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《本編》
80. 『愛をありがとう』(宏斗side)
しおりを挟む物心が着いた頃には『ママ』はいなかった。
『パパ』と『じいじ』との3人暮らし。『パパ』が仕事に行っている間は、『じいじ』がお世話してくれて、遊んでもくれた。
それが当たり前の日常だった。
毎朝毎晩、パパは寝室の棚の上に飾った写真の人に手を合わせていた。写真と一緒にお花も飾ってあって、一緒に手を合わせるのが日課になっていた。
写真に写るとても綺麗なひと。幼い頃は、写真の中の綺麗な人ひとが『ママ』だと思っていた。5歳くらいの頃かな。よく憶えてはないけれど、それくらいの頃にパパに訊いてみた事がある。「ぼくのママ?」って。パパは微笑みながら、肯定はしなかったけれど否定もしなかった。
『違う』と思ったのは、10歳で第二性が『α』だと判った時。本能的にそう思ったんだ。この人はママ…『お母さん』じゃなかったんだって。言葉で説明するのは難しいけれど、なんか違和感があったんだもの。
そして、『俺』の脳裏に疑問が浮かんだ。
お母さんじゃないこの綺麗な人は誰?
どうして『お父さん』は愛おしそうに写真の人を見つめているの?
俺のお母さんは何処にいるの?
思ったけれど、訊けなかった。訊いたら何かが壊れそうで…。
それに、お母さんはいないけれど、お父さんと『お祖父ちゃん』と俺の3人での生活に不満なんてなかったから、知る事が出来なくても構わないと思った。
知らなくてもいいと思っていたのだけれど、俺が16歳になった時、お父さんが『全て』を話してくれた。お父さんの過去に何があったのか、写真の中の綺麗な人は誰なのか、そして、俺のお母さんが何をしたのか、を。俺には知る権利がある。知っていてほしい…とお父さんは言った。
そして明かされた『過去の事実』に俺は……。
涙が止まらなかった。もう高校生なのに泣くなんて恥ずかしい事なのに、有り得ない程の衝撃を受けた心は今しがた知った事実を整理する事を拒み、頭も、そして心もぐちゃぐちゃ。そんな中、一番強く思った…思ってしまった事を、俺は吐き出していた。
「俺、生まれてきて…よかった…の…?」
とー。
お父さんは俺を抱きしめた。強く俺を抱きしめながら、
「宏斗、生まれてきてくれてありがとう。愛してる」
と言ってくれた。
俺はお父さんにしがみついて、声を上げて泣いた。
お父さんとお祖父ちゃんの愛情を疑った事なんか一度もない。言葉はなくても解る。自分がどれだけ大切に育てられて、愛されているかって事は…。それでも、言葉にしてもらえると、こんなにも嬉しい。
お父さんは俺が泣き止むまで抱きしめながら、背中を撫でていてくれた。
落ち着いた俺はお父さんに「俺の本当の母親の事、恨んでないの?」って訊いた。「そんな事もあったなぁ」とお父さんは苦笑していた。「でもな、宏斗…」と、お父さんは続けた。
「今は恨んでない。お前の母親…祐斗が自分から施設に入ると決めた日に、恨み、憎しみ、怒りとかの負の感情は捨てたんだ。祐斗はあんなに欲していた宏斗と離れる事で、彼なりの罰を受けた。それでもう十分だろう…と。それに、祐斗がいたから宏斗がいる。お父さんには、それだけで十分な赦せる理由になったんだよ。
宏斗、よく聞きなさい。お父さんと祐斗は沢山の間違いを犯したけれど、子供には…お前には何の罪もないんだ。お父さん達の過去は、お前には辛い事実だろう。話さない選択肢もあった。それでも話したのは、αのお前のこれからの人生には必要だと思ったから。
宏斗、親の業を背負う必要はない。だだ、間違えるな。それだけは頭に留めておいてほしい」
そう言って俺の頭を撫でてくれたお父さん。微笑んでいたけれど、どこか寂しそうな顔をしていた。
