ…もうダメなんだな…」と覚った。
俺の言葉に安心したのか、天井に向けられたままの琳の顔が、不安気な表情から穏やかな表情に変わる。
「…だいすき……」
呟いた琳の背中とベッドの間に腕を入れて、少し力を入れたら折れてしまいそうなくらい細くなってしまった体を抱きしめた。ガラス細工を扱うようにそっと…。
「俺も…愛してるよ。琳だけを…愛してる」
「…ありが…と……」
最期に「ありがとう」の言葉を呟いて、琳の腕から…体から力が抜けた。
「ああ…琳……」
琳を抱きしめる俺の体に異変が現れるのは同時…。
「あ…あ…あ…」
意味を成さない声が洩れる。胸がチリチリ痛み、体から何かを引き剥がされる感覚に、目からは涙が止めどなく溢れた。
Ω側からの『番契約の強制解除』ー。
それは、琳の生命の『終わり』を意味していたー。
長峰 琳、享年28歳ー
昏睡状態になってから15日ー
愛する番の腕に抱かれ、その短い生涯の幕を閉じたー
あまりにも早過ぎる最期だったー
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