2 / 50
2
しおりを挟む
王都を離れる直前、避けては通れない「王宮夜会」が開催された。 婚約者候補の辞退が受理されたとはいえ、正式な発表までは公の場に出る義務がある。エルナは極力目立たないよう、地味なネズミ色のドレスを選び、香水もつけず、会場の隅で壁の花になろうと決めていた。
(よし、今日を乗り切れば、明日の早朝には国境行きの馬車に乗れるわ)
しかし、運命(と乙女ゲームの強制力)は残酷だった。 会場が突然しんと静まり返る。現れたのは、正装に身を包んだシオン王子。彼は周囲の令嬢たちの挨拶をすべて無視し、真っ直ぐに会場の隅へと歩いてくる。
「見つけたぞ、エルナ」 「……殿下、何のご用でしょうか。私は今、空気と同化する修行中なのですが」
シオンはエルナの皮肉を無視し、強引にその手を取った。
「私と踊れ。これは命令だ」 「お断りします。足を踏んでしまいますわ」 「構わん。お前に踏まれるなら本望だ」
(……は? 今、なんて言ったの、この王子)
無理やりダンスホールの中央へ引きずり出される。周囲からは「あのエルナがまた王子を誘惑した」という蔑みの視線が飛ぶが、実際は逆だ。シオンの腕は、折れそうなほど強くエルナの腰を抱き寄せていた。
「エルナ、最近のお前はおかしい。なぜ私を見ない。なぜ私を避ける」 「嫌いな男を避けるのは、生物として当然の防衛本能です」 「嫌いだと? ……嘘をつけ。お前は私のことが好きなはずだ。あの情熱的な手紙や贈り物はどうした」 「すべてゴミ箱に捨てました。あ、殿下も一緒に捨てたので安心してくださいね」
シオンの瞳に、暗い炎が宿る。 「捨てさせない。お前を、誰にも渡さない……。例えお前自身が望んでもだ」
耳元で囁かれた低く、執着に満ちた声。 エルナの背筋に凍り付くような戦慄が走った。これはもう、「嫌われ」ではない。もっと厄介な「執着」の始まりだった。
夜会から命からがら逃げ出したエルナは、予定を数時間早めて王都を脱出した。 用意していたのは、平民の商人風の馬車。髪を黒く染め、眼鏡をかけ、偽造パスポートを手にする。
「さようなら、クソ王子! さようなら、処刑エンド!」
夜の街道を馬車がひた走る。 国境の検問所まであとわずか。ここを越えれば、隣国の公爵家が運営する寄宿学校に、身分を隠して入学する手はずが整っている。 朝霧が立ち込める中、ついに国境の門が見えてきた。
「止まれ! 馬車を止めろ!」
門兵の声。エルナは心臓の鼓動を抑えながら、偽造の通行証を差し出す。 「ただの薬草商人ですわ」 「……怪しいな。おい、上からの命令だ。黒髪の女は全員、顔を確認しろ」
その時、後方から凄まじい馬蹄の音が響いてきた。 霧を切り裂いて現れたのは、白銀の甲冑に身を包んだ近衛騎士団――そして、その先頭に立つのは、狂気を孕んだ笑みを浮かべるシオン王子だった。
「エルナ! そこにいるのはわかっている!」
シオンは馬を跳ねさせると、エルナの乗る馬車の前に立ちはだかった。 彼は馬から飛び降り、震える手で馬車の扉をこじ開ける。
「見つけた……やっと捕まえたぞ、私の小さな逃亡者」 「……し、シオン殿下。なぜここに。公務はどうしたんですか」 「お前を連れ戻すのが、今の私の最優先事項だ。国を捨ててまで逃げようとするとは、よほど私に愛されたいらしいな?」 「違います! 全力で拒絶してるんです!」
シオンはエルナを馬車から引きずり出すと、逃げられないよう自分のマントで包み込み、そのまま強く抱きしめた。 「もう二度と離さない。お前が逃げるなら、国境を封鎖し、隣国を滅ぼしてでもお前を奪い返す。……わかったな?」
エルナは悟った。 かつて自分を嫌っていた冷酷王子は、今や「奈落の底まで追ってくるストーカー」へと進化してしまったのだということを。
「私の自由な独身生活が……!!」
朝焼けの中、エルナの絶望の叫びが響き渡った。
(よし、今日を乗り切れば、明日の早朝には国境行きの馬車に乗れるわ)
しかし、運命(と乙女ゲームの強制力)は残酷だった。 会場が突然しんと静まり返る。現れたのは、正装に身を包んだシオン王子。彼は周囲の令嬢たちの挨拶をすべて無視し、真っ直ぐに会場の隅へと歩いてくる。