お父さんが1枚の写真を見せてくれた。小柄な男の人が幼児を抱いている写真。俺の母親だという人と幼い頃の俺だと教えてくれた。俺はその写真をじーっと見つめたけれど、特に懐かしさも何も感じなかった。そもそも母親の事は憶えていない。顔も、俺は遺伝子まんまお父さんのを受け継いだらしく、写真中の母親の中から、特に自分に似た所は見当たらなかった。母親と一緒に写る写真は1枚しかないから「持ってなさい」と言われたけれど、俺は「要らない」と断った。過去の事を聞いたからかも知れないけれど、お父さん達を苦しめた人の写真なんか持っていたくなかったんだ。俺を生んでくれた人でも、記憶に無ければ他人と同じ。そんな冷めた事を思った。
俺は自宅から通える大学に進学した。
この頃からだったと思う。お父さんが体調をよく崩すようになったのは…。
日に日に衰弱していくお父さん。平日の日中はお祖父ちゃんに任せるしかないけれど、朝と夜、そして休日は、俺がお父さんの看病をした。貴重な学生生活なのだから、友達と遊んだりバイトをしたりして謳歌しないと…とお父さんは言うけれど、お父さん以上に大切なものなんて何も無かった。
ある日の夜、どんどん痩せていくお父さんの体を拭きながら堪えていた涙が溢れ出した俺を見て、お父さんは言ったんだ。
「お父さんは2人の番を持ちながら、どちらも幸せにしてやる事が出来なかった。なのに、お父さんは幸せだった。宏斗がいた。愚かな息子を見捨てずに傍にいてくれる祖父ちゃんがいた。番を幸せにしてやれなかったお父さんなのに、十分過ぎるほどの幸せを貰ったんだ。だから、宏斗が気に病む事はないんだよ」
それから間もなくー。
お父さんは逝った。俺が大学から帰って来た時には、もう息をしていなかった。俺を待っていてはくれなかった。1人で逝ってしまった…。
でも、眠っている顔はとても穏やかだった。苦しまずに逝けたのかな…。琳さんが迎えにきたのかな…。その顔には微かな笑みが浮かんでいた。
お葬式はお父さんの『お願い』どおりにひっそりと、俺とお祖父ちゃんとお父さんの従兄弟のおじさんと3人で、お父さんを見送った。
お祖父ちゃんが火葬場にいる時に呟いた。
「こんな老いぼれよりも、若い者が先に逝く…」
そんなお祖父ちゃんが儚く見えて、俺はシワシワの手を握った。
「俺、お祖父ちゃんの傍にいるからね。お祖父ちゃんを1人にしないからね。長生きしてね」
お祖父ちゃんはお父さんを本当に愛していた。気落ちしているお祖父ちゃんが、消えてしまいそうな恐怖を感じた。お祖父ちゃんまでいなくなったら俺は独りになってしまう。長生きして、お祖父ちゃん。俺じゃあお父さんの代わりにはならないだろうけれど、俺を独りにしないで。お祖父ちゃん、大好きだよ。
俺の必死さが伝わったのか、お祖父ちゃんは微笑んでくれた。
お墓もお父さんの『お願い』どおり、代々のお墓の隣に小さなお墓を建てて、お父さんの遺骨と琳さんの遺骨を納骨した。
「生きている時は傍にいる事は叶わなかった。だからせめて、死んだ後は2人だけのお墓に入りたい」ー
そう言っていたお父さん。
お父さん、琳さんには会えましたか?
2人で今、何をしていますか?
俺は、お父さんと、そして、写真でしか知らない綺麗な人を想う。
2人が寄り添い眠るお墓に手を合わせ、心の中で語り掛ける。長く手を合わせてから目を開けた俺は、晴天の空を見上げた。
今度は声に出して語り掛ける。これまで一度も言葉で伝えた事はないけれど…。
「愛をありがとう」、とー。
たくさんの想いを込めて…。
空の上のお父さんに届く事を願ってー。
《完》
~~~~~~~~~~~~~~~
☆本編、完結しました。
長い間お付き合い下さり、ありがとうございました。
☆次回から、別のエンドルートを投稿します。
もしも琳に生きて幸せになる未来があったら…をテーマにお届けします。本編以上にご都合主義なところも多々あるかと思いますが、どうか…どうかご容赦を……。
もし興味を持って下さいましたら、もう少しお付き合い下さると幸いです。
本編72話読了からの分岐になります。
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