「見つけたぞ、エルナ」 「……殿下、何のご用でしょうか。私は今、空気と同化する修行中なのですが」
シオンはエルナの皮肉を無視し、強引にその手を取った。
「私と踊れ。これは命令だ」 「お断りします。足を踏んでしまいますわ」 「構わん。お前に踏まれるなら本望だ」
(……は? 今、なんて言ったの、この王子)
無理やりダンスホールの中央へ引きずり出される。周囲からは「あのエルナがまた王子を誘惑した」という蔑みの視線が飛ぶが、実際は逆だ。シオンの腕は、折れそうなほど強くエルナの腰を抱き寄せていた。
「エルナ、最近のお前はおかしい。なぜ私を見ない。なぜ私を避ける」 「嫌いな男を避けるのは、生物として当然の防衛本能です」 「嫌いだと? ……嘘をつけ。お前は私のことが好きなはずだ。あの情熱的な手紙や贈り物はどうした」 「すべてゴミ箱に捨てました。あ、殿下も一緒に捨てたので安心してくださいね」
シオンの瞳に、暗い炎が宿る。 「捨てさせない。お前を、誰にも渡さない……。例えお前自身が望んでもだ」
耳元で囁かれた低く、執着に満ちた声。 エルナの背筋に凍り付くような戦慄が走った。これはもう、「嫌われ」ではない。もっと厄介な「執着」の始まりだった。
夜会から命からがら逃げ出したエルナは、予定を数時間早めて王都を脱出した。 用意していたのは、平民の商人風の馬車。髪を黒く染め、眼鏡をかけ、偽造パスポートを手にする。
「さようなら、クソ王子! さようなら、処刑エンド!」
夜の街道を馬車がひた走る。 国境の検問所まであとわずか。ここを越えれば、隣国の公爵家が運営する寄宿学校に、身分を隠して入学する手はずが整っている。 朝霧が立ち込める中、ついに国境の門が見えてきた。
「止まれ! 馬車を止めろ!」
門兵の声。エルナは心臓の鼓動を抑えながら、偽造の通行証を差し出す。 「ただの薬草商人ですわ」 「……怪しいな。おい、上からの命令だ。黒髪の女は全員、顔を確認しろ」
その時、後方から凄まじい馬蹄の音が響いてきた。 霧を切り裂いて現れたのは、白銀の甲冑に身を包んだ近衛騎士団――そして、その先頭に立つのは、狂気を孕んだ笑みを浮かべるシオン王子だった。
「エルナ! そこにいるのはわかっている!」
シオンは馬を跳ねさせると、エルナの乗る馬車の前に立ちはだかった。 彼は馬から飛び降り、震える手で馬車の扉をこじ開ける。
「見つけた……やっと捕まえたぞ、私の小さな逃亡者」 「……し、シオン殿下。なぜここに。公務はどうしたんですか」 「お前を連れ戻すのが、今の私の最優先事項だ。国を捨ててまで逃げようとするとは、よほど私に愛されたいらしいな?」 「違います! 全力で拒絶してるんです!」
シオンはエルナを馬車から引きずり出すと、逃げられないよう自分のマントで包み込み、そのまま強く抱きしめた。 「もう二度と離さない。お前が逃げるなら、国境を封鎖し、隣国を滅ぼしてでもお前を奪い返す。……わかったな?」
エルナは悟った。 かつて自分を嫌っていた冷酷王子は、今や「奈落の底まで追ってくるストーカー」へと進化してしまったのだということを。
「私の自由な独身生活が……!!」
朝焼けの中、エルナの絶望の叫びが響き渡った。
57
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢に転生したので地味令嬢に変装したら、婚約者が離れてくれないのですが。
槙村まき
恋愛
スマホ向け乙女ゲーム『時戻りの少女~ささやかな日々をあなたと共に~』の悪役令嬢、リシェリア・オゼリエに転生した主人公は、処刑される未来を変えるために地味に地味で地味な令嬢に変装して生きていくことを決意した。
それなのに学園に入学しても婚約者である王太子ルーカスは付きまとってくるし、ゲームのヒロインからはなぜか「私の代わりにヒロインになって!」とお願いされるし……。
挙句の果てには、ある日隠れていた図書室で、ルーカスに唇を奪われてしまう。
そんな感じで悪役令嬢がヤンデレ気味な王子から逃げようとしながらも、ヒロインと共に攻略対象者たちを助ける? 話になるはず……!
第二章以降は、11時と23時に更新予定です。
他サイトにも掲載しています。
よろしくお願いします。
25.4.25 HOTランキング(女性向け)四位、ありがとうございます!
麗しの王子殿下は今日も私を睨みつける。
スズキアカネ
恋愛
「王子殿下の運命の相手を占いで決めるそうだから、レオーネ、あなたが選ばれるかもしれないわよ」
伯母の一声で連れて行かれた王宮広場にはたくさんの若い女の子たちで溢れかえっていた。
そしてバルコニーに立つのは麗しい王子様。
──あの、王子様……何故睨むんですか?
人違いに決まってるからそんなに怒らないでよぉ!
◇◆◇
無断転載・転用禁止。
Do not repost.
村娘になった悪役令嬢
枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。
ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。
村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。
※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります)
アルファポリスのみ後日談投稿しております。
溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~
夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」
弟のその言葉は、晴天の霹靂。
アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。
しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
【完結】旦那様、どうぞ王女様とお幸せに!~転生妻は離婚してもふもふライフをエンジョイしようと思います~
魯恒凛
恋愛
地味で気弱なクラリスは夫とは結婚して二年経つのにいまだに触れられることもなく、会話もない。伯爵夫人とは思えないほど使用人たちにいびられ冷遇される日々。魔獣騎士として人気の高い夫と国民の妹として愛される王女の仲を引き裂いたとして、巷では悪女クラリスへの風当たりがきついのだ。
ある日前世の記憶が甦ったクラリスは悟る。若いクラリスにこんな状況はもったいない。白い結婚を理由に円満離婚をして、夫には王女と幸せになってもらおうと決意する。そして、離婚後は田舎でもふもふカフェを開こうと……!
そのためにこっそり仕事を始めたものの、ひょんなことから夫と友達に!?
「好きな相手とどうやったらうまくいくか教えてほしい」
初恋だった夫。胸が痛むけど、お互いの幸せのために王女との仲を応援することに。
でもなんだか様子がおかしくて……?
不器用で一途な夫と前世の記憶が甦ったサバサバ妻の、すれ違い両片思いのラブコメディ。
※5/19〜5/21 HOTランキング1位!たくさんの方にお読みいただきありがとうございます
※他サイトでも公開しています。
【完結】公爵令嬢に転生したので両親の決めた相手と結婚して幸せになります!
永倉伊織
恋愛
ヘンリー・フォルティエス公爵の二女として生まれたフィオナ(14歳)は、両親が決めた相手
ルーファウス・ブルーム公爵と結婚する事になった。
だがしかし
フィオナには『昭和・平成・令和』の3つの時代を生きた日本人だった前世の記憶があった。
貴族の両親に逆らっても良い事が無いと悟ったフィオナは、前世の記憶を駆使してルーファウスとの幸せな結婚生活を模索する。
勘違いで嫁ぎましたが、相手が理想の筋肉でした!
エス
恋愛
「男性の魅力は筋肉ですわっ!!」
華奢な男がもてはやされるこの国で、そう豪語する侯爵令嬢テレーゼ。
縁談はことごとく破談し、兄アルベルトも王太子ユリウスも頭を抱えていた。
そんな折、騎士団長ヴォルフがユリウスの元に「若い女性を紹介してほしい」と相談に現れる。
よく見ればこの男──家柄よし、部下からの信頼厚し、そして何より、圧巻の筋肉!!
「この男しかいない!」とユリウスは即断し、テレーゼとの結婚話を進める。
ところがテレーゼが嫁いだ先で、当のヴォルフは、
「俺は……メイドを紹介してほしかったんだが!?」
と何やら焦っていて。
……まあ細かいことはいいでしょう。
なにせ、その腕、その太もも、その背中。
最高の筋肉ですもの! この結婚、全力で続行させていただきますわ!!
女性不慣れな不器用騎士団長 × 筋肉フェチ令嬢。
誤解から始まる、すれ違いだらけの新婚生活、いざスタート!
※他サイトに投稿したものを、改稿しています。
王女殿下のモラトリアム
あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」
突然、怒鳴られたの。
見知らぬ男子生徒から。
それが余りにも突然で反応できなかったの。
この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの?
わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。
先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。
お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって!
婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪
お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。
え? 違うの?
ライバルって縦ロールなの?
世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。
わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら?
この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。
※設定はゆるんゆるん
※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。
※明るいラブコメが書きたくて。
※シャティエル王国シリーズ3作目!
※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、
『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。
上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。
※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅!
※小説家になろうにも投稿しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